第11章:失脚の天才と民主主義のギロチン
汎銀河共和連盟・星系首都テミス。その中心にそびえ立つ最高軍事法廷は、神聖ヴァレリア帝国の豪奢な宮殿とは対極にある、徹底的に無機質で冷酷な空間であった。
壁一面を覆うチタン合金のパネルには、法廷の様子を中継するネットワークの視聴率、世論調査のリアルタイムグラフ、そして「有罪」を支持する有権者のパーセンテージが、まるで株価のチャートのように秒単位で明滅している。この国における正義とは、すなわち「多数決」であり「支持率」である。
その冷たい光に照らされた法廷の中央、円形の被告席に立つ男の姿は、かつての栄光とは無縁の惨めなものだった。
アレクセイ・イワノフ。
かつて「連盟の白鳥」「美しき天才」と称えられ、流麗な艦隊機動によって最年少で少将に昇り詰めた男。しかし今、彼の純白の軍服からは全ての階級章と輝かしい勲章がむしり取られ、両手には重鈍な重力手錠が嵌められている。
彼の周囲を取り囲むすり鉢状の議席には、連盟の最高評議会議員たちと、軍産複合体の重鎮たちが、まるで厄介な不良債権を見下ろすような冷ややかな視線を送っていた。
「……静粛に」
法廷の中央上部に鎮座する、三次元ホログラムの巨大な天秤――連盟の統合司法AI『ジャスティティア』が無機質な合成音を響かせる。
「これより、アレクセイ・イワノフ前少将に対する国家反逆罪、および背任罪の最終審理を開始する」
恰幅の良い国防委員長が、忌々しそうに立ち上がった。
「イワノフ前少将。貴官の罪状はもはや明白である。国家予算を傾ける3,200億クレジットもの軍資金の無断使用。カルテルのマダム・シャオとの裏取引。そして何より、我が連盟が誇る次世代型ステルス駆逐艦『黒鳥』級300隻を独断で出撃させ、その全てを暗黒星雲の藻屑とさせたことだ。……統合戦術AIの算出によれば、貴官の行動は国家に対する『反逆』に等しい大罪である」
アレクセイは重力手錠の重みでうなだれることもなく、まっすぐに前を見据えていた。その琥珀色の瞳には、絶望も、後悔も、ましてや命乞いの色など微塵も浮かんでいない。あるのはただ、底知れぬ冷たい光と、唇の端に浮かんだ微かな嘲笑だけだった。
「弁明はありますか、被告」司法AIが問う。
アレクセイはゆっくりと顔を上げ、法廷の天井――防空ドーム越しに見える偽物の青空を睨んだ。
「弁明だと? 笑わせるな」
その低く、しかしよく通る声は、議場のざわめきを一瞬で凍りつかせた。
「私が弁明すべき相手は、あの暗黒星雲で私と共に燃え尽きた300隻の乗組員たちだけだ。支持率と次の選挙のことしか頭にない、貴様らのような無能な豚どもに語る言葉など一つもない」
「き、貴様! 法廷を侮辱する気か!」
国防委員長が顔を真っ赤にして怒鳴る。
「侮辱しているのは貴様らだ。戦争を数字のゲームと勘違いし、AIの弾き出した安全圏から石を投げているだけのシステム。……私は敗北した。あの『合理主義の化け物』――リネア・フォン・ローゼンバーグの前に、私の狂気は一歩及ばなかった。だから私の部下たちは死に、私はここにいる。それは戦場における絶対の真理だ。だが、貴様らは違う。貴様らは私の敗北を利用し、自らの失政のスケープゴートに仕立て上げようとしているだけではないか」
「黙れ! 貴様は独裁的な狂気に囚われ、我が国の民主主義と合理的な軍事ドクトリンを破壊したのだ!」
議員たちが口々に罵声を浴びせる中、アレクセイはついに声を出して笑い始めた。
「くはは……っ! ははははは!」
その狂気を孕んだ笑い声は、マイクを通さずとも広大な法廷の隅々にまで響き渡った。
「民主主義! 合理! なんと美しい言葉だ! だがな、私が対峙したあの女の『合理』は、貴様らのような温室育ちの算盤弾きとは次元が違う! 彼女は自らの血肉すら計算式に組み込み、泥水を啜ってでも生き残る化け物だ! 貴様らの腐ったシステムでは、あの亡霊を殺すことなど永遠に不可能だ!」
司法AIの天秤が大きく傾き、赤い光が法廷を包み込む。
『判決を下す。被告アレクセイ・イワノフを不名誉除隊とし、すべての市民権を剥奪。辺境の流刑惑星「タータラス」での無期重労働刑に処す』
木槌の音が鳴り響く。連盟の重武装した護衛兵たちがアレクセイの腕を掴み、法廷の出口へと引き立てていく。しかし、その足取りに迷いはなかった。彼は去り際、議席の政治家たちを振り返り、この日一番の凄惨な笑顔を向けた。
「感謝するよ、議員の諸君。私から『祖国を守る』という非合理な重荷(枷)を取り払ってくれたことを。……国家という首輪を外された猟犬がどれほど高く飛べるか、その目でとくと味わうがいい」
その言葉が単なる負け惜しみではなく、本物の呪いであることに気づいた時、法廷には重苦しい沈黙だけが残されていた。




