『魔導書』編 『魔導ノ黒』
『解読する者達』の子孫――
暑さから逃れるために目深に被ったフードの奥、彼の視線の先には、かつては美しい都市と言われていた場所が見えていた。廃墟化が進み、土地特有の植物が群生。蔦が建物に絡みつき、壊してしまうのは何度も見たが、蔦は人の形を作り、この都市の最後を表現する様に存在していた。
逃げ惑う人達の間を縫う様に歩き、目的の古い図書館前に辿り着く。大きな扉をゆっくりと押し、建物が作る濃厚な闇の中へ身体を滑り込ませる。
小さな灯りを頼りに深部へ向かって歩いて行く。管理者を失った内部は厚く埃が積り、老朽化が進んだ箇所では雨漏りにより水溜まりが出来ている。倒れた本棚と散乱した本を見ながら歩いて行くと少し開けた場所に出た。
建物の傷みと傾きによって、その部分には陽が射し込んでいる。照らされていたのは円を描く様に積まれた黒の背表紙の本。その中を覗くと中心に古い紙が一枚置かれていた。
積まれている本をゆっくりと動かし、円の中へ入る。
黒の塗料で八つの目が描かれている白磁の面を取り外し、置かれていた紙を拾い上げ、読み始めた――
色鮮やか植物と豊富な水。豊穣は人々を満たし、巨大な尖塔が並ぶ白亜の城を中心に町は広がっている。近隣国から羨む声はあったが、侵略しようとする存在はいなかった。何故なら、この都市には嫌な歴史があった。過去の話が真実と証明出来ているわけではないが、ただ、その出来事を完全に否定するだけの材料が存在しなかった。
複数存在する町の中には必ず地下へ繋がる道があった。一般人の侵入は決して許されない地下空間に潜る、それを生業にする人達がいる。少しの油断でも命を落とす危険な場所でも、この職業を選ぶ人は多い。理由は資格が必要無い。悲惨な過去、人間性に問題がある、社会性が欠如している、上げればキリがないほどの理由を一切考慮せず、希望があれば受け入れる体制だった。社会から零れ落ちてしまう人達の救済と言えば耳障り良く感じるが、実際は真逆であり、どんな人間でもいいから、この土地の過去に関する情報を入手したいという特権階級らの考えだった。
そして――
地下空間から三十四冊目の書物が発見された。
どんな仕組みなっているのか分からないが、黒の背表紙の中で何か蠢いていた。厚みのある本は真ん中のページのみしか開けず、そこに書かれていた文章は非常に短い内容だった。
『楽園は闇に飲み込まれる』
この一文だった。書物を『解読する者達』は、楽園がこの土地だと考え、闇が一体何かと調べ始める。過去から関連する出来事を見つけ出すが、飲み込まれるという結果に辿りつけなかった。
しばらくして、突然現れた存在により楽園は闇に飲まれた。
その姿は非常に醜かった。鱗が剥げ、腐肉の鈍い赤色と匂い。溶解した部分から流れる体液が放つ酷い悪臭に蝿が集まってくる。蛆が蠢き、新たな命を生む腐敗の土壌と化していた。死が近い竜の腕の持ち主は、美しい顔の四姉妹。並ぶ様にして顔を持ち、全員が頬を紅潮させ、目尻が下がり、何かに興奮している様子だった。
名も無き四姉妹は露出の多い黒のドレスを着て、均整の取れた身体と異物の竜の腕を引き摺りながら闇を放出していく。全員が長く美しい金髪だったが、部分的に引き千切られており、その部分から血が流れていた。
その姿を見た特権階級らは、先祖から内々に引き継がれていた話を思い出した。この場がもう危機的状態だと判断し、逃げる準備を始めた。
過去、この美しい都市は悪竜に狙われていた。闇の力を使う竜はゆっくりと夜の闇に紛れ込ませる様に力を使っていき、浸食していった。絶望は希望も同時に生み出した。
悪竜に対して有効な魔導書。『魔導ノ黒』を使用出来たのは魔力が強い四姉妹だけだった。決して一人の力では使用出来ず、四人の力を合わせることでようやく力を引き出せた。
姉妹達は竜に闘いを挑む。
闘いは熾烈を極めた。互いが使用する力も一時は均衡を保っていたが、それは悪竜の遊びでしかなかった。あっという間に危機的状況になった姉妹達。長女が提案をする。
外側からの攻撃で無理なら内側から――
『魔導ノ黒』には更なる異能があった。肉体と魂を一時的に切り離す、魂は自由に動くことが出来る。その際には必ず血族が肉体に魔力を注ぎ続けることで死を回避出来る。
一番能力が高い長女が、妹達に見られながら魂を切り離す。竜の内部に侵入しようと移動した瞬間から長女の身体に魔力を注ぎ始める。
一時も絶やすことなく、必ず姉が戻って来ると信じながら。しかし、現実は残酷だった。死を回避するために行っている事が四姉妹全員を繋がる、それを利用した悪竜が残りの妹達も引き込んだ。竜の精神世界は怒り、悲しみ、愛、恐怖で渦巻いていた。そして、生まれた理由も知った。竜はこの都市を守った男だった。
特権階級らが異界から呼び寄せた存在、この世の全てを支配する力として。
結果、自分たちでは制御出来る力ではなかった。一人の男が竜に戦いを挑み、封印するところまで追い込んだ。その一瞬の油断で竜に飲み込まれ、身体の一部にされてしまった。魂を同化させないよう必死に抵抗し、竜の動きを止めていた。
それも男の力が弱まり、悪竜が再び動き出した。不思議な事に男と竜は和解している。竜の性別は女性で、男に好意を抱いていた。魂の力がこれ以上弱まることを恐れたことで動き出したと。四姉妹は男と竜の提案を受け、片腕に『魔導ノ黒』を封印。『楽園』を闇で飲み込んだ。
読み終えた彼は一つ溜息を漏らす。
此処か―― 目的の場所は。
紙から視線を外した時から感じていた気配が強くなった。
重たい物を引き摺る様な音が少し離れたところから聞こえてくる。その音が止まる。陽射しがある場所には入れないようだ――
「無理をしないで下さい……私が近くまで行きます」
黒の背表紙の本で作られた円から出て、光と闇の境界に立つ。
「貴方達の願いは必ず叶えます。お願いします、私に『魔導ノ黒』を渡してもらえませんか?」
初めて聞く言語での会話が闇の中から聞こえる。しばらくすると竜の腕が伸びてきた。私は優しくその腕に触れ、右腕に『魔導ノ黒』が移動したのを感じた。次の瞬間、竜の腕が崩れ、闇の中から四姉妹の顔が浮かび上がった。少し笑みを浮かべ、そのまま消えた。
回収した魔導書を体内に存在する書庫で整理する。
私は――
私という存在は――
肉体を持たない。この身体は都合良く使わせてもらっているだけ。そして、もう用済みになった。以前に回収した魔導書が必要な世界がある。『魔導ノ黒』の洗浄を行いつつ、世界移動をしよう――
唐突に全身の力が抜けた様に倒れた男。床には衣服しか残ってなく、肉体は全て砂金に変わっていた。それも空気に触れた途端に黒く変色し、嫌な臭いを放ちながら液体となり、床に染み込んでいった。




