内面世界
〈浄潔反転〉を展開し、押し寄せる邪毒に侵食されて意識を失った後。
私は真っ白な世界の中にいた。
壁も床も天井もなかった。ただすべてが白紙のように真っ白に見えるだけ。その中で唯一色があるのは私自身だけだった。
……いや、唯一じゃないね。
漆黒の紐が私の全身を完璧に拘束していた。紐の先は真っ白な虚空に溶け込んで途中から切れていたけれど、何をしても力で剥がせるとは到底思えなかった。
まぁ、初めから分かっていた。そもそもこれは私が切れるものではなく、切ってくれる人は別に決まっている。
それよりもこの光景が私の目の前に広がったということは……やっぱり私の肉体は外で暴走中ということだろう。隠しルートのラスボスとして。
本来なら隠しルートのラスボスもこんな早く登場するはずがない。安息領も意図的に早めようとしたのだろう。筆頭も『バルセイ』について知っていたし。
時期が早い分アルカも攻略対象者たちもジェリア程度を除けば『バルセイ』のラスボス戦時点より弱いけれど、代わりに『バルセイ』にはなかったトリアと母上のような追加戦闘員がいる。バランスが取れるかは分からないけれど。
……それよりそろそろ一人でああだこうだと考えるのも退屈だけれど。
「そろそろ出てこないかしら? いることはわかっているのよ」
言葉を吐き出すや否や目の前の光景が変わった。
風景が変わったわけではない。ただ真っ白だけだった世界に私以外の誰かの姿が現れたのだ。
いや、私以外という表現は語弊があるかも。あれもまた私の姿なのだから。
私自身の肉身がベースだけれど、今の風景のように蒼白い色が全身を覆う中で目だけが漆黒の眼光を放つ形態。私の肉体はおそらくあの姿でラスボス化したのだろう。
正直に言えば少し意外だった。『バルセイ』の私が中ボスとして化け物になった姿とも、隠しルートのボスになってしまった主人公アルカとも違う姿なのだから。
けれどあれもそれなりに……と思った瞬間だった。
【何をそんなに一人で考えていらっしゃるのですの?】
突然『私』の形象が背筋も凍るような笑みと共に口を開いた。
「……え?」
【聞き取れなかったのですの? 明瞭な言葉で話したつもりですけれども】
「い、いや……どうやって話を?」
『私』は私を嘲笑いながらゆっくりと近づいてきた。その間にも私は必死に考えた。
『バルセイ』でラスボス化したアルカには意識がなかった。彼女の無意識の奥深くに押し込められていた不安と絶望を吐き出す姿はあったけれど、それはただ理性なく破壊本能だけで暴れていた彼女からほんの少しだけ漏れ出た無意識の断片に過ぎなかった。
こんなにもまともに会話を試みるとは予想もしていなかったのに。
【不思議でしょう。予想していたのとは大分違うはずです。そうでしょう? 神崎ミヤコさん】
「私はテリアよ。神崎ミヤコだった前世を否定するつもりはないけれど、私のアイデンティティを勝手に否定しないでちょうだい」
【あ、失礼。否定するつもりはありませんよ。ただあなたと私を区別するために便宜上あなたの前世の名前を使っただけですわ。私とあなたの違いはそこにあるのですから】
どうしても理解できずに眉をひそめた。
言葉の意味ではなく、その言葉を言うあいつがいったいどんな存在なのか分からなかった。邪毒に侵食されて暴走する私自身でありながら、まるで私とは別の誰かであるかのように思考し行動するのが。
疑問が表情に表れてしまったせいか、彼女は聞きもしないのに勝手に口を開いた。
【何がそんなに不思議なのですの? あなたの知っている話でアルカが暴走した時に現れたのは無意識の断片。私もまた同じですわ】
「私の無意識にこんなにもはっきりとした自我がもう一つ存在していたって? 気持ち悪すぎる話なんでしょう」
【失礼ですわね。気持ち悪いのは私の方ですの】
『私』の指先が私の顎を撫でた。
指先は鋭かったけれど動作は優しかった。私を傷つける意図はなさそうだ。
しかしその指が肌にごく僅かに触れるだけで何とも言えない背筋の凍るような感覚が感じられた。
【……本当にイライラしますわ。私は今この瞬間も誰にも認められていないのに。ただ一つの人生を重ねただけであなたは……】
「あなたは誰なの?」
【私はテリアですの。あなたと同じように。万古不易の真理です】
私は眉をひそめた。先とは違う意味で。
少し分かったような気がする。あいつが誰なのか、どんな存在なのか。どんな記憶を持ちどんな人生を生き、なぜここに存在するのか。
そしてなぜ今表面に現れたのかも。
「あなたは……私なのね」
【そうですわ。私はあなたですの。理解してくれたようで嬉しいですわ】
「嬉しいって仰ってるわりには随分不快そうな表情だけれど?」
そう言うと『私』は荒々しく鼻で笑った。
【当然です。テリアである私がこうしてあなたの理解なんて求めなければならないのがどれほど腹立たしいことか分かりますの? あなたには分からないでしょう。頭がごちゃごちゃになるこの感覚も】
『私』は続けて私の顎を撫でていた手を引っ込めると、その手で自分の頭を掴んだ。真っ白な表情が苦痛で染まった。
【今も頭が痛いですわ。あらゆるささやきが聞こえてくる。でもそのささやきたちが全部違う話をしていて……そうしながらしきりに私をそれぞれ違う方向に引っ張っていこうとしていて、本当に不快でたまりません。あなたの友達の首を切り落としてあなたに見せたいくらいに】
「無理よ。みんなは決して死なないわ。少なくともあなたには」
【私が本気を出せば全員一瞬で殺せますよ。私を過小評価しすぎですわね】
「違うわ。あなたを過小評価してるわけでも、他の人たちを過大評価してるわけでもないの」
外の状況は分からない。肉体の主導権は今あいつにあるのだから。
しかし真っ白な世界に突然刻まれた亀裂を見ることくらいは可能だった。
『私』も後になって気づいて顔を上げたけれど、〝それ〟を防ぐ方法なんてなかった。
「ただそれがあの子を〝主人公〟と定めたこの世界の意志なのよ」
言う瞬間、真っ白な世界の空が砕け、世界よりもさらに白く神聖な光が降り注いだ。
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