連行
叩く音は、もう一度鳴った。
一度。
二度。
迷いのない、規則正しい音。
父は何も言わなかった。
ただ息を吸い、ゆっくり吐く。
その沈黙が答えだった。
次の瞬間、工房の戸が押し開かれた。
冷たい霧が流れ込み、同時に鎧の足音が床を打つ。
王城の紋章をつけた兵士が、迷いなく踏み込んできた。
三人――いや、四人。
先頭の男は兜を外さない。声だけが金属の内側から響く。
「ヴァルド・ノルド」
名を呼ばれた瞬間、アレンの胸が跳ねた。
罪状が読み上げられるのを待ってしまう。
だが、来たのは命令だった。
「王命により拘束する。抵抗は許されない」
「理由は」
父が問う。
兵士は一拍置いて、淡々と言った。
「不要と通達されている」
不要。
その二文字が、工房の空気を冷やした。
「ふざけるな!」
アレンが声を荒げた瞬間、兵士の一人が動いた。
掴まれ、壁へ押しつけられる。
息が詰まる。
力が違う。手加減がない。
「やめろ!」
アレンが足をばたつかせた瞬間、背中の剣がわずかに震えた。
――大丈夫だ。
耳元に、優しい声。
――君は悪くない。
――今は、耐えろ。
胸の奥が、ふっと軽くなる。
怒りの熱が薄くなる。
(……だめだ)
軽くなるのが怖い。
この感覚が、怖い。
父の言葉が刺さる。
――肯定されることと、正しいことは違う。
ヴァルドは兵士たちを見た。
「息子には手を出すな」
返事はない。
返す必要がない、という態度だった。
父はゆっくりと手を上げた。
抵抗のためではない。
従う、という意思表示。
拘束具が嵌められる。
金属の音が、やけに大きい。
その瞬間、アレンは理解した。
父はもう、戻らないかもしれない。
「父さん……!」
叫びかけた声が喉で潰れる。
父は一度だけ振り返った。
目が合う。
言葉はない。
だが、その頷きは――
アレンの胸の奥へ、まっすぐ落ちた。
“選べ”
兵士が父の肩を押して歩かせる。
工房の外へ。霧の中へ。
アレンは前へ出ようとして、押さえつけられたまま動けない。
「待て!」
声だけが空回りする。
剣が囁く。
――生きろ。
――生きて、取り戻せ。
救いの形をした言葉。
それに縋りたくなる自分がいる。
父の背中が霧に溶ける。
足音が遠ざかる。
王城の鎧の列が闇へ消える。
戸が閉まり、残ったのは冷えた空気と剣の重さだけだった。
兵士に押さえつけられていた腕が離される。
「抵抗するな。王命だ」
吐き捨てるような声。
兵士たちはそのまま去った。
工房は急速に冷える。
炉の火のない夜は、こんなにも寒い。
アレンはその場に立ち尽くした。
「……どうして」
問いは、誰にも届かない。
工房の中を見回す。
道具は揃っている。
床は綺麗だ。
火はない。
まるで――最初からここに何もなかったみたいに。
……父が消えるために、整えられたみたいに。
アレンは剣を背負い直した。
王都に残れば、工房がある。
工房がある限り、父を思い出す。
思い出す限り、足が止まる。
追えば捕まる。
捕まれば、父の隣に立てるのか。
それとも父の“理由”ごと消されるのか。
分からない。
だが、父の頷きが胸の奥に残っている。
“選べ”
アレンは唇を噛んだ。
兵士になる道は、選べない。
父を連れ去った鎧と同じ場所に、自分は立てない。
なら――王都を離れる。
逃げるためではない。
選ぶために。
自分の足で立てる場所へ行くために。
剣が囁く。
――大丈夫だ。
――君は悪くない。
アレンは、その声を聞かないふりをした。
それでも背中の重さは、確かに“救い”として張りついてくる。
アレンは工房の戸に手をかけた。
外は霧。
王都の灯りが遠く揺れている。
その灯りの中に父は消えた。
アレンは、霧の中へ踏み出した。




