1-2 少年と洗礼の儀
洗礼の儀に特別な条件などは基本的に無い。
それこそ、日時や気象、天体条件等が関わっているわけでもない。せいぜい昼間が望ましいという程度だ。似たような時期に、それぞれの町や村の都合に合わせて日取りを決めて行われるのが洗礼の儀であり、洗礼式だ。
唯一ある条件は、その儀式の段取りや作法のこともあり、神殿に登録されている神官が行う必要があるということだけである。
第四小隊に所属しているクリスティナ・カンサーは神殿での修行を積んで神官として登録もされているが、その回復魔法と光属性の魔法の能力の高さから騎士団に神殿から送られた女騎士だった。
洗礼の為に儀式服を着て身だしなみを整えたクリスティナのロングのブロンドヘアーが陽を浴びて光を孕み、これから始まる洗礼が神の祝福を得る為のものであると見る者に視覚から訴える。
神官として祭壇とツヅルの間に立った彼女は柔らかい笑顔を彼に向け、淡い桃色の宝玉がはめ込まれた杖を両手で握り締める。
そこにいるツヅル以外の者達は知っている。
洗礼はあくまで本人の魔力適正を開花させるだけで、その適正自体も持っている者は十人に一人二人程度の割合でしかいない。それ以外の子達にとってみれば八歳までの健やかな成長を祝う祭りのような扱いだ。
だからこそ、今壊滅したこの村で唯一生き残ったツヅルの命を祝うことで、亡くなったツヅルの両親への『貴方達の子は無事だ』ということを伝える手段として洗礼の儀を行うのはどうかとアラムは考えた。
神官であったクリスティナもその理由であれば本来の意義からもさほど離れていないことから洗礼の儀を執り行っても大丈夫だと判断したこともあり、その意見に異を唱える騎士は無く、全員が笑顔でそうしようと答えた。勿論昨夜ツヅルと一緒に寝たことで知るのが他の騎士達よりも遅れたユウゴも。
アラムは村の監視の任務に就く自分達よりも、街へ強行的とはいえ向かうことになった第八小隊にツヅルを任せて街へ連れていくことも考えたが、今のツヅルがユウゴを頼りに情緒的にも落ち着いていることもあり、そのまま第四小隊で保護することにした。万が一の時はユウゴにツヅルを任せて逃がせばいい。ユウゴは不愛想で不器用な男だが、実力は確かだ。そして彼自身がツヅルを守ると誓っていたのだ。
「相変わらず甘いですね、隊長は」
出発した第八小隊の背を見送りながら、リゼはアラムに呆れたように言う。
「仕方ないだろ。元々の性格だ。……嫌か?」
「…………嫌だったら隊長に進言してツヅル君を第八小隊に任せています」
「だよなぁ。いやぁ、部下に恵まれているよ、俺は」
春とはいえ冷え込んだ外気の中でアラムが軽く笑った際に発せられた呼気は、白い霞のように朝焼けが滲む暗い空に昇って消えていく。
祭壇の前のツヅルとユウゴとクリスティナ。
その三人を端に並んで見守る第四小隊の騎士達。
クリスティナは神像の方に向きを変えると小さく息を吸い込み、神殿で習い、何度か経験した洗礼式の言葉を口から紡ぎ出す。
日々の神々に対する感謝から始まり、祝詞を止まることなく繋ぎ続けていく。
「生命と火の神リウイグニア。愛と水の神リーベアイル。希望と風の神ゼフロス。勇気と土の神ルクアース。調和と光の神アルリヒト。不変と闇の神エオニオトス。そして、神の王デウレクス。汝らの仔であるこの大地に息づく幼き命に、汝ら全ての加護を与え給え。汝ら全ての祝福を与え給え。願わくば、この幼き者に、この力弱き者に一人でも歩き出せる未来を与え給え」
祝詞と共に神像に捧げるように杖を掲げた瞬間、桃色の宝玉はほのかに光り、教会の中を柔らかい光が包み込む。
クリスティナが行っているのは洗礼の儀という名を借りた儀式魔法の一つであり、術者の魔力を以って他者の魔力の根源に干渉し、魔法を扱えるように道を通すというものであった。必要以上に魔力の道を作り出すことは幼い魔力を暴走させる危険もあることから繊細な魔力コントロールが必要だ。それこそ、小さな針の穴に糸を通すような精密さが求められる。そして、魔力を持たない人間には全く干渉できない。そのことから、全ての洗礼を受ける者達に『違和感』を抱かせてはいけないという決まりがあり、魔力適正がある子でもその場で干渉したとに気付かせないようにする必要がある。これはその子を守るという意味もあった。誰が魔力を持っているかは術者にしかわからないうえに、洗礼式には基本的に神殿関係者や国でもそれなりの身分にある、王宮関係者や貴族、王国騎士団などの事情を知っている者しか参列しない。しかし、小さな村とかであるような、村民やみんなで祝うような洗礼式になると、子どもの僅かな反応から気付いてしまう人間も出てきてしまう可能性があり、最悪の場合攫われる可能性もある。それもあり魔力適正が確認された子には後日神殿から使者が遣わされ、魔力を使いこなせるように練習する目的と、害意や悪意ある者から守るという目的から王国が運営する全寮制の学園に強制的に入ることが伝えられ、連れていかれる。
「胸が……あついよぉ……」
ツヅルが呼吸を荒くしながら右手で胸を押さえ、床へとへたり込む。ユウゴの手を強く握り締めて、苦しさを紛らわせようと必死に息を吸って吐く。浅く、浅く、何度も早く繰り返して。
「クリスティナ!すぐに中止よ!!」
リゼがその様子を見てすぐに彼女の名前を叫ぶ。が、クリスティナは儀式を、魔法を解除する気配は無い。騒めく騎士達は何かに縛り付けられたかのようにその場から動けなくなっている。
「ツヅル、ツヅル!!」
繋いだ手を放して酷い汗をかくツヅルを抱きしめて背中をさする。
ユウゴの声に涙を浮かべながら反応するが、それでも苦しみがなくなるわけではない。
「クリスティナ…………いや、違う……。貴方は……誰だ?」
普段の隊員とは違う強大な気配を彼女に感じ取ったアラムは、まるで彼女が自分の主であるかのような言葉で問う。
『汝らが希望と風の神と呼ぶゼフロス』
『そして、調和と光の神、アルリヒト』
神像から振り返りながらクリスティナは落ち着いた口調でそう告げる。
「ツヅルを、ツヅルに何をした!」
必死の形相でクリスティナの静かな表情を浮かべる顔を睨むように叫ぶユウゴ。しかし彼女はその様子を超然とした態度で流し、教会の中に眩い光を放つ。
白い光の中で感じたのは浮遊感。
ツヅルを抱きしめたままユウゴは突然の状況の変化に思考が追い付かず、ただじっとツヅルと身を寄せてクリスティナの方を見続ける。
教会とは違う空間に居ることだけは確認できるし、それが人間では成せない力の結果であることも理解はできる。
目の前にはクリスティナが居て、横にはツヅルが居て、後ろにはアラムとリゼが居る。
「……ここは……?」
「魔力?……とも違うみたいな、でもそれに近い力によって作り出された異空間のようですね……」
アラムとリゼは状況を確認する。見回しても視界に入る人間に変化は無いことから、どうやら他の騎士達は飛ばされなかったらしい。
『この娘の祈り、確かに届いたぞ』
『貴方のこの少年への祈りも、確かに聴きました』
『そして、この少年の願いも、この地に残された想いも』
クリスティナの背後に二人の男女のシルエットが浮かび上がる。
『我らは願いに応え、仔に未来と希望を紡ぐ力を授けよう。この地で失われた仔らの命と汝らの純粋な願い、それを力にしよう』
『今、彼は自分の中に芽生えた力に戸惑っています。それがどういった力かも彼は理解できています』
「何を……言って……」
苦しむツヅルはユウゴにしがみつき、必死に自分の中の痛みと戦う。
『一人だけ生き残ってしまったこと。彼は、ツヅルはそれを悔やんでいます。貴方が見つけ、貴方が守ると言ったことを喜びながらも、しかし、ツヅルはその優しさも不安で、自分を否定したいことでしょう。親を、皆を見殺しにした自分を許せないのでしょう』
クリスティナがアルリヒトの意に応えるように優しく諭すようにユウゴに伝える。
「仕方ねぇだろ!ツヅルはまだ子どもで、力も無くて、でも親は、ツヅルに生きていて欲しかったから庇ったんだ!!」
『同じことを、お前にもしてしまうのではないのか』
低い声に変わり、その言葉がユウゴの心に重く響く。
『守られるということは、見殺しにしてしまうかもしれないということ。自分より先に死へと向かわせること』
「それは…………」
否定はできなかった。ゼフロスの言葉は正しい。
盾は身を守る為にある。しかし盾は誰よりも先にその身に攻撃を受けて壊れる。
騎士も兵士も同じだ。民を守る為に魔物や敵国の人間と戦い、民の代わりに傷つき死ぬこともある。
アラムもリゼもその言葉を聞いてふと考えた。
「それでもツヅルは、俺が守る」
決意したように強い声で、ユウゴはクリスティナの目を見ながら言う。
「ツヅルが希望を紡ぐ力を持つなら、ツヅルが力を悪用する奴等にいいように使われないように俺が守る。強い力を持つことでツヅルが力に飲み込まれそうになるなら俺がツヅルを止める。ツヅルがその力を嫌がったら何を敵にしてでも一緒に逃げてやる。…………俺は兄ちゃんだ。あのときは安心させる為だけに言った言葉かもしれねぇけど、でもツヅルは、出会ったばかりの俺を信じて、頼りにしてくれた。俺はそれに応えたい!」
ユウゴの声が空間に響く。
ツヅルの小さな手がユウゴの服を握り締め、顔が当たる胸元の布地が濡れていく。
「俺がずっと支える。兄ちゃんがお前をずっと支え続ける。…………ツヅル、受け入れろ。―――お前の中の希望を。力を―――」
『―――汝らに、我らの仔らに祝福を―――』
部屋に溢れていた光は消え、神の受け皿となって体力と魔力を消耗して倒れているクリスティナがまず初めに祭壇の前に現れた。それに続くように苦しみが消えて落ち着いた寝息を立てているツヅルと、彼を抱きしめているユウゴ、そして立ち会ったアラムとリゼが元の場所に現れる。
眠るツヅルの手には一本の槍が握られていた。
見る者を魅了するほどの美しさを持つ白銀で、しかし金属とは言い切れない、強い生命力を宿した大樹のような印象を与える槍が。
ツヅルの身長より長く、槍と呼ぶには刃が占める長さと面積が大きく、大剣と呼ぶには柄が長いそれは、黄色の宝玉が柄の先に、純白の宝玉が刃に埋め込まれていた。
異常な事態に周囲が騒めく。
通常の洗礼式では考えられない事態が起きてしまっていたことに、全員が戸惑うことしかできなかった。
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これからもお付き合いいただければと思います。
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そして、この話数になってようやく気付いたことが。
・・・・・・キャラの外見の描写、殆んど入れてこなかった・・・・・・。
どっかでちゃんと描写しなければと、心に刻みました。