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5 後悔

 月曜の朝は、いつも通りに始まった。スマホの目覚ましの音に起こされ、制服に袖を通し、食堂で朝食をかきこんで施設を出る。

『いつも通りの日常』のはずだった。なのに、歩く足取りは妙に重く、胸の奥には引っかかったままの何かが、しつこく残っていた。

(早く……謝らねぇと)

 そう思いながらも、あの日からあっという間に五日が過ぎていた。

 若葉とは――あれから一度も話せていない。教室に入ると、彼女はすでに席についていて、友人と談笑していた。

「昨日のドラマ観た?」

「あれでしょ? 最後のあのシーン、めっちゃ泣けた!」

 若葉の周りには当然のように人が集まってくるし、いつもそこには笑顔が溢れている。そして今日も、彼女はいつもと変わらずクラスメイト数名に囲まれている。俺はただそれを遠くから見ているだけ。

(あれから……何回、声をかけようとした?)

 何度もタイミングを見計らっては、言葉が喉につかえて出てこなかった。

 あのとき、あんな言い方をしなければよかった。

 若葉の目の輝きに嫉妬して、傷つけるようなことを口にして。今になって思えば、自分でも情けなくなるほど幼稚な反応だった。

 口にした瞬間に後悔したあの言葉が、耳の奥で何度も反響する。思い出すたびに胃のあたりが重くなる。

 若葉は、あの日のことをどう思っているのだろう。きっと怒ってる。いや、呆れてるかもしれない。もう俺と話したくなんかないのかもしれない。

(……ほんと、バカみてぇだ)

 自分の席に向かおうとしたときだった。すれ違いざま、彼女の横顔を目にする。ほんの一瞬だったものの、その一瞬が、やけに長く感じられた。

 確かに、一瞬だけ目が合った――はずだった。澄んだ茶色の瞳と、視線が絡んだはずだった。

 けれど、若葉はすぐに目を逸らし、隣の子の話に頷く仕草を見せた。まるで、何もなかったように。最初から俺のことなんて見ていなかったように。

(……あぁ)

 心臓が、どくりと変な音を立てて跳ねた。喉が焼けるように痛くて、息がうまく吸えない。

 悔しさとも、悲しさともつかない感情が喉元まで込み上げてくる。

(やっぱ、……怒ってるよな)

 当たり前だ。あんな言葉、ぶつけられて平気なわけがない。どれだけ後悔しても、もう遅いのかもしれない――そんな思いが、じわじわと胸の中を侵食していく。

(終わった……)

 若葉は、ただ俺に興味を持ってくれただけだ。きっかけがあって、たまたま近づいただけ。

 けれど、俺はその手を、自分から振り払った。

 もう二度と――あの距離には戻れない。

 その現実を実感し、俺は誰にも気が付かれないように長く息を吐きながら、机に突っ伏して目を閉じた。

 ただただ苦い後悔だけが、胸の奥で熱を持って疼いていた。


 ***


 その日は一日、気持ちはずっと上の空だった。

 授業中もノートを取る手が止まりがちで、明日から実力テストだというのに、先生の言葉は右から左。昼休みも、同室の連中の他愛ない話が遠くに聞こえるだけで、何も頭に入ってこなかった。

 放課後になっても、心の曇りは晴れなかった。俺は机に突っ伏したまま動く気になれずにいたものの、掃除当番の声に背中を押されるようにして教室を出た。

 ふらふらと足の向くまま、人気のない渡り廊下を歩く。放課後は図書室に足を運んで勉強するのが日課だが、あの日からそんな気になれず手持ち無沙汰に校内や学校周辺を彷徨うように遠回りを選んでしまっている。

 渡り廊下を通ると、いつもならどこからか微かに吹奏楽部が練習している旋律が聞こえてくるのに、実力テスト前なので部活は休止中なのか何も聞こえてこない。

 中庭に続く扉の前でふと足を止めた。西日が差し込み影を落とす中に、動く人影が視界に映り込んだ。

(……あ)

 夕焼けに包まれた中庭。ベンチの上で、若葉はスケッチブックを膝に広げ、じっと紙に向き合っていた。

 風で長い髪がさわさわと揺れている。うつむいた顔が陰になり、表情はよく見えなかった。けれどその手は、何度も同じ箇所を描いては消してを繰り返していて、明らかに迷っていた。

「……やっぱ、だめ」

 小さな声だった。けれど、その悔しさのにじむ声は、静かな中庭に響いた。鉛筆が宙で揺れ、やがて彼女はスケッチブックを見つめたまま、深く息を吐いた。

 スケッチブックに描かれた何枚ものラフ画が、風にめくられてちらちらと揺れている。

 紙の上で止まったままの鉛筆。迷い、立ち尽くしている背中。あの日、真っ直ぐ前を向いて夢を語っていた彼女とは、まるで別人のようだった。

「……あいつ……」

 何を描こうとしているのかは分からない。でも、きっと今の若葉は、自分自身ともがいている。

 喉の奥で、言葉がくすぶっていた。謝りたい、と、ずっと思ってた。なのに、こうして目の前に本人がいるのに、足が動かない。喉がひりついて、声が出てこない。

 ただ立ち尽くしたまま彼女の横顔を見つめているだけの自分が、情けなくて仕方なかった。

(俺なんかが……声かけても)

 でも、それでも。

 今の若葉は、絵と向き合ってる。悔しそうに、苦しそうに、紙と、そして自分自身と向き合っている。彼女のその姿に、気づいたら胸の奥がじわりと熱くなってた。

(今、行けよ)

 心の奥で、誰かがそう叫んでいた。

 声をかけるべきか――否か。迷いながらも自然と俺の脚は中庭へ一歩踏み出していた。ざり、と細かい砂利を踏む足音が中庭の静けさを割って広がったのち、若葉がはっとしたように顔を上げた。

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