プロローグ 平和な日常
ふかふかのベッドの上で目を覚まし、体をずーっと伸ばしながら伸びをした。
妙に凝った体をほぐしながら、ぼんやりとした頭で今日やるべきことを少し考えた。
そういえば今日は――。
「お目覚めでございますか、お嬢様」
美しく落ち着いた声。振り向くとその声に負けないほど美しい顔が見えた。私のメイドのトリアだった。
彼女は軽く微笑みながら私をベッドから起こしてくれた。
「久しぶりにゆっくりとお休みになられたようでございますね。素敵な夢をご覧になりましたでしょうか?」
「いいえ、夢も見ないほどぐっすり眠れたみたいよ。久しぶりに心がとても安らかだった」
今日の日程、いや、これからの予定を考えるとそれも当然だろう。
最近はあれこれとあって非常に忙しく目まぐるしかったけれど、本来の私の本分はアカデミーの生徒。そして今日は最近私を目まぐるしくさせていたことがすべて終わり、ようやく元のアカデミー生活に戻る日だ。だから心が落ち着くのも無理はない。
トリアも私を理解したかのように微笑み、傍らで彼女を補助していたハンナも喜んでくれた。
準備をすべて終えてからはロベルが私の横に立った。執事として私に仕える立場でもあるけど、同時に私と同じくアカデミーの生徒でもある彼は、登校する瞬間から私を守ってくれる頼もしい人だ。しかもトリアは今日他の用事で席を外す予定なのでなおさら。
「じゃあ、行ってくるね」
軽やかな心と足取りで寮を出て講義室に向かっている途中だった。
「おはよう。ちょっと早い時間に出てきたね」
「ふむ。良い朝だな」
私に挨拶をしてくる人たちがいた。
私より小柄で愛らしい容姿にツインテールの銀髪が輝く少女と、並の男性よりも大きな背丈にしっかりと鍛えられた健康美が魅力的な黒髪の淑女。二人とも私より年上だけど、私の人生ではかなり長い縁だった。
「おはようございます。今日は何かあったんですか?」
黒髪の方に疑問を投げかけた。この人はすでに卒業して騎士団で活動しているので、普段ここに来るはずがない。そもそも服装も一人だけ騎士団の正規の団服だ。
その人は少し流れ落ちた眼鏡を直しながらにやりと笑った。
「騎士団の事情に振り回されていた君とリディアが久しぶりにアカデミーに復帰するからな。ボクらの縁以前に、君たちを引き込んだ立場としてもちゃんと日常に戻れているか確認する責任があるぞ」
「なんだよ、妙に堅苦しくって。そんな風なら、かえって距離を感じちゃうじゃない」
銀髪の方が冗談めかして言うと、黒髪の方は「口が上手くなったな」と相手の頬をつまんだ。
平和な光景に心が和んだ。そうでなかったことなんてないはずなのに、なぜか妙にその光景がとても久しぶりのような気がした。
「まぁ、そういう意味で顔でも見に来たというわけだ。そろそろ講義の時間も近づいただろうから、ボクはこれで失礼するぞ」
さわやかに手を振りながら去っていく後ろ姿はどこか晴れやかに見えた。
その後もまだ生徒の人、すでに卒業した人など知り合いの顔と嬉しく挨拶を交わした。朝から同じ授業を受ける人は傍にいる銀髪のお姉さんとロベルだけなので、みんな近況確認程度だったけれども。
軽やかな気持ちで講義室に到着した。少し早い時間だったのでまだ席は多く空いていたけど、私たちの席はほぼ決まっていた。……こういう部分は公爵令嬢という立場上、他の生徒たちが遠慮している様子で少し残念だけど。
銀髪のお姉さんとロベルがそれぞれ私の両側に。いつも通りの配置だったけれど、突然奇妙な気持ちになった。
「あれ?」
「え? どうしたの?」
隣から不思議そうな視線が私に注がれたけれど、その問いに答えることはできなかった。私自身もよく理解できなかったから。
妙な寂しさと息苦しさだった。まるであるべきものがないような喪失感を感じたけれど、それが何によるものなのかわからなかった。
いつも通りの平和。いつも通りの出会い。いつも通りの日常。異質なものは何一つなく、すべてが豊かなこの人生に穴は一つもない。
それなのにこの違和感は一体何だろう。
「授業を始めます」
奇妙な違和感に答えを出す前に先生が講義室に入ってきた。
答えの出ない思いは一旦脇に置いて、今は授業に集中しよう。
「今日は世界に実際に影響を与える邪毒神について学ぶことになっていましたね」
先生の言葉を聞いて前回の授業の内容を思い出す。
そう、確かに――。
「まずは簡単に復習しましょう。邪毒神は存在するだけでも大きな脅威なのですが、現代では邪毒神の脅威は完全に消えました。前回までは邪毒神の介入がいつまであり、いつから消えたのかの歴史を振り返りましたね。今日はなぜ邪毒神が消えたのか、その理由を探ってみましょう」
ドクン、と。説明を聞いている途中で心臓が大きく跳ねた。
すでに学んで知っている内容だった。それにもかかわらず、それを聞いた瞬間に何かがうごめいた。
でもそれが何なのかを知ることはできなかった。抑圧されたり覆い隠されたりしたのじゃなく、最初からなかったかのように。
ないものがどうしてうごめくのかはわからないけれど。
「皮肉なことに邪毒神の介入をなくしたのもまた邪毒神です。それどころかその邪毒神はこの世のすべての不幸と悲劇をなくしたとも伝えられています。それがどのように可能だったのか、どのような経緯でそうなったのかは知られていませんが……驚くべきことに五大神教でさえ、それが事実だと発表しました。具体的にどのような研究と検証があったのかは対外的に公表されていませんが」
胸がざわついた。
跳ねるどころか痛いほど心臓が動悸した。思わずそれを押さえて止めようとするかのように手で胸を押さえたけれど、当然そんなことで落ち着くはずがなかった。
「アルカ、大丈夫?」
私を心配してくれるリディアお姉さんの手をぎゅっと握った。お姉さんも力を込めて握り返してくれた。完全には収まらなかったけど、おかげで少し落ち着いた。
ああ。私に姉がいたらこんな感じだったのかな。
……ふと、そんな思いが浮かんだ。
良い縁をたくさん結び、非常に多くの慰めを受けた。それにもかかわらず、時々、他の友達を見ながらそんなことを考えることがあった。
私には実の姉なんていなかったから。
ついに最終章です。
今回も長くなりそうなので上下に分けましたが、とりあえず五月が来る前に完結させることを目標にしています。
最後までよろしくお願いいたします。
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