天涯孤独の硝子令嬢は冤罪の涙をダイヤに変える
短いお話のため、サクッとお読みいただけると嬉しいです。
どうぞよろしくお願いします。
「きゃああああ!!!!!」
甲高い少女の声が廊下に響き渡った。
廊下に倒れているのはこの貴族女学院の女生徒で、アンナという。
彼女の「右腕の宝石」は削り取られていた。
赤い血が彼岸花のように少女の白い腕の周りに広がっている。
「モルガナ・ナイトさん、どうしてこのようなことを!」
そう指を指されたのは、黒髪の小柄な少女だった。
貴族子女用の学校にあって珍しいザンバラ髪。烏の濡れ羽色の前髪は、同色の瞳の半分ほどを覆っている。
白い頬は血色がなく、その儚さはまるで幽霊のようだった。
「わ、私は何も……ローズさんに用事があるって今朝言われて、それでここに。私が来た時にはアンナさんは…。」
「お義姉様ひどいわ!私のせいにするつもりなの!?」
モルガナの小さな声を遮ったのは、人形のように美しい少女だった。
陶器の肌、長い睫毛。光を含む金の髪がさらりと揺れると、周囲の少女たちの視線も一緒に流れた。
対外的にはモルガナの義理の妹と説明されていることが多い、ローズ・スミスだ。
ローズの周りにいる友人の少女たちも綺麗だった。みな宝石族らしい華やかさを持ち、手の甲や耳元に小さな花が咲いている。翡翠、珊瑚、瑠璃。
彼女たちの、モルガナを犯人と決めつけて、ローズを庇う声は大きく、それが本当のことのように聞こえる。
モルガナは今まで彼女たちに散々な目に遭わされてきたけれど、「宝石剥ぎ」の犯人にされるなんてことは初めてで、涙が零れ落ちた。
「私、私そんなひどいこと……。」
カランと音がして、花びら型の硝子が小さく転がる。
校庭側の開いた窓から差し込む夕陽にキラキラと虹色の輝きを見せている。
「本当、模造品がお似合いね 」
そう言って少女の一人が、「手の甲に咲く」小さな翡翠の花を見せつけた。
◇
この国は宝石族が九割を超える。生まれ落ちた時から、輝く宝石を与えられている人々だ。
それは何故か花を模した形であることが多い。
手の甲に咲く翡翠。
足首に絡むルビー。
涙の雫の代わりに流れる水晶。
特に涙や汗や髪といった、何度も宝石を生み出せる者は重宝された。
宝石族の宝石は、魔力を生む魔石でもあるからだ。
そのため過去は宝石剥ぎと呼ばれる犯罪も多く、十年前の隣国との戦争もそれが原因だった。
ただ、最近では黒子と同程度の大きさしかない宝石の人々が殆どで、一般市民では宝石がない人も珍しくなくなっている。
絵巻物に出てくるような大きな宝石は、血統を重んじてきた貴族に限られていた。
「宝石ですらない硝子の涙なんて気味が悪い。」
「本当は親が死んだんじゃなくて、親に捨てられたんじゃなくて?」
◇
モルガナの父の友人であり上司であるローズの父、スミス公爵は、豪快で情に厚いが、瞬間湯沸かし器のような人だった。
「この子はナイト君のお嬢さんだ。ナイト君は明日戦地に立つ。母君は空襲でお亡くなりになっていてな…。
だから今日からうちで育てるぞ!誕生日が早いから、ローズのお姉さんだな!」
そう言って自分は仕事にかかりきりで、妻であるローズの実母にモルガナを任せた。
ローズの母エマは、その時男児を妊娠中で悪阻もあった。ローズはモルガナと同じくまだ八歳で、成長期だ。お腹を空かせていた。
戦況は悪く、食糧難となり、夫が官僚だからと言って安心することは出来なかった。
当然の流れでモルガナは、エマ夫人とローズに酷く虐められた。
なんとか戦争には勝利したが、不運が二つあった。
一つはモルガナの父が消息不明であること。
もう一つは、エマ夫人の男児が流れてしまったことだった。
モルガナは戦後もスミス公爵邸に残らざるを得なくなり、男児を失ったエマ夫人とローズの虐めは加速した。
それが今まで続いている。
◇
先生方が来て、アンナが転送門で受け入れ承認済み病院へ転送される。同じ転送門から警察がやって来た。
モルガナは、色とりどりの宝石の花を咲かせる少女たちの囀りによって、警察へ向かうことになった。
校外の不審者対策と違って、校内にはプライバシーのために監視魔具はなく、証拠は何もなかった。
ただ誰より早く、アンナの側にモルガナが立っていたことは事実だった。
その後すぐにローズとその友人たちが来て騒ぎ出したのだ。
警察では、軍務省魔法犯罪課を名乗る貴族や魔法に関わる事件を担当する人達も来て、色々訊かれた。
だがモルガナは本当に何も知らないので、夜遅く、家に帰ることになった。
疲れて玄関に入ると、まずスミス公爵に頬を叩かれた。軍人を経験しており、大抵の人より大きい公爵が叩くと、小さなモルガナは壁にぶつかった。
「宝石剥ぎなど、なんと恐ろしいことを!私はお前をそんな風に育てた覚えはない!」
怒りで赤黒く染まった顎や頬の肉がぶるぶる震えている。
「おまけに多くの証言がある中でローズのせいにしようとしたとか!?お前は野垂れ死ぬ孤児が多い中で、引き取ってもらった恩を仇で返すのか!」
「そうよ!私の息子を殺して、のうのうと生きて!お前なんか死んでしまえ!」
後ろから「いつものように」モルガナに死ねと言うのはエマ夫人だ。
その後ろでローズが、裂けたように笑っていた。
モルガナは目を見開く。けれど、今までの「躾」が、彼女の喉を塞いで声が出なかった。
ローズとその友達に押さえつけられて、裁ち鋏で髪を切られたこと。大きな銀色の刃が目の前を何度も行き来したこと。
エマ夫人が唐突に熱いお茶を掛けてきて、熱い熱いと叫ぶと「じゃあ冷ましてこい」と雪の庭に放り出されたこと。
ローズに母の形見の櫛を焼却炉で焼かれ、あんたもこうしてやると言われたこと。
そうした「日常」のおかげで、モルガナは自分の意見を言うことが出来なくなっていた。
◇
(私が魔法使いなら良かったのに……)
医師がメスを持つのと同じように、魔法使いは高度な試験の末、やっと杖を持つことが許される国家資格だ。いくら魔力を生み出す宝石を持っていても、杖がなければ意味がない。
(もっとも、私には宝石もないのだけど……)
十年の間にすっかりモルガナの部屋となった、格子が嵌められた階段下のスペースは、牢にしても粗末なものだった。
(アンナさんは無事かしら。宝石を失って…令嬢として貴族社会で生きていけるかしら。どうかあちらの家族が彼女に優しくありますように。)
ぐうと腹の虫が泣いた。こちらは主人と違って雄弁だ。
(そういえば、今日は「食べる日」だったのに、何にも食べてないのね…。アンナさんのことがあったから、学食を食べられなかったもの。)
女学院は学食で食事を注文したり、購買で軽食を購入したりできるが、モルガナのお小遣いでは二日に一度しか買えなかった。
(お腹が空くとぼうっとする…。そうね、お巡りさんが怖かったけれど、ぼうっとしていたお陰で少しはマシだったのかもしれないわ。)
「いいえ、ちゃんと話せないからご迷惑を掛けたわね…。」
「本当よ、大迷惑!」
◇
現れたのはローズだった。蝶が花だけを好むように、美しいローズは普段、このような場所にはやって来ない。
モルガナの心臓が途端に速くなった。
「ねえ、明日はちゃんと自分が犯人ですって言ってちょうだいね。」
「で、でも…。」
「お義姉様が犯人でもそうでなくても、罪人には違いないでしょう?本当は平民の母親と一緒に死んでたら良かったのよ。いつまでもうちに居座って、何様のつもり?」
「でも、私はアンナさんを傷つけていないわ。犯人がいるならちゃんと見つけてもらわないと、アンナさんがまた危ない目に…。」
ガンッ!!
ローズが格子を蹴りながら怒鳴った。
「アンナアンナって何よ!喋ったこともない癖に!あんたが話せる人なんか誰もいないでしょ!何も知らない癖に善人ぶってんじゃないわよ!」
「…ローズさんは、アンナさんが嫌いなの?」
途端に二本の腕が伸びてきて、モルガナの襟首をぐいと引き上げた。
喉が苦しい。モルガナはどうにかローズの手を外そうともがく。
「嫌い…?ええ嫌いよ嫌い!大嫌い!あんな偽善者ぶった売女は大嫌い!人のものを掻っ攫って平気な顔をしているのはあんたと同じよ!」
モルガナの胸を大きく突き飛ばし、ローズは去っていった。遠くで声が聞こえる。
お母様ー!お義姉様が私の手をこんな風にしたの!
咳き込みながらモルガナは思う。
(さっき苦しくて、夢中で引っ掻いたせいね…。また殴られるのかしら…。)
ふと自分の手を眺めた。薄く引き攣れた火傷の跡がある。
母の形見の櫛を焼却炉で焼かれた際に、手を入れて探したからだ。炎が手の外側を焼き、熱せられた櫛が内側を焼いた。
「あの時、手の届くところにあってくれて良かった…。」
櫛の歯が溶けてあちこちくっ付いている、硝子の櫛。
あの時は、短絡的だが情には厚い公爵が、ローズに雷を落としてモルガナを医者に診せてくれた。
もっとも公爵は官僚であり多忙のため、医者にかかるのはかなり遅れた。
一部の指同士が癒着しており、高度医療魔法が必要だと言われて、エマ夫人は
「そのような高価なものは、この子には勿体無いので結構です」と医師に断ろうとして、公爵に雷を落とされていた。
あれから、モルガナは片時もこの櫛を手放さなかった。エマ夫人もローズも、この櫛に関してはもう触れてこようとしなかった。
櫛の歯がくっついてしまったので、ちょうど良いので穴のようになっている部分に紐を通して首から下げている。
大きな半月状のネックレスのようだ。
「お母さん……会いたいな…。」
十八にもなって恥ずかしいのかもしれない。
先日、エマ夫人はローズに見合い話が来たと言っていた。
(もうお嫁に行く歳なのに…。)
けれど、今日は特に母が恋しかった。
(お母さん、誰も私を信じてくれないの…ご飯を二日も食べていないの…ねえお母さん、会いたいな…。夢でいいから。)
「会いに行けば良いんだわ…。」
モルガナの血液がソーダ水になったようだった。爽やかで今まで味わったことのないほどすっきりとした気分だった。
(何故かしら、生きなければと思っていたわ…。死ねと言われても悲しいと思うばかりで…。そうよね。)
ローズの話を信じたエマ夫人に髪を掴まれ、物差しで背中を叩かれたが、きっとこの十年で一番ぐっすり眠れた夜だった。
◇
母はモルガナの頭をよく撫でてくれた。綺麗な髪ね、と言って。可愛い可愛いと言って頬擦りしてくれた。
大好きよと言って抱き締めてくれた。
五歳の誕生日はモルガナが欲しがっていた大きな大きな熊のぬいぐるみをくれた。
膝に乗せて絵本を読んでくれた。熊が出てくるお話で、モルガナはそれが大好きだった。
でもそれよりも。
母のことは世界の何よりも大好きだった。
「お母さん、今日会いに行きますね。」
目覚めとともにモルガナは呟いた。幸せを噛み締める笑顔で。
◇
モルガナは格子の鍵を壊した。
本格的な牢ではなく、モルガナに反省を促すためにと、階段下に木を嵌め込んで、市販の簡単な鍵を付けているだけの造りだったことが幸いした。
飲み水が入れられた水差しを、服で包んでこっそり割ると、その破片で鍵の周辺をゴリゴリと削いでいった。
家の中はシンと静まっていた。
こっそりと抜け出すと緊張からの解放感が景色をいつもの倍ほど綺麗に見せてくれるような気がした。
私服がないので制服を着て、夜明けの街を歩く。日が昇り始めた水平線の橙と夜の残りの藍色が混ざってとても綺麗だった。
「綺麗だわ…。」
モルガナは道端のベンチに座って、昨夜書いたノートを開く。
今日の予定だ。
クレープを食べる。
空塔を見に行く。
生家の跡地を見に行く。
交通機関には乗れないから、移動時間を考えるとこれくらいで終わりだろう。
それでもとてもわくわくした。
「…楽しみだわ。」
自然と小さな笑みが溢れる。
空塔という観光地にもなっている、とても高い電波塔を見に行った。
着いた時にはヘトヘトだったが、通勤客向けなのか、目当てのカフェが早くから開いていたので、元気が湧いてきた。
一番安いクレープを、握りしめた小銭で買った。
バターがじゅわっと薄い生地に染み込んで、砂糖と合わさって甘塩っぱく変化する。パリパリしたところももちもちしたところもとても美味しかった。
空塔は白くて高くて、魔法でキラキラ光った粒が周りをくるくる回っているのが流れ星みたいで綺麗だった。
「良い一日だわ…。」
モルガナは十年前に造りかけだった塔と、その下での出会いに思いを馳せた。
ローズの家に預けられる前日、父はモルガナを珍しく外に出してくれた。
多分最期の別れになるかもしれないから、思い出作りだったのだろう。
モルガナもそれを察して、わんわん泣いていた。
(せっかくお父さんが遊ぼうって言ってくれたのに…。あの時は困らせちゃったわね…)
すると男の子が声を掛けてきたのだ。
もう顔も覚えていないけれど、優しい子だった。
彼は、モルガナの拙い話をじっと聞いてくれた。
母が死んだこと、父が戦地へ行ってしまうこと、これから知らない家に預けられること、それが寂しくて寂しくて仕方ないこと。
彼は一生懸命にモルガナを励まそうとしてくれた。
「僕が絶対迎えに行くから待ってて!」
その言葉をどこかで信じていた。ローズやエマ夫人に虐げられる中で、僅かな希望だった。
「あの子が今、幸せだと良いな……。」
叶わなかった約束だけれど、自分にそんなことを言ってくれる人がいたこと、それはとても嬉しいことだと思った。
◇
「もし、貴族女学院の生徒ではないですか?」
急に声を掛けられてどきりとした。
(そうよね、制服だもの。登校している筈の時間なのに、こんなところにいたら不良だわ。)
声を掛けてくれたのは若い男性で、昨日の軍務省の人たちが着ていたものと似たような服を着ていた。
汗がダラダラと背中を伝う。
(不良だと警察に連れて行かれたら、ますます私が犯人だと思われてしまうわ。いえ、それよりも…。)
一度でいいから、もう一度生家のあった場所を見たかった。空襲でほとんど焼けてしまったけれど、それでもきっと、覚えている景色はある筈だから。
(…きっとお母さんに一番近い場所だわ。)
「ははあ、さてはサボりだな。その反応は初犯だろう。」
男性はニヤッと笑った。
そのままキョトンとするモルガナの隣に腰掛ける。
「何だなんだ、せっかくのサボりなんだ、盛り盛りに生クリームやアイスを乗せてしまえばいいのに。お嬢様は控えめだなあ。
どうせ怒られるんなら、堂々とやれるだけやっちゃえばいいんのに。」
「そんな発想はなかったわ、凄い…。」
男性はハハハッと明るく笑った。
(爽やかな海のような青い瞳。この方は目が宝石なのかしら。)
撫でつけた黒髪、高い鼻梁、ちゃめっ気のある丸い瞳。整った顔立ちながら、親しみやすい。
背は高く、鍛えているのだろう姿勢も良い。
(きっと女性にモテるのね、慣れているから私などとも話してくれるのかもしれない。)
「実はね、これから大事な仕事なんですよ。」
「え!?ではこのようなところでお休みになっていては…。」
「いやいや、公僕として、幸せの象徴クレープを食べながら、泣きそうな顔をしている女の子を放っておいたらいけないって法律で決まってるでしょう?」
「…聞いたことありません。私、泣きそうでしたか?」
「うん、今にも天使になって空に召されそうなほど儚かったですよ。」
「…素敵な表現をなさるのですね。」
飄々としているようで、的を射た答えに、モルガナは男性の顔を見られなくなった。
下を向いたモルガナに男性は続ける。
「十代の悩みって色々ありますよね、うん、そういう俺も二十歳になったばかりですけどね。」
「まあ、しっかりしてらっしゃる。」
とても二十歳には見えなかった。それは良い意味で。堂々としていて、大抵のことはきっと上手くこなせるのだろうと思わせる何かがあった。
「まあね。親なしなもんで、逞しく育ったんですよ。そんな俺が貴族のお嬢様に言えることなんてあんまりないですがね、何かひとつでも自分の柱になることがあると良いですよ。」
「自分の柱、ですか」
男性は一瞬伏し目がちになった。魔法や貴族に関する犯罪が主な仕事である軍務省に、この若さで親もない中入省しているのだとしたら、相当な苦労と研鑽があったのだろう。
だが、男性は一際明るく言った。
「実は、ここは俺が初恋の人にあった場所なんです。十年前に、一緒に遊んだんですよ。かくれんぼが上手で、すごく綺麗な子で、明るくて優しくて、俺大好きだったんです。」
「まあっ。」
思わずモルガナは口を押さえた。同級生はよく恋の話をしていたが、権力のあるローズによって爪弾きにされているモルガナには、初めての恋の話だった。
「戦争があったでしょう、俺には親も家も何もなくなってしまった。
道端で食べるものを一日中探して、辛い日が多かったけれど、俺生きてその子にまた会うぞって決めて、出来る限り毎日ここに来てるんですよ。」
「きっと会える可能性は殆どないけど、でもその子がどこかで生きていると思うだけで、俺は前に進めました。
お嬢様の悩みは俺には分からないけど、何か役だったら嬉しいですよ。あとおすすめのクレープはバナナホイップクリームです。」
「有難うございます。」
「ぜひ、次会ったら感想を教えてくださいね」
男性の声は「次」を強調したように聞こえた。
「……次…。」
男性が去った方を見つめながら、モルガナがそう呟いた時、後頭部に鈍い衝撃が走り、世界が暗転した。
◇
「……ここは?痛っ…」
倒れた体勢から身体を起こそうとすると、響くような痛みがあった。頭を押さえると手にべったりと血が付いた。
モルガナは冷たい石の床の上に横たわっていた。
薄暗い地下室。分厚い扉、ここが屋敷の離れにある古い防空壕だとすぐに分かった。
「やっと起きたわね。」
ランプの光に浮かび上がったのは、エマ夫人の顔だった。氷のような瞳で見下ろし、手には何故か杖が握られている。
「どうして…。」
「どうして? あんたが生きてるからよ。私の子は死んだのに、あんたばかりが生き延びて。あんたが犯人だと言えば、誰も疑わないわ。宝石でもない硝子しか出せない化け物だもの。
やっと役目をあげるんだから、しっかり果たしなさい。」
モルガナは必死に首を振る。
「私は、アンナさんを傷つけていません!」
「黙れ!」
杖の先がモルガナの喉に突きつけられ、声が出なくなる。
「お前が『犯人です』と言えば、すべて丸く収まるの。スミス家も傷つかず、ローズも守られる。あんた一人が罪をかぶればいい。それが、拾ってやった恩に報いる唯一の方法よ」
縄で縛られた足首が痛む。
けれどモルガナの心は今までと違い、恐怖と諦め以外の感情があった。
(まだ、私、生きる柱を見つけてない。次はクレープの感想を言わないと…。生家も見ないといけないわ…!)
「嫌です!もう貴方の言いなりにはなりません!」
その瞬間、重い扉が外から破られる音がした。
軍務省の制服の紋章を縁取る金糸が薄い明かりの中で煌めく。
黒髪の青年が飛び込んでくる。
「動くな!」
怒声が響き、エマ夫人の手から杖が弾き飛ばされた。
青年は迷わずモルガナに駆け寄り、彼女の手足縛る「不可視の縄」へ杖を押し当てる。ぱん、と乾いた破裂音。
「ナイト嬢、!?君は今朝の…とにかくこちらへ!」
同じ制服姿の男性たちが複数入り込み、素早くエマ夫人を拘束した。エマ夫人は狼狽して叫んだ。
「な、なんで…どうしてここが!そう、主人を呼んでください!スミス公爵家に対して何という無礼な…。」
青年は一瞥だけをくれて、淡々と告げる。
「ご主人には今朝早く知らせが行っている。防空壕があることを教えてくれたのはスミス公爵だよ。何か隠して行うならそこだってな。
どう言い訳しようが我々はとうに全部把握している。
ローズ・スミス、エマ・スミス。違法杖の入手経路も、暴漢にアンナ嬢を襲わせたのも、支払いに充てるためアンナ嬢の宝石を売ったのも、穴だらけの計画だ。」
エマ夫人の足から力が抜ける。軍務省の職員が静かに両腕を取り、拘束具を嵌めた。
青年はモルガナへ目を戻す。
「……立てるか?」
彼の声は、どこか懐かしい温度を持っていた気がした。モルガナは小さく頷く。ふらついた彼女を、彼の手が支えた。堅く温かい掌だった。
◇
ローズは失恋のショックで母に有る事無い事大げさに話したらしい。それに激怒したエマ夫人は、違法な杖を手に入れ犯罪に手を染めたが、犯罪については素人すぎた。
お粗末な犯罪の露見はあっという間だった。
違法な杖やアンナの宝石の売買記録、校舎の出入り口の監視魔具を破壊する映像が残っていた。
このような杜撰な計画でも進めてしまったのは、これまでは「貴族社会の圧力」で握りつぶせた前歴があったからだった。
官僚の妻と娘の悪行の数々は、世間に公になるや大きな話題を呼んだ。
二人はその後長く、本物の牢から出てこられなくなった。
◇
軍医学校付属病院
「少尉殿、お話が。」
医師であり魔法使いである貴重な存在、魔法医師の老人が黒髪の青年を呼び止めた。
「検査しましたナイト嬢ですが、保護者が不在の状況だと…。
そのため少尉殿にお話ししますが、どうぞ他言無用でお願いします。
彼女には十年前、この病院で『宝石隠し』と『忘却』の処置が施されています。」
「それは、それは王族でも滅多に掛けないのではなかったか!?彼女の宝石にそれほど価値があると…。」
「ええ、仰る通りです。この五十年で彼女一人だけです。記憶の検査結果より、彼女は十年前のことをほとんど覚えていませんが、それはこの処置が理由です。ご承知おきを。」
「事件のショックではないということか。」
「事件のショックで言えば、頭部への打撃のためか、心的ショックのためか、術が一部解けているようです…。」
「少尉殿!こちらの櫛ですが」別の白衣の男性が走ってきた。
「ああ、この櫛も…溶けてしまっておりますが、これは『宝石の髪』を溶かすための特殊なものです。」
(宝石の髪…姿を変えた少女…もしかして…。)
「術が解けてしまうということは、もうすぐその宝石の髪に戻るのか?どの程度目立つのだろうか。」
「ああ、警護などの検討がいるのでしょうか。ええと、見た目ですと、十年前の写真はこちらですね。」
(この子は……!)
◇
点滴の管。無機質な白い天井。頭部に巻かれた包帯。
モルガナは枕に沈んだまま、遠い遠い十年前の光景を思い出していた。
(……どうしてかしら。十年前の記憶が段々思い出せるようになってきた。
脳の検査で質問をされたから?でもまるで溢れるように…。)
懐かしい思い。大好きな母と、父の顔も思い出せるようになった。
(軍人だからあまり家にいられなかったけど、お父さんは私を可愛がってくれた。肩車をしてくれて、頬擦りするとお髭がざらざらしたわ…。)
それから。
(夜が近い夕方。塔の影が長く伸びてていて、手を引いてくれた男の子がいた。
胸の奥に、きゅっと締め付けるような痛みが走る。
「絶対迎えに行くから待ってて!」
あの子の顔はまだ思い出せない。
それでも、胸の奥が沁みるようにじんわりと温かくなっていく。
「……絶対、迎えに来てくれるって……本当だったら良かったのに……」
声は涙に滲んでかすれ、ほとんど自分でも聞き取れないほどだった。
(きっと私はあの子が好きだったんだわ。)
「俺は迎えに来たよ。十年前の約束通りに。」
モルガナの呼吸が止まる。
声の方を見れば、笑顔の青年と、記憶の中の少年の姿が、色水が紙に染み出すように重なっていく。
黒髪が揺れ、青い瞳に光が走る。その面影が一気に鮮明になった。
「……本当に……私を迎えに来てくれたの……」
熱い涙が頬を伝う。それは硝子ではなかった。
青年は小さく頷き、優しく微笑んだ。
「お待たせ。遅くなってごめん。」
声にならなかった。
少年は、この青年はモルガナを大好きだと言ってくれた。
生きる柱だと言ってくれたのだ。
「俺は軍務省魔法犯罪課のノア・グレイ。君と話したいことはたくさんある。十年かかるくらい。」
「でも先に一つ大事な話があるんだ」
その顔は今までにない真剣な顔だった。
「はい。」
だからモルガナも真剣に受け止める。
「今回、君の保護者が不在のため、病院から代わりに話を聞いた。」
彼の声が低くなる。
「君には、忘却と宝石隠しの術が掛けられている」
遠い、遠い場所で、誰かの声が聞こえる。またきっと何かを思い出している。
「君はこう言った。『このあと、わたし、姿を変えるんだ』って。『危ないから』って。そのときは分からなかった。けど、いまは分かる。あの虹色に光って透き通る髪も、星みたいな瞳も、流れる涙も。全部、あれは『ダイヤ』だった」
ぱきん、と、頭の奥で小さく割れる音。
「君の父上が、髪の毛一本落とさないように注意して君を抱き上げて。君はまだ遊ぶんだって暴れて、涙が落ちて。父上がそれを回収していた。けれど俺は、一粒だけ持ってる。」
彼は胸ポケットから小さな包みを取り出した。薄布を解く。露ほどの透明な石が、窓から差す光を受けて七色の虹を散らした。
「これが、俺の『生きる柱』。戦争中も、独りきりだった戦後も。ずっとこれを見て、君に会うことを考えてた。」
七色の光が、青年とモルガナを照らす。その瞬間。
「忘れていなさい。忘れることが、お前を守る。」
(……お父さん?)
「モルガナ、大好きだよ。」
忘れていた父の優しい声。
忘却の術が、事実を告げられたことで役目を終える。
ぱらぱらと落ちたのは『硝子片』ではなかった。
「……!?」
モルガナは思わず口元を押さえた。
忘却の呪いが忘れさせていたものが姿を現す。
モルガナの全身から溢れた光が、モルガナの髪に、瞳に、肌に蔓のように絡み染みていく。
黒かった髪の一本一本が、光を透かし、やがて髪全体が夜明けの空のように、薄く、透きとおって輝く。
黒だったはずの瞳は、星明りのような光点を宿し、虹彩は虹の花が咲いたようだ。
繊細なレースのような睫毛が優しく花を縁取っている。
頬を流れた涙は、今までとは異なる光を纏い、雫というより花びらの形で、薄い音を立ててシーツへ落ちた。
「……私。」
それを見たモルガナの声が震える。
「君は『宝石族の中の宝石族』。
王家にさえ滅多に生まれない、あまりにも価値のある『宝石を宿す人材』。
だから、父上は戦時下で狙われないように隠した。忘れさせたんだ。君が生き延びるために。」
「今朝は、すぐに思い出せなくてごめん。『忘却』は本人と周囲、双方の想起を鈍らせるんだ。」
青年は言う。
「君がこの櫛を、宝石の髪を梳かす櫛を持っていてくれたから。気づくことが出来たよ。」
(お母さん…!)
引き攣れた手で櫛を持つ。まるで櫛から流れ込んでくるように鮮明な記憶が脳裏に広がる。
そうだった。母が毎朝梳いてくれたモルガナの髪は透明で、集まると虹色に輝き、地上に月があるようだった。
「綺麗な髪、本当にモルガナは可愛い子。可愛くて優しくて大好きよ」
「私もね、お母さんだーい好き!」
母の膝、優しい腕の中。抱きついたエプロンの花柄。
大好きだった。とても大好きだった。
生活感がいっぱいの台所。お気に入りの猫柄の片手鍋。
一緒に焼いた甘い卵焼き。
「いつも…亡くなった母が、この櫛で髪を梳いてくれたんです。」
青年は、泣きながら櫛を抱くモルガナの手をじっと見つめた。
「やっと見つけられた。君を守るために色々強くなったよ、これからは俺が、ずっと守るよ」
「十年前の約束、守ってくれて有難う。」
次はバナナホイップのクレープを食べながら、十年分の話をしよう。
お読みいただきまして有難うございます。
とても嬉しいです。
次回もご縁がありましたら、ぜひよろしくお願いいたします。