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第5章:猟犬と亡霊のワルツ

中立宙域・セクター7。通称「雷鳴の回廊トール・コリドー」。


高濃度のプラズマガスと電磁気嵐が吹き荒れ、あらゆるレーダーや光学センサーが無効化されるこの宙域は、まさに情報の「暗海」だった。


帝国軍・第11独立機動艦隊旗艦『ガルム』の薄暗い艦橋で、リネア・フォン・ローゼンバーグは冷たい青色の照明に照らされながら、戦術マップを睨んでいた。


「少佐。指定座標への機雷敷設、および無人砲台オート・タレットの配置が完了しました。予測される敵の侵攻ルートを完全に網羅する『キル・ボックス』です」


前科持ちの老練な操舵長が、葉巻を噛み殺しながら報告する。


「ご苦労。連盟の戦術AI『ミネルヴァ』のアルゴリズムによれば、この宙域を通過する際の最適解は、被弾面積を最小化する単縦陣での低速航行だ」


リネアは一切の感情を排した声で言った。


「連盟の秀才は、AIの弾き出した『正解』をなぞる事しかできない。罠のど真ん中に列をなして歩いてきたところを、十字砲火で炙り殺す。消費弾薬は規定の40%に抑えろ。無駄撃ちは減給だ」


乗組員たちが下品な笑い声を上げる。彼らにとって、リネアの冷徹な指揮は生存と特別報酬を約束する神の啓示に等しかった。


しかし、その「絶対の数式」に、微細なノイズが走った。


「……少佐! 重力波センサーに異常値! 質量反応、多数! 早いです、信じられない速度で接近してきます!」


「何だと?」


リネアの灰色の瞳が、わずかに見開かれた。


戦術マップに突如として現れた数百の光点。それらはAIが推奨する安全な単縦陣ではなく、散り散りになった無秩序な群れ――まるで血の匂いを嗅ぎつけた飢えた猟犬のように、雷鳴の回廊を信じられない猛スピードで突っ切ってきたのだ。


「馬鹿な……。このプラズマ嵐の中で、あんな速度を出せばデブリとの衝突確率が跳ね上がる。AIの安全装置リミッターが作動するはずだ!」


「敵艦影、モニターに映ります! これは……連盟の次世代型駆逐艦『黒鳥ブラック・スワン』級! 装甲を極限まで削ぎ落とした、紙装甲の機動艦です!」


次の瞬間、通信モニターにノイズ混じりの映像が割り込んだ。


そこに映っていたのは、かつての優雅さを捨て去り、野獣のような獰猛な笑みを浮かべたアレクセイ・イワノフ少将だった。


『見つけたぞ、ローゼンバーグ少佐。いや、合理主義の化け物と呼ぶべきかな』


「イワノフ少将……。AIの接続を切って、手動操艦マニュアルで特攻を仕掛けてきたとでも言うのか? 死にたがりめ」


『君が教えてくれたのだろう? 完璧な陣形など、足枷にしかならないと!』


アレクセイの咆哮と共に、300隻の黒鳥級駆逐艦がリネアの敷いたキル・ボックスに雪崩れ込んだ。


機雷が爆発し、無人砲台が火を噴く。通常のAI制御であれば、損害率を計算して直ちに反転するはずだ。しかし、彼らは止まらない。隣の友軍艦が爆沈しようとも、デブリに衝突して推進器を失おうとも、人間特有の「狂気」と「執念」で罠を食い破り、帝国艦隊の懐へと肉薄してきたのだ。


「第一防衛ライン突破されました! 敵艦、我が軍の陣形に突入!」


「チッ……。計算外の非合理バグめ。狂犬を解き放ったか」


リネアは舌打ちし、即座に思考を切り替えた。


罠が破られた以上、ここで乱戦に応じるのはコストに見合わない。相手は死を恐れぬ特攻機動。まともに付き合えば、こちらの損害も天文学的な数字になる。


「全艦に通達! 作戦を『フェイズ4』へ移行する! 第3、第4小隊は反転し、敵の突撃の盾となれ! その間に旗艦を含む本隊は宙域から離脱する!」


「少佐!? 第3、第4小隊を見捨てる気ですか!?」


副官が悲鳴のような声を上げた。


「盾になれと言っているんだ。彼らの戦死手当と遺族年金は、私のポケットマネーから弾んでやる。……全速前進! この狂犬どもの牙から逃げ切れ!」


命令を受けた第3、第4小隊が悲鳴と呪詛を吐きながら盾となる中、リネアの乗る『ガルム』を含む本隊は、冷酷なまでの素早さで戦域から離脱していった。


激戦の数時間後。


嵐が去ったトール・コリドーには、両軍の艦艇の残骸が静かに漂っていた。


アレクセイは、血の滲む拳で艦長席の手すりを叩いた。


「……逃げられた、か。味方を物理的な『壁』にしてまで撤退の時間を稼ぐとは。どこまで血も涙もない女だ」


しかし、彼の琥珀色の瞳には、確かな手応えが宿っていた。


初めて、あの冷徹な「数式」にノイズを走らせ、後退させることに成功したのだ。


一方、辛くも撤退に成功した『ガルム』の艦橋では、リネアが冷や汗を拭っていた。


「……アレクセイ・イワノフ。ただの芸術家気取りかと思っていたが、自ら泥をすする覚悟を決めたか。厄介なことになった」


合理の極みを行くリネアと、狂気を孕んだ執念の刃を手にしたアレクセイ。


二人の天才は、この雷鳴の回廊での死闘を経て、互いを「絶対に殺さなければならない最大の障壁」として明確に認識したのである。

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