第四話 魔法剣と騎士の称号
ところで、とレイは何を思いついたように私を見てそう言った。
その眼差しはどこか挑戦的で、どこか疑惑があり、どこか楽しんでいるようにも感じられた。
なんとなく嫌な予感に心を掴まれつつ、わたしは口を開く。
「……何かしら」
「いえ、何と言いますか、昨夜は三人で楽しんだというのなら、順番は決めた方がいいですよ、お嬢様」
「……はあ?」
何を勘違いしたのかこの次侍女はとんでもないことを言い出した。 それは誤解に継ぐ誤解で彼女の妄想はたくましくもあらぬ方向へと常識というものを軽々と飛び越え、さらに大海を越えて大陸の向こう岸辺りにまで漂着してしまったくらい、とんでもないものだった。
「あら。違うの? あなたたち、仲が良いからそういう間柄でもおかしくないのかと」
「それなら追い出す理由にはならなかったと思う」
「どちらが一番でどちらが二番かを賭けた女の戦いでも悪くはないような気もしますけど」
「……レイって、悪趣味ね」
もう心の嫌な予感は消え去ってしまい、後に残ったのは侍女の人とは感性の違った主義というか思考というか。そんなものを知ってしまった残念感しか残らなかった。
ただ――彼女の言うことも一理はあるような気もしてわたしはそれを認めたくなかった。
それ、すなわち……誰が正妻で、誰が愛人か。
もしくは側室か。
そういった、上位貴族の結婚と性生活には必ず付きまとう、めんどくさいそれのことだ。
悪趣味と言われ侍女はそんなことはないと否定する。
「お嬢様も王族の一員になるはずだったのですから、その辺りの心構えも大事かと思います」
「もう、いいわ。聞いているだけで気疲れするから……。で、みんなにはきちんとしてくれたの」
「もちろん、貼り紙も門の前に来ていた者たちにはきちんと伝えて――変ですね、アルフリーダ?」
「何が変なの? もしかして、騎士団でも引き連れてあれがやってきた!?」
あれ、とはもちろん裏切り者のラルクのことだ。尻軽な軽薄男。どうしてあんな奴が高潔といわれる騎士でいられるのか。
代々の血筋や親の地位というものは大きな影響を持つのねとわたしはため息をつく。
レイはあれは来ませんが、と一言付け足して疑問を口にした。
「どうしてこちら側には入れないのに、あちら側には出せるのでしょうか?」
「……なにかを結界の外に出したの?」
「いえ、紙を門扉に張り付けていたら、風で飛んでいきましてね」
「ああ、そういうことね。あれは結界を張った術者の意思によるのよ……そう、彼はまだ来ないのね」
先に返しに行きますか、あれ。
そう言い、レイが目をやったのは他でもないラルクの魔法剣だ。
「彼は来ていませんよ、お嬢様。直接、あれで刺し殺すおつもりはありませんか」
「ないわねー。今のところ、そうしてやりたくてもこちらの命が危うくなるような危険には、身を置きたくないわ」
「でも、あの幼馴染とともにどこかに追い出してしまわれた、と」
「……ときどき、あなたが忠実な侍女で友達なのか、それとも嫌味で陰険な義理の母親なのか分からなくなるわ、レイ」
「それはどうも。義理の母なら、あの男たちを無事に帰宅させる気にはなりませんよ、アルフリーダ。あなたは大事な私の家族ですから」
家族の定義って何だろう?
そんな疑問を持たせてくれる一言だった。
あの人とわたしは、その家族になるはずだったのに。あの光景を思い出す度に、大きな感情の波が心を揺らしていく。
「ねえ、まだ良かったかもしれないとか思ってない?」
「は?」
「だから――彼との結婚式を挙げて法的に夫婦になる前にこんなことになってしまったけど。でも……ラルクをあの浮気男を旦那様なんて呼ぶことにならずに済んでよかった。そう思ってない?」
「もちろん、思っています。当たり前じゃないですか!」
「あなたなら、そうよね……」
わたしの髪にアイロンをあてあらかた乾いたのを確認したのだろう。
レイはそれを手から離すとかたわらに置き、香油をすこしずつ髪になじませていく。
「今夜もまたああなったら、もう知りませんからね」
「二度目はもうこりごりだわ。朝からお風呂に入れるって贅沢は悪くないけど、叱られそう」
「あのケチな浮気男はもういないのだから、気にする必要なんてないじゃない」
「それもそうね……」
ここ半年の間、彼は三日とおかずに我が家にやって来てはのんべんだらりと過ごしては文句を言いえらそうにしていた。
自分勝手で貴族の屋敷ではいつもこうだと威張り散らしては、レイにああしろ、こうしろと命令しては一人満足そうにしているのだ。
それはまるで彼の両親が息子に見せてきた姿ではないかと、今になってわたしは思う。
追い出したことは、どこのどんな視点から見ても正解だったようだった。
「戻しに行って来ましょうか」
「お願いしたいわ」
「では……どちらに行きますか? 公爵邸? それとも、騎士団の宿舎?」
「ラーケム伯爵様はなんて言われるかと思うと、怖くなる。ラルクの方は宿舎の方でいいと思うけど」
「裏切り者の幼馴染を庇うおつもり? アルフリーダ」
「そんな気は無いわ。ただ……幼馴染だからこそ、あちらの家族には良くして頂いたから……ね」
あちら様に申し訳が無い。
なんて言うと侍女は「馬鹿ねえ、アルフリーダ。だから捨てられたのよ」と言うのだ。
慰められていたらいきなり小馬鹿にされて、レイの優しさはどこにあるのだろうと一瞬疑いを持つ。
「いい、アルフリーダ? あの結界があるからこうしてのんびりとしていられる。あなたの魔導があるから私たちは安全だというだけじゃないの。いまは自分の身を守ることを一番に考えなさいな」
「……でも、あなたはどうするの? もし、伯爵家や騎士団に行って捕縛でもされたら? どうやって逃げるつもりなの?」
こっちだってただ一人の侍女を失いたいわけじゃない。
例え陰険で意地悪な姉のような存在であってもだ。だから、レイに届けに行かせることには一抹の不安があった。無事に戻ってくる保障なんてどこにもないのだから。
「逃げる?」
「そう逃げるの」
レイは不思議そうな顔をした。
自分が捕まることなんて心配してないような、万が一にもそんなことは起こらないと信じているような顔つきだった。
「どうして逃げる必要があるの?」
「だって……。わたしは昨夜、あの二人を河に叩き込んだのよ!?」
「へえ?!」
それは傑作! なんてレイは両手を打ち合わせて喜んでいた。
ずっとあの二人は気に入らなかったとか言いだす始末だ。おまけに機嫌よく鼻歌交じりに彼らの衣装と荷物をまとめ始めた。
それぞれ、別個の紙袋に包み込んでいく。
野菜とか肉とか、そういった買い出しに行った時に店側が入れてくれる、そんなやつだ。もちろん、中身の痕跡が残っていて、それがもし生肉の油や、野菜のクズだったとしたら届けられた持ち主としては開いた時に最悪な気分になるだろうことは想像にかたくない。
「レイって……嫌味が好きなの? 子供のころはいじめっ子だったとか?」
「まさか!」
「だって心底嬉しそうだもの」
「それは、もちろん! 主人を馬鹿にされて喜ぶ従者なんて滅んでしまえばいいんだわ。まあ……そうね」
「なに?」
「逆を言えば、主人を馬鹿にするような誰かも好きじゃない。つまり、私もこれからあちらの従者には嫌われる運命ね」
「……ごめんなさい」
もうそれはいいですから。そう言うとレイはある書類をわたしに書いてくれと言い出した。
それはこの屋敷に荷物や家紋を残し、身分を明らかにする物を置いていった彼らには、すこしばかり痛い目を見させることができるかもしれないと期待できるものだった。
わたしが羽ペンーー万年筆でもなんでもある時代になぜこんな古い物を使うのか理解できないけど、貴族社会ではまだ幅を利かせている――にインクを馴染ませて、既定の文章を書いて行く。
書いて行くというよりは模写している、といったほうがいいかもしれない。だいたいの上級貴族の家には、わたしの左手の下にあるような模範文集がそれぞれ分野や事例ごとに数冊は積まれているもので、ここから似たようなもしくは、同じ内容のものを模写して使えばいいようになっている。とはいえ下級貴族や都会の貴族なんて、そもそも遺産の中にこれが含まれていなかったり、決まった金額を出せば代筆屋がいたりするから彼らを利用するのが慣例だ。
そこに行くと、わたしのような二級魔導師は最底辺の爵位しかない割に、文書屋や代筆屋、弁護士たちが持つような法律の専門書も数多くそろえることが出来る。
爵位は代々受け継がれるものだし――文章に改ざんが出来ないように魔術をかけるのはわたしたちだからだ。
「おじい様の遺産がこういう形で役に立つなんて」
「皮肉だと言いたい? その遺産の一つにはこの侍女も含まれていますよ、お嬢様」
すっと横から手が伸びてきたかと思うと、インクが乾ききらないそれをレイはふーん、と斜め読みしていた。そして、机の上に置くと、一つうなずき、私からペンを取り上げて品目一覧を記すために空けていたそこの、彼らの忘れ物をそれぞれ事細かく書き込んでいく。なになに柄のドレス、一枚。何製のスカーフ、模様は何で製造元はどこそこ、という感じに。
それを二枚、二人分書き終えるとレイはそれでは、と紙袋を手にした。
「後はお嬢様が蜜蝋で封印をなされば、正式な拾得物申請書の出来上がり、ですね」
「拾ったものじゃないと思うのだけど……」
「屋敷内はもちろん、お嬢様の。アルフリーダの権利が及ぶ場所ですから。泥棒に来て撃退されたのか、遊びに来て忘れて帰宅したのか。大きな違いになるわ、もちろん、彼らは名誉が傷つかない方を選ぶでしょうね」
「選んだ後にやって来るのは、家から生涯出してもらえない生活か。それとも、分家筋かどこかに追いやられるか。騎士だと称号すらも失うかもしれない」
「主人の落とし物を届けてくれた恩人を恨む従者もいませんから。私の心も気楽になるというものです」
レイって本当に意地悪。
抜け目ないというか、慣れているというか、ずる賢いというか。
それでも、いまは頼りになる侍女だった。
この申請書が、地方都市であるこの街の役場の代わりも果たしている、教会に認められたらの場合だけど。
こうして書類と二つの紙袋を手にした侍女は、意気揚々と出かけたのだった。
我が家から歩いて五分もかからない目と鼻の先にある、教会に向かって。
「結界、本当に解かなくて大丈夫かしら? ま、教会とこの屋敷の間であの子を襲うような馬鹿はいないでしょうけど……」
ここいらは教会を最奥にしてその後ろには三メートルほどの外壁が、背後からの侵入を阻んでいる。
メインストリートではないけど、それに近い雰囲気は持っているかもしれない。
ガス灯が夜は煌々と付くし、城の衛兵と、教会が所属する王都の神殿から派遣された神殿騎士や、衛士たちが定位置に立ち、目抜き通りの治安の維持に努めている。
土日にもなれば多くの露店や商人たちが店を開くようになるこの通りには、普段から監視の目が多いのだ。
つまり、氷の魔女と呼ばれるわたしの役割を求めてくる人々もそれなりにはいることになる。
この屋敷そのものが、ボルダスの街の地下水脈の管理を任されたわたしの事務所になるからだった。
「さてっ、と。そうなると、結界を維持したままというのも、醜聞を広げる可能性があるかな」
ラルクやエリダ。
馬鹿な婚約者とその浮気相手に関するとりあえずのことは、レイに任せておけば良さそうだった。
仕事とも呼べない事務を終えてみれば、冷静になれそうな自分がそこにいる。
昨日は世間では週末というか、金曜日の夜だった。
はるか東の大国からやってきた近代的な週休二日制の習慣は、この国ではあまり重要視されていない。
土曜日でも普通に商家や農家は働くし、職人たちだって軒先を開いている。
ただ、わたしのような公的な職務を持つ者たちにとってはそれは例外な訳で……。
「土日の休みはありがたいけど、あいにくとこの管理の仕事は人が休みな時に忙しいのよね……」
ボルダスの街は、そばを流れる大河の支流から地下に水路を整備して発展してきた。
大河はその名をシェスという。
はるかな東の果てで、この西の大陸と東の大陸を両断するように本流があるらしい。
もっとも、本やそこに描かれた絵を見聞きしただけで実際に見たことはないから、それが真実かどうかはわからない。
ただ明らかなことが一つだけあって、ここに流れて来る支流は、その合間に山脈だの草原だのを経由している。
そのせいで、河の色は濁りに濁った土色に近い、茶色。
つまり、何かをしなければ飲めないというわけだ。
「……そこでわたしのような魔導師と魔道具を利用して、水の清浄を行う訳だけど。管理がねー」
めんどくさいのだ。
ここはどちらかと言えば、南に近い。
しかし、南国というわけでもなく、ただ生態系は活発だ。それなりに。
――あの魔法剣、護身用に持っておけば良かった。
そう思い惜しいことをしたとぼやいたのは、それから二時間ほどした後のことだった。
「ねえ、レイ。どういうこと?」
「受け取って頂けませんでしたねえ。不思議なことに」
「だって、彼にとっては命の次に大事な騎士の証じゃない」
二時間後。
侍女が戻って来た。
行きは徒歩で、戻りは豪華な馬車に揺られての帰宅だった。
二階の自室に上がり、ベッドをどう処理してくれようかと唸っていたわたしは、門扉の向こう側にやってきた四頭立ての馬車を見て一瞬、背筋を凍らせた。
騎士団の紋章入りの黒く塗られたその箱馬車にはラルクと、彼にそそのかされた仲間たちが乗っているものだとばかり思っていたからだ。
もしそうなら、レイの安否だって危ういのかもしれない。
どうしようとぼやいたその時、馬車の扉を御者が開くと降りて来たのは我が家の侍女だった。
「国王陛下から頂いた魔法剣をこの身から手放すことなどあり得ない。絶対にそれは間違いの品だ、自分のものではない、と頑なに拒絶されまして」
「ラルクに会ったの!?」
レイは屋敷に戻ると疲れたと言い、勝手に紅茶なんかを入れて座り込む始末。
こちらの心配なんて無駄だったようで、しかし、その返事には呆れが混じっていた。
「会っていませんよ。あちらの上官様とお話をしていたら、ラルク様の部下という方がそう伝言を持って来られたの、アルフリーダ。彼はシェスの支流で夜釣りに興じていた、と話したみたいよ」
「夜釣り? 裸で……?」
「そこまでは知らないけれど、まあ、上官様はどこか薄っすらと笑われていらっしゃったわね」
浮気男には相応しい罰が当たったのか。
それとも恥をかいたままで黙る気は無いのか。
どちらにしても、それなら魔法剣を出してみろと言われたら彼は出せずにどうにか似た物でその場を凌ぐだろう。
例えば、魔法剣の柄にはめられた魔道具の調整などで一時的にでも手元から離れるときのために、似たような剣を二振りほどは作って常備しておくのが常なのだとか。
ラルクが付き合い始めた頃に、そんなことを言っていたことを思い出し、わたしは忍び笑いを隠せなくなった。
「くっくく、おかしい。あの馬鹿、そんなことを言ってまで体面を取り繕ったのね」
「まあ、ですから。そのうちに取り戻しに来るのではないかなと、私は思うけれど。貴方はどう思いますか、アルフリーダ」
「……確かに、その可能性は高いわね。でもそれなら――彼からは魔法剣に似た品物を婚約の結納代わりに頂きました、とかって世間には言いたいくらいね。これがあると、地下水道に入った時に便利だもの」
「ああ、なるほど。それなら、貰っておけば?」
「いいのかしら」
「良いんじゃない? 貴方がこれを扱えるというなら、問題はないと思うわよ。でも、騎士の剣だから重いし――女性にはまだまだ扱いやすい物ではないと思うけど」
出来るの?
そう問われ、わたしはどうにかしてみると答えた。
魔法学院では武技や乗馬なども必須科目として教えられたからだ。
こんな田舎の小さな王国。
近隣の大国からにらまれて起こる小さな紛争は、日常茶飯事だったからだ。