愛する我が子に向ける歪な嫉妬 〜その②川越萌絵の場合〜
今回の主人公は川越萌絵という主婦。
市から格安でリフォーム住宅を紹介してもらい、息子と夫と幸せに暮らしている。
でも、彼女の幸せの背後にそれを壊したくなる衝動が息を潜めていた。
東京都は三鷹市のとある住宅街。
かつて三鷹市が中古物件の紹介をして、リフォーム代の6割も負担してくれるという事業をしていた。その抽選に応募し、川越萌絵(当時24歳)・川越真司(当時25歳)夫婦が見事に当選したのはもう15年も前のことだ。
夫は12年前まで会社員をしていたのだが、この中古住宅で暮らし始めてから公務員に魅力を感じるようになった。一所懸命に勉強をして中途採用で市役所勤務に決まったのであった。
夫は晩ごはんの度に息子に常々こう話す。
「自分にとっての地元愛が確立されること。居場所を心に据えられるというのは幸せなことだよ。おまえもこの地域と友達を大切に出来る立派な大人に育ってほしい^_^」
萌絵と夫の間には智志という名前の小学6年生の息子がいる。
生まれてから11年間、ずっと地元に根付いて成長してきた。保育園からの続く古株の友人も多い。来年は中学生になる。
日頃から夫の教えを素直に聞く智志は、この町を離れて勉強したいとは全く考えていない。そのため、私立中学などの受験に関心は無く、付き合いの長い友人達と同じ公立の中学校に進学することを決めている。
毎日、小学校の教室や放課後の遊びで起きる様々なことを息子は私たちにニコニコと話してくれる。ここに住んでとっても良かった、息子と夫が元気で一緒に居てくれることが私の幸せだ。こんな幸せがずっと続いてほしいな………。
………と、萌絵は思う。表の面、母の心では。
中学校進学の件や将来の夢の話、長い付き合いの友人の話を息子から聞く度に、萌絵は表に笑顔を見せながら、心の中で深く痛い哀しみと嫉妬を覚えてしまうのだ。
夫が大事にしている「生まれた地に自分にとっての地元愛が確立されること。居場所を心に据えられるというのは幸せなことだよ。」という価値観。
夫にも息子にもあるけれど、私には無い価値観。恋焦がれるように憧れ、喉から手の出る程に欲してしまうけれど、私の手の中からはサラサラと流れていってしまうこと。
私の家庭はいわゆる転勤族の仲間だった。父は大手の銀行員で2・3年くらいで転勤があるのだった。まだ同じ都内なら良い。東京を遠く離れたこともあった。
転勤に付き合い、住まいを変える度に友達との繋がりはリセットされた。
子供の頃、私はアニメや漫画が大好きだった。
高校生の男女で幼馴染たちが、事件に遭遇して警察と協力しながら事件を解決する探偵物。
お互いに居るのが当たり前だった日常にトキメキが生まれていくラブストーリー。
異性の幼馴染が欲しかった。
幼馴染が恋愛したその先で結婚するということ。
それが叶うこと、もし叶わなくともそうした環境に居たら…ということ。
そういうことが私にとっての夢と憧れだった。
父が悪いのか、職場が悪いのか。私はずっと父と会社を恨んで生きてきた。
小学校の6年間を1つの所で完徹したかった。出来なかった。悔しかった。悲しかった。同窓会に行きたかった。呼ばれることはない、永遠に。
父の転勤が落ち着き始めたのは中学2年くらいからだったか。高校・大学を1つの所で完徹しても、もはやそれに価値は無かった。
小学校6年間で出鼻を挫かれたそれに一体なんの価値があるというのだろうか。中途半端な私の半生になんの価値があるというのだろうか。
智志の置かれている状況を見て、母の心はとても幸せで嬉しさを感じている。
でも、幼馴染を作り恋愛もして結婚はゴールインする……それを夢見て叶わなかった傷だらけの少女の心は全く幸せを感じていない。私に無い幸せを掴み、これからも築き続ける智志のことが羨ましくて、妬ましくて仕方ない。
こんなこと、真司にはとても言えない。親にも言えない。親は理解などしてくれない。一度だけ、親にキレたことがあった。
あなた(父親)の転勤のせいで私は1つの小学校で6年間を過ごせなかった。それがトラウマで胸が苦しい…と。
両親の反応は冷ややかなものだった。
「仕方がなかった。俺たちに拒否権はなかった。仕事というのはそういうものだ。」
両親は私の心の叫び声を冷徹に払い除けたのだった。
2つの心の狭間で息苦しいのだ。誰か、少女の私の心を癒してくれないかしら…。私を泥の中から救い出してくれないかしら。11年間、膨らみ続けた歪んだ嫉妬。もういつ爆発するか分からなくて怖いの。
そんな苦しみから救い出してくれる方法を教えてくれたの、あのビデオスリップが。
私の母としての精神と身体はきっとそのままなんだと思う。もう知らないから。どうでもいいの。
私の少女の心だけを取り出して永遠の憧れを生きられるようにしてくれたの。
次はその話をしようと思うわ。




