第2章:帝都の狂騒と黄金の鳥籠
神聖ヴァレリア帝国の首都星・オラトリオ。
大理石と純金で装飾された軍令部本部の特別査問室の中央で、リネア・フォン・ローゼンバーグ少佐は背筋を伸ばして立っていた。
「貴様は! 帝国軍人の誇りを何と心得るか!!」
分厚いマホガニーの机越しに唾を飛ばすのは、第8艦隊の最高司令官であるフォン・ブラウン大将だ。その首の肉は襟に食い込み、軍服の勲章は彼の功績ではなく血統の古さを示しているに過ぎない。
「貴官らに与えられた任務は、本隊が撤退するまでの『盾』となることだ! それを陣形を崩し、あまつさえ小惑星帯に逃げ込み、敵の横っ腹を小突いて逃げ帰るとは! これは明らかな抗命であり、帝国に対する反逆である!」
大将の怒鳴り声が広い部屋に響き渡る。周りに座る取り巻きの将官たちも、一様にリネアを汚物でも見るかのように睨んでいた。彼らにとって平民上がりの没落貴族など、弾除けの肉壁以上の価値はない。
(……救いようのない馬鹿どもの集まりだな)
リネアは内心で深々とため息をついた。
巡洋艦1隻を建造する莫大なコストと、訓練された乗組員を育成するための時間。それらを「名誉」という無価値な概念のためにドブに捨てようとするこの老人たちは、国家の寄生虫以外の何物でもない。
「閣下」
リネアは氷のように冷たい声で口を開いた。
「我が遊撃艦隊は、戦力差1対25という絶望的状況下において、敵第3艦隊の3割を物理的に喪失させ、作戦行動を完全に破綻させました。加えて、味方艦艇の82%を生還させております。戦術的のみならず、戦略的にも完勝であると具申いたしますが」
「黙れッ! 死して散る美学を持たぬ者に、帝国の軍服を着る資格はない! 貴様は直ちに軍法会議にかけ、銃殺刑に処す!」
大将が処刑のサインを端末に打ち込もうとした、その時だった。
「お待ちいただきましょう、ブラウン大将」
重厚な扉が静かに開き、一人の青年将校が査問室に足を踏み入れた。
軍服の上からでも分かる鍛え抜かれた長身。プラチナブロンドの髪に、知性を湛えた蒼い瞳。帝国の最高名門、ハインリヒ侯爵家の嫡男であるユリウス・ハインリヒ大佐だった。
「ユ、ユリウス大佐……。しかしこの女は、名誉ある死を放棄した卑怯者で――」
「卑怯者、ですか。共和連盟の精鋭をたった120隻で壊滅させた彼女が?」
ユリウスは優雅な足取りでリネアの隣に立つと、査問官たちを鋭く見据えた。
「現在、連盟のプロパガンダにより我が軍の士気は低下傾向にあります。ここに『シリウスの死神』として敵を震え上がらせた美貌の若き将校がいれば、民衆はどう反応するでしょうか。……彼女を処刑すれば、軍上層部は有能な将を妬む無能の集まりだと、自ら宣伝するようなものです」
「む……っ」
ユリウスの実家である侯爵家の権力と、反論の余地のない正論を前に、大将は渋々振り上げた拳を下ろすしかなかった。
一時間後。軍令部の空中庭園。
眼下には、防空ドームに守られた絢爛豪華な帝都の街並みが広がっていた。
「恩に着る必要はないぞ、ローゼンバーグ少佐。私は君の才能が、あんな豚の餌になるのが惜しかっただけだ」
手すりに寄りかかり、ユリウスは優雅に微笑んだ。
「恩に着るつもりなど毛頭ありません、大佐。あの大将が補給物資を横流ししている証拠のデータは、すでに私の手元にありました。いざとなればあれを盾に交渉するつもりでしたので」
ユリウスは目を丸くし、そして腹を抱えて笑い出した。
「くっ……ははは! 君は本当に可愛げがないな! しかし、ますます気に入った」
笑いを収めたユリウスは、眼下の美しい帝都を見下ろしながら声を潜めた。
「少佐。この帝国は、美しい装飾で隠された末期の病人だ。私はこの国を、内側から外科手術で作り変えるつもりでいる」
「私に、その手術の『メス』になれと?」
「ご名答。私の派閥に入れ、リネア。君が望む存分な権限と、最新鋭の艦隊を与えよう。代わりに君は、私のためにその冷徹な刃を振るえ」
リネアは頭の中で高速で計算を弾き出した。
ここで誘いを断れば、ユリウスの不興を買い、最前線の激戦区へ左遷される確率はおよそ80%。最悪、暗殺される可能性もある。逆に彼に従属すれば、政治的な厄介事は彼に押し付け、自分は「生き残るための戦術」にのみ専念できる。
「……悪くない取引です」
リネアは振り返り、その銀色の瞳で野心家の青年大佐を見つめ返した。
「私の命、最も費用対効果の高い方法で運用していただきましょう。大佐殿」
かくして、腐敗した帝国をぶっ壊そうとする改革派の貴族と、自身の生存と利益のみを追求する冷徹な合理主義者の、奇妙な共犯関係が成立したのだった。




