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第7章:天秤の上の狂気と算盤

中立星域・巨大カジノステーション『ゴールデン・フリース』。


その最上層に位置する特別VIPルームは、下界の喧騒が一切届かない静寂と、むせ返るような高級葉巻の香りに包まれていた。


円卓を囲むのは三人。


妖艶な笑みを浮かべるカルテルの主、マダム・シャオ。


共和連盟の純白の礼装に身を包んだ、アレクセイ・イワノフ少将。


そして、帝国の漆黒の軍服を隙なく着こなした、リネア・フォン・ローゼンバーグ少佐。


「初めてお目にかかる、ローゼンバーグ少佐。我が連盟の胃袋を焼き、私の誇りをへし折ってくれたその知性に、最大限の敬意を」


アレクセイは優雅に会釈したが、その琥珀色の瞳には獲物を狙う狂犬のような昏い熱が宿っていた。


「ご丁寧な挨拶をどうも、イワノフ少将。プラズマ嵐の中をノーブレーキで突っ走るあなたの『狂気』には、我が艦隊の経理部が悲鳴を上げています。どうか今日の交渉は、互いの利益のために『合理的』に進めたいものです」


リネアは一切の感情を交えず、氷のような声で応じた。


彼女の視線はすでに、テーブルの中央に浮かぶ採掘惑星エルドラドのホログラムと、手元の演算端末の数字に注がれていた。


「お二人とも、ご挨拶は済んだかしら?」


シャオが扇子で口元を隠しながら笑う。


「それでは始めましょう。惑星エルドラドにおける『星晶』の10年間の独占採掘権。最低入札価格は、帝国・連盟の共通通貨換算で500億クレジットから。……さあ、国家の命運を懸けたオークションの開幕よ」


「1,000億」


開幕と同時、アレクセイが倍の額を提示した。


連盟の莫大な資本力を背景にした、有無を言わさぬ一撃。


リネアは表情一つ変えず、端末をタップした。


「1,200億」


「1,500億だ」


「1,600億」


数字が天文学的な速度で跳ね上がっていく。


リネアの頭脳はフル回転していた。事前に帝国の情報部から引き出した連盟の国家予算、防衛費の推移、そして次の選挙を控えた連盟政府が許容できる『裏金』の限界値。それらのデータを統合し、彼女はアレクセイの「財布の底」を正確に割り出していた。


(連盟の限界値は、およそ3,200億。それを超えれば、アレクセイは本国で失脚する。対して、我が帝国がユリウス大佐から引き出せる限界は2,800億……。まともに張り合えば、こちらが資金ショートを起こす)


「2,500億」


アレクセイが前のめりになり、挑発的な笑みを浮かべた。


「どうした少佐。帝国の金庫はもう底をついたか? 星晶が手に入らなければ、君のその冷たい計算式もただの紙くずだぞ」


リネアはフッと、冷酷な笑みを漏らした。


「心配には及びません。2,800億」


「3,000億!」


アレクセイの目が血走り、声が荒くなる。かつての優雅な天才の面影はない。リネアという特異点を打ち倒すための、執念だけが彼を突き動かしていた。

リネアは手を止め、ゆっくりとアレクセイを見据えた。


「……3,150億」


場が凍りついた。


それは、リネアが弾き出した「連盟の絶対防衛ライン」のわずか手前の数字。


アレクセイの表情が強張る。彼の脳内のAIもまた、これ以上の出費は国家財政への背任行為であり、自身の破滅を意味すると警告音を鳴らし続けていた。

しかし、ここで引けば星晶は帝国の手に渡り、あの悪夢のような一撃離脱戦法が再び連盟艦隊を蹂躙することになる。


(……この女は、どこまで本気だ? これはブラフか? それとも帝国は私の計算を超える予算を隠し持っているのか?)


アレクセイの額に冷汗が浮かぶ。


リネアの灰色の瞳は、底なしの深淵のように何も語らない。ただ、機械のように冷徹に彼を見つめ返しているだけだ。


「……3,200億」


絞り出すように、アレクセイが限界の数字を口にした。


シャオが艶然と微笑み、リネアを見た。


「連盟から3,200億。帝国はコールするかしら?」


リネアは手元の端末を閉じ、深く椅子に背をもたせかけた。


そして、この日一番の、底冷えのする笑みを浮かべた。


「――パス(降りる)。採掘権は連盟にお譲りします」


「……何?」


アレクセイが呆然と声を漏らす。


「お買い上げありがとう、イワノフ少将」


リネアは立ち上がり、軍帽を被り直した。


「私の計算によれば、エルドラドの星晶の埋蔵価値と、採掘・輸送にかかるコスト、そしてカルテルに支払うその『3,200億』という莫大な落札額を合算した場合、投資利益率(ROI)はマイナス40%に達します」


「き、貴様……!」


アレクセイの顔から一気に血の気が引いた。


「最初から、買う気などなかったのです。私はただ、あなたが『買わざるを得ない状況』を利用し、連盟の国家予算に致命的な風穴を開けるためだけにここまで値段を釣り上げた」


リネアは冷酷に事実を突きつけた。


「星晶はくれてやります。だが、その代償として連盟の財政は火の車だ。次の選挙で与党は惨敗し、軍の予算は大幅に削減されるでしょう。……弾の撃てない新造艦で、せいぜい美しい陣形でも組むことですね」


「ローゼンバーグゥゥゥッ!!」


激昂したアレクセイがテーブルに身を乗り出すが、カルテルのサイボーグ護衛たちが即座に銃口を突きつけた。


「あらあら、お行儀が悪いわよ少将。落札額はきっちり耳を揃えて払ってもらうわ。……でも少佐、あなたも星晶が手に入らなくて困るのではない?」


シャオが目を細めてリネアに問う。


「エルドラドの権利は要りません。私は来る途中の船内で、辺境の独立星系が開発した『代替人工燃料』の独占契約を、たったの50億クレジットで済ませてきましたから。性能は星晶の7割ですが、コストパフォーマンスは最高です」


リネアは踵を返し、VIPルームの扉へ向かった。


「ビジネスの基本ですよ、マダム・シャオ。競合他社に不良債権を掴ませ、自社は安い代替品で市場を回す。……それでは、私は『仕事』に戻ります」


扉が閉まる音と共に、リネアは静かにカジノステーションを後にした。


後に残されたのは、莫大な負債を抱え込み虚空を睨む狂犬と、想定外の結末に痛快そうに笑う資本の怪物だけだった。

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