第10章:狂炎を喰らう泥
「全艦、機関室に通達! 代替燃料のメインタンク、パージ(切り離し)準備! 残圧10%を残し、バルブ全開で周囲の超高温空間へ直接散布しろ!」
轟音と熱気に包まれた『ガルム』の艦橋で、リネア・フォン・ローゼンバーグ少佐の命令が響き渡った。
「燃料を捨てる!? 少佐、それでは帰還用の推力すら失います!」
副官が悲鳴を上げたが、リネアは血の滲む唇の端を吊り上げて冷酷に笑った。
「帰る船が溶け落ちては意味がない。それに、推進力ならこれから『敵がプレゼントしてくれる』。……いいか、我々が積んでいる安物の人工燃料は、不純物が多い分、気化させた際の『揮発性』が異常に高いのだ。この星晶で熱し切ったオーブンの中に、極上のガソリンをぶちまければどうなるか」
副官はハッと息を呑んだ。
「まさか……人為的な大誘爆!」
「そうだ。全艦、後方シールドのみ出力を最大化。前方は捨てろ。衝撃波を『帆』で受けるぞ。……散布開始!」
リネアの号令と共に、帝国軍の残存艦艇から一斉に緑がかった気化燃料が暗黒星雲の炎の海へと噴出された。
それは、獲物を追って狂ったように突進してくる連盟軍『黒鳥』部隊の真正面へと、濃密なガス雲となって広がっていった。
「――司令! 敵艦隊から大量の質量放出! これは……燃料ガスです!」
『アストライア改』のレーダー手が絶叫した時、アレクセイ・イワノフ少将は自身の致命的な「見落とし」に気がついた。
彼は、敵を炙り出すために星雲を燃やした。
その超高温の環境下において、引火点の低い安物燃料が大量に散布されれば、何が起こるか。
「いかん! 全艦、直ちに後退しろ! 急ブレーキだ!!」
アレクセイは血相を変えて叫んだが、遅すぎた。
極限まで推進力にエネルギーを振り分け、猛スピードで突進していた『黒鳥』の群れに、急停止など不可能だった。慣性の法則に従い、彼らは自ら燃え盛る星晶の炎を纏ったまま、リネアがばら撒いた「極上のガソリンの海」へと突っ込んでしまったのだ。
真空の宇宙空間が、光に包まれた。
音のない大爆発。
星晶の熱量と代替燃料の揮発性が最悪の化学反応を起こし、局地的な超新星爆発にも似た致死のバックドラフト(爆発的燃焼)が発生したのだ。
「ぐああああッ!!」
アレクセイの旗艦が激しい衝撃に跳ね上げられる。
シールドを捨て、装甲を限界まで削ぎ落としていた『黒鳥』級にとって、全方位から襲い来る物理的な爆風と熱波は致命的だった。
美しい純白の駆逐艦たちが、次々と装甲をひしゃげさせ、内部から連鎖爆発を起こして虚空の塵と化していく。
「馬鹿な……。自らの帰還の足(燃料)を爆薬に変えただと!? どこまで狂った合理主義者だ!!」
アレクセイはコンソールに叩きつけられながら、血を吐くように叫んだ。
彼が持ち込んだ「3,200億の狂気」は、リネアが50億で買い叩いた「泥水(安物燃料)」の泥臭い大爆発によって、完全に粉砕されたのである。
「衝撃波、来ます!!」
大爆発の中心からわずかに離れた位置で、リネアの乗る『ガルム』を含む帝国艦隊は、後方に全展開したシールドでその凄まじい爆風を受け止めていた。
「衝撃波のエネルギーを運動ベクトルに変換しろ! サーフィンと同じだ、この爆風に乗って星雲の宙域外へ一気に離脱する!」
リネアの顔はG(重力加速度)で歪んでいたが、その灰色の瞳には確かな勝利の光が宿っていた。
自力で飛ぶ燃料がなくても、巨大な爆発のエネルギーを背後から受ければ、艦隊は弾丸のように前方に押し出される。船体は軋み、装甲は焼け焦げていたが、彼女の「絶対に生き残る」という計算式は、見事に物理法則をハッキングしてのけたのだ。
モニターの向こうでは、紅蓮の炎に呑み込まれていく連盟軍の残骸が遠ざかっていく。
「……計算通りだ。どんなに高価な兵器も、使い方が狂っていればただの巨大な火薬庫に過ぎない」
リネアは深く息を吐き出し、軍帽のツバを下げた。
「作戦終了だ。給料分以上の働きだったぞ、お前たち。帝都へ帰還する」
満身創痍のブリッジに、前科者やならず者たちの歓喜の雄叫びが響き渡った。
かくして、後に「黒曜石の泥試合」と揶揄されることになるこの長編艦隊戦は、両軍ともに甚大な被害を出しながらも、戦術的生存を果たしたリネア・フォン・ローゼンバーグの「勝利」として幕を閉じたのである。
しかし、この屈辱を味わった連盟の天才と、生き延びた帝国の亡霊の因縁は、泥沼の戦争をさらに深い深淵へと引きずり込んでいくこととなる。




