変わらなかったこと
「あんたは……どうしてこの世界を壊さないの?」
そんな疑問が頭から離れなかった。
具体的なことは分からない。なぜそんな疑問が浮かぶのかも分からない。ただ、何故か……この世界を憎んでいることだけは感じられた。
古びた憎しみ。すり切れた絶望。厚く沈殿した諦め。あまりにも古く擦り切れているのに、依然として重く巨大な感情たち。……いや、もしかしたら古くなったからこそ、より大きくなってしまったのだろうか。
そんな感情があまりにも鮮明に感じられたため、まるで私を染めようとしているかのように感じられた。
一方、邪毒神は鼻で笑った。
【そんな質問をしたということは、私がこの世界をどう思っているか感じ取ったということね。……なるほど。そういった方面の共鳴もまだ残っているというわけね】
「どういう意味?」
【あんたには関係ないよ。それより私がなぜ世界を壊さないかって? それは当然じゃない。テリアが望まないからだよ】
奴は亀裂の向こうにいるお姉様の方をちらりと振り返った。すぐに視線を戻したけれど、ほんの一瞬だけ目が穏やかになったのを感じた。
もちろん、私の方を睨むときには再び敵意に満ちた目に戻っていたけれども。
【今テリアを連れて去った後この世界を壊してしまっても構わないけど、そうすればテリアが悲しむでしょ。私の憎しみは大きいけど、テリアの悲しみまで甘受するほどじゃない。だから我慢しているだけよ】
ただお姉様の悲しみの方が重いため、自分の憎しみを抑えているということくらいはもう察していた。
私が本当に知りたかったのは、そんな当たり前のことじゃなかった。
「あんたはどうしてこの世界を憎んでいるの?」
奴がどんな存在なのかは分からない。でも私と関係があるということだけは確かだ。
奴は私じゃないと主張している。でも私と同じ顔をしていて、母上とお姉様に親愛の心を持っていて、何より……奴の古びた感情があたかも私のもののように鮮明に感じられた。こんな状況で私の姿を取っただけの別人だと考えるのこそ筋が通らない。
問題は、そんな存在がなぜこの世界を憎むのかという部分だった。私はそんな風に考えたことがなかったのだから。
ところが私の質問を聞いた奴の反応が妙だった。
【ふ、ふふ。ふふふふふ……】
奴が突然うつむくと、不気味な笑い声を漏らし始めた。視線が逸れたのを機にジェリアお姉さんをはじめ数人が攻撃を試みたけれど、邪毒神の圧倒的な力で無視したまま。
【ふ、ふふ……どうして憎むかって? ふ、くくく……そんなの決まっているでしょ】
只事ではない感情の籠った目が私を睨みつけた。ぎらつく瞳が少し怖かったけれど、それ以上にあの眼差しから視線を逸らしてはいけないという感じがした。
【……最初私は多くの人々を救った。安息領の陰謀を暴き、異界の悪を討ち、世界に降臨した災いを消し去った】
最初に出た言葉は少し唐突だった。
【でも振り返ったときに目に入ったのは私が救った人々じゃなかった。救えなかった犠牲者たちの死体だった。それがあまりにも悲しくて何か方法はないかって探しているうちに……ある邪毒神の権能について知ることになった。世界の時間さえも巻き戻すことのできる力を】
世界の時間を巻き戻せる力。
その言葉を聞いた瞬間ふと思い出した。『隠された島の主人』の名前に関する話を。
今の修飾語は『万魔を支配する者』だけど、過去には『全ての歩みを見守る者』と呼ばれていた邪毒神。そして過去の名を背負っていた頃には……数多くの平行世界を司る神ではないか、という学説があったことを。
【私はついにその神を見つけ出して契約を結んだ。今考えればそのクソ野郎の力を借りたのが間違いだったけど……ともかくもう一度やり直すチャンスを得た。力と記憶をすべて失い、文字通り最初からのやり直しだったけどね。途中で私が死ぬか、契約を結んだ時期まで到達すれば力と記憶をすべて取り戻した。そしてまた戻って再スタートするかを選び続けることができた】
奴は数多くの失敗を経験したと言っていた。
ならばその再スタートの機会がすなわち失敗の記録であったことを、あえて聞かなくても分かった。
【時には最後まで行けずに失敗し、時には違う結果を得ることもあった。でもだんだんとより多くの人を救うことができた。すべての人を救うことはできなかったけれど……。そしてついに、これ以上は不可能な最善だと思えるほどの結果を得たとき。私はふと気づいた】
奴は笑った。
これほど嬉しくない笑いというものがあるのを初めて感じた。笑っている口と違って泣きそうな目と、その目の中で燃える憎しみ。複雑そうでありながら、全てが憎しみから発した単純極まりない感情だった。
その感情への不可思議な悟りが染み込むのと同時に……水に溶いた絵の具のように心の中に理解が広がった。
あの憎しみがなぜ生まれ、何に向けられたものなのかを。
【どうしてお姉様は救われない?】
そう吐き捨てる声は今までのどの時よりも陰鬱だった。
【一万回。まだ人間だった頃からそれだけの試みをした。救えなかった人を救うこともあったし、救えた人を取り逃がしてしまったこともあった。それなのに……その一万回の間、どうしてお姉様だけが一度も救われない?】
誰に向けた問いでもなかった。
そうせざるを得ない。その問いは特定の誰かじゃなく、この世界全体に向けられたものだったのだから。
澱んだ油のように沈んでいた黒ずんだ感情。小さな火種さえあれば激しく燃え上がるそれに、ついに火種が投げ込まれた。
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