第5話:嘆きの砦の真の正体
夜明けと共に、帝国軍三千の本隊が地平線を埋め尽くした。
先遣隊も暗殺者も退けられた彼らに、もはや油断はない。
鋼の波が、地鳴りを立てて「嘆きの砦」へと押し寄せる。
「リシャール殿……敵の陣形は『鶴翼』。左右から包み込み、この小さな砦を文字通り圧し潰す気だ」
物見櫓で剣を構えるエリザの横で、リシャールは最後の一本の杭を床に打ち込んだ。
彼は懐から、ボロボロになった別の「古地図」を取り出した。それは彼が王都の地下書庫で見つけ、誰にも見向きされなかった百年前の設計図だ。
「エリザ殿。なぜこの砦が『嘆きの砦』と呼ばれているか、ご存知ですか?」
「……敵が攻め落とせず、嘆きながら撤退したからだと聞いているが」
「いえ。正解は……この砦に踏み込んだ者が、あまりの恐怖に『嘆き声を上げる』からです」
リシャールは計算尺を、砦の中央にある巨大な「音響板」のような石壁に当てた。
「ここは単なる防衛拠点ではありません。……巨大な『増幅器』なんです」
帝国軍の先頭が、砦の城壁に取り付こうとしたその瞬間。
リシャールが計算尺の先端で、壁の「ある一点」を鋭く突いた。
カォン――。
澄んだ音が、砦全体に響き渡る。
するとどうだろう。リシャールがこれまで砦の各所に打ち込んできた「杭」と、張り巡らせた「麻紐」が共鳴し、帝国軍が発する軍靴の音、鎧の擦れる音を何百倍にも増幅して跳ね返したのだ。
「な、なんだこの音は……!? 耳が、耳が割れる!」
帝国兵たちが耳を押さえてうずくまる。
リシャールの精密測量は、石壁の反響角度を完璧に計算し、敵の進軍ルートに「音の焦点」を合わせていた。
さらに、リシャールはエリザに合図を送る。
「エリザ殿、あの崩れかけた西塔の鎖を斬ってください。誤差は三センチまで。……今です!」
エリザの剛剣が空を裂き、巨大な鎖を断ち切った。
轟音と共に西塔が崩落する――。だが、それはただの崩壊ではない。
崩れた瓦礫が、あらかじめリシャールが計算していた「水の流れ」を堰き止め、砦の地下に眠っていた水路を一気に溢れさせた。
「……公式地図には載っていませんが、この下には古代の導水路が通っています。今の衝撃で、地盤のバランスが完全に崩れました」
足元から響く不気味な震動。
帝国軍の足元から、文字通り「大地が割れた」。
音の暴力でパニックに陥った三千の軍勢は、逃げ場を失い、自らが発生させた振動による地割れへと次々に飲み込まれていく。
「……信じられん。三千の精鋭が、戦う前に崩壊していく……」
エリザは戦慄した。
リシャールは一度も剣を振るわず、ただ「正しい場所」を「正しい時」に刺激しただけだ。
数刻後。
生き残った帝国軍は、もはや戦意を完全に喪失し、散り散りになって撤退していった。
静寂が戻った砦で、リシャールは手元の地図に「作戦完了」の線を引く。
「リシャール殿……貴殿は、本当に『無能』として追放されたのか?」
「ええ。測量なんて地味な仕事、王都の誰も理解してくれませんでしたから」
リシャールは少しだけ困ったように笑い、眼鏡を拭いた。
その時、空から一羽の伝書鳥が舞い降りる。
それは、リシャールを追い出した王都からの――「今すぐ戻れ」という、身勝手な命令書だった。
「……今更、戻れと言われても困りますね」
「ああ、私も同感だ」
エリザがリシャールの隣に立ち、夕日に染まる戦場を見つめる。
「私は貴殿の護衛だ。貴殿がどこへ行こうと、私の剣は貴殿のそばにある。……さて、軍師殿。次はどこを測りに行く?」
二人の伝説が、この最果ての砦から、今まさに動き出そうとしていた。




