SSR 特殊科学調査班
町中を行き交う人々の歩みは誰も彼も余裕のかけらもないせかせかとした物だった。何かを追っているのかそれとも追われているのか、何れにしても脇目も振らず真っ正面のみをひたすら見据えて突き進む様は如何にも危なっかしく、今の社会全体が置かれた状況を物語っているかのようだった。しかしそんな状況も知った事ではないとばかりに歩道の脇から一人の歩行者が流れを横切るように歩み出てきた。この時間から酔っているのか足取りはおぼつかない。そして不運にも反応が遅れて避けきれなかった一人がまともにぶつかりあう結果に終わった。当たった側は二、三歩後退した物の何とか踏み留まったが相手はそのまま路上に仰向けに倒れ込み大の字になって横たわった。肩が触れた程度ならまだしもさすがに今回のような『正面衝突』に巻き込まれた方は相手を睨み付けて口を開きかけたがそのまま固まってしまった。酔っ払いか何かだとばかり思っていた相手は起き上がろうとする素振りを見せないどころかピクリとも動かず、上瞼に半分以上瞳が隠れ口元が大きく歪められたその表情、そして衣服から今や路面に広がりつつある赤いシミがその身に起こった事を物語っていた。
「な、何だよこれ?いきなりこんな・・・」
すっかり気が動転してしまい放心状態か続いた後やっとの思いで声を絞り出し始めたが、腹部の辺りを激しく突き上げるような衝撃に襲われると同時にそれは上ずった唸り声に取って代わられ、その後に掠れた呻き声が続いた。かっと目を見開き全身を硬直させた直後にのろのろと俯いた視線の先ににわかには信じられない光景が映し出された。自らの体に刃物が突き立てられていたが、精々30センチ程まで伸びた所で唐突に途切れていてその先にあるはずの柄の部分、そして何より凶行に及んだ張本人の姿が影も形も見当たらなかった。しかし弱々しくその身をよじらせても動く事は叶わず、虚空に消えた刃物の根元を目に見えない何者かがしっかり押さえ込んでいる事に疑う余地はなかった。そして刃物が更に押し込まれ苦悶の悲鳴を上げつつのけぞったところで凶器が引き抜かれた。この時点で既に意識は途切れ、わずかにその身に残った生命の兆しも次第に失われていった。さすがにここまで来れば何らかの異変が起こっている事は周囲にも伝わる事となり、動揺のさざ波が広がると共に極限まで高まった緊張は突然上がった悲鳴によって一気に恐怖の高波と化してこの一帯を巻き込み、完全に集団パニックに陥った通行人達は口々に叫び声を上げながら逃げ惑った。宙に浮かぶ凶刃がまるで混乱の渦の中を遊泳するかのように飛び回り、人々を突き刺し切りつけていく。通報を受けた警察が現場に駆けつけた時は既に『犯人』は立ち去った後で、念の為再襲撃に備えた厳戒態勢の中負傷者の搬送が行われ、現場検証及び辛うじて難を逃れた通行人達への聞き取り調査が開始された。
「空を飛ぶ刃物に襲われた・・・か。正直でっち上げと思いたいところだがこれだけ証人がいたら事実と認めざるを得んな。」
現場責任者を任されている警官はそう言いながら改めて辺りを見回した。至る所に血の飛び散った跡が残り特に死者が倒れ伏していた所には血溜まりが出来ている。
「ひどいもんですよ、全く。死者が数人で収まったのがせめてもの救いですね。」
そう言いながら補佐役が寄ってくるのを一瞥しつつ返事を返す。
「ああ、全くだ。本人や遺族にとっちゃあ最悪だが、何しろ下手するとこれ以上の大惨事になりかねなかっただけにな。犯人がド素人じゃなかったら『怪我人』がごっそり減ってるだろうよ。」
「その見立てでまず間違いないでしょうね。最初の二、三人程はまあ不意打ちみたいな感じでいけたけど、その後は滅茶苦茶に凶器を振り回すばかりだったので程度の差こそあれ命に別条無い怪我人がほとんどでした。」
犯人がもっと手慣れていれば負傷者が死者になっていたと暗に語る指揮官に補佐役は調査結果を報告がてら同意した。
「まあ問題はその『ド素人』がどうやって姿を消していたかなんだが、その辺の謎解きも含めてこの件は特科調に任せる事になるだろうな。とにかく連中がやりやすいように捜査を進めておくぞ。」
調査記録1 殺人迷彩
特殊科学調査班、略称は特科調。まだごく一部、或いはその知識を有するただ一人にしか知られていない技術や科学知識等を悪用した犯罪に対処する目的で設立され、通常では手に負えない事件が発生した場合の調査活動を担っている。かつては同様の役割を民間組織に委任していたが小規模な存在であるため地方で事件が発生した場合や複数同時発生の時などに対応が困難だったり、何より元関係者が立ち上げたとはいえ民間に頼ってばかりでは警察の面子に関わるという訳で内部組織の設立という事になった。そして今ではブロック分けされた地域毎に配置されている特科調の内の一つに先日発生した通り魔事件の調査依頼が持ち込まれた。まずは事件の概要確認のため全職員に召集がかかり、調査班トップの岸田上級調査官と男女各三人ずつ、計七名のメンバーが会議室に顔を揃えた。全員が席についたのを確認した岸田が特科調に応援要請があった事を告げ、続けて警官二名が現時点で判明している事実に関して説明を開始した。内容としては報道等で一般にも知られている物と変わりなかったが、引き続き捜査を継続して新たな情報が入り次第知らせるとの事だった。警官達が退出した後ひとまず現時点で得られた情報を元に考察が行われた。
「お約束の透明人間説は無しということでいいんじゃないか。」
「だな。技術的にハードル高すぎだし、まず無理だろ。」
「まだ刃物を遠隔操作していると考える方が無理が無いな。」
まず男性調査官達が立て続けに意見を述べた。この三人組は普段からつるんで行動する事が多く、それだけに息もよく合っている。発言内容の方も的外れというわけでは無く、人体そのものを透明化する技術は実用化とは程遠いのが実情で、仮に何らかの手段が発見されたとしてもその状態で生命を維持出来るかというと今の所は無理と言わざるを得ない。刃物をドローンに括り付けたりせず単独で飛ばすのも無茶振り加減で言えばどっこいどっこいと言えなくも無いがどちらかと言われるとこっちの方がほんの少しはましかも知れない。
「いやいや、それも十分無理でしょ。それなりに重い刃物を宙に浮かせて、逃げる人を追いかけるだけじゃ無くて切りつけるとかオーバーテクノロジーにも程があるんだけど?」
千間未嶺調査官がすかさず突っ込みを入れる。調査班メンバーの中でも随一の行動派で身体能力が高いが慎重さに欠ける所があり、『何処か怪我しているのがデフォ』とまで言われている。
「えーと、そうなると割と実用レベルに達していると言う事であり得そうなのは光学迷彩系でしょうか?以前に比べればかなり発達したというか、新規の技術が投入されているとも聞きますし・・・、あ、あの、詳しい事はまだ未確認ですけど・・・」
いささか自信の無さそうな口ぶりで平綾真理調査官が意見を述べる。その身に纏う小動物的な雰囲気による物か理不尽な言い掛かりの標的にされる事が少なからずあるが、その際のあまりにも見事でもはや芸術的とすら言える謝罪ぶりが絶妙に相手に罪悪感を抱かせるのか、かなりの剣幕で怒鳴り散らしていた相手が次第に逃げ腰になり終いにはもう十分だからやめてくれと哀願し始めるほどらしい。
「うーん、さすがに調査対象を絞るにはまだ判断材料が少ないわね。まあうちに話が回ってきたって事は、それこそ透明人間説も込みで何でもありと思って取り掛かるしかないんじゃないの?」
浦峰多実調査官が現状を踏まえた上での方針を提言する。彼女の場合は何故か意味不明な逆恨みが原因で嫌がらせを受けたり時には付きまといや襲撃の対象になる事もあり気苦労が絶えない。そんなこんなで三者三様の不運に悩んでいる事から『特科調の不幸トリオ』という有難くない通称がつけられている。
「ああ、そうだな。次の犯行を防ぐためにもさっさと調査対象を絞っていきたい所だが生憎手掛かりが少なすぎる。とりあえず現状と照らし合わせて明らかに食い違っている物を根気良く除外していくしか無いのが現状だ。」
そこで一旦言葉を切った岸田は軽くメンバー達を見回して発言を再開する。
「ただし調査を進めている間に犯人に好き勝手される事は何としても避けたい。そこで班を二つのチームに分けて今回の事件で使用されている技術の調査、そして現時点で可能な対策の開発を並行して進める事にする。大変だと思うが事態は一刻を争うので贅沢は言ってられない。では早速取りかかってくれ。」
岸田の指示に応じて行動を開始する調査官達。調査進行チームは最新情報を元に調査対象の絞り込みを続け、対策開発チームはとりあえず凶器の使用を妨害する、言って見れば対症療法的な方向で事に当たり、何らかの進展があればそれに対応する方針が決定した。
通り魔事件発生から数日が過ぎた。不要不急の外出は自粛するよう呼びかけられてはいるが、必要に迫られて出歩かざるを得ない人が少なからず居るのは避けられず、警察は巡回を強化している物のすべての範囲を一日中把握するのはさすがに不可能と言わざるを得ない。そしてこの通りにも警官の姿は無く人々は身に纏わり付く不安を振り払うかのように早足で行き交っていた。しかしその中に一人他とは異なる動きをしている者が居た。鞄を片手に時折スマートフォンを取り出して画面と周囲の風景を見比べる様子からどうやら何か用があって不慣れな土地に来たためナビ機能を頼りに目的地に向かっているらしい。そんなこんなで比較的ゆっくりしたペースで移動していた男がその歩みを止めた。しかし今回はスマートフォンを取り出す事も無く、何も無い空間から突然伸びてきて自らの腹部に突き立てられた刃物を見つめていた。しかしその表情には恐怖や驚き等の要素は全く見られずむしろ冷静に現在の状況を確認しているかのように見えた。その一方で力を込めて突き立てられていると思われる刃物はわずかに上着にめり込んだ程度で一向にそれ以上進む気配が無かった。さすがに何かおかしいと犯人が気付いた丁度その時男が口を開いた。
「こちら岸田、通り魔出現を確認。すぐに集まってくれ。」
先日の方針決定から程なく岸田及び調査進行チーム、更に応援の警官達が一般市民に紛れて警戒態勢を敷く事となった。とは言っても対象を発見出来ない状況で闇雲に探し回っても成果は期待できない。そこで対策開発チームがより有効な対抗策が出来るまでのつなぎとして特殊な機能を追加した金属探知機を作成した。『外回り組』に探知機を配布する際に未嶺から機能に関する簡単な説明があった。
「この探知機は一定距離内に存在する金属を検知するとその情報をモニターに表示します。もちろん全てに反応していては意味がないので予め条件設定を登録する事で反応する対象を絞り込む事が可能です。今回の場合は『大型の刃物』で絞り込みをかけています。更に反応の中に目視で確認する事が出来ない『本命』があればそれを追跡対象として登録する事で相手に気づかれず後を追う事も可能となります。」
外観はスマートフォンに似せてあるため反応を確認する際に怪しまれる恐れも無い。今回岸田が標的にされたのも言ってみれば犯人に不審感を抱かせなかったと言う事なので期待通りと言える。そして犯人の攻撃を防いだ防刃ベストも新規開発品で、こちらに関しては真理から説明があった。
「あの、こちらのベストは二層構造になっていまして、内側は柔軟性や衝撃吸収能力が高い素材が採用されています。そして外側の方ですが普段は内側に負けない位の柔軟性があります。ただこちらは大きな圧力や衝撃が加わった場合瞬間的にその部分の硬度が上がって体への被害を防いで更に柔らかいままの内側が衝撃を和らげます。また従来品と比べてかさばらないので着用していることが気づかれにくく、動きやすいので長時間着用しても体への負担が軽いという利点があります。」
確かに外見に不自然な点は無く、着用しての行動中も動きにくさ等は感じなかった。
(ここまではほぼ期待通りといった所だが、さすがに応援が来るまでただ突っ立っているわけにはいかないか。)
もちろんベストに保護されていない部分に攻撃を受ければただでは済まない。そしてそれ以上に重要なのが犯人に考える暇を与えれば応援が駆けつける事に気付かれ逃亡されてしまう点で、何としても目の前の問題に対処するだけで精一杯な状況に追い込まなくてはならない。岸田はすぐさまそのための装備を整え、反撃を開始した。まずは盾としての使用に耐えうる強度を備えたカバンを構えつつその中から伸縮可能な金属棒を取り出し一振りして一杯に伸ばす。外見は特殊警棒に類似しているが今回の件に特化してか握りのやや先に手を保護する為の鍔が付き、先端は十手のような形状になっていて相手の攻撃を受け止められる仕様になっている。あとは何とか応援が到着するまで現状を維持する事ができれば身柄の確保も決して不可能ではない。この二つの装備に関しては多実から説明を受けたが今はまだその機能を使用する必要は無い。
「さて、準備が整うまでしばらく付き合ってもらおうか。」
犯人の足止め目的で戦闘を始めたものの岸田はどことなく不自然なものを感じ始め、攻防を繰り返すうちに次第にその感覚は大きくなっていった。相手の攻撃は大振りかつ単調極まりないもので、こういった状況に不慣れな岸田でも容易く受け止められるもののその一撃は意外と重く、ナイフと言うよりも手斧のような手ごたえがあった。そしてこちらの反撃は一度たりとも手ごたえを感じる事は無く、それどころか掠める感覚すら無いままひたすら空を切り続けた。
(おかしい。こいつの攻撃は間違い無く素人レベルだ。なのに何故こっちの反撃はかすりもしない?見えていないから断言はできないがおそらく攻撃一辺倒で回避なんか考えてもいないはずだ。)
疑念を抱きつつも戦い続けていた甲斐あって次第に応援が到着し始めた。後はじりじりと包囲網を狭めて逃げ場をなくすだけだったのだがその前に犯人側の動きに変化が起きた。あれほどムキになって振り回していたナイフが突然その動きを止める。生憎開けた場所で戦う羽目になったのが災いして応援が接近してくるのに気づかれてしまったらしい。
「くそっ、感付かれた!計画変更だ、一気に詰めてくれ!」
岸田の指示に従って大急ぎで接近するメンバー達。もちろん彼らも探知機で犯人の位置を確認しながら寄って行ったのだが、あくまで特定可能なのは凶器のみであって相対的な位置関係がはっきりしない以上本体がどこにいるかは分からない。武装した姿の見えない相手を力づくで取り押さえようなどという無謀な試みはさすがにできず、結局包囲網が完成する前にすり抜けられ、追跡を試みたものの逃げ切られてしまった。岸田は暫くの間犯人の逃走を決定的なものとした入り組んだ路地を無念そうに見つめていたが、やがてチームメンバー達の方に向き直った。
「一気に決めてしまえなかったのは残念だが、今回起こったことは犯人の自信をぐらつかせるには十分な効果があったはずだ。恐らくこれで暫くは大人しくなるだろうからその間に何としても奴の正体を暴く。さあ、これから忙しくなるぞ。」
事態は一本の記録映像をきっかけとして動き始めた。岸田の読み通り『臆病風に吹かれた』と思われる犯人が鳴りを潜める中で調査班の面々は現場を再調査し、或いは回収された手掛かりの中に隠された決定的な何かを求めて解析に勤しんでいた。そして遂に真相に迫る手掛かりが発見された。
「チーフ、ちょっといいですか?」
いつものように総出で調査に勤しんでいる最中に多実が緊張した面持ちで岸田に声をかけてきた。メンバーの中でも特に冷静沈着な印象が強い彼女にしては珍しい事に感情を抑えきれない様子が滲み出てきている。何か決定的なものを掴んだらしいと感じ取った岸田は軽く頷いて見せて席を立った。岸田の到着を受けて、逸る気持ちを抑えきれない様子で多実がモニターに表示された画像に注意を促す。
「これは事件当時の防犯カメラの映像ですが、再調査を進める中で不審な箇所があると判明しました。」
前置きに続けて映像の一部に拡大をかけてみせる。そこには襲撃を受けた後と思われるスーツ姿の人物が横たわっていた。
「!これは…」
一目見た途端に岸田の口から驚きのあまり呟きが漏れる。その遺体には-普通に考えれば映像を見ただけで死亡していると断定できるものではないがこの例では『そうではない可能性』があり得ず-頭部が存在しなかった。ところが当日の記録によれば現場でそのような遺体は発見されていない。つまりそこから導き出される結論は一つだった。
「光学迷彩で確定と言った所か。」
「ええ。そう見て間違い無いでしょう。犯人が移動している最中にたまたま被害者の頭部が効果範囲内に入ってしまったと思われます。」
岸田の推測を即時に肯定した後、多実はやや不満げな一言を付け加えた。
「画面の片隅でほんの数秒間の事とは言え発見が遅かったのは正直納得できません。」
恐らく序盤から光学迷彩が有力候補として挙げられていたにもかかわらず今回の発見に至るまでに時間がかかったことに対して大いに不満があると思われるが、傍から見れば決して少なくない証拠の中から重要情報を見つけ出したことは十分高評価に値する。
「いや、決して遅くはない。寧ろ早期発見と言っても異論は出ないくらいだ。」
「そうでしょうか?それならいいのですが。」
岸田の返答に満更でもないのか多少多実の表情が緩んだように見えなくもない。それを見届けつつ岸田は言葉を続けた。
「早く情報を共有した方がいいな。招集をかけるからいきなりで悪いが資料の作成を頼む。俺はこの発見で的が絞れるようになったし更に調査を進めてみるよ。では取り掛かろうか。」
「あの、やっぱり光学迷彩…ですか?」
「ああ、資料映像と外見的特徴が一致する被害者に関しては確かに死亡が確認されたが、死因は腹部を刺された事による出血多量で、頭部は欠損どころか傷一つ無かった。つまりこの時は『たまたま見えなかった』と言う事になる。」
真理の確認に対して岸田が肯定するとそれに反応して三人組から次々に声が上がった。
「光学迷彩か。まあ一番無難な線に落ち着いたな。」
「しかし犯人は結構派手に動いてるよな。周りの景色と迷彩映像のズレとかどうなってるんだ?」
「そりゃあ初めはバレないようにじっとしてたんだろ。それから暴れ始めて騒ぎになっちまえばそんなの気にする余裕のある奴いないって。」
先走って話を進める三人組に向けて片手を上げ制止する岸田。
「生憎だが光学迷彩と言ってもお前さんらの予想とは別の方式だ。まあ話の流れも丁度良いしその辺りの説明から始めよう。」
そう言うと待機中の多実に対して合図を送り、頷き返した多実が口を開いた。
「光学迷彩と聞いて最初に思い浮かぶのはやはり周囲の風景を自らに投影することで見分けがつかない状態にする方法でしょうね。一方近年ではこの『保護色型光学迷彩』とは異なる視点からの研究が進められていて、それが『迂回型光学迷彩』と呼ばれている物なの。」
突然飛び出してきた新たな名称に一同困惑を隠せない様子だった。いったい何をどう迂回したら姿を消す事が出来るのか?そんな疑問にすっかり囚われている様子がありありと見て取れたが、未嶺がいち早くそれを表に出した。
「えーと、それってどういう…?とりあえず仕組みを教えてくれる?」
「そうね。簡単に言えば『光を遠回りさせる』という発想よ。」
多実はまず結論を示してから多少踏み込んだ解説を始めた。
「物質に光が当たった場合に発生する現象として主なものは反射と吸収だけど、もう一つ透過が存在し、透過する光の波長が多種類になるほどその物質の外見は透明に近付くわけ。結構古くから創作物等で人体に透過の性質を持たせる事で透明化する設定が見受けられるけど、技術的に難易度が高い上に仮に実現できたとして深刻な問題の多発が想定されるから今の所現実的ではないのよ。」
ここで待ち切れなくなった三人組が立て続けに口をはさみ始めた。
「いや、透明人間の実用化がハードル高過ぎなのは知ってるから。」
「そこで光学迷彩の出番だってのは予想ついてるし。」
「で、迂回型って何なんだって話。光が遠回りとか言われてもなあ。」
などという一連の割り込みが終了した後苦笑交じりに多実が説明を再開しようとした時、部屋の片隅で誰かが勢い良く立ち上がった。その音に反応して向けられた視線の先にはいつもの何となく自信なさげな様子とは打って変わって何かを伝えたくてうずうずしているのが丸分かりな真理がいた。
「分かりました。迂回ということはつまり対象物を避けて回り込むように光の動きを誘導して、半周したところで本来の進路に復帰させるという意味ですね?」
基本的には自己主張もほとんど無くどちらかと言えばむしろ引っ込み思案な真理だが思考の柔軟性と勘の良さはかなり高く、何かを閃いた時等は今回のようについつい披露してしまう事がある。そして我に返ったところで周囲の目に気付いて顔を真っ赤にしつつ縮こまるまでが一つの流れになっているが周囲も慣れた様子で、多実がそつなく後をつなぐ。
「今指摘されたように実際には対象物の周囲を光が迂回しているのだけど、傍から見るとまるで光がそこに存在する物体を素通りして直進しているように見えるから結果的に対象物の存在を視認することができないというのが基本原理なのよ。」
「あー、おおよその仕組みは分かった。で、肝心の所だけど、光の動きに干渉することは可能なの?」
未嶺が説明を理解した事を示しつつもっともな疑問を投げかける。いくら理論上可能だと言われてもそれが机上の空論に過ぎなければ話にならない。
「ええ、光の動きを誘導できる素材を用いた迷彩カバーの開発は進行中で、もしかしたら実用レベルの物がもう完成してるかも知れないわね。」
「えっ、そうなんですか?と言う事はもしかしてこの事件は開発関係者の誰かが…?」
多実の返答を受けて真理が流れ的にも当然と言える疑問を口にする。そしてそれに対する返答は多実ではなく岸田から発せられた。
「いや、その可能性はほぼ無いと考えてくれて構わない。その理由についてだがこの画像を見てもらえばわかるだろう。」
その言葉に続いて映し出されたのは一見切断されたように見える遺体の首の部分の拡大映像だった。
「実体のある迷彩カバーを使用しているのならその端が遺体に重なった部分に歪みが生じる筈だ。しかし実際には見ての通り…」
「境界部分は奇麗な円弧を描いている。つまり今回使用されたのは非実体形式の迷彩システム?」
未嶺の問いかけに頷いて見せつつ岸田が説明を続ける。
「既に話に出ている開発者は早期完成に向けて実体のあるカバーに絞って研究を進めているらしい。あくまで自己申告に過ぎないので裏で非実体形式も開発中の可能性が無い訳ではないが、別の人物が非実体形式のシステムについて触れているのが確認されたのでこっちが本命と見るのが妥当だろう。」
「別の人物?一体何者なんだ?」
「そいつが犯人か、それとも技術を売って稼いでいるだけか気になるところだな。」
「で、その辺はどうなんですか、チーフ?」
かなり食い気味に迫ってくる三人組を軽く手で制する岸田。ここから先は再び多実から説明がある旨を伝えつつ合図を送る。それを受けて多実は『もう一つの光学迷彩』についての説明を開始した。
「非実体形式の光学迷彩が実用化段階に達しているかも知れないとなって、チーフが過去に関連する記述や発表等が存在しないか調査を進めたんだけど、該当する案件が一つだけ存在したのよ。その人物は『擬似透過フィールド』というシステムを開発中で資金等の支援を求める告知をしていたんだけど、やっぱり突拍子もない話なのもあって反応は今一つだったみたいね。」
「だったら結局実用化は出来なかったって事じゃない?そうなるとさっさと他当たった方がいいかもね。」
早速冷めた反応を見せる未嶺。しかし多実はおもむろに人差し指を立てて左右に振って見せた。
「所がそうはならなかったの。この後に追加の書き込みがあって、資金不足でかなり苦労したが何とか開発に成功したって。そして自分に見向きもしなかった連中を絶対後悔させてやるって宣言してるのよ。」
「うは、迷惑な話だな。」
「いきなりそんな話持ち掛けられてほいほい金出すもの好き滅多に居ないだろ。」
「挙句の果てにどのみち出資話とか無関係な連中に八つ当たりとか終わってるな。」
三人組が『容疑者』相手に冷ややかなコメントを投げ掛けた後に真理が一つの疑問を多実にぶつけて見た。
「確かに動機という点では条件を満たしていますけど、本当にシステムの実用化は達成しているんでしょうか?その辺りについて何か触れていると助かるんですけど。」
「ああ、そのことね。さすがに技術盗用の恐れもあるし核心部分はぼかしてあるけど、基本概念みたいな形で軽く触れているわ。そしてその信憑性はかなり高いと思う。そこで今後の対応だけど、そちらについてはチーフから一言あるわ。」
多実の言葉を継いで岸田が未知の光学迷彩への対抗策に関して軽くまとめた。
「現時点で得られている手掛かりとしては、先日実際に接触した際の情報と容疑者による限定的な発表の二つがある。一先ずこれらから使える内容を洗い出して調査を進め、並行して新規情報の発掘も試みる。
チーム分けはそのままで外回り組と室内組で手分けしてくれ。それでは始めよう。」
岸田の発言の終わりを合図として調査班の面々は各々の役割を果たすべく行動を開始した。
打ち合わせから数日後。引き続き調査を進めつつ市内各所の警戒網も怠りなく維持されていた。
「チーフ、今日はどうですかね?」
「そろそろ犯人も我慢の限界じゃねえかな」
「俺もそう思う。もう暴れたくてうずうずしてそうな気がするぞ」
各々の持ち場で警戒に当たっている三人組が立て続けに岸田にメッセージを入れてきた。地味に待ち続けることに飽き飽きして何かひと騒ぎ起きないかという期待が露骨に顔を出している。
「滅多な事を言うもんじゃない。騒ぎが起これば一般市民に危害が及ぶかもしれないんだからな。」
三人組の不用意な発言に苦言を呈した岸田だったが、その一方でしびれを切らした犯人がそろそろ暴走すると推測はしていた。自身は一度犯人と遭遇していて万一顔を覚えられていれば発見即逃亡となる恐れもある。そのような事態を避けるため現場司令部としても機能する車両に籠って待機していたが正直なところ自ら積極的に動けない歯痒さは時間の経過とともに膨れ上がっていた。だが遂に長きにわたる忍耐が報われる時が来た。
「千間より総員へ、音源探知機に対象の反応あり。至急集結を要請します。」
「来たか。よし、みんな急げよ。俺も向かう。」
そう告げるなり岸田は装備一式をひっつかんで車から飛び出した。
「奇妙な音?」
「ええ、実は被害者の一人から気になる証言が得られました。」
多実から話を切り出された時点で速攻飛びつきたい衝動に襲われた岸田だったが何とか自制して先を促した。変に期待して結局無駄だった時の精神的ダメージは何度経験してもきつい上に後を引く。
「…内容は?もしも犯人に繋がる可能性が高いようならすぐにでも対応開始だ。」
「はい、では内容の説明に移ります。証言は最初の事件で負傷したものの幸い大事には至らなかった被害者から得られました。事件当時被害者が現場を通りかかった所やや離れた場所で騒がしくなり、それが自分のいる方向に近付いて来たと思ったら突然切り付けられたそうですが、この時かすかに『奇妙な音』が聞こえたとの事です。」
そこまで聞いた所で岸田の脳裏に犯人と対峙した時の状況が浮かぶ。もしも証言が正しければあの時自分もそれを聞いている筈だ。だが記憶に残るのは凶器と特製警棒がぶつかり合って生ずる金属音ばかりでその陰に潜む音は捕えられなかった。
「被害者からその音の具体的な特徴は聞き出せたのか?」
一縷の望みをかけた問いに対して多実は表情を曇らせる。当然ながら続いて出てきた返答はこういった場面で一番聞きたくない物だった。
「いえ、同じ音をもう一回聞けばそれと分かるとは思うとの事ですが…」
折角掴んだと思った事件解決へと続く糸はあっさり途切れてしまった。その事実に落胆しつつも何か打開策は無いか必死に考えを巡らす岸田。そして再び糸を手繰り寄せられるかもしれない可能性を見出した。
「そうだ、俺が犯人と遭遇した時の通信記録があるじゃないか。」
調査官の通信記録は事件解決の役に立つ可能性があるためデータベースに保管されている。しかも特科調の通信機はその目的に沿うようにかなり高感度のマイクを使用しているため微かな音も拾う事が出来、現状を打破する事も十分に有り得る。それに賭けようと決めた岸田は早速多実に指示を飛ばす。
「あの時の音声データを大至急解析してくれないか。問題の音も入っている筈だ。それさえ特定できれば事態は一気に進展する。」
「はい、早速取り掛かります。」
多実は指示を受けると早速今回必要な設備が整った部屋に向かい、音響解析用の機材に通信記録のデータを読み込ませながら応援の要請等の準備を進める。とにかくいつ犯人が活動を再開するか分からない状況下では一刻も早く目当ての音を見つけなければならない。極力手短に用意を済ませいよいよ時間との戦いが幕を開けた。高感度マイクが拾い上げた種々雑多な音から成るデータの海の中を当てもなくさまよい続け、疑わしい物を拾い上げては細かく分析する。このような地味で根気のいる作業を続けている内にいつの間にか思考停止状態で画面を眺めている事に気付いた。流石に負荷の大きい作業を続けた事で疲れがたまっていると感じた多実はすぐにでも休憩に入らなければならないと判断した。このまま続行したいのはやまやまだが注意力が鈍った状態で重要な手掛かりを見落とすような事があれば全てが水の泡になってしまう。中途半端に休んでも効果は望めないので応援に後を託すとある程度まとまった仮眠をとり、気力体力を回復させては作業を再開する。そういった繰り返しの末にやっとの思いでほぼ間違いなく本命と思われるサンプルを見つけ出した。後は被害者の記憶に一致するかどうか。それなりに自信はあるが確実にそれだという保証があるわけではない。ある程度の不安を抱きつつ多実は確認を取るべく被害者の元へ向かった。その後岸田のもとに報告に来た多実は疲労の色を濃く漂わせていたが、あからさまに綻んだ口元を見ればそれに見合うだけの収穫はあった事が窺える。
「特定できました。被害者の記憶とも一致しているとの事です。」
「そうか、よくやってくれた。しかし事件解決まで気を抜く訳にはいかない。すまないが休息をとりつつ引き続き調査にあたってくれ。」
多実を労いつつ指示を与えると次に成果を生かす為に開発担当の真理を呼び寄せた。暫くすると真理が大慌てで入室してくる。
「すみません、お待たせしたでしょうか?」
「いや、そこまで慌てる必要は無い。トラブルの原因になっても困るし、もう少し落ち着いて行動した方がいいだろう。」
岸田の指摘を聞いて確かにその通りだと思ったのか、ひとまず冷静になろうと目を閉じて深呼吸してみるあたりいかにも真理らしい反応ではある。ともあれ本人なりに落ち着きを取り戻したらしい真理が改めて要件を尋ねた。
「もう大丈夫、だと思います。どのようなお話でしょうか?」
「つい先ほど浦峰さんがある音声データを見つけ出した。犯人の『道具』の作動音だろうっていう代物だ。こいつを活用して何か対抗手段を作って欲しいんだが、何か案はあるか?」
岸田に問われた真理はしばらく思案していたが程なく結論に達して返答を開始した。
「そうですね、さすがにこの情報だけでは作動妨害系の機器を開発するのは難しいです。今の条件で最善な選択肢は現行の金属探知機に代わる物として新たに音源探知機を作る事でしょう。これまでより識別精度の向上と、より正確な位置の特定が期待できます。」
「そこまでいけるなら上等だ、早速取り掛かってくれ。急ぎの要件ではあるが一定以上の性能は確保で頼む。」
岸田の指示を受けた真理は開発すべき機器の概要をまとめ、その力が必要になりそうな『外部顧問』に応援を要請した。特科調は多岐にわたる科学犯罪に対応する必要があるため専属調査員のみでは知識や技術を賄いきれない事がある。そういった事態に対応する目的で、必要に応じて外部の専門家の助けを得られるように各種研究者や技術者等との連携が確立している。今回もその伝手を頼ってある時はオンライン、場合によっては直接指導を受けて開発を進めて最終的に満足のいく性能を発揮できる機器が完成した。
追手から逃げ惑いつつ、犯人は何とかして現状を把握しようと苦心していたが自分の作品に対する自信をあまりにもあっさり崩された衝撃は大きく、その現実を受け入れることを無意識の内に拒否していた。
前回の襲撃の際も位置を把握されている感はあったがまだまだ手探り状態という印象が強くそれ程苦労する事も無く逃げ切れた。しかし現時点でその精度は格段に向上しており、その事実は犯人の焦りと苛立ちをこの上なく煽り立てていた。それでも必死になって追跡を巻こうと試みたがただいたずらに逃げ回っているだけでは追いつかれて確保されるのも時間の問題と悟ってついに切り札を使う事にした。元々の予定では群衆の中に投げ込みまとめて始末するために使うはずだった手製の手榴弾を落として先を急ぐ。程なくして後方で爆発が起きて少なからぬ人数が巻き込まれたようだった。それなりの装備を身に着けているようなので死人は出ていないかも知れないが範囲にいた全員の病院送りは確定だろう。ダメ押しにもう一回手榴弾を落としつつ薄ら笑いを浮かべる犯人の脳内では次回に向けての構想が次々湧き上がっていた。直に人体を切り裂く感触を味わえなくなったのは残念だが爆発物を用いた範囲攻撃もそれはそれで楽しめる。今回は見送ったが金属片やガラスなどを仕込めば一層派手な光景を堪能できるだろう。見回りの連中に察知されないように遠距離から攻撃できるグレネードランチャーも作成しよう。それから…
襲撃から一週間以上経過していたが犯人は不気味な沈黙を保っていた。その理由について様々な憶測が飛び交っていてある者は結構追い回された事に怖気づいたと結論付け、またある者は本腰入れてより完璧な迷彩装置を目指して改良に勤しんでいると考え、仕舞いには活動拠点の変更も兼ねて国外逃亡したのではないかという説も飛び出した。しかしいずれも所詮は推測に過ぎず事実が明らかにならない以上警戒を怠る訳に行かなかった。巡回する私服警官の人数は徐々に減ってきているがそれを補う形で防犯カメラとセットになった音源探知機があらゆる場所に設置されている。何か異常が検知された場合に備えて特科調は24時間体制で警戒を継続しているが先の見えない展開の中流石に疲労の色が見え始めている。
「お疲れ様。何か異常は…、まあ聞くまでもないわね。」
「この分だと引継ぎも簡単に済んじゃいそうね。」
監視要員の交代のため多実が相方を伴って監視用機器が設置された部屋を訪れる。ここでの業務は二人一組の八時間交代で、その一方が一時間交代で監視を担当し手の空いた方は基本的には休息をとり動きがあった場合は補助担当に回る。今まで監視にあたっていた未嶺が伸びをしてから席を立ち、その相方が多実達に会釈を返す。
「まあ、身も蓋も無いけど仰る通りだよ。何もなさ過ぎて拍子抜けする位。」
「それ自体はいいことですけど事件解決の糸口が欲しい身としては複雑ですね。」
等といったやり取りをかわしつつ引継ぎを進めていると岸田が姿を現した。
「お疲れ。淡々と交代している所を見ると特に進展は無さそうだな。」
「ええ、平和なのを喜ぶべきか、解決の目途が立たないのを嘆くべきかといった感じですね。」
多実の返答に渋い表情で頷いて見せる岸田。その様子を見ればお世辞にもいい状況とは言えないのは明らかだが、空気を読まない性質の未嶺が軽い調子で水を向ける。
「ところでそっちの調子はどうです?あの擬人化フィールドを何とかしようっていう。」
「擬似透過フィールドだ。無力化まではいかなくてもせめてある程度弱体化できればいいんだが結局そのための手掛かりが不足しているからな…。」
警戒と並行して岸田や真理が中心となって擬似透過フィールドそのものへの対抗策を模索しているが、ここまでに得られた情報が不足気味な事もあって現状ほとんど進展は見られない。
「流石に今になって内情ばらすようなミスはしていないだろうが過去ならあるいはと思ってネットを探ったりもしているんだが今の所成果無しだ。」
「やはり何の動きもないのは痛し痒しですね。」
岸田は苦笑いを浮かべつつああ、そうだな。と返し、持ち場に戻る旨を告げると軽く片手を上げて部屋を後にした。それを見送ってから多実の相方が口を開く。
「向こうも色々大変そうね。にしても犯人は今頃何してるんだか。」
「さあ。この前はかなり危なかったみたいだし弱気になっているのかも。」
未嶺の相方がそう返すと続いて未嶺が何か閃いたと言いたげな顔をして後に続いた。
「あー、今ふっと思い付いたんだけどさ。もしかしたら犯人が逃げる途中で何か事故が起きたんじゃない?それで実は…」
唐突に発言が打ち切られる。その不自然な中断から未嶺が不謹慎な結論に至っていた事は容易に窺い知れ、場が気まずい雰囲気に満たされる。
「…実は自分が犯人だとばれないかびくびくしながら入院生活を送ってるのかもね。」
「あー、そうそう、それよそれ!いやー、なんならその間に捕まえられたら言う事ないよね、あはは…」
いかにもやれやれといった感じで多実がフォローを入れ、どんな手を使おうともこの空気を何とかしようと食いつく未嶺。必死で頑張った甲斐あって何とか和らいだ雰囲気の中引継ぎを済ませて未嶺組は帰宅の途についた。それを見送った後モニターの監視を始めつつ、多実は先程のやり取りを思い返していた。
「…まあ、入院中の線はまず無いか…」
「はい、何ですか?」
無意識に漏れ出た呟きを聞き返されて何でもないと返した後も声にこそ出さないが考察は続いた。
(結局何もなかったり軽症の場合は除外するとして…もしも身動きが取れないほどの重傷を負ったとしたら自力で帰還することはもちろん助けを呼ぶ事も出来ないかも知れない…)
そこまで考えた所でさすがに無理があると考え直したがその一方でそんな展開も全く有り得なくは無いという思いを完全には捨て去れずにいた。とは言っても今は職務に専念しなくてはならないためあれこれ検討するのは休憩時間になるまでお預けにせざるを得なかった。
「で、次はこの周辺の捜索か?」
「そういうこった。今更探して何が見つかるってんだかな。」
「まったくだ。でもまあ無駄だろうとは思うがだからって手を抜いたら万が一ばれた時面倒だし仕方ないよな。」
等と愚痴をこぼしつつも手分けして捜索を開始する三人組。多実は先日の職務中に休憩時間を利用して検討を重ねた結果、前回取り逃がした後の犯人の足取りを改めて調べるよう岸田に進言して見る事にした。なお流石に逃走中の犯人が何らかの事故に遭ってそのまま力尽き…などという、悪い言い方をすれば『ご都合主義もいい所の憶測』を理由として挙げるのは無謀にもほどがあるという判断から『慌てて逃走している最中にどこかに痕跡を残しているかも知れない』という言ってみれば無難なものにとどめておいた。それを受けた岸田は多実の真意に薄々感付いてはいたものの現状を何とか打破するきっかけが欲しいところでもありその案を承認、膠着状態が続いていたのを逆手にとって警戒に当たっている人員の一部を捜索にあてるという思い切った策に踏み切った。その結果今日は三人組が捜索を担当することとなりこうして予定地域に来ている。
「じゃあここから始めてそれぞれ受け持ちの範囲を調べるぞ。」
「でもって何も異常無いのを確認したら一旦ここに集合して確認とって帰る、と。」
「そろそろ始めるか。また後でな。」
簡単な打ち合わせを済ませると各々の受け持ちを淡々と進め始める三人組。そこからさほど離れていない所をハエが一匹飛んでいたが三人の内誰一人として気付く者は居なかったし、もし気付いたとしても別段気に留める事は無いだろう。しかしもしその動きに注意を向ける者がいれば明らかに普段とは異なると断言出来るほどに露骨な差がありその進み方に一切ブレは見られずひたすら目標に向かって先を急いでいたがその前方にはこれと言ってハエの興味を引きそうな物は見当たらない。しかしある地点に来た途端に何の前触れもなくその姿が消え失せた。すぐそばには急な斜面があり、見上げた先にある峠道は先日の事件現場に通じていた。もしあそこから転落したら死に至らないとしてもかなりの重傷を負うと見て間違い無い。ハエの消えた辺りからは不快な羽音が響いていたがそれは数匹程度のものではなく、おびただしい数がそこにある何かに群がっているおぞましい様子が容易く想像できた。そして引き寄せられるように新たなハエが一匹、また一匹…
「怪奇大作戦」的な感じを目指して作成。チーフの名前は出演した俳優さんから。