京都大学 橘
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同日の昼近くに橘と清水は京都大学の研究室にいた。原田女史に呼ばれたのだった。
昨晩深夜に送った資料を元に、原田女史はなんと当日の昼までに報告書をまとめてくれた。つまりは早朝から数時間で資料分析に対応したことになる。この辺が天才なんだろうなと改めて感心する次第である。
徹夜続きで、大学に来る時間も惜しかったが、オンラインで流せる内容ではないとの事と、原田女史も内閣府まで行く時間がもったいないとのことで、依頼主のほうが行くしかなかった。
原田女史と面会して橘は思った。彼女は相変わらずの不思議ちゃんぶりで、どう考えても少なくとも2日前から同じ白衣を着ている。実際は何日間も同じ服かもしれない・・・
原田女史は分厚い英文の報告書を取り出して、橘に渡す。これを数時間で作成したのか・・・
そして、唐突に話を始めた。
「報告する」
「4月25日、8時28分に経度35度37分緯度139度46分。高度53km、高度については精度が落ちる。衛星画像からの推定精度によるものだからだ。その地点に特異点が発生」
「とくいてん?何ですかそれは、」
「ブラックホールの特異点。そこからある物質が光速に限りなく近い速度で、地上に落下した。地上に落ちるまでに著しい減速あり、お台場に落下する際には秒速18975㎞を記録」
「ありえない速度だ」清水がうめく。
「速度はエネルギー量から逆算した。減速した理由はそのままだと目的地から逸脱するので止まるように制御されていたと考える。そして非常に硬い物体。おそらく作られたもの」
「作られたって誰が作ったんですか?」
「宇宙人」
「・・・・・」
清水と橘は顔を見合わせる。いったいなんの話だ。
橘は原田女史との会話は早々にギブアップし、清水が中心となり会話したが、それでも専門的な話を理解するための質問が多かったため、打ち合わせは2時間以上もかかり、女史は閉口していた。女史にとって、時間は一分一秒も無駄にしたくないようだ。その分を研究に費やしたいらしい。
その会話を要約すると次のようになる。
宇宙にいるだろう知的生命体が地球に来るためには、少なくとも4光年以上かかる。これはもっとも太陽系に近い恒星、ケンタウルス座α星でも地球からは4光年離れているからだ。つまり仮にそこに知的生命体がいたとしても、光の速度で4年かかる計算となる。
α星以外となるとさらに遠くなり、時間もかかり、恒星間旅行などは不可能と言われている。ホーキング博士もこういった観点から恒星間移動は不可能であると言明しており、現在のUFOなどは宇宙人である可能性は低いとの説を唱えている。
光の速度を超える速度で宇宙船が飛ぶことは不可能であり、これは相対性理論でも言われているそうだ。相対性理論では光を越える速度は存在しない。ましてや光に近い速度を作り出すことも不可能と言わざるを得ない。人類が作り出せる最高速度もロケットの4万㎞がいいところである。ちなみに光速は約10億㎞となる。
よって通常の飛行ではない方法を考えなくてはならない。リサランドール博士などが提唱している現在の理論物理学に余剰次元やブレーンといった考え方がある。つまりは距離を超越した次元が存在するといった考え方である。これは余剰次元を使えば距離を無視した移動が可能であるということを意味している。映画や小説に見られるワープ航法なども実現可能となる。
そしてこれからは原田女史の理論となる。彼女は重力というものが量子力学で言われているように重力波であるとして、それは余剰次元を通じて伝搬していると考えている。よって重力のみが波として捉えることが出来ていない理由だ。光は光子というものの存在が言われている。そして重力波を極限までに高めることで物体も余剰次元へ移動できる。これはブラックホールに特異点があり、物体がそこに吸収されることと同義である。
宇宙人は時間と距離の関係がない余剰次元と特異点の利用を考えたのだ。
ブラックホールを人工的に作成し特異点を作り出す。宇宙人はその特異点を利用して、瞬間的な次元移動、恒星間移動を可能としたのだ。また、宇宙船には宇宙人はいない、これは無人の宇宙船であり、宇宙人は遠隔操作と基本は宇宙船のAI(人工知能)が動かしている。衝撃に肉体は耐えられないだろうというのが女史の結論である。
ただし、今回は実験段階であり、特異点の制御が不完全であったと思われる。結果として特異点のポイントがずれてしまったのだ。地球の上空で特異点を作成してしまい、地上に落下することになってしまった。本来は太陽系の宇宙空間での特異点発生により、太陽系の恒星や生体系を観測する目的だったと考える。また、宇宙の広さを考慮すると、特異点から地上に落下するといった現象は非常にレアケースであり、成層圏に特異点が出来た場合も地上に向かってしまったことは確率的にもありえないことかもしれない。そういったありえないことが連続で起きてしまったこととなる。
24日の早朝、お台場上空50kmに特異点が現れた。通常、隕石などは地球外宇宙から来るため、あらかじめ観測が可能だが、いきなり成層圏に発生した高速な物体の観測は出来ない。今回は偵察衛星からのピンポイントデータで特異点については確認されたが、通常は見過ごされてしまうものだ。原田女史が想定した地点を集中的に調査することで発見できた。女史は特異点の発生個所を震災のエネルギー量と爆発の状況から逆算したそうだ。
特異点生成から地上に宇宙船が落下するのに0.2秒とかかっておらず、さらに落下の衝撃で落下地点から周囲30kmの構造物は瞬時に崩壊したため、この地震の状況は測定器などで観測できなかった。地震計からの発信がなかった理由はこの速度のためである。捉えた瞬間に測定器類が無くなったこととなる。よって、衛星と遠方地点からの情報でのみ、落下以降の状況は確認できた。
落下の衝撃により、地殻に大きな衝撃を与え、関東で発生するだろう最大直下型地震の3倍の地殻変動が発生した。その結果、マグニチュード10を超える地震が発生し、さらに落下の衝撃波は大型の核爆弾をはるかに超える破壊をもたらした。地震で残った建物もこの衝撃波で粉々に破壊された。本来マグニチュード10に耐える建造物もこの衝撃波で破壊された。
そして宇宙船は地下30㎞で留まった。宇宙船のAIは現在の位置が求めた地点ではないことを認識しており、本来の目標座標を目指して、再計算と再設定を開始した。結果として落下から52時間後に再度、特異点を生成しようとした。
その結果が地中内でのブラックホール生成現象である。東京はブラックホールに飲み込まれ、完全に消滅した。半径30kmの範囲で物質が消失したため、周囲60kmの物質がブラックホールに引き込まれて、地すべり現象が発生した。これで、東京は事実上消滅し、海となった。
原田女史の話をわかりやすく要約するとこういった内容となる。実際はもっと複雑な話をされたため清水ですらよくわからなかった。しかし地球にとっては今回の事件はまったくもって迷惑な話となる。
原田女史の目指すところは、こういった理論の確立と証明であり、出来うるならば彼女自身がこういった実験をしたかったそうだ。橘が話す。
「しかし、そんな実験をおこなって、他の惑星に甚大な被害を被らせていいんでしょうか?」
「いいわけない」
「まったく、何のためにこんなことをやってるのか・・・」
「それについては、科学者を代弁してひとことある。科学の発展のためにこういった実験は不可避なんだ。試行錯誤という言葉通り、やってみてうまくいかない、改良するといった行為が科学には必要不可欠でね。最初から問題なくすべてうまくいくようなことはない。原発事故だってそうだ。事故後、教訓として科学者が対応したことがこれからの科学の発展に役立つ。そういった観点からも評価してほしい。危険性ばかりを報道するもんだから、原子力開発などもってのほかになってる。危険なものをすべて排除していくと科学に進歩はない。原子力発電も止めることは簡単だが、今後、人類が原子力を利用しないことの不利益は計り知れない。核融合などの次世代エネルギー開発は大幅に遅れている。リスクを除去する方法を見つけることはもちろん重要だが、言い方は悪いが新しい科学技術を作り出すために一定の犠牲はやむを得ない。いままでもそうやって、人類は進歩してきた。蒸気機関、飛行機、原子爆弾、残念ながら、多大な犠牲のもとで成り立ってきた。このまま、危険を考えて停滞していたら、人類が恒星間移動を果たすことはどんどん不可能になる」
「しかし、一千万人もの犠牲を出していいわけないでしょ」
「そのとおりだ。リスクをどうやって排除するかを、考えないとだめだ。これは私にも戒めになる」
橘は感情を抑えられない。この憤りをどこにぶつければいいのか。清水が質問する。
「宇宙人のAIだったら、惑星に墜落したことを理解できなかったんでしょうか?」
「多分、想定していなかったと思う。宇宙空間の大きさと比較して惑星は限りなく極小、いわばチリのような大きさだ。さらに知能を持つ生物がいる惑星となると、それこそ、天文学的な確率になる。よって考えなくてもよいぐらいだ。懸念事項から除外したと思う」
「つまりは宇宙船のAIは無人の惑星に不時着したとしか思っていないということですか?」
「多分、そのようにプログラミングされている」
ここで、原田女史がおもむろに話を始めた。
「報告書はここまでとしたが、実際はこの続きがある。口頭でしか、話せないので来てもらった。落ち着いて聞いて欲しい」
今まで飄々と話をしていた原田女史の顔つきが変わった。橘と清水は顔を見合わせる。
「さらに迷惑な話がある。これからの話を報告書にすると大変な事態になってしまうので、文書にはしていない」
「はい、なんでしょうか?」
「今回のブラックホールでの特異点作成は失敗している」
「え?」
「宇宙船は新たな特異点を生成できていない。そのまま地球に留まっている」
「そうなんですか?」
「私が計算した限り、今回のブラックホールの規模では特異点は作れていない」
「はい」
「それで、宇宙船のAIは再計算と再設定をおこなっている。再度、特異点を生成するつもりだ。いや、ひょっとすると今回のブラックホールは単なる試運転だったかもしれない」
「・・・・」
橘と清水は絶句する。橘が話す。
「じゃあ、もう一回ブラックホールが発生するんですか!」
「そうだ。それで問題は次にブラックホールを生成すると、地球ごとなくなるはずだ」
「・・・」
「東京が消滅する程度のブラックホールでは特異点は作れない。少なくとも地球を一瞬で飲み込む規模でないとうまくいかないはずだ。私の計算上はそうなる」
「なぜ、そんなことに・・・」
「おそらくだが、次こそは本稼働で適正な位置へ移動するはずだ」
「宇宙船を作った宇宙人はこれを制御できないんですか?」
「さっき言ったように光速で4光年以上はかかるんだ。電波も同じで4年以上かかる。よって宇宙人は宇宙船の再計算すら理解していないはずだ。すべてAIが自律して作業している」
「どこまで迷惑をかけるんだ・・・でも宇宙船は本当に残っていて、再稼働を目指しているんですか?」
「私の計算だが、確率でいうと98.9%以上間違いないと出ている。1.0%は宇宙船の故障発生確率だ」
「うーーん。なんとか出来ないのか・・・それで、次にブラックホールが発生するのは、いつになりますか?」
「前回の落下から、ブラックホール生成期間にかかった時間と同程度だと思う。AIの設定スピード自体に大きな変化はないはず」
「ということは、あと概ね2日で人類は滅ぶことになりますよ」
「そう。正確にはあさっての朝だな」
原田女史は人類最後の日を淡々と話す。
「宇宙船を破壊することはできないんですか?」
「特異点の通過にも耐える物質を破壊する方法を今の人類は持っていない」
「・・・・・」
考え込んでいた清水がおもむろに話す。
「原田さんの再ブラックホール起動の確率を合計した場合、0.1%が残ってますが、これは何ですか?」
清水の質問に原田は不敵に笑う。
「よく計算したな。すべての物事には想定できないことが存在するものだ。不確定要素だな。そういう意味では奇蹟かな・・・」
「0.1%の奇蹟か・・・・」
手がないのか。しかし、これをどうやって報告すればいいのか。ここで、清水が質問する。以前から疑問に思っていた点らしい。
「原田さんは当初から今回の事象に気づいていたように思います。そうでなければ、今回の調査依頼項目を正確に選定できないと思うのですが、どうしてわかったのですか?」
「ああ、簡単なことだよ。まず、最初の落下現象は地震と衝撃波のエネルギー量から判断した。間違いなく、何らかの落下物がお台場の地中まで到達した。そうでなければ、地震と衝撃波は起こりえない。衝撃波成分にソニックブームも観測されてるしな。ソニックブームは超音速の物体に対して衝撃波が発生する現象だ。次に隕石であれば、宇宙から地球に到達するまでになんらかの痕跡が残るはずで、それがなかったとなると、成層圏から地上の間で何かが発生しないとならない。衝撃のエネルギー量とその後の被害伝搬状況、さらには2回目のブラックホール生成の位置から突入角度も計算可能となる。結果として発生高度と位置が推定できた。位置はほぼ間違いないポイントなので確認のため、該当空域の調査を依頼した。結果としてブラックホール現象が起きていることが観測され、人工的に、人工という表現はただしくないな。宇宙人が現象を生み出したことが確定された。人類はそこまでの科学力はないからな。総合的に判断するとこの結論しかないことになる」
「なるほど、そういわれるとそうなりますね。しかし、我々に解明することは無理だな」
原田女史が話す。
「それでこれからやってほしいことがある。私の話は机上の空論かもしれない。まずは宇宙船の存在を確認することが必要だ。宇宙船がなければ、私の計算ミスということになる」
「可能性があるんですか?」
「ない。しかし、何事も観察と証跡が重要だ。非常に低い確率だが、私の計算ミスということもありうる。さらにこれを海外の専門家に判断をゆだねることはできない。世界的なパニックが起きるからな」
「宇宙船の探査も秘密裏におこなう必要がありますね」
「それはどうかな。痕跡を観測することはそれほど、各国にとっても奇異なことでもないだろう」
「わかりました。探査してみます。原田さんの計算違いを切望します」
「うん、おそらく、これも0.1%ぐらいの確率だがな」
この人は自分に絶対的な自信を持っているんだな。ここで、橘が素朴な質問をする。
「原田さんはこれからどうするんですか?」
「研究を続ける」
「でも、成果はどこにも残せないですよ」
「関係ないな。死ぬまで研究は続ける。明日、死ぬからやめるようなものでもない。それが私の生き方」
ある意味、凄い人だな。橘も同じように生きていくしかないなと腹を決めた。こんな状況でも0.1%の奇蹟がおこることを期待するしかない。




