異世界転生した俺、教会最強でも勝てなかった災厄をルール改竄で止める
トラックにひかれて、俺は死んだ。
ブレーキの甲高い悲鳴と、視界を埋めるヘッドライトの白さ。
それが人生最後の記憶だったはずなのに、次に目を開けた時、俺はまったく別の白に包まれていた。
上下も奥行きもわからない、どこまでも白い空間。
その真ん中で、ひとりの女が俺を見下ろしていた。
長い髪、整いすぎた顔、やたらと人を小馬鹿にしたような目。
神々しいというより、面倒くさそうな美人だった。
「やっと目が覚めたのね。じゃ、よろしくね」
第一声がそれだった。
「いや、待て」
「待たないわよ。もう送ったし」
「どこに」
女は悪びれもせず、当然みたいな顔で答えた。
「異世界」
説明はそれだけだった。
次の瞬間、視界が裏返った。
足元が消え、身体ごと真下へ引きずり込まれるような感覚。文句を言う暇もなく、意識は光に呑まれた。
次に気づいた時、俺は石畳の上に倒れていた。
冷たい。硬い。鼻の奥に土と獣と人間の生活臭が混ざった匂いが入り込んでくる。耳の奥には雑踏。目を開ければ、見たこともない服を着た人間たちが、珍獣でも見るような目で俺を見下ろしていた。
「……なんだよここ」
喉が渇いていた。身体は重い。服装だけは死ぬ前のままなのに、まわりだけがまるごと別世界だ。
そこへ、黒い法衣を着た男がそっと近寄ってきた。初老の神父だった。
「浮浪者の方ですか?」
「え?」
「身寄りがないのでしたら、ぜひ教会へ。王都では、行き倒れは長く生きられません」
日本で死んだあと、異世界で最初に得た肩書きが浮浪者だった。
ひどい話だが、雨風をしのげる場所があるなら文句は言えない。
「あ、ああ……頼む」
神父は穏やかにうなずき、俺を教会へ連れていった。
王都の教会は、俺の知っている宗教施設よりずっと現実的だった。祈る場所というより、人を寝かせ、食わせ、働かせるための施設に見えた。石造りの廊下は冷たく、壁の燭台の火は細い。華美さよりも規律の匂いが強い。
案内された食堂で、扉の向こうから女の声がした。
「何にも食べてないでしょ」
振り向くと、ひとりの少女が立っていた。
銀に近い淡い髪。切れ長の目。整った顔立ちなのに、どこか人を試すような冷たさがある。年は俺とそう変わらないように見えるが、空気だけが妙に場慣れしていた。
「ま、まあ」
「じゃ、食事にしましょ。いいでしょ、神父様」
「もちろんです。手を洗ってきてください」
差し出されたのは、黒パンと湯気の立つ薄いスープだった。豪華ではない。だが空腹の身体には、それだけで十分すぎた。
俺が夢中でパンをちぎっているあいだ、少女は向かいに座って、面白そうに俺を眺めていた。
「……そんなに珍しいか」
「別に。ただ、ほんとに何も知らなさそうだなって」
「知らないな。何も」
「へえ」
それだけ言って、彼女は笑った。
名前はリゼ。教会所属の審判者だと、あとで聞かされた。
翌朝、俺はすぐに現実を思い知らされた。
教会は慈善施設ではない。拾った人間には働かせる。
「もちろん決まってるわ。異端狩り」
「異端?」
「この世界にはね、変なモンスターがいるの。それを掃討するのが教会の役目ってわけ」
「そんなの王国軍にやらせればいいだろ。なんで教会がやってるんだよ」
「そのうちわかるから」
教えてくれる気はないらしい。
その日の依頼は、近郊の村に湧いたスライム退治だった。
村人は半泣きで頭を下げ、リゼは軽い返事をして俺を連れて村外れへ向かった。
草むらの奥、ぬめる半透明の塊がうようよと蠢いている。
ゲームの中では雑魚扱いでも、現実に見るとひたすら気持ち悪い。
「おいおい……普通に嫌なんだが」
「剣持ってるでしょ。あんたもやってみて」
言われるまま、借りた剣を振るう。斬れたと思ったのに手応えがおかしい。ぐにゃりと抵抗が逃げ、スライムは形を崩しながらも平然と動いていた。
「効かないんだけど」
「そりゃそうよ」
リゼは笑いながら短剣を抜いた。投げられた刃は青白く光り、スライムの核らしき部分をあっさり裂いた。ぷしゅ、と汚い音を立てて魔物が崩れる。
「私のは聖遺物入り。あんたのはただの剣」
「じゃあ俺にも聖遺物入りくれよ」
「いいわよ」
差し出された短剣を握る。だが、さっきの光は何も起きない。
「……何も変わらないぞ」
「聖遺物は聖痕がなきゃ意味ないの」
「あっそ。じゃあ俺は単なる荷物持ちか」
「そーゆーこと。賢いじゃん」
腹立つ言い方だったが、事実だった。
俺はその日、自分がこの世界の戦力ですらないことを思い知った。
その夜、寝台に横たわると、意識はすぐに白い空間へ引き戻された。
あの女がいた。
「あっ、言うの忘れてた」
「帰れ」
「帰さないわよ。あんたには特別な能力をあげてるから、それ使って」
「どうやって使うんだよ」
女は人差し指を立て、ものすごく雑に言った。
「感覚よ。あなたがスワイプして操作するの。この世界を」
「説明として最悪だな」
「でもわかるでしょ?」
わかってしまうのが腹立たしかった。
この世界には、魔法や剣より深い場所がある。
火が燃える理由。傷が塞がる順序。死が成立する条件。契約が効力を持つ書式。
現象の裏側にある“ルール”そのもの。
俺にはそこへ触れる権限が与えられているらしい。
「じゃ、がんばってね」
「おい待て。名前くらい――」
「アストレア」
白が弾け、夢は終わった。
翌日、教会へ村人が駆け込んできた。
「森の奥から、ウルフの群れが何十体も……! どうか討伐を!」
リゼは即座に立ち上がった。
「わかりました。王国軍に代わって、掃討して差し上げます」
俺は荷物を置きながら言った。
「……俺は村で土いじりでもしてるわ。どうせ雑魚だろ」
「強制よ。荷物持ちさん」
問答無用だった。
森へ入ると、すぐに獣臭が濃くなった。
数十体のウルフ。さらにその奥に、人型の大きな影が立っている。
「指揮個体が一体……ウェアウルフね」
リゼは一瞥しただけで吐き捨てた。
「大したことないわ。期待外れ」
「見てるだけで終わるなら、それでいいよ」
「最強に性格悪いわね」
言うが早いか、リゼの投げナイフが舞った。
まるで銀の雨だった。一本、二本ではない。指の間、袖口、腰、どこからともなく現れる刃が次々と飛び、ウルフの喉を裂き、額を貫き、脚を断つ。群れはものの数十秒で崩壊した。
「……俺いる?」
「荷物持ちとしては優秀よ」
戦いは終わる。そう思った、その瞬間だった。
倒木の陰、死角から一矢が放たれた。
ウェアウルフの狙いは正確だった。
リゼの首。避ければ間に合わない距離。
気づいた時には、口が先に動いていた。
――――――――――――――秒針墓標
時間が0.000000000000000000000000000000001秒になった。
世界が止まった。
いや、正確には極限まで遅くなった。
風が沈む。葉が空中で眠る。矢だけが、途方もなく長い時間をかけてリゼの喉元へ進んでいた。
俺はその矢を掴んだ。羽根の震えすら遅い。
静止寸前の世界で、俺だけが歩けた。
「……じゃ、返すか」
俺が弓矢を掴んで。ゆっくりと少しだけ、敵のほうに向きを変えた。
時間が戻る。
矢は本来の勢いを取り戻し、反転した軌道のままウェアウルフの心臓を貫いた。尋常ではない速度が乗った一撃は巨体ごと吹き飛ばし、木の幹ごと叩き折って絶命させた。
リゼが息を呑む。
「危なかった……。今の、何? なんで弓矢があいつに刺さってるのよ」
「……面倒くさい」
「強制よ。あとで説明してもらうから」
逃げられない顔だった。
俺は肩をすくめて、いつもの適当な言い訳を口にした。
「見ての通り、ただの一般モブ浮浪者だよ」
「嘘ついたでしょ。こんな浮浪者いないもん」
リゼはしばらく俺を見つめ、それから楽しそうに笑った。
「じゃ、ついてきて」
――――――――――――殺人忌さん
「おいおい。人なんて殺してないのに物騒だな」
「殺人“忌”ね。教会が人間型異端につける呼び名」
「人間型異端?」
「人間の形してるのに、人間の"理"で動いてない連中のこと。昔は山ほどいた。でも教会が絶滅させた」
あっさりした口調だった。内容は全然あっさりしていない。
「聖痕って何なんだよ。さっきからそれ前提で話してるけど」
「見せてあげよっか?」
リゼは立ち止まり、背を向けた。
ためらいなく服を少しだけ下ろす。
背中には巨大な十字架の刺青が刻まれていた。その周囲には細かな聖句がびっしりと並び、腕や脚にまで古い傷跡のような線が走っている。
「これが聖痕。刺青は教会との契約よ」
振り返らないまま、彼女は続けた。
「私、孤児だったの。教会が来て、予言された子だって言って引き取った。修道院に送られて、予言通りに聖痕が出た。それで審判者にされた」
「……」
「この刺青、力の印であると同時に封印でもあるの。放っておくと私は出血死」
さらりと言うには重すぎる話だった。
だがリゼは服を戻すと、いつもの調子で続けた。
「執行者って、夫婦だったの」
「だった?」
「奥さんのほうは、もういない」
その言い方に、俺は眉をひそめた。
「どういう意味だ」
「夫がドラゴンと契約するために、妻を捧げたの。教会を守るために」
「……そうか」
「そーゆーこと。イカれた狂信者よ」
リゼは肩をすくめる。
「教会の中じゃ“教会の剣”って呼ばれてた。国中でもそう認識されてるわ。異端が出れば最後に振るわれる、教会最強の死刑執行人ってわけ」
「最強ってことか……」
「そーゆーこと。あんたが勝つのなんて百倍無理よ」
「百倍って雑だな」
「教会の評価なんてだいたいいつも雑なの」
その時だった。
記録庫の扉が乱暴に叩かれ、次の瞬間、若い使者が息を切らせて飛び込んできた。
「はあ、はあ……審判者様……!」
リゼが眉をひそめる。
「何」
「教会の剣が……死にました」
一瞬、空気が止まった。
「うそっ」
リゼが立ち上がる。
「教会の剣が死んだ? ありえないわ」
使者は青ざめた顔で、何度も首を振った。
「旧麦畑地帯です……討伐に向かった一隊が壊滅、執行者も帰っていません……っ」
リゼは言葉を失った。
さっきまで軽口まじりに話していた“教会最強”が、たった今、現実として折られたのだ。
俺は机に手をつきながら、小さく息を吐いた。
「どうすんだよ……」
リゼはまだ固い顔のまま、ゆっくり俺を見た。
「どうするのって……」
「お前、審判者だろ。行くんだろ」
少しの沈黙。
それからリゼは、いつもの調子を無理やり取り戻すみたいに言った。
「あんたも強制よ」
「やれやれ……」
旧麦畑地帯へ向かう前、俺たちは記録庫へ滑り込んだ。
「このまま行っても死ぬだけよ。情報がいる」
リゼが棚から抜き出した古い記録束を、机に叩きつける。
紙の匂いとカビの匂いが舞った。
そこに残っていたのは、辺境の農民の記録だった。
徴税で土地を奪われ、飢饉で家族を失い、助けを求めた先で反逆者にされた。
公開処刑されても終わらず、何度殺され、埋められ、踏み潰されても生き残った。
だが、そこに名前はなかった。
記録抹消刑。
罪状と処刑記録だけが残り、個人名は完全に消されている。
リゼは別の束を抜き、眉をひそめた。
「……やっぱり」
「なんだよ」
「討伐記録が薄すぎる」
彼女は頁をめくる。
削られた跡、塗りつぶされた行、乱暴に剥がされた紙片の痕がいくつも残っていた。
「農民討伐に執行者が出てる。しかも一度じゃない」
「へえ」
「そのうち少なくとも一件は失敗。死者あり。……たぶん“教会の剣”ね、昔のだけど」
「たぶん?」
「肝心な名前と人数が消されてる。農民の名前と一緒に、教会の失敗も隠してる。でも、ここまで雑に削ってあれば逆にわかる」
リゼは、一文を指先で叩いた。
「“落ちた首が三拍後に発話。『復活』”」
教会最強の剣を折った怪物。
その響きだけで、さっきまで遠かった農民の名が、急に現実味を帯びた。
教会の追手が本格化する前に、俺たちは馬を奪って旧麦畑地帯へ向かった。
街道の避難民は言った。
夜になると畑が心臓みたいに脈打つ。
兵も司祭も、朝には首から下だけ土に埋まり、首だけが畑の真ん中に立っていた、と。
境界の焼けた標識のそばで、男が鍬を抱えて座っていた。
痩せた農民だった。
静かな目をしている。だが胸だけが赤黒く脈打っていた。
「……また来たのか」
「初対面だ」
男は自分をテロリスト、モンスターと呼ばれていると、淡々と語った。
背後では、畑そのものが巨大な肉のように脈打っている。
「殺されて、埋められて、また起きて、また殺されて……そうしてるうちに、畑のほうが俺を覚えた」
こいつは殺され続けた果てに、“殺される側”の座を自分の身体から追い出したのだ。だから、こいつを殺そうとした"結果"は本人には、届かない。
「今ならまだ帰れるよ、浮浪者のおっさん。死にたいの?」
「帰ったらあんたが王都へ行くだろ。」
「たぶんな」
「じゃあ無理だな」
農民は鍬を振った。
速いのではない。届くまでの理屈が"短すぎる"。結果だけが先に俺の胸へ近づいてくる。
――――――――――――――秒針墓標
遅くなった世界の中で"見えた"。
農民の胸、手の中の心臓、畑の下の死体、その全部が一本の異常な"ルール"で繋がっている。
「……復活、か」
時間が戻る。
農民の手には、光を吸わない黒い農具があった。
それが俺の心臓へ突き立つ。
「これはすべてを因果解剖する。お前でさえ死の運命からは避けられない、あんた匂うんだよ。俺と"同類"だって…」
黒い刃が確かに俺の胸を貫いた、
――――――――――――はずだった。
「言ったろ? おせえって」
農民の目が見開く。
「なに……! 刺さってるはずだ! てめえなぜ死なねえ!」
「お前が刺したのはさ」
俺は笑った。
――――――――――――――俺じゃないんだよ
農民の顔から初めて余裕が消えた。
「因果律を変えた」
――――――――――――心核転換
「……何をした」
「刺される瞬間に、俺とお前の心臓を入れ替えた」
農民の顔色が変わる。ようやく胸を押さえ、そこで何が起きたか理解したらしい。
「お前は自分で刺したんだよ」
俺は静かに言った。
―――――――――――――――――――自分を
農民はよろめいた。それでもなお、歯を食いしばってあざわらう。
「無駄だ。言ったろ? 俺は復活する。俺は“死”そのものだから」
「お前、まだ気づいてないのかよ」
俺は一歩近づき、止まりかけたその胸を見た。
――――――――――――お前の心臓は
――――――――――――お前が災厄になる前の農民のままに戻ってるんだよ
その瞬間、農民の胸が止まった。
災厄の農民は、その場に崩れ落ちた。
脈打っていた畑が、ひとつ、またひとつと静かになっていく。
風が吹き抜ける。さっきまであれほど濃かった血と土の匂いが、少しずつ薄れていった。
「“力”使わせんな」
俺が吐き捨てると、リゼは倒れた男を見て小さく呟いた。
「……あんた」
「なんだ」
――――――――――――殺したでしょ
「ああ」
「責任取ってもらうから。私は審判者なの」
「お前と喧嘩する気はねえよ」
「だと思った。私なんて瞬殺されちゃうもん」
そう言ってから、リゼは俺のほうを見た。
「……教会の剣を折った怪物を、そんな終わらせ方するんだ」
「殺したいわけじゃない」
「じゃあ何」
「うるさいのを、止めただけだ」
リゼは少しだけ黙って、それから肩をすくめた。
「最強に性格悪いわね」
「知ってる」
帰り道、リゼはしばらく黙っていた。
畑を抜け、焼けた標識を過ぎ、街道に出ても何も言わない。やがて夕暮れが二人の影を長く伸ばしたころ、ようやく口を開いた。
「ねえ」
「なんだ」
「あなた、ほんとに面倒くさいわね」
「知ってる」
「でも」
リゼは前を向いたまま、ほんの少しだけ笑った。
「まあいいわよ。どうせ、あなただもんね」
その言い方だけは、妙に救いみたいに聞こえた。
【おわり】




