剣を受け取った夜
その夜、工房の炉は落とされていた。
いつもなら父は最後まで火を残す。
温度を確かめ、道具を整え、静かに片づける。
だが、今日は違う。
火は消え、
工具は揃い、
床には鉄屑ひとつ落ちていない。
まるで、最初からここに何もなかったみたいに。
「……父さん」
返事はない。
工房の奥、鉄床の前に一本の剣が置かれていた。
細身で、飾り気のない剣。
柄は黒革、鞘は煤けた鉄。
見慣れないはずなのに、目が離れない。
触れてはいけない、と本能が言うのに、手が引かれる。
「触るな」
背後から、低い声がした。
振り向くと、父――ヴァルド・ノルドが立っていた。
炉の火がないせいか、顔の陰影がいつもより深い。
「……剣、だな」
「そうだ」
父は短く答えた。
「作らないって言ってた」
「作らないと言った」
否定しない。
ただ、父の視線は剣から離れない。
「……じゃあ、これは何だ」
父は迷いなく言った。
「逃げ道だ」
アレンの喉が鳴る。
父は続けた。
「お前は、選びすぎる。間違えたとき、自分を責めすぎる。責任を引き受けすぎて、壊れる」
それは、アレンがずっと抱えていた痛みに、ぴたりと触れた。
「俺は、それで失敗した」
父は言い切った。
その言葉だけで、父が何を背負っているのか分かってしまう気がした。
父は剣を取り、柄ではなく刃の背をこちらに向けて差し出した。
「持て」
アレンはためらう。
「……これは、正しいのか」
父は一瞬だけ目を閉じた。
「正しくはない」
はっきりとした否定だった。
「だが、お前には必要だと思った」
アレンは剣を受け取った。
冷たいはずの柄が、妙に手に馴染む。
重すぎず、軽すぎない。
振れば、答えが出そうな感触。
「名前は?」
「まだだ」
父は首を振った。
「名を与えるのは、使い手だ」
その言葉が、やけに重く響いた。
父は、そこで初めて視線を上げた。
「覚えておけ。これはお前を否定しない」
アレンの胸が、わずかに揺れる。
「否定しない……?」
「間違えても、逃げても、生きることを選んでも――それを責めない」
一拍置いて、父は言った。
「だが、肯定されることと、正しいことは違う」
その瞬間。
――大丈夫だ。
耳元に、声が落ちた。
はっきり聞こえるわけではない。
だが確かに、言葉だった。
――君は悪くない。
背筋が凍る。
アレンは剣を見下ろした。
もちろん、口は動かない。
「……父さん、今……」
「気のせいだ」
父は即座に言った。
しかし、その声はほんの少しだけ固かった。
「その剣に従うかどうかは、必ず自分で決めろ」
それが、最後の忠告だった。
次の瞬間、
工房の戸が――外から、叩かれた。
一度。
二度。
迷いのない、規則正しい音。
父は何も言わず、ただアレンを見た。
そして、あの時が来てしまった。




