出陣準備
「全滅、ですわね」
ベティは苦笑いした。手袋をはめる途中だった手にぐっと力が入った。
「そのつもりで動いてはいるのですが、あの傲慢な男が本当にその可能性を念頭に置いているのでしょうか?」
「パロムは思ったよりずっと狡猾で緻密な男なんだ」
パロムは世界最強の〝人間〟と呼ばれるが、彼の恐ろしさは単なる力などではない。自身の『支配』をいつどのように活用するのがいいのか、誰をいつどのくらい操るのがいいのかの判断が非常に優れている。そしてその『支配』を土台にした知略は今まで一度も敗れたことがない。
一身の強力な力も、無限の可能性を持つ『支配』も。よりによって最悪の相手が手に入れてしまったと嘆きたくなるほど、彼は自分が持っているすべてのものを巧みに活用できる。保守能力主義派を一人で牽引したのはただではない。
「彼は僕と似ているんだ。一つの可能性だけに備えない。千の可能性を考え、その全部に対応しながら、そのうちの一つだけ現実になっても満足に頷く。もしかしたら兵力の全滅さえも狙いの一部かもしれないんだよ。パロムはそんな男だ」
「本当に厄介な男だってことには同感ですわ。今回の戦いはとても……危ないでしょうね」
「そうだよ。危うい戦いになるだろう。だから……」
もう一度ベティの姿を確認した。
いつものドレスではない。戦闘服でもある騎士団服を着こなしして、腰には柄に三日月の装飾がついている双剣。公爵夫人として現場で軍を統率するために準備しているのだ。
僕はベティに近づき、彼女の手を握った。
「あえて現場に出なくてもいい。僕と兵士たちに任せて」
「そんなことはできません。旦那様と軍の皆さんが命をかけているのに、私だけ隠れているわけにはいきません。それに……」
ベティは手を上げた。僕の持っていない方の手が僕の頬を優しくなでた。
ベティは優しく笑ったが、その瞬間その笑顔に茶目っ気が漂っていた。
「私の身の安全を心配してくださるのは本当にありがたいですの。嬉しいわ。けれど旦那様が一番心配していらっしゃるのはそのことじゃありませんでしょう」
「でも」
「ご心配なく。私の目の色の意味を知らないわけでもありませんでしょう?」
「……だから心配なんだよ」
結局素直に言ってしまった。するとベティは小さいが確実に面白がって笑った。
「フフッ。……ご心配は要りません。愛する旦那様と子どもたちを置いて先に去るつもりはありませんから。それに旦那様が私を守ってくださるでしょう?」
「無理してはいけない。分かったね?」
「そんな作戦を立てた旦那様のおっしゃることじゃないって思うのですわ。まぁ、頑張ってみます」
愉快に話しているが、ベティの指先が少し震えているのを僕は逃さなかった。
緊張も恐怖もないわけではない。しかし今はそのようなことを訴えながら縮こまるばかりではいけない状況だということを、ベティもよく知っているのだ。フィリスノヴァ公爵の今回の動きは決して軽い結果で終わる事案ではないから。
テリアの話によると、『バルセイ』でフィリスノヴァ公爵がラスボスになった理由は簡単ながらも明らかだった。彼は保守能力主義派を一人で牽引すると評価されているが、実際には必ずしもそうではないからだ。
彼が背後で行っている政治工作の規模と手段は実におびただしい。でもその中でも最も大きな力になるのは、ハセインノヴァ公爵家を自分の味方に引き入れたこと。しかしそのハセインノヴァが自分の勢力から離脱する兆しが見え、それが彼を動かした。
シド・コバート・ハセインノヴァ。ハセインノヴァの事実上唯一の後継者。彼が政治的敵対勢力であるオステノヴァの娘と親しくなっただけでなく、オステノヴァに同調する気配まで見せた。なので将来ハセインノヴァが引き続きフィリスノヴァの政治的味方になってくれるという確信が消えた。
オステノヴァが政界で消極的に行動しているのはまだ勢力が足りないためであり、フィリスノヴァが攻撃的な行動を見せるのはその反対であるためだ。そしてそのような勢力均衡の中心にハセインノヴァがある。
その力学関係の逆転が、今度はテリアを通して起きているのだ。『バルセイ』より早い時期に。このような状況だから、フィリスノヴァ公爵がもっと早く動くのも納得できることだ。
「よし。こちらもすでに準備は終わっているから、フィリスノヴァ公爵軍がどんなルートで進撃しようが対応はできる。全軍に準備命令を下せ。そして今この時間から衛星魔道具の監視映像は僕が管轄する。担当者は本来の業務に復帰するように」
「御意!」
忙しく動く部下たちを横目で見ながら、僕はすべての監視映像を僕の前に展開して自由自在に操作した。
フィリスノヴァ公爵がどのような経路で進軍するかは予想があるだけで、確信がない。でも関係ない。どこへ行っても対応できる力さえあればね。他の公爵家や王家はまだ動く準備ができていないが、我がオステノヴァは違う。
しかし……多分あちらもそのくらいは知っているはず。だからそれを前提に計画を構想したと考えた方が良いだろう。
娘の理想のためにも、愛する妻を守るためにも。今回のことでは小さなミスも容認できない。
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