進軍する脅威
「今日はなんだか予感が良くないんだよね」
執務室の椅子に座ったまま、ティーカップを口に運びながらふと思いを口にした。
すると隣の机で別の書類を見ていた僕の愛らしい妻、ベティが目を上げて僕を見た。
「何かありましたの?」
「よく分からないんだ。特に報告が入ったわけでもないのにね。……まぁ良いや、余計なこと言っちゃったかな。気にしなくていいよ」
そう言ったが、ベティは真剣な眼差しだった。いつの間にか彼女の目に魔力が燃え上がっていた。
「いいえ、そう軽く見過ごせる問題ではありませんわ」
「ベティ?」
「あなたのそういった直感は昔から疑わしいほど的中しておりましたからね。しかも今はテリアと安息領関連で非常に重要な時期。このような時期にあなたがそれを改めて感じたということは、今まで以上の事件が起きる可能性がありますわ」
ベティの本来の特性である『看破』の魔力が彼女の目の中で激しく渦巻いていた。
ベティは力の大きさも膨大だが、何よりもその力を扱う技量こそバルメリアでもトップクラスの騎士。そんな彼女が本来の特性である『看破』を最大限発揮すれば、我がオステノヴァ公爵領くらいは砂粒一つまで細かく観察できる。精度を落とせばバルメリア王国全域も観測できるだろう。
もちろんそれほどの大規模観測はベティにもかなりの負担がかかるが、しばらくなら大きな無理なく行使できる。
両目で『看破』の魔力を輝かせていたベティがふと眉間にしわを寄せた。
「……まったく。実は申し上げながらも今回はそうでないことを願ってましたのに」
「どうしたのかい?」
「軍勢が我が公爵領に進軍してきているようですわね」
「……は?」
僕も思わず呆けた声で問い返した。
軍勢が進軍だって、これはどういうことだ? フィリスノヴァ公爵が別の心を抱いたのか?
テリアのラスボス化はどうにか解決され、その頃を機に安息領の活動が一時小康状態に入った。心さえ決めれば他の悪さをすることも可能ではあるだろう。
もちろん普通なら安息領がまた暴れ出す可能性を警戒して軍を温存し備えるのが正しい判断だが、フィリスノヴァ公爵ならば今このすきに目的を果たすことを優先しても不思議ではない。途中で安息領が隙を狙おうとしても、その意図ごと粉砕できる力があるのだから。
だが場合によっては安息領が漁夫の利を得るかもしれない悪手だ。それくらいは奴もわかっているはずだが。
ベティが再び口を開くまでの短い時間の間にそんなことを考えたが、ベティは僕の頭の中を察したかのように首を振った。
「王国軍や四大公爵家の軍勢ではありません。むしろ彼らであれば私の心はもっと楽だったでしょう」
「ふむ? じゃあ?」
「神を讃える文句が刺繍された真っ白な衣服に聖なる文様を刻んだ甲冑と武器。五大神教の聖騎士隊ですわね。それも一部隊程度じゃありません。おそらくこの大陸にいる聖騎士隊の半数以上はあるような規模ですの」
「はぁ? 聖騎士隊が突然なんで?」
「それは分かりかねます。しかし完全武装のまま速やかに前進しております。まだ公爵領には進入しておりませんが、このまま方向を変えなければここ……オステノヴァ公爵邸まで到達するでしょう」
我々がいるここはオステノヴァ公爵家の本邸。つまり公爵家の拠点だ。
そんな場所に完全武装のまま接近するというのは誰が見ても良い意図ではないな。
「僕たちに協力を提案したり他の意図があるなら、完全武装して急いで移動したりしないよね。その行為自体が武力示威に見えちゃうから。五大神教はそんな外交的な判断ができないほど愚かな集団じゃないし」
「ということは、やっぱり私たちを敵対しているのでしょうか?」
「百パーセントとは言えないけど、その可能性が高いと見るべきだよね。不思議な事態だけど、ある程度見当はつくんだ」
ベティも僕の言葉に同意するかのように頷いた。
五大神教はこの世界の法則と秩序の根幹にして守護神である五大神を崇める者たち。当然邪毒神には現実的な理由以上に宗教的にも敵対する。
そしてテリアは『隠された島の主人』の連中と交流がある。やみくもに信じて引き入れる程度ではないけど、最初は彼らを強く疑っていたテリアも今は少なくとも口蜜腹剣の危険はないと判断し協力を受け入れる水準になったんだ。
当然五大神教の立場からテリアのそんな姿は良く見えるはずがない。テリアがそんな点をあからさまに宣伝して回ったわけではないけど、『隠された島の主人』の信奉者たちと何度か接触し情報をやり取りしたことがあったんだ。五大神教もバカじゃない以上そのくらいの情報は当然収集しただろう。
おまけに実際に『光』以外の宗派からテリアを敵対する神託まで受けていた。
むしろ『光』はなぜ自分の宗派にテリアに協力しろという神託を下したのかが不思議なくらいで、本来五大神教の立場ならテリアを敵対するのが不思議ではない。むしろ最近になってようやく口出しをしてきただけでも随分我慢したと言うべきだろう。
だが聖騎士隊を大規模に動員して公爵領を侵略するのは全く別の話だ。
「でも聖騎士隊は元々侵略のための軍勢じゃないんだ。あくまでも邪毒神と安息領を退治するための軍勢だよ。そもそも五大神教の聖騎士隊が国を超えた軍勢でありながらもある程度存在を認められてきたのは、そういう姿勢を守ってきたからなんだ」
「そのような彼らが特定の存在や領地を侵攻すること自体が五大神教の立場を不利にする要素でもありますわね。名分と論理をいくら当てはめたとしても、それが世俗的な侵略を取り繕うための目くらましではないかと疑われることになりましょう」
「そのとおりだよ。しかもバルメリアは実質的に王家と四大公爵家の連合国なんだ。つまり公爵領は一つの国と同じってこと。実際にほとんどの国の国力は四大公爵領一カ所の水準にも及ばないからね。そんな所を侵攻するってことは、相当な覚悟と勝算がなければとりあえず無理だよ」
それでも動いたということは、それだけの理由があるということだろう。
そんなことを考えていたところ、ちょうど通信用魔導具に信号が来た。
発信者はテリアだった。
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