ヒント
「何だ、今日は悩みがありますって顔なんだが?」
ガキン、ガキィンとの金属音を突き破ってジェリアの声が聞こえてきた。
戦闘術の授業でリディアを試した夜。練習場を貸し切ってジェリアと練習を兼ねた手合わせをしていたけれど、どうやら悩みが顔に出たようだ。
「うーん……悩みなら悩みだけど」
「最近、何かまたおせっかいをしているという話が聞こえてきたが?」
「うん? どこで聞いたの?」
「最近上級生の間で噂が広がっているぞ。具体的なことはないようだが、オステノヴァの令嬢がアルケンノヴァのことに口出ししているという……か!」
大きく振り回された重剣を避け、反撃の隙を狙う。
ところで噂か。ディオスが広めたのかしら?
詳しい話に入ると私に対抗できなかったことも出てくるだろうし、だからといって勝手に捏造すれば私がじっとしているはずがない。だから適当に嘘ではなく曖昧な話で押し通したようだ。
まぁ、特に構わないけど。
「それで終わり?」
「そうだ。まぁ、どうせまたあのアルケンノヴァの公子のやることだからつまらないことだと思うがな」
氷の槍を避けて反撃を押し込む。
「何よ。あいつに対する認識がそうなの?」
「あまり接点が多くはないぞ。だがボクにやられてブルブルするのがかなり愉快だったな。何度かもっとめちゃくちゃになってからはのさばらなくなったがな」
やられる前はのさばったよね……。
クズの根性もとにかく根性ってことかしら。ゲームで二人が初めて戦った時の回想が出たことがあったけど、その時は本当にただ粉砕されたとしか表現できなかった。そんなにやられても、のさばったことだけは褒めてあげたい。
それより話している間に、それとなくジェリアの攻勢が強くなった。
「それで? どうした?」
「それがね……」
弾幕を成した氷の槍の群れを『万壊電』の放電で壊し、最大限に要約して事情を話した。
リディアとディオスの決闘、そして私がリディアを鍛えてあげることにしたことなど。最後まで聞いたジェリアは眉をひそめた。
「決闘か。またつまらないことだな。編入したばかりの妹に何をしている。そちらも後継者紛争が激しいのか」
「紛争が激しいというよりは、彼一人だけ頑張っているの。……はっ!」
ジェリアの重剣がすっと突っ込んできた瞬間、私は首をかしげて空いたわき腹を狙った。しかし急激に芽生えた氷錐が接近を防いだ。退く私に氷の槍が追加で飛んできた。
後継者紛争……か。ある意味正しい。でも公爵本人が子供たちの血闘まで助長するフィリスノヴァとは事情が違う。あくまで後継者の座を欲しがるディオスの独断だから。
「たはぁっ!」
氷をすべて破壊して接近。一撃は阻まれたけど、すぐに上段からまた斬り下ろした。急造された氷の盾を砕いた刃が重剣に防がれた。
「一人で頑張っている、のか。他の後継者を追い出そうと暴れるという意味か?」
「そうよ。それでも他の人たちは早めに諦めたし、才能もまあまあだから大きな脅威にはならないと思っただろうね。でも……」
しばらく力比べが続いた。しかし、私の剣を受け止める姿勢だったジェリアが突然重剣を傾けて刃を流し、つま先から伸びた氷が私の腹部を狙った。私は左の剣に魔力を集めて氷を砕き、そのまま回転して右の剣で頭を狙ったた。でも剣を手放したジェリアが私の手首をつかんだ。
「やめよう、やめよう。君、集中できないのがバレバレだぞ。普段だったらこんなに手が捉えられるようなことはしなかったはずだ」
ジェリアがそう言って先に力を抜いてしまった。私も仕方なく魔力剣を消した。
「バレたわね。まぁとにかく、あの人はリディアさんを牽制したいのよ」
「そのリディアさんはどうだ?」
「本人は後継者なんか考えたこともないでしょ。そんな余裕がないほどひどくいじめられたからね。才能だけは確かにあるけど、そのせいでむしろそうなったわよ」
「は、まったく。めちゃくちゃだな。これはむしろボクがアルケンノヴァ公子を黙らせた方がいいか? 決闘も何もできないようにすることもできるぞ」
「それはダメ。リディアさんに直接克服させたいの」
リディアの才能は兄弟姉妹みんなを合わせても勝てないほどだ。ディオスのいじめがなくなればいつかは立ち上がるだろう。でもそれがいつになるか、どれくらい時間がかかるか想像もできない。
そもそも考えてみれば、アルケンノヴァ公爵がディオスをまともに訓育できなかったためだ。そうでなくてもディオスは第一後継者の座に欲が多いのに、公爵はリディアの才能に注目したから。
それでも公爵が何とかしていたら良かったけれど、よりによって騎士団の長期遠征に出たため、そうする時間もなかった。その間にリディアの意志をそいで後継者の座を固めるのがディオスの目的だ。
たとえディオスがジェリアにやられて決闘できなくなったとしても、彼が野望をあきらめなければ同じことが繰り返されるだろう。だからリディアがディオスに対抗できるようになるべきだ。
……まったく役に立たない叔父さん。子供をもっとしっかり訓育していたら、リディアもそんなに苦しまなかったはずなのに。
「とにかく大まかに事情は分かった。だから君はリディアさんに勝たせたいってことだな? 何か問題あるか?」
「その……リディアさんの自信をどう取り戻させるかよく分からないの」
たかが初日ではあるけど……なんというか、このままでは一ヵ月後の決闘の日まで進展が見られないような気がする。
リディアはあんな風に見えても意外と密かに修練はしている。けれども、それをまともに発揮するためには〝少しずつ良くなる〟程度ではなく、トラウマを完全に克服しなければならない。でも、それを果たして一ヵ月でやり遂げることができるのかしら。
手合わせでリディアの実力の片鱗は何度も引き出させた。何度も隙を突いたり行動を追い抜いた。そのたびにリディアは尋常でない反射神経で対応した。
それで上手くいくのではないかと楽観したけれど……むしろリディアはそんな自分に適応できなかったり怖がったりした。甚だしくは無理に技をさせたところ、完全に失敗してしまった。
……まぁ、そんなに偉そうに言ったくせに、たかが初日に意気消沈した私も本当にバカだけどね。でもそうでなくても足りなかったリディアの自信が、技を失敗したことでさらに墜落するのを見てますます不安になった。
大体そんな話を要約してあげると、ジェリアは顎をなでながら一言言った。
「君、遠回りするスタイルだな?」
「え?」
「いや、反射的な行動で実力を出してそれを記憶させるなんか、面倒じゃないか。もっと単純に接近しろよ」
「単純になんて、どうやって……」
慌てた私の前でジェリアは剣を拾い上げ、空中に力強く振り回した。
「飛ばさせろ」
「はあ?」
「ただ力いっぱいぶっ飛ばすことからさせてみろよ。魔力を高める、集中する、吐き出す。これからやらないと」
「いや、それは単純すぎる基礎じゃない」
今何を言ってるのよこいつ?
そんな気がしたけど、ジェリアはむしろ私がバカだというようにため息をついた。
「ボクが思うに、君はリディアさんが才能があるし一人で修練もするから基礎は十分だと前提したみたいだが、違うのか?」
「当たり前じゃない」
「それが間違っているということだぞ。身につけたかどうか以前に、メンタルの問題でそれを発揮できない状況だろ? そんな人にそれを飛ばして他のことを要求してはいけないぞ。むしろ一人で密かに修練したら、自分のレベルもまともに分からないだろ」
「そう……かしら?」
「そういうことだ。しかも魔力を高めて的をぶっ飛ばすのは直観的だろ? いくら自信がなくても、全力でやってみろと言えば実力が表れるしかない。それに人と比較するのもいいだろ? 本当に才能があるなら、他の奴らと比較してしまえばいいぞ。すごくいい感じになるように」
……思わぬ意見だった。
しかし、言われてみれば確かに至当だった。リディアがいくら自分自身を過小評価しようとしても、否定できないほど分かりやすい比較対象があるなら、そのように遠回りする必要はない。
私の表情を見たジェリアは微笑んだ。
「大体コツを掴んだみたいだな。とにかくそういうことだぞ。力を発揮する基礎から自分の思い通りにできてこそ次に進むことができる」
「うん、そうよね。ありがとう」
正直、私もアルカとロベルも、基礎を早く飛ばしてしまって、それは思いもよらなかった。それにゲームでアルカがリディアを攻略した方式はただ続けて彼女を肯定してくれるという向こう見ずな方式だけで、私も思わずそれを真似していたようだね。
でもジェリアも天才型なのに基礎から気にするなんて、なかなか意外だね。
その疑問をそのまま口にすると、ジェリアはニッコリと笑いながら手を振った。
「弟の奴の稽古をつけた。ボクも最初は君のように基礎を飛ばして弟にたくさん苦労させたな」
弟か。フィリスノヴァ兄弟姉妹の中でジェリアより年下の人は一人だけだ。そしてその一人は確かに……。
私の考えが脇道に逸れている間に、ジェリアはまた口を開いた。
「ああ、そしてなるべく悩み事は少ないほどいいぞ。余計に雑念が混ざると集中できないからな。ボクはリディアさんがよく分からないから、悩みが他にあるかどうかは知らないが、一度彼女と話してみろ」
「悩み事? ……あ」
「何だ、思い当たることあるのか? まったく、君はなぜ知らないことがないのか? オステノヴァは貴族の恥部を余すことなく知っているという噂、もしかして本当か?」
「そりゃもちろん……いや、違うの」
「……ボク、今鳥肌が立ったんだが」
「違うってば」
そんなことはわざわざ調べないと分からないから。……その気になれば本当に全部分かるということは秘密にしよう。
それより悩み事か。そういえば、ゲームでリディアはディオスのこと以外にも悩みが一つあった。正確に言えば、ゲームではほとんどうつ病の原因になる深刻な問題だったけど……。
本来は決闘そのものが足元についた火に他ならなかったので、その問題は先送りにしておくつもりだった。でもジェリアの言葉も一理ある。
それに、そのことを上手く解決してくれるならリディアに希望を与えることはもちろん、私に対する信頼度も高めることができるだろう。しかも、そのことはディオスに対する対抗心とも直接関係がある。
……こんな考え自体がゲームの設定を利用してリディアを勝手に操るようで気分は悪いけど、今すぐは効率がより良い手段を選ぶしかない。