第3章:論理と芸術の交差
汎銀河共和連盟・第5機動艦隊旗艦『アストライア』の広大なブリッジ。
柔らかなホログラム光に照らされた若き艦隊司令官、アレクセイ・イワノフ少将は、虚空に浮かぶ戦術ログを細められた琥珀色の瞳で見つめていた。
「……信じられん。これが本当に、あの無能な帝国貴族の指揮だと言うのか」
彼が見ているのは、数週間前に起きた「シリウスの虐殺」のデータだった。
質量兵器による物理的破壊。徹底した熱源秘匿。そして、パニックに陥った孤立艦のみを刈り取る、あまりにも冷徹で機械的な一撃離脱戦法。そこには帝国軍特有の「名誉」や「騎士道」といった非合理的な美学の欠片も存在しなかった。
「司令官。敵の指揮官はリネア・フォン・ローゼンバーグ少佐。20歳の女性将校とのことです」
副官の報告に、アレクセイは形の良い眉をひそめた。
「20歳だと? まるで数百回の実戦を生き抜いた演算AIのようではないか。……面白い。帝国の末期症状の中に、突然変異のバグが紛れ込んだらしい」
アレクセイは生粋の戦術家であった。彼の指揮する艦隊機動は流麗にして緻密。数学的完璧さで敵を包囲し、無駄な血を流さずに降伏へと追い込むその戦いぶりは、連盟内でも「芸術」と称賛されていた。
「全艦に通達。イカロス宙域へ進路を取れ。我が連盟の誇りにかけて、無法な殺戮者に『戦争の作法』というものを教えてやろう」
同時刻、イカロス宙域・暗礁宙域ギリギリの宙域。
帝国軍・第11独立機動艦隊の旗艦、ステルス巡洋艦『ガルム』。
これが、ユリウス大佐からリネアに与えられた新たな「手足」であった。
編成されているのは最新鋭の高機動艦艇800隻。しかし、乗組員は命令違反の常習犯、借金持ち、平民出身の荒くれ者など、軍の厄介者ばかりを集めた懲罰部隊の様相を呈していた。ユリウスなりの試練なのだろう。
「少佐……いえ、司令代理。敵艦隊、来ます! 汎銀河共和連盟・第5機動艦隊、およそ4,000隻!」
レーダー手の上ずった声がブリッジに響く。
メインスクリーンには、アレクセイの指揮する艦隊が映し出されていた。それはまるで、宇宙空間に広がる純白の鶴の翼のように美しく、そして致命的な包囲陣形を組んでいた。
「完璧な鶴翼の陣ですね。各艦の推進剤の燃焼タイミングまでシンクロしています。付け入る隙がありません!」
副官が絶望的な声を上げる中、艦長席に深々と腰掛けたリネアは、氷の浮かんだグラスを傾けるように冷たく笑った。
「芸術鑑賞の時間は終わりだ、副官。戦争は絵画コンクールではない。兵站学だ」
「兵站、ですか?」
「アレだけの美しい陣形を維持し、4,000隻の巨大な質量を同じ速度で前進させるために、どれだけのエネルギーを浪費していると思う?」
リネアは端末を叩き、戦術マップを大きく広げた。敵主力の後方、安全圏と目される宙域に、鈍重な輸送艦の群れを示す光点が小さく映っている。
「どんなに獰猛な肉食獣も、胃袋が空になれば餓死する。正面の芸術家気取りは無視しろ。全艦隊、光学迷彩展開。電波封止のまま、敵主力のセンサー網の死角――ベクトル・ゼブラを通って敵の背後に回り込む」
「まさか、敵の補給艦隊を叩くのですか!? しかし、それでは我が軍も敵のど真ん中で孤立します!」
「輸送艦の推進剤タンクを狙撃しろと言っているんだ。引火すれば、宇宙空間を吹き飛ばす極上の大花火になる。その混乱の隙に離脱する。……作戦目標は敵の『胃袋』のみ。兵の命すら奪う必要はない、ただ兵糧を焼く。極めて効率的だろう?」
リネアの灰色の瞳が、獲物を狙う猛禽のように鋭く細められた。
「さあ、仕事の時間だ。給料分以上は働いてもらうぞ、はぐれ者ども」
一時間後、アレクセイ・イワノフは己の目を疑うことになった。
後方から届いた緊急通信。それは、自軍の補給艦隊が正体不明の奇襲を受け、全推進剤と食料の70%を一瞬にして喪失したという致命的な報告だった。
敵は輸送艦の弱点のみを精密狙撃し、護衛艦隊が反撃の陣形を整える前に、まるで最初から存在しなかったかのように虚空へ消え去ったという。
「……私の陣形を、正面から破る価値すらないと判断したか」
アレクセイは戦術パネルを叩き割りそうなほど強く拳を握りしめた。
補給を絶たれれば、この巨大な艦隊はあと数日で生命維持すら困難になる。どれほど美しい包囲陣を敷こうが、戦う前に敗北が決定づけられてしまったのだ。
「全艦隊、反転。……撤退する」
血を吐くような思いで、アレクセイは命令を下した。
「ローゼンバーグ少佐……。あの女は軍人ではない。戦争というシステムをハッキングする、冷酷な破壊者だ」
かくして、一発の砲弾も交えることなく、若き天才アレクセイは初めての屈辱的な敗走を味わうこととなった。
そしてこの日を境に、リネアとアレクセイという、全く異なる思想を持つ二人の将将の、長く凄惨な知恵比べが幕を開けたのである。




