第2部5話
―不味い
よりにもよって、この二人を連れてくる?
火に油を持ってこられた状況に、凪はあからさまに表情を引きつらせた。
横領事件の後、生徒会長への解職請求は取り消しとなり、副会長だった小早川秀俊を除いた現生徒会はそのまま、生徒会役員としての活動を続行する事となった。
ただ、浩明に返り討ちされた康秀は未だに休学中である。聞けば、浩明に受けた胸部の火傷もだが、精神的な所が重症らしく、専門のカウンセラーがケアを続けているそうだ。
閑話休題、だからこそ慶が総一郎と雅を連れて駆け付けても可笑しくはない。とは言うものの、浩明と総一郎と雅、天統家の元兄妹が同時に介する状況は、確執を知る凪どころか、第三者の野次馬ですら思わず身構えてしまう。
先日、浩明に偽装して襲われた雅が退院した事を浩明に報告、それも授業修了時という意趣返しとも取れるタイミングで来た際に、話を受けた浩明は「それは良かった」と声をかけた。
周りの目を気にして、当たり障りのない応対をしてくれた事に、表情を緩め掛けたが、次に取った行動はこれだ。
「では、これは必要有りませんね」
制服から香典袋を取り出し、目の前で香典袋を広げ始めて紙幣(電子貨幣に取って代わられても冠婚葬祭での礼儀作法は変わっていない為)を財布に戻した時には空気が一気に冷えた。総一郎と雅はそのまま立ち尽くし、周りにいた学生は、自分達が慕っている二人に何て事を……と、呆気に取られ、浩明を見る事しか出来なかった。
持ち上げてどん底に叩き落とす。
星野浩明は二人に対して容赦がない。
因みに、その話を聞いて、二人の取り巻きから浩明への闇討ちが行われ、返り討ちにあったのは言うまでもない。
「何が有ったのか説明してくれないかな?」
凪が自分達を見て、表情を変えた理由は分かるが、話を聞かない訳にはいかない。
事件に関する学内ネットワークの書き込みを見て、浩明が関わっていると分かった途端、現場に行こうとした慶に無理矢理着いてきた二人を止められなかった責任は自分にある。
慶が口を開くと、それに凪が答えた。
「き、旧校舎で火事が有ったので、私と星野で消火活動を、風紀委員長が安全確保を行ったのですが、風紀委員長が消火活動を行った事に納得がいかないそうで詰問を受けてました」
「納得が……」
「納得がいかないってどういう事かな?」
総一郎が切り出そうとするのを、慶が遮ってくる。総一郎と雅が軽く慶を睨むが、トラブル回避の非常措置だと、自身に納得させる。
起こるのは時間の問題だが、僅かな可能性に掛ける。連れて来てしまった慶は、総一郎達が会話に参加できないよう必死だった。
「消火活動は星野と灯明寺による独断だ。また爆発が起こるか分からないのに勝手な行動を取られて怪我でもされたら風紀委員として困るんだよ」
それに対して、浩明が反論する。
「また、爆発が起こるかも知れない。だからこそ、早急に消火を済ませて二次災害を防ぐべきではと思ったんですがね」
「それは結果論だろうが」
「結果論? 端から問題を起こすと決め付けてきた赤松先輩から、よもやそう言われるとは驚きですよ」
やれやれと肩を竦めると、赤松は言葉を詰まらせると別の切り口から切り出した。
「フン、魔術専攻科の学生を何人も病院送りにしといて問題を起こしていないとよく言えたもんだ」
「複数で襲ってくる魔術師に対して応戦だけですよ。まさか、事情を把握してないとでも?」
「くっ!」
反論出来ずに口を噤む。
事件後も、浩明には魔術専攻科の学生から因縁を何回か付けられている。それに徹底抗戦して返り討ちにしている。自ら手を出してはおらず、非は相手にあると応戦する。
「それとも、委員長は黙ってやられろとでも仰るのですか?」
「……ッ!」
黙った事を肯定と受け取り、浩明は雷を落とす。
「つまり、偉い偉い風紀委員長様は、普通科にしかいられない落ちこぼれ魔術師の私の役目は、魔術専攻科に在籍する、エリート魔術師のストレス発散の為の生け贄のサンドバッグだと仰りたいというわけですか」
「おい待て、そんな事?」
「流石は、偉大な前任者の後釜、多少なりとも平等に学生を見ていた彼女とは正反対、見事な運営方針ですねえ。どれだけの喧嘩を揉み消されていたのか聞いてもよろしいですか?」
「きっさまああぁぁぁ!!」
「おい待て!」
ついに限界に達して殴りかかろうとして、総一郎が慌てて止めにかかる。
「星野君、言い過ぎだよ」
慶が窘めると、
「そうですわ。お兄様、今のは言いがかりですわ」
雅も続いて浩明を止めようとして、浩明は怪訝に視線を泳がせた。
「どうしたの?」
挙動不審に思える浩明の反応に凪が聞く。
「天統家の御当主殿、御当主殿はそこの風紀委員長に何か言いがかりを付けておられたのですか?」
「何?」
見当違いの質問に首を傾げる。
「いや、天統家の御令嬢殿が、見当違いな方向を見ながらそう言っているものですから、少々気になりまして」
「なんだ、自分の事だって思ってなかったんだ」
言動の不審さの正体に気付いて凪が納得したと同時に、総一郎達が浩明の事を未だに諦めていない事に呆れた。
「何を言うのです、貴方は私のお兄様ではありませんか!」
「私に妹などおりませんが」
「何を馬鹿な事を仰るのですか! 兄に兄と言って何が可笑しいのですか!」
「馬鹿を仰っているのは御令嬢殿、貴女の方ですよ」
雅が食い下がる後ろで、慶が額に手を当てて天を仰いだ。一番避けたかった事態が起こったからだ。
「隔離病棟に放り込まれても可笑しくない妄想癖の持ち主なのは分かってますから、兄だとかふざけた事を言って近寄ってこられるのは止めていただけませんか。私の事を妹を虐待する血も涙もないろくでなしの兄と世間に宣伝して貶めるつもりですか。そうならば、なかなか見事な策略、諸葛亮孔明もやらない最低極まりない奇策ですよ」
「そ、そんな……私は」
追い詰められた雅の目から涙が溢れ始める。一連の様子を見ていた学生からは
「うわ、ヤバくない?」
「あれは言い過ぎだろ」
浩明への批判の言葉が聞こえてくる。
「ほら、思惑通りの展開ですよ。満足ですか?」
批判の言葉を気にするどころか、それを断罪の武器として雅に突き付ける。
「答えなさい!」
「!!」
浩明のその言葉に、雅は涙を流しながらその場から逃げる事だった。
「あくまでも被害者を演じますか。どこまで愚劣極まりないのでしょうかねえ」
「おい浩明、今のは言い過ぎ……」
「天統先輩」
居なくなった妹に対しての更なる侮蔑の言葉に、総一郎が、浩明に掴み掛かろうとして、二人の間に凪が割って入り絶対零度の眼差しで睨み付ける。
「な、なんだ、灯明寺」
「先輩、星野から言われた事に怒るのなら、自分達がそこまで言われる事をしていないと言い切ってから怒ってくれませんか」
いつも、浩明の横に立つ少女に一瞬たじろぐが平静を装いつつ応じる。
「灯明寺、それはどういう意味で言ってるんだ?」
平静を装いつつも、部外者の、それも年下の女子生徒から詰問される事に慣れていない総一郎は、僅かな殺気を込めて聞く。
「自分の心に聞いたらどうですか、それとも、一人の人間を十年間、虐待しといて、「自分達は反省してます、ごめんなさい」だけで元通りなんて思ってるんですか?」
「ッ!」
そんな事も分からないのか?
凪のの言葉に、総一郎は平静を失う。
「星野の言葉を借りるようだけど、これじゃ、天統家の未来はおしまいね」
「黙れ!」
総一郎は右手を上げる。
部外者が口を挟むな
その右手を凪の顔に振りおろそうとして、凪は咄嗟に身構えると、浩明が「御当主殿」と口を開いた。
「灯明寺に手を出すなら、私が相手をしますよ」
「浩明!」
浩明の宣戦布告に近い警告に、すんでのところで手を止めた。
「私も、相棒にさらされる脅威を黙って見捨てるほど、人間堕ちてはいませんからねえ」
星野浩明は、信頼している人間に危険が及ぶ時には、自分の全てをもって応じねじ伏せる。それが例えどのようなものであってもだ。
「お前……」
一触即発の事態、それを止めたのは
「皆さん」
自分達を呼ぶ京極紫桜だった。