第九章 精霊と二級魔導師
「この街の地下に、あんな大空洞があったことも驚きだけど、ドラゴンが数十頭もいたことも驚いた」
「ドラゴンっていますけど、どのドラゴンですか?」
と、レイは不思議そうな顔をして取り返してきた。
確かに。
人の種類は亜人も含めて十数種。
鳥や獣に至ってはそれぞれが数百から数千種類もあるだろう。
そんな中、ドラゴンに関しては数百種いるということだけを、わたしは知識として知っていた。
でもいきなりどのドラゴン? と言われても、
「さあ?」
「アルフリーダ……」
と、しか言いようがなくて、レイは当然のごとく呆れた声あげた。
だって仕方ないじゃない。専門家ではないのだから。
ただまあ、あの最下層を占拠している犯人たちが、土竜に属するとは判別がついた。
「竜は基本的に、地、水、火、風、光、闇に属するから。羽もなく、甲羅のない亀みたいな形状だったのよね」
「そこまでは分かってるんですね、さすが二級魔導師」
「でもそこから先は分からないわ。土竜に属している、更にどんな細かい種なのかまで調べないと」
「ドラゴンも多くの種類があるのですね。それでどうやってお調べになる気ですか」
調べ方はいくつかある。
この屋敷に運び込んだ祖父の代からの蔵書、魔法学院で学んでいた時の教科書や辞書事典の類もそうだし、自分で買い集めた過去の魔導書なども役に立つはずだ。
ただ、わたしが集めた本はその多くが氷の魔女の異名に相応しく、水魔法、大気にかんする魔法などが多かったから、魔獣に関しての知識は学院で習った程度に収まっていた。
昨年の春に卒業したまなびやで学んだことを思い出してみるが……。
「わたし、氷の魔女だから……その」
「魔女なのにドラゴンに関しては詳しくないと言いたいのですか、やめてくださいよアルフリーダ。それはまるで猛獣の調教師が虎の調教はできても熊の状況ができないなんて、言い訳をするようなものじゃない」
「そこまで言うことないでしょ。この世に生息する猿なんて数が多すぎて覚えきることができないの」
「素直に勉強していないと言えばいいじゃないですか」
「はい……」
レイは辛辣な一言。
水属性の魔法の下位にある氷の魔導を学ぶのが楽しすぎて、一般知識は手に入れたけれど、深いところまで探ろうとはしなかった。
そんなところを言い当てられて私は口ごもってしまう。
「まあそれでも、土に関する属性のドラゴンとわかっただけでも大したものだと私は思いますけど。私は魔導に関しては全く素人なので。もちろん、魔獣に関しても素人ですけどね」
「そうね。それじゃあどうやって調べようかしら。あまり時間が残されてない気がする」
「時間? たった一週間ほどで二倍にも増えたから?」
「そう、それが一番の問題だと思う。体格の大きさに比例して生物っていうのは成長するのにも時間がかかるはずなのよね。人間だって生まれてから大人になるまで十年近くかかってしまう」
でも、とレイは唇を人差し指で押さえながら疑問を呈する。
「獣人なんかは、生まれてから数年で大人になるじゃないですか」
「あれはほら、獣がそういった成長の過程をするでしょ? それに獣人の寿命は人より短い者がほとんどだと統計が出ているし」
「統計? そんなものあるんですね」
「あるのよ。例えば、猫の獣人は人間の寿命が五十から六十年に対して三十年くらいかな」
「随分と短いですね」
「猫だけ、の獣人ならね。人とのハーフとか他の種族と混じるとどうなるかはまた変わっていくし、まあ……」
「実際に世の中に多くいる獣人のほとんどは、人間より長寿」
「それが現実」
どうして統計では人よりも短く人生を終えてしまうとなっているのに、現実の世界では周りにいる彼らの方が私達純粋な人間よりも寿命が長い。
その理由は簡単だけど。
「単なる獣人ではない種族が多いということですね」
「魔族との混血とか。精霊王の眷属としていくつかの大陸に分かれて住んでいる獣人たちがいたから、じゃないかしら。その子孫たちが、普通の獣人と呼ばれる存在よりも数を多くしてしまった」
「なるほど。獣人に関する講義はたのしいですが、ドラゴンどうこうよりもまず考えることがあると、私は思うけど。あれはどうするの、アルフリーダ」
「あれ? ああ……ラルクとメリダの問題ってこと」
「それよりもさっさと婚約破棄を出されてはどうですか。浮気の証拠とかそういったものを、教会に出せば受け付けてくれるかもしれません」
「そんな簡単に受け付けてくれるかしら」
玄関先で追い返したメリダのことを思い出したのだろう。
ついでに婚約破棄までやればいいっというのはちょっと、話が飛躍しすぎかなと思うけど。
一般の平民と違って、わたしは準士だから貴族の一員ということになる。
この古臭い封建時代の慣習を色濃くのこした社会は、女の立場がとことん弱いのだ。
女性から婚約破棄を申し立てるには、将来において、わたしの出世とかそういったものに大きな影響を与える可能性があった。
それに……。
「何ですか、アルフリーダ。まさか、ラルク様やエリダ様の社会的な評価が落ちるとか考えてるわけじゃないでしょうね」
「それよりも、王族とか上級貴族からの理由ない制裁が怖いかな」
「弱気ですね。それならこちらも職業を盾にすればいいでのでは?」
「職業? 魔導師協会に報告しろってこと? 受けてくれるかしら……」
「どうして受け付けてくれないと思うんです」
「魔導師協会も結局は王国との共存が大事だから。こんな田舎町の新人がどうこうなってもねー。個人的な問題だからそっちで解決しろって言われそう」
「ふうん……。それでも前途多難というわけではないですか」
「やり方はあると思うけど」
「例えば?」
問われて、例えばそうね、といくつかやり方を考える。
お互いの体面を傷つけずに簡単に婚約の解消を出来るのは、やはりわたしがこの土地から出ていくことだろう。
街の地下水道の管理を辞め、魔導師協会に引き継ぎの人員を依頼して、わたし自身がいなくなる。
いなくなる理由はなんでもいい。
体調不良でもいいし、魔法の研究に没頭したいから王都に戻りたいでもいいし、何でもいいのだ。
ただ、わたし自身の大事な過去。
祖父の遺してくれた家屋敷や、親類縁者とのつながりを失うだけで。
「わたしが――魔法の研究に戻りたいからとか。そんな理由をつけて慰謝料をラルク側に払って、この土地をおさらばすれば一番、簡単で効果的」
「それをしたら、先代様のすべてを無くすではありませんか!?」
レイがそう叫んだ。
そうね、と心でわたしも賛同する。
「一番簡単なのはその方法だと思う。無くすものが大きいだけ入ってくる自由も大きい」
「女がバカを見る自由なんて必要ないと思いますけどね。結果的にあなたは王都に戻って研究に没頭しても、二度目の結婚は望めないかもしれないし」
「うっ」
「ラルク様とエリダ様は、あなたから慰謝料をせしめて嬉しそうな顔してるでしょうね」
「ううっ……」
「おまけに、王都に戻る形は栄転ではなく事実上の左遷ですからねえ。噂好きの王都社交界ではあなたが逃げ戻ったなんて言われたりして」
「ちょっと! 言い過ぎ……そんなさも起こりそうな未来を予測しないでちょうだい!」
「それではこの話はなかったということで」
「……。何か別のやり方を考えるわ」
「王族とか気にしすぎなんですよ」
「だって最底辺の貴族だもの。気にするわよ」
「それなら王様に褒められるようなすればいいじゃないですか。ちょうど大問題が地下に起きているわけですし」
「ドラゴン、ね。解決できたら大きいと思う。でもねー」
「またため息をつくんだから」
わたしがどんな功績を挙げたとしても、それはわたしの手柄にはならないかもしれない。
レイはそのことを知っているから、悔しそうな顔をして首を振った。
「どちらにせよそう、婚約を破棄するとか解消するとかどっちをするにしても……。今のままだと、わたしは彼の婚約者だから。いずれ妻になる女が立てた功績は、夫になる彼の昇進を後押しするものでしかないわ」
「それなら同時進行でどうにかするしかないですね」
「気が滅入る話ね。どっちも難題で難敵でやりづらい。おまけにドラゴンはまだ何も見えてないし、これから対策を立てるところだもん」
「……全ては利用するというのはどうでしょう」
名案を思いついたようにパンっ、と両手を軽く合わせたレイは面白そうに語りだす。
それは、このボルダスの街の領主であるエリダの実家と、騎士団を巻き込むというものだった。
「何を利用するって?」
「ですから! 敵を利用して味方にするんですよ。その上で全ての功績をあなたがもらえばいい。違う?」
「それはとても良い案だけど。そんなにうまくいくかしら」
「やり方次第だと思いますよ。騎士団は地方の貴族の為のもので、この街を守ることが使命だから巻き込みか方次第じゃない」
「巻き込むって平然と言えるレイが怖いわ」
空になったカップに注がれる新たな紅茶が、オレンジのような香りを漂わせる。
ほうっと肩から力を抜いて考えよう。
どちらにしても、失敗したらわたしに居場所はなくなるのだから。
それを飲み干すと、わたしは地下へと足を運ぶ。
まずは祖父の遺してくれた書庫を確認しよう。過去の業務日誌などあればいいんだけど、と歩く頭の片隅でレイが言った騎士団を利用する可能性もあり得るよね、と心で悩みながら。
約半日を地下で過ごした。
祖父の蔵書庫は地下二階にあり、この季節だと冷え込みもそこそこ。
一度は降りたものの、これでは寒さに耐え切れなくなると思い、冬の装いで再び下に足を運ぶ。
重い鉄製の扉は火事や盗難防止のもので、ご丁寧にも入れる人間を制限するために施錠の魔術までかけられている。
彼はここをそれほどに大事にしたかったのだろうと思うと、ありがたみを感じた。
先人の残してくれる知識や文化は大事な遺産だからだ。
「この資料群をまとめて検索できるようなものがあればいいのに」
千冊近い本を収めた数列の本棚の前に立ち、そんなことをぼやくわたし。
王都の魔法学院では、端末にすべての情報が網羅されていて、特定のキーワードを入力するとそれに関連する資料の題名一覧を表示してくれた。
だけどさすがにそれは最先端の技術であって、さびれた田舎のここにそんなものがあるはずがない。
「おじい様が生きていらっしゃったら、文字通り生き字引だったのに」
さて、それでは二級魔導師たるわたしの魔術を披露しますか。
ちょうど寒い場所だし、蔵書を痛めないように気を付ければ――簡易な検索は可能のはず。
三級魔導師から上になるには、魔法とは別の存在。
この世界の構成要素である魔素によって生み出された存在ではないモノ。
ほんのすこしの時空の層の向こう側にいて、こちらのあらゆる何かに宿り、干渉してくる意思を持つ彼ら。
精霊に通じることができないと、その資格を得ることは出来ない。
とはいっても、魔力を振動させて彼らの言語に近い波に意思を載せ、会話をするというだけで特段、攻撃に使えたり防御が出来たり、奇跡を起こしたりということには……残念ながら使えない。
できるのは小さなありえそうであり得ない何か、それを依頼することくらいだった。
「さ、あなたたちはわたしの声を聞いてくれるかしら……」
意識を集中し、体内に充満する魔力を練り上げる。それがまるで霧のように肉体からさまよい出て、空間のはざまに溶け込む様を見ることはできない。
ただ、イメージしてそうなるように強く、魔力を操るだけ。
そんなことを二十分ほど立ちながらやっていると、どこかにぽつんと点在する別世界との交差点が頭の中に思い浮かんだ。
魔力をそこに集約し、穴を広げるようにしてあちら側にいる精霊へと語り掛ける。
こちらに来てどうか、手伝って欲しい。
代価はわたしの魔力で――。
「出来たか、な?」
魔素を身にまとい、こちら側に現実味を帯びて存在感を示すその色は鮮やかな白銀のそれ。
炎のようでそうでなく、雲のようにも見えて霧のように薄くもなる。
精霊には属性がないから、わたしの意識しやすい形を取ってくれたのだろう。
ゆらゆらと空中に浮かぶ彼らを使役する時間はあまり長くはない。
せいぜい、よくて数分がいいところ。それを越えると、わたしの寿命が吸い取られてしまう。
依頼することはひとつだけ。
この蔵書の中から、ドラゴンに関する記述。もしくは地下の最下層にあるあの空洞で何かが過去に起こったか。
それに関する情報をすべて読み出し、わたしに伝えること。
彼らは依頼に従い、その作業に入ったのだけど。
数分後、もたらされた過去の出来事に、わたしは小さなうめき声をあげた。
夕方。
あちら側に戻した精霊たちが教えてくれた情報が書かれている分厚い本を数冊。
わたしは一階へと運びこみ、暖炉の前のソファーに陣取ると、ガラスのテーブルの上に資料を積み上げて、片っ端から読破する。
かび臭い本に目を通し、必要なことを紙に書きだしていく。
それだけでももう四枚目になるのだから、今回の事件はこの街の千年近い歴史の中では意外と、よく起こった事柄のようだった。
ただ、それが現代にまで受け継がれていないだけだったのだ。
「おじい様……。どうしてこういう大事なことを教えてくれなかったんですか……」
「あら、大変そうですね、アルフリーダ。先代様は何か書き残されていましたか?」
レイが夕食の支度を終え、そろそろ食事にしませんかと声をかけてくれるまで、わたしはその作業に没頭していた。
言われてようやく窓の外が暗くなり、しんと庭に聞こえていた近所の喧騒が静かになったことに気づく。
「もうそんな時間?」
「ええ、そんな時間です。数時間の間、ずっと作業に没頭されていましたよ。夕食を忘れて出来るなら、止めないわ」
「……食べるわよ。でもその前に――役場は閉まってる、か……」
「それはそうですよ、こんな時間ですもの」
「でも夜の礼拝はまだやってるはずよね?」
「礼拝? あれはもう少しあとの時間から行われているのでは」
「なら、そっちに行きたいわ。食事にします。それから出かけるから」
「……そんなに優秀な信徒だったかしら、アルフリーダって……」
眉根を潜める侍女に、違うわよとわたしは手を振った。
教会の女神様なんてどうでもいい。
いざという時に助けてくれない神様なんて、意味が無いのだ。
「そんなことしに行かないわよ。資料の開示をさせるの。徹夜作業になると思う」
「なら、夜食を――携行できる何か弁当でも作るわ」
「お願い」
レイは何にしようかと迷いながら台所へと向かう。
わたしはこのままではだめだからと、正式な二級魔導師の正装をすることにした。
徹夜作業?
それだけで済ませる気は無かった。
もう一つ。
わたしには教会で今夜のうちにやらなければならない、あることがあったのだ。