新しいターゲット
「そんなはずないでしょ」
お嬢様の眼差しは強かった。いつものお嬢様の目だ。それを見た僕は自然に微笑んだ。
「人を救おうとして失敗して自責するのは自然なことです。救えるはずだったの者を救えなかったことは、自分にとって大きな傷になるでしょう。しかし、個人にできることは限られています。それはどんなに強い人でも同じです」
そういえば、お嬢様の前世の世界は人間にできることがあまりないと言っていたのか。人類ではなく、たった一人の人間にできることは自分の手の届く範囲のことだけ。反面、この世界最強の人間は一人で大陸くらいは消滅させることができる。……そんな者はこの世界でも特異ケースだが、個人のできることの範囲が圧倒的に違うという事実は変わらない。
ひょっとしたらそのようなギャップがあるからこそ、お嬢様が完璧な解決に執着しているのかもしれない。前世のお嬢様はその世界の人間にできる素朴なことさえ思い通りにできない軟弱な肉体だったそうだから、今の肉体と比べると万能感のレベルが違うんだろう。いや、その程度になるために今まで努力してきたのだ。
「未来を不安に思っていらっしゃるのは理解します。その不安は僕も同じですから。しかし、不安な未来に一人で立ち向かう立場ではないことをお含みおきください。さっきお嬢様がおっしゃいましたよね? 僕だけはお嬢様を助けると信じられたと。その信頼にいくらでもお応えします。もっと僕を頼ってください。そして僕を信じてくださる分、他のみんなにも同じ信頼をお願いします」
お嬢様の手を握った手に力を入れた。お嬢様を眺める眼差しにも力が入ったことを自らも感じることができた。しかし関係ない。お嬢様に僕の意志を見せられたら。
なぜかお嬢様は顔を赤らめた。珍しい姿であるうえにとても可愛かったが、急になぜそうされるのか理解できなかった。
「……ありがとう。本当にありがとう。私の心配が消えるっては思わないけれど……もっと頑張ってみるわ」
「こちらこそありがとうございます」
お嬢様は微笑んだ。僕はその笑顔に応えるように明るく笑った。お嬢様の顔がさらに赤くなり、結局は視線までそらしてしまった。どういうことだろう?
だが向けた視線の先にあるのを見て、お嬢様は別の意味で眉をひそめた。
「待って。あれ何? あの書類ね」
お嬢様が指した書類を見た。ああ、あれのことか。
「安息領のアジトの中で今活用されていそうな地点の候補と検証結果です。お嬢様が教えてくれた『バルセイ』でのアジトのことです」
「どうしてそんなのを?」
「シド公子のアイデアです。お嬢様の計画は『バルセイ』の事件に備えることが主な骨子なので、全体的に受動的だと言ってました。『バルセイ』のアジトの情報がある今なら、こちらから先に攻めることもできるだろうと。一理あると思って調べていました」
お嬢様には調査結果が出た後に報告するつもりだった。『バルセイ』の出来事は未来のことであり、『バルセイ』で活用されたアジトだとしても今はまだ活性化していない可能性があるからだ。
お嬢様はいつもの冷静な顔に戻っていた。
「へえ。それはいいわね。そういえば三年前のケイン殿下の視察も一種の先制攻撃だったわよ。そこも『バルセイ』に登場したアジトだったから。……でもそのアジトはもともとその時点では使われていなかった場所だったわ」
「あの時のように今回も本来より早く活動を始めた所があるかもしれませんね」
「そうでなくても、もともと今の頃すでに使われていた所もあるはずよ。いい観点だね」
お嬢様は心から感心した様子で資料を読破し始めた。肉眼だけで見るのではなく、観察系の魔力を使って大量の書類を瞬時に渉猟した。
「……本当にうまく調べたわね」
お嬢様は一枚の書類を机に置いた。見ると、安息領の奴らが何かを作る工場だった。内部に進入することはできなかったため、具体的に何を作る所なのかは分からなかったが、何かを研究して製造するような気配を探知した。お嬢様が指したということは『バルセイ』に登場した場所だということだろう。
「ここはどんな場所ですか?」
「レースシリーズのアルファを製造する場所よ。ローレースとミッドレース、両方ね」
「結構大事な場所なんですね」
少し驚いた。ローレースだけでなく、ミッドレースまで作る工場だとは。
「工場はここ以外にもあるけど、ここが一番重要な最大施設なのよ。特にミッドレースは相応の設備と人材が必要で製造できる工場が少ないわ。ここを破壊できれば、しばらく安息領の戦力を減少させる効果が大きいはず」
「ちょうどいいです。オメガもこの工場が担当しますか?」
「いや、残念ながらそうじゃないわ。オメガを研究する正確な場所は『バルセイ』にも登場しなかったわよ。それがあったらもっと確実だったのに」
「それは残念です。しかし、アルファを製造する工場を破壊するだけでも大きな意味があるでしょう」
「そう。破壊できれば、ね」
「どういう意味ですか? まるでその工場を破壊できないとおっしゃっているようですが」
「不可能じゃないわ。けれど、完全破壊は難しいかもしれないわよ。私も確信することはできないけど」
その工場に何かあるみたいだな。しかし確信できないとおっしゃった理由は何だろう。この時期にはまだその〝何か〟がその工場にないかもしれないということか?
お嬢様はしばらく一人で考えた後、また口を開いた。
「みんなに伝えてね。明日言いたいことがあるって。詳しい説明はその時に一度にした方がいいと思うわよ。もしその工場に関する資料がもっとあればちょうだい」
「わかりました。資料はそれで全部です」
「残念だね。じゃあ、他の場所も検討してみるわ」
そしてお嬢様は書類をもう一度、今度は几帳面に調べ始めた。今の表情にはさっきの不安は少しもなかった。
先制攻撃の成果を期待するような笑みがお嬢様の口元に浮かんでいた。
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