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『命ノ取捨』の杖

 空は曇り、地上に届く陽光はわずか。土地は荒れ果て、人々の営みは少し前に崩壊していた。

 冷たい風が吹く。その中には嫌な臭いは無い。死によって生まれる腐敗臭が一切無い。

 生前のまま、眠るように転がっている人達。

 時が止まった様に存在する者達に、私は杖を傾ける。先端の紅い宝玉が光を放ち始める。その光が転がっている者達の身体に吸い込まれる。


 これで、この辺りは全て終わったな――


 光を吸収した初老の男性。皮膚の下を赤い光が移動し、心臓の辺りで止まる。何度か明滅した後、光は消えた。


 私は周囲を見渡す。

 古びた街並み。外れには教会が在った。この辺りの人達は信仰深かったのか、集中して人々が転がっていた。そのお陰で楽に作業が出来た。

 溜息を一つ。


 信仰していた神には見捨てられ、遠い昔に排除した者達の末裔から命を救われたと知ったら、どう思うんだろう――

 私を神として崇めるのか? ――それは無いな。

 声が大きい者によって、都合が良い事柄に改変され、神の力の一部にされる――

 人は――

 そういう者だ。

 なら、私はこの様な無意味な事をしている――?

 ――掟だからか? それとも人間とは比較にならない寿命を持つ身体のせいか?

 人間の尺度で事を考えられないかもしれない。思考し、寄り添ったところで膨大な時間を持つ存在は、恐怖の対象になる運命だ。


 溜息が出そうになるのを止め、北東方面へ歩き出そうとした時だった。

 小さな家の影の中に人が座っているのが見えた。遠目でも分かった若い男。

 酔って、座り込んだまま眠った様な姿勢。

 

 見落とすところだった――

 これ以上は探す気分にもなれないから、あの男だけにしよう――


 家に近づき、小さな影の中に入る。見下ろすと黒髪の男のつむじが見える。

しばらく見続ける。


 ――不思議な気持ちだ。

 顔が見たい。その欲求が止められない。だが、何故その感情が溢れてきたのかが分からない。理由が知りたい。だから動けない――


 どれだけの時間が過ぎたか分からない。

 私は、男の頭に触れ、顔の向きを変える。次の瞬間、呼吸が止まってしまった。

 息をするのを忘れ、見つめ続ける男の顔は、持ち得る語彙をいくら重ねても、表現出来ないほどに美しかった。

 ――欲しい。

 閉じた目の奥に存在する瞳が映すのは、私だけ――

 表情筋が作る、優しい笑みは私だけに向ける――

 全ての行動を―― 

 私だけに――

 

 無限に溢れる感情は、過去を全て捨てさせた。

 あの掟は、彼に出会うために存在していたのだ――


 長い時間も、愛に出会うために必要な時間。全てに意味があったことに気づいた。

 彼に杖を向ける。紅い宝玉からの光が身体を巡り、頭部で止まる。光度が一気に上がると、ゆっくりと消えていく。身体が一度震え、ゆっくりと両瞼が上がってくる。開いた目に存在している赤い瞳が、私の顔を見た。


 鋭い視線とはいっても、その強さが私の好みだった。


「貴方は……?」


「私は、貴方と世界を救うために旅をする者。名はユニキオス。忘れてしまったの? アナタらしくもない」


「そうでしたか……すみません」

 俯き、申し訳なさそうにする。


「気にしないで。疲れも溜まってきている頃でしたし」言い終わると同時に身体を屈め、彼を抱き締める。


「え、えっと……」

 急に抱き締められたことで慌てていた。


 私は、その反応がとても嬉しかった。

 彼は、全てが初めてかもしれない――

 ――身体が熱い。こんな気持ちになったのは初めて――

 心が溶けてしまうぐらい熱い。そして、気持ちいい――

 喜びに震える身体を押さえる。そのまま、この世界には私達しかいない。残された者達で新たな歴史を作る、その偽りの目的を真実にするため、『命ノ取捨』の杖に魔力を注ぐ。


 この世界の人々を救う。その目的で注がれた紅い光は一気に穢れ、鈍い光を放ちながら飛び出す。形を楔に変え、再度突き刺さる。肉体が一気に腐敗し始め、姿がアンデッドになった。


 敵の姿には丁度良いわね――


 近くにいた初老の男が、この世界の言語ではない言葉で絶叫し、私に襲い掛かって来る。


 ――何? この化け物ですって。ふざけないで、アンタ達の方がずっと化け物よ。私達の愛の為に命を捨てろ。祖先を救ってあげた借りを返してね――

 フフッ、フフフ――


「危ない!」


 私は、青年に抱き締められる。そのまま走り出す。

「一旦、此処から離れましょう。数が多すぎます」


「ありがとう。でも、私なら何とかなるかもしれないわ」


「駄目です。それはユニキオスが危険になる。それなら俺が戦います」


 私を愛している視線が、瞳を通して突き刺さってくる。身体の内側から何度も突き刺さす、強く、逞しく、癖になる痛みに陶酔してしまう。


 ――最高。気が狂いそう――


 本来の目的は、世界を正しく保つこと。

 正しき行為に上塗りされた思い。しかし、本質は変わらない。歪ながらも正義として存在していたから。

 世界の命運は二人にかかっている。


『命ノ取捨』の杖、その宝玉が更に鈍い光を放つ。

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