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第一話 プロローグ

 よく考えてみて欲しい。

 長い人生の中でこんな情景に出くわすなんてことが何度あるだろうか。親友と男性が、部屋のベッドの中でシーツにくるまれている。

 白く薄い布をへだてたむこう側には、およそ全裸にちかい二人の男女が寝そべっているのだ。

 しかも、それはわたしのベッドであって、彼女の自宅の寝室でもなければ、彼が所属する騎士団の宿舎に与えられた部屋でもない。

 ここはわたしに与えられた邸宅で、そのベッドは半年前に購入したばかりのお気に入りで、おまけに彼はわたしの婚約者なのだ。

 ついでに、彼女は幼馴染でわたしに彼を推薦してきた恋の仲介者でもある。

 ありていに言えばわたしは婚約者と親友の浮気現場に接見してしまったわけで……これはどう考えても、まともじゃないし人生で一度だってあってはならない物事のはずだ――わたしの常識が魔導師という役職に就いたことで、世間からかけ離れてしまい昼間の青い空を赤だと言ったり、赤い太陽を青だと言ったりしない限りは、自分はまともだと思っていいはずだ。

「ラルク、あなたなにをしているの……それに、エリダも」

 彼はいつも通りに言い訳をしない。

 ただ、自分が恥じるべき行為をしたという自覚はあるらしく、こちらをじっと見、さっと目をそらして黄金の瞳をくもらせていた。

 エリダはあはは、と乾いた笑い声をあげると、意味ありげにそれでいて、悪びれた素振りを見せながら反省よりも悪戯しているところを見つかった子供のような視線をこちらに投げかけていた。

 こんな時、普通の女性ならどうするのだろう。

 怒鳴り散らす?

 怒りに任せて親友の髪を引っ張りそこいらを引きずり回す?

 彼氏に、婚約して一月もたたない間に他の女に手を出した浮気男に泣きつく?

 それとも――こちらが半狂乱になって爪で引っ掻いたり、思いっきり噛みついてやればそれで気が済んだだろうか。

 でも、わたしはそのどれも選ばなかった。

「あ、あのさ……アルフリーダ」

 そろそろ泥棒の快感を忘れ、罪悪感に目覚めたのかエリダがどこかこまったような顔をして声をかけてきた。

 水晶のような透き通ったブルーの瞳には親友の情に訴えればどうにかなると思ったのか、上目遣いに見てくる視線には戸惑いのような困惑のような許しを請うような。そんな醜い感情が渦をまいているように見えた。

「私たち、まだその――ね? あなたを騙すつもりはなかったの」

 そんな陳腐な言葉が続いてエリダの口から飛び出して来たときには、呆れたというよりもただ馬鹿な女がいるとしか感じられなかった。

 言い訳をするにしてももっと良い言葉を選べないのかしら。

 皮肉を込めてそう思ってしまった。

 せめて、お酒の勢いだとか、彼に襲われたんだとか、爵位を盾に脅されたとか……ラルクは公爵家の三男だし、エリダは伯爵家の次女だ。貴族と言っても、その身分には大きな権力の差が存在する。

 それとももっともらしく、彼の騎士としての強さに抗えなかったとか。自分からこうしたんだとか――詫びの言葉よりもうやむやにしてしまおうという浅ましくていつも行動に考えが足らない彼女らしい一言だと納得しそうになった自分にどこか嫌気が差した。

 だからわたしは彼を擁護するような一言を放ったのだ。

 彼が男らしく、騎士らしくその行いを恥じて謝罪をしやすいように。

「そう。ラルクが悪いというわけじゃないのね」

「……え? あなた何を言って――いる……の?」

「なにってわたしの婚約者が悪いわけではないのね、って。そう確認しているのよ、エリダ」

 あなたが全部悪かった。

 今回の罪を背負って、愚かな女として謝罪すれば、ラルクは許してあげても良いわよ。

そんな意味でわたしはエリダにそう言った。

 ラルクは公爵家の三男。婚約者の家で別の女を抱いているところを発見されたなんて。しかも、その発見者が婚約していたわたしだったなんて。

 世間に広まれば彼の爵位はおろか、騎士としての前途も危うくなる。そうなれば、エリダだけでなくわたしにだって罪が及ぶのだ。

 婚約者に不貞を働かせた女が悪い。陛下はそう言うだろうし、この件は無かったことにされるだろうし、わたしは何か罪を犯した女として処分されるだろう。

そして、国王陛下の親戚でもあるラルクは、王族の体面を保たなければならなくなる。

身分社会とはそういうものだし、女の権利なんてものは無に等しい。

守ってくれる存在なんてどこにも、誰もいないのだ。

「待って、意味がわからない……」

「わからないはずないでしょう、エリダ。あなたはラルクを誘っていないし、彼に誘われてもいない。ただ、愛人のような――男性がもよおす当たり前の感情をわたしの代わりに処理していた。婚約期間はそういう行為ができないから、求められたら従っただけ、でしょう? 王都の夜になれば街路に立つ商売女たちよりも、ちょっとだけ都合のいい扱いをされただけ。違う?」

「なに――それっ!?」

 賢くなりなりなさいって、言い含めようとしているのに。

生来、気性の激しいエリダは自分を馬鹿にされたと感じ、あっさりと牙をむこうとしていた。こんなところで抵抗したって、今更、何も変わることなんて何もないのに。

「貴族の男性が身分の格下の侍女を求めることは良くあることよ。そう言っているの。あなたは親友でも幼馴染でも何でもない、ただの使用人として彼の側に仕えていた。そういうことにしなさいよって、提案しているの。理解できないかしら」

「馬鹿にするにもほどがあるわよ、アルフリーダ! あんたよりも私の方が彼のことを知っているし彼を愛せるわ。その貧相な肉体よりも、彼は私が良いってそう言っていたもの」

 嘲りと勝ち誇ったような愚かさが目立つ冷笑がエリダの顔を覆っていた。感情の抜け出した仮面のようなそれは、隣に座りわたしたちの会話を見つめて黙っていた卑怯者にも伝わったらしい。彼はこれまで見たこともない冷ややかな、獰猛な光を金色の瞳に映し込んでわたしをにらみつけると、大事な存在を守るかのように――エリダの方に手をやり抱きこんでしまった。

「あなたも……そう、なのね」

 諦めに似た感情が一瞬だけ心を揺らしてどこかに去っていった。

 生まれてきたのは大人としての理性的な感覚ではなく、我慢しなくてももういいだろう、そんな怒りとやるせなさと――子供じみた喜劇を演じる二匹の獣たちへの憐れみの感情だった。

 貴族なら。騎士なら。その社会に生きる者なら。

 この状況を妥協と譲歩によってうまく乗り切らなければ明日に待っているのは身の破滅かもしれないという、そんな危機感はかれらにはないらしい。

 王族という優越感と特権に守られているというかりそめの、薄い氷のような安心感に浸っているのだろうから。それはいつ溶けてなくなるかもしれないという悲壮感はないのだ。だから、ラルクは自分の行動にうぬぼれていられるのだろう。

 そして、勘違いをした男について行けば安全だと頭から信じて疑わないかつての親友は相変わらずこちらを見下すような視線を止めなかった。

「俺はエリダがいい」

 婚約者がその後にも前にも出したのはたったこの一言だけで、彼はそれ以上の会話は不要だというかのように手でなにかを払う仕草をした。

 ここから出ていけ。

 そういう意味なのだろう。

 自分たちはまだ夜を楽しみたい。彼は無言でそう語り、出ていくように命じていた。室内からだけでなく、この家そのものから。

 だからわたしは逆に彼らの望みをかなえてやることにしたのだ。

「いいわ。それでいいなら、そうします」

「わかったら、出て行きなさいよ。間抜けなアルフリーダ」

 男を奪い、勝利をその手にしたと確信したかのような発言がエリダの口からまた飛び出して来た。今度は嘲りだけでなく、ざまあみろ、とそう付け加えて。

「魔導師の家にはいろいろな魔術が施されていることくらい――騎士なら知っておくべきだったわね」

「はっ?」

 エリダの疑問の声とラルクの何かに気づきはっとした顔が、わたしの目の前で重なった時。二人は紫色の燐光だけを残してベッドの上からきれいさっぱりと消え去って来た。

 まるでその空間になにもなかったかのように支えを失ったシーツが、ぱさりと音をたててベッドの上に崩れ落ちる。 

寝室の入り口近く。ベッドの足元と脇に置いてあるテーブルには、それぞれに仕掛けが施してあり、どちらかでもいいからわたしがある行動を取れば――この家から望まない来客を排除することができる。そんな魔術は魔導師であれば当たり前に常備している防犯対策のようなものだ。まさか婚約者の浮気現場に使われてその相手ともども転送することになるなんて、これを施術したときは思ってもみなかったけど。

「――物も一緒に移動できるようにしとけば良かったわ……」

 いまから夜は始まるというのに、お気に入りだったベッドは裏切りの証拠として汚されてしまっているのだ。こんなもの、もう見たくもないと思ったって仕方ないじゃない……と、改めてベッドの脇を見直すとラルクが普段、腰に装備している魔法剣がそこにかけられていた。

 主は今頃、数キロ先の街の外壁の向こうに流れる大河の支流、それも流れもまばらな浅い河川敷か川面に落ち込んでいることだろう。

「無事に戻ってくればいいけどね」

 この魔法剣は明日、騎士団の宿舎へ、家人に言いつけて届けさせることにしよう。そう決めると家の周囲を囲む塀に仕込んだ防御結界を作動させた。これであいつは戻ってこようとしても戻れないだろうから。最も、何か理由をつけて騎士団から仲間を連れてきたら、結界を解除するしかないのだけれど。今はもう、何もかもがどうでもいいような気がしてしまい、わたしは気だるさとやるせなさを背負いこむと、いきなり襲ってきた疲労感に負けないように足を客室のベッドへと向けさせた。

「氷の魔女なのだから、氷塊に閉じ込めたらぜんぶ終わったのに」

 自分の二つ名を恨みながらつぶやくと、そうしなかった理性が残っていたことを誉めるべきなのか叱りつけるべきなのか、後悔するべきなのか。

 十八年の人生のうちで初めて出会った、浮気とその狂気にあてられて心が苛立つのを止められない。気づいたときには何もかも記憶の彼方に消し飛んでいて、来客用のベッドに突っ伏したまま朝を迎えたわたしがいたのだった。

  


 


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