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第六章 ドラゴンは魔法剣がお好き

 それから三度ほど道筋を変え、階段の段数にすれば軽く数百段は降りた頃。

 ぐるぐると回りすぎて頭の中では地図なんてものを描けもしない。

 それなのに彼ときたらまるでどこに何があるかを全て記憶しているかのように、すいすいと先を行くのだ。

 さすが案内人。

 そう名乗るだけのことはあるなと思った時だった。

「なあ、アルフリーダ。そろそろ――」

「――っ!」

 あそこを折れてそれを曲がってそれから今がちょうど百五十六段目……。

 なんでぶつぶつと一人呟きながら数を数えていたら、立ち止まった彼のそばをわたしは行き過ぎてしまった。

 ワンピースの黒い裾をはっしと掴まれて引き戻される。

「ひゃあっ!」

 思いがけないその行動に体は無意識に反応し、しっかりと踏ん張ろうとした片足は――あえなく宙を蹴った。

「おいっ!」

 男性の強い力に抗えるはずもなく、しかし、片足は次の階段を下に踏もうとして宙に浮いたまま――ステンっと転びそうになったわたしをイデアはきっちりと抱きとめてくれた。

 彼の片腕が脇の下に伸び、その場にいきなりしゃがみ込んだようになってお尻をしたたかに打ち付ける。

 尾てい骨あたりに痺れが走り、続いて鈍い鈍痛……それはとてもひどいものだった。

「いったーいっ! 何するのよーっ……」

「すまん、しかしなー」

「しかしもなにもないでしょ! もっと扱いを考えてよ、これでも女なんだから」

「いや、まあ……すまん」

 昨夜の一件がないままに普段の自分がここにいたらこんな間抜けな醜態は晒さなかったと思う。

 少し腕を引き戻されたぐらいで転ぶなんてありえなかったし、そんなに運動神経が悪いとも思っていなかった。

 一心不乱に何かに打ち込むことで現実から逃げたいなんて――そんなことを考えていたとは口に出せるはずもない。

 女なんだから。

 その一言にそれまでの鬱憤も重ね合わせた上で、わたしはイデアで怒りを発散しようとしていた。

「すまんじゃないわよ、骨でも折れたらどうしてくれるつもりなのっ」

「まあ待てよ。なあ、管理人さん。いきなり引き寄せたのは俺が悪かった。頼むから機嫌を直してくれないか」

「……」

 無言の返答。

 ちょうど鉱石ランプと鉱石ランプの間で仄暗い闇の中にわたしたちは二人きり。

 階段の踊り場は少し上にあってちょっと急な斜面おりかかっている。そんな状態だった。

 彼が先に行く状況は、わたしにとってある意味、保険だったのだ。

 仕事で案内を頼んでいる相手。でもここは地下深くで何があってもどんな間違いが起きてもおかしくない場所。上下に分かれている場合、下から攻撃をしてくるほうが不利に決まっている。

 二級魔道士の資格も私に自信を与えていた。

 いざ、襲われても彼を撃退できる、そんな自信。

「悪かった。本当に悪かったよすまなかった」

「いいわ……手を離してくれない?」

「あ、ああ。そうだな。立てるか?」

「自分で出来るから大丈夫」

「そうか」

 なるべく距離を開けるようにして、二段ほど下にくだりながら立ち上がる。

 近い。

 ラルク以外の男性がこんな間近に来るなんてことはめったになかった。肌を触れさせることもこの街に来てからラルク以外に許したことはなかった。

 だから――怖かった。

 男性という存在に近寄られることが、あんな強い力で引き寄せられることがこんなにも恐怖を生むなんて……認めたくなかった。

「さっき何を警告しようとしたの?」

「警告? ここから先に行けば何でかわからないけどあいつにばれるんだ」

「あいつって?」

「最初に話したドラゴンかもしれない魔獣だよ。俺たち人間なんかよりずっと鋭敏で用心深くて、感覚だって鋭い。だからそろそろ気をつけて欲しいって言おうとしたんだ」

「……分かった」

 まだ不機嫌なのか。

 イデアはそんな顔でわたしを見下ろしていた。

 不機嫌なんかじゃないし怒ってもいない。さっきまでそうだったけど、仕事中だってことを忘れていた自分が恥ずかしくてまともに彼を見れなかっただけだ。

「どうする? その――腰が痛いなら戻るか? 俺にも責任があるし背中を貸してもいいぞ」

「冗談っ。わたしを背負ったら重すぎて歩けなくなるわよ?」

 ちょっとしたからかいを込めて、そう言ってやる。

 彼は両手を広げまさか、と反応すると、

「アルフリーダーほど細い女を抱き上げたぐらいでへこたれる俺じゃないよ」

 なんて、勘弁してくれとばかりに彼は言ってのけた。

 ちょっと前に私を抱き上げたラルクは、あの屋敷の一階から二階のベッドまで運びあげただけで息を切らしていたのに。

「……それなら、もしもこの先にいるドラゴンを見てわたしが気を失ったら運んでね」

「そんなにか弱い女だったか」

「たぶん? 重過ぎると思うから気をつけて」

「はいはい。もしもそうなったらなんとしてでも地上まで連れて戻るよ。あんただけでも必ず地上に戻ってもらわなきゃ俺が叱られるからな」

 その軽口に心の中で感謝する。

 都合よく叱りつけた女が機嫌を直すまで付き合ってくれるなんて。

 彼の心の広さに遅まきながら笑顔を取り戻し、

「ありがとう。仕事だからそうするって言われても嬉しいわ。それと――いきなり怒ってしまってごめんなさい」

「いいよ。あんたより癇癪持ちの女が俺の周りにはたくさんいるんだ」

「そんなに……モテるんだ」

 そう言うと彼は自分から気をつけろと言ったくせに声を隠そうともせず思いっきり笑い出す。

 大爆笑だった。腹を抱えてたまらないという風に目尻に涙まで浮かべながら笑っていて、私はしたたかに自尊心を傷つけられる。

「あんたは面白い人だアルフリーダ」

「そんなに笑うことないじゃない……傷ついたわ」

「悪かった悪かった。俺の周りにいる女達っていうのは逃げてきた女性が多いんだよ。旦那に暴力を振るわれたり、税金が払えないからって途中追い出されて家族散り散りになるようなそんな連中さ。みんな余裕がないんだよ」

「そういうことだったんだ」

「そう! だからあんたの今の話も面白かったし――ハハッ、これはイイッ。いやすまない……あんたの男のことも思い出したら笑いが止まらなくなった」

 わたしの男。

 昔の男、昨夜までの男。

 今のわたしは誰にも束縛されない自由な女よ。

 案内人の右肩に固めた拳を軽く打ち込んで、それを証明する。

「もういいから早く行きましょう」

「そうだな。ところで俺はそろそろ剣を抜こうと思うんだが構わないか」

 ここから先は危険地帯、ということだろう。

 彼にどうぞと手で促すとこちらも腰に佩いた炎の魔法剣をすらりと抜き放つ。

 一度だけラルクが鞘から抜いて見せてくれたその刀身は、今も変わらず鈍いそれでいて金属ではないような闇色の光を放っていた。

 周囲に漂う墨色のそれをまるで吸収してしまうかのように仄暗い。

「……どう思う?」

「その剣のことか? 一介の騎士が持つにしては――価値があるように見えるな」

「叩きつけたらドラゴンでも倒せるかしら?」

「やってみれば分かるかもしれない。できないかもしれないが……俺ならやらない」

 トラブルに自分から付き合うのはごめんだ。

 そう言ってイデアは自分から率先して次の鉱石ランプが待つ踊り場へと足を進めた。

 最下層と呼ばれるそこはこれまで歩いてきたどの通路よりも広く古めかしく、それ以上に沈黙と暗闇が同居していて――何より湿気が充満している。

「こんな場所に住み着くもの好きもいるのね」

「人間じゃないからな魔獣の感覚はよくわからん」


 そこからさらに数十メートル進み三つの天井に等間隔で設置された鉱石ランプを越えたその場所は、巨大な空洞となっていた。

 見渡せば左右はそれぞれ二百メートルほども余裕があり、見上げれば天井があるようでないような。

 その場所にも鉱石ランプは設置されているのだが、その灯りを辿っても照らし出せない高さが見て取れる。

 王都にいた頃、週末の礼拝に訪れた神殿の礼拝堂もこんな感じだった。

 ――あそこは神聖な雰囲気に包まれていて、ここはその対極で最悪だけど。

「……おおきい……」

「な? そう思うだろ?」

 思わず感嘆のため息を漏らし、わたしは彼らを刺激しないようにその場所から動けずにいた。

 そこにいたのは数十頭の、小山ほどの巨大なウロコの群れ。黒々とぬめぬめとしていて、鉱石ランプの明かりを反射するそれは触れたら即、切れてしまいそう。

 ドラゴン。

 頭の先から尻尾の先まで数えれば多分、五メートルはくだらない彼らは一度こちらにちらりと視線をやると興味なさげに瞼を閉じる。

 全くやる気のないその素振りが異様なほどに強さを物語る。

 伝説にあるような翼はなくて、でも四つ足ででっかいトカゲのような全身をしている。

「大きすぎるわよ。しかもこれだけの群れ、どっから入り込んだの!?」

「俺が知るかよ。それにあいつらよっぽど何かしない限りは俺たちのこと無視するんだぜ」

「脅威にする感じないっていうことなのかなー。わたしたちがありとか昆虫とか見ても特に何も思わないように」

「なんだか複雑な気分だな。地上にいたら俺たちの方が――」

 と、そんなことをぼやいていると、なぜかわたしの持つ魔法剣が紅にぎらっと鈍く輝きを放つ。

「へ? 何これっ!」

「おいっ! 大丈夫なのか、それ! まさか魔獣を感知したから魔法が発動したとか……ッ!」

「わからないのよっ!」

 そんなこと言っている場合ではなかった。

 魔法剣の放つ炎の雰囲気が、ドラゴンたちの興味を引いたらしい。

 一斉に首をもたげこちらに向いた彼らは、チロチロとわたし一人くらい簡単に飲み込んでしまいそうなほどの巨大な咥内から炎を吐きながら威嚇を始めたのだから。

「あーまじかよ……連中、反応してるぞ」

「ひぇっ! どうしよう……」

「どうするもこうするもあるか、ヘタに逃げたら後ろから炎で焼かれるぞ……」

「逃げたくても逃げれない」

「はあっ?」

「腰が……ッ、足がすくんで、無理ッ……」

「俺もそうなりたい」

 そう言うと彼の行動は早かった。

 わたしの手から無理やり魔法剣をもぎ取ると、おおきく振りかぶってドラゴンたちの中にそれを放り込む。続く滑らかな動作でわたしをさっさと抱き上げると、入り口に向かって猛ダッシュっ!

 あっという間にその場から逃げ去った。

「ちょっと――っ!?」

「クレームは後から聞く! 喋ると舌噛むぞ!」

「わたしの魔法剣っ!」

 いきなり抱き抱えられ、パニックに陥るわたし。

 イデアは重いはずのわたしの体重なんてものともせず、やってきた階段を降りるときの数倍の速さで駆けあがり、さっさともと来た道を戻ってしまった。

 その体力に驚きながら、間抜けな発言を聞いて彼は必死な笑いながら走るという奇妙な芸を見せてくれた。

「はあっ……はあ。もうここまで来たら追って来ないだろ……」

「……魔法剣、置いてきちゃった……」

「あのなあ、命よりもそっちの心配か? 聞こえたろ、あのバリボリって音。もう跡形もなく食われちまったよ。たぶんな……」

「食べられ、たの?」

「炎が美味しかったのか魔法が美味しかったのかは知らないが、まあそうなんだろうな」

「そう……食べられちゃったんだ」

 折れるどころか食べられてしまうなんて。

 美味しく美味しくバリボリと音を立てて砕かれていく様が、脳裏に思い浮かぶ。

 ごめんね。

 なぜかわからないがそんなことを心に念じてしまう。

 文字通り、騎士の誇りとともに魔法剣はドラゴンのおなかの中に収まってしまった。

「あれ、大事なものだったのか?」

 まだ息の荒いイデアが、心配したのか声をかけてくる。

 大事なもの。

 大事なものだったかもしれない。

 彼とわたしの仲をつなぐ、数少ない思い出の品だったから。

「……そうかもしれなかったけど、いいわ。それより、あのドラゴン達、上がってこないのかな」

「どうだろうなあ。ちょっと前に行った時はあんなにたくさん増えてなかったんだが」

「は? あんなにたくさん――?」

「そう。一週間ほど前に見に行った時にはまだ十頭いるかいないかだった」

 それを聞いて背筋に戦慄がはしる。

 繁殖したのか、それともどっかから入り込んだのか、それとも呼び出されているのか。

 なんだかとっても嫌な予感がしてぶるっ、と肩を震わせるわたし。

 イデアは短い休憩で体力も回復したらしい。

 再度、抱き上げて運ぼうとするから――それは丁重にお断りした。



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