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「で、何考えて逃げたわけ」
「何って……君の安全を」
「それだけじゃないでしょ」
いまだに頬を赤らめ、右腕でスカートの前を押さえて、反対の手でスカートに付いた土と埃を払い終えると凪は浩明に詰め寄った。
「それだったら、なんで魔法を使って逃げたの?」
「どういう意味だ?」
「秘密主義で、一番信頼している私の前でも魔法を使おうとしない星野君が、大勢の前で使うって事は相当なリスクを犯してでも果たしたい目的があったんじゃないの?」
「なんだ気付いてたのか?」
「えぇ、星野君の相棒ですからその位は」
感心する浩明に、凪は腕を組み、胸を張って答える。
「で、何を考えていたの?」
改めて凪は最初の質問を聞き返すと、浩明は説明を始めた。
「最小のリスクで最大のゲインを得る為ってとこだ」
「ゲイン?」
凪の表情が変わった。リスクは自身の術式の事と想像がつく。ならばゲインとは何になるのかと聞き返した。
「あの時、私はガス欠狙いによる自滅を誘い、煽る事で魔力粒子を浪費させていたんだ。ところがあの馬鹿、頭に血が昇って広域型なんか起動してくれた。近接型で上級生相手にも負けなし、さっきの広域型殲滅魔法の火力も相当。そんな奴の魔法を防げる魔術師があの場に何人いただろうねえ」
「うわぁ……、星野ってば鬼畜」
意図を理解して凪が声をひきつらせる。この男、とてつもない方法で相手にとどめを刺すつもりだと。
「おいおい、やったのはあくまで結城の御嫡男、こっちはやられかけて避難した被害者、鬼畜扱いなんかされる覚えはないだろ」
-あぁ、この男はそういう奴だった
人差し指をたてて正当化する浩明に、凪は思い返した。
「さて、きっちりと引導を渡してやりますか」
「つくづく、アンタの敵にはなりたくないわ」
底意地の悪い笑みを浮かべつつ、妙にやる気な浩明を前に、凪は、浩明を敵にまわした康秀達に心底同情した。
「康秀め、なんて馬鹿な事を」
広域型魔法防壁を解除すると、総一郎は座り込んで、膝を付き肩で息をしていた親友に毒づいた。
「天統君、大丈夫?」
「会長、大丈夫です。ちょっと目眩はしますが、大したことないですから」
総一郎の後ろにいた慶が駆け寄ってくる。
康秀が起動トリガーを発した瞬間、総一郎は咄嗟に慶と明美と三人を囲うように広域型魔法防壁
を展開した。
魔法防壁は、展開する範囲、防壁の厚さにより魔力粒子の消費量は大きく変わる。
総一郎は二人を守る為に、より強固な防壁を自分達の周りに展開し、魔力粒子を予想以上に消費した事により目眩を起こしたのだ。
「天統、助かったぞ。あんな馬鹿魔力の魔法なんか、私では防げなかっただろうからな。だが」
明美が一呼吸おいた。
「ちょっと不味い事になったみたいだな」
周囲を見渡して深刻な表情を浮かべた。
「う、うぅ……」
「痛い…、痛いよぉ……」
痛みを訴える呻き声や、すすり泣く声がそこかしこから聞こえてくる。
康秀が放ったのは広域型魔法は圧縮型魔法。自身の魔力粒子を圧縮させ、炎熱、氷雪など術式変換することにより一気に解放させた衝撃と共に放つことを目的とした魔法だ。康秀は炎熱変換した高圧力の炎熱魔法を浩明に放ったはずだった。しかし、現実は浩明には逃げられ、変わりに、無関係の同級生達が巻き込めれる結果となった。
「おいおい、こりゃまたすごい事態だね~」
「うわ~、なにこの地獄絵図」
爆発の余波で漂っている
煙を払うように手をひらひらさせながら、どこか他人事のような口調で辺りを見渡しながら浩明と凪が戻ってきた。
「灯明寺、警察呼ぶ前に救急車呼んだほうが良さそうだね」
「大丈夫よ。保険の稲木先生、治癒魔法の第一人者よ」
浩明の提案に、凪がそこまでする必要はないのではと聞く。
青海高校の保険医、稲木誠二は治癒魔法を専門とし、自らも多くの治癒魔法を開発した魔術師であり、後進育成を目的に授業を受け持っている人間の鑑と言うべき人だ。凪が聞くのも分かるが、浩明は呼ぶように指示した。
「呼んどいたほうがいいと思うよ。いくら治癒魔法の第一人者でも、これだけの人間の怪我を治療すればガス欠確実ですからねえ」
右上に視線を数秒向けて思案してから、凪は浩明の言いたい事に「あぁ、成程」と二、三回頷いてから携帯端末をポケットから取り出した。
「おい、浩明!」
「はい?」
怒鳴り付けて浩明を呼ぶ声が、携帯端末を操作する凪の指を止めさせた。声の主である康秀が二人を睨み付けている。
「お前等、何逃げてんだ!」
「そりゃ逃げるに決まってるだろ。わざわざ的になって当たる馬鹿はいませんよ」
さも当然の言い分は康秀の神経を逆撫でる。その言葉が開き直りとして受け取った康秀は、怒りを込めて怒鳴り付ける。
「この卑怯者が、堂々と戦え!」
「うわ、結城先輩がそれ言っちゃう?」
その言葉に凪が後ずさる。常識を疑うという感情が態度からありありと見える。
「おい灯明寺、それはどういう意味だ!」
康秀の怒りの矛先が凪に向けられると、凪は浩明の後ろに慌てて隠れる。浩明が顔を向けて見ると、彼女は自分をみつめて、片眼をつむり、口許で笑みを作った。
-後はよろしくね
意図を汲んだ浩明は無言で頷き康秀に向けた。
「戦う意思のない人間を背後から殴り付け、話をしている最中に氷の塊を放った先輩が私達を卑怯者と呼ぶとは、結城の御嫡男殿、あなたは素晴らしい馬鹿だ」
「!!」
二、三回と嫌味を込めた拍手が響き渡る。康秀が押し黙る。聞き手になっていた総一郎達も口を挟めない。これは康秀の失言だと言わざるを得ない。
「それも大馬鹿者だ」
「……っの野郎!」
康秀がコンバーターに手を添える。
「どうやら、口で言っても分かりませんか」
浩明が構える。
「術式起動!」
康秀が発動したの最初の時と同じ氷結魔法
しかし、今度はぶつける事による物理ダメージではなく、接触と同時にその媒体を凍り付かせる腐蝕型だ。少しでも触れれば氷像が出来上がる。さすがの浩明でも受ければひとたまりもない筈だ。
形成された氷の塊を振りかぶって浩明と凪目掛けて投げる。
浩明は逃げる事なく構える。さっきと同様に片腕で打ちはたく算段のようだ。
浩明の振り上げた右腕が氷の塊に触れる。
触れた瞬間、間違いなく二人は氷漬けになる。康秀の目論見通りの展開だ。氷漬けになった二人を想像して口許に笑みが浮かぶ。これで終わりだ。
しかし、康秀の期待は大きく裏切られた。
「なっ!?」
躊躇なく振り上げられた浩明の右腕は、康秀は放った氷結魔法に纏われる事なく先程と同様に砕け散らされ、魔力粒子へと還元されていった。
構え直した浩明は、飛散した大気中の魔力粒子を集め、左足へと収束させ、康秀に向けて駆け出す。
浩明が発動させるのは炎を足に纏わせた飛び蹴り。修行中、見せてもらった前世紀のテレビ番組のヒーローのオマージュを受けた魔法。師匠からは「炎熱蹴り」という安易なネーミングを付けてもらい、初めて褒められた魔法。浩明が一番 使い慣れた魔法。
だからこそ、目論見が外れ、目の前で起きた事態がのみ込めず、棒立ちの康秀には対処するすべなどなく、胸部に直撃を受けた。
「やれやれ、攻撃を当てる事すら出来ず、蹴り一発で倒れるとは、近接格闘戦負けなしが聞いて呆れる」
康秀に炎熱蹴りを入れた反動で距離を取ると、いつかの食堂の時と同様に左足の炎の残梓をはたく。
「さて……と」
康秀を見ると、壁際で、胸部を押さえて痛みにもがき苦しんでる。想像以上の苦しさなのか「う、うぅ……」と時折、呻き声が漏れている。
その姿を確認すると、浩明は無言で康秀に近付いて側にしゃがむ。
「星野、何をする気だ!」
「別にどうこうするつもりはありませんよ」
明美の警戒に答えながら、康秀のシャツの首もとを掴んで視線を自分に向けさせた。
「ひ、ひろあきいいぃぃぃ!」
視界に浩明の顔を確認した康秀は、憎悪を込めて睨み付けて、浩明の胸ぐらを掴んでくる。
「御嫡男殿が目を向けるのは私ではありませんよ」
胸ぐらを掴んでいた手を強引に離させると、康秀を顔を掴んで周りへと向ける。
「貴方の目には何が見えてますか?」
淡々と問う。
浩明が見せたもの、それは惨劇の傷痕だった。
「い、痛い痛いよう……」「あ、暑い……、く、苦しいよぉ……」
康秀の広域型魔法に巻き込めれた生徒達が痛みと火傷に苦しむ姿だった。
「ここにいる人達、全員が負った怪我、貴方が発動した魔法によってこのような惨事になったのですよ」
その光景に、康秀の顔が青ざめ始めた。
「御嫡男殿がまずやるべき事は、自分勝手な憎悪を私に向ける事ではなく、無関係な彼等を巻き込んでしまった自分自身の行為を恥じて謝罪の言葉を述べるべきではないのですか?」
「あ、あぁ……」
「未熟な魔術師が感情のまま暴れた結果がどうなるか、魔術師ならば知ってて当然の事ですよね?」
浩明から紡ぎだされるのは断罪の言葉
「それとも、昔のように防ぐ事の出来ない人間が悪いとでも言いますか?」
「星野君、やめて!」
慶が悲痛な声で止める。
「今の天統家では弱者を守ると教えられている。そう灯明寺が言っていましが、その指導の結果がこれなら、成程成程、天統家と結城家の行く末がよう分かりましたよ」
「やめろ!」
総一郎を無視して、止めの一太刀を振るった。
「御身は誠に見上げた孝行息子。当主代行が心血注いで再建しようとした全てを、ものの見事に台無しにしてくれましたな」
康秀の悲痛な呻き声が廊下に響き渡った。