滅殺の麻婆豆腐
アミナ姫の独房を他に移すという決定が下されたのは、収監から十日目のことだった。
「あやつは若くて代謝が高い上に、牢の中でもあれこれ動き回るから全然肥らないのだと我は思うのだ」
魔王は秘書メテオラに移管の理由を説明する。
「そこでだな、大部屋に移して、世話役も何人かつけて、風呂どころかトイレまですべて他人任せの自堕落な生活にしてやる。するとカロリー消費は激減してぶくぶく肥るという寸法だ」
「……という名目で姫の待遇を良くしたいわけですね」
「そういうわけでは全然ないッ」
「客間で大きなソファとテーブルがあれば陛下が遊びに行ったときにもくつろげますものね」
「そういうわけでも――ちょっとはある。……いや待て、遊びに行っているわけではないぞ、監視と尋問だ、部下どもが情けないから我が手ずから姫を締め上げておるのだッ」
「おトイレの世話も陛下が手ずからなさるのですか」
「そうだトイレも――って、な、な、なにを言っておるのだッ?」
「風呂もトイレも他人任せにさせると先ほどおっしゃっていましたよ」
「勢いで言っただけだッ」
「そうですね。四百年間童貞で女性の裸など触れるどころか見たこともない陛下が、洗ったり拭いたりできるわけありませんものね」
「そ、そ、そんなに詳しく説明せんでもいいわ! 生々しいからやめろ!」
* * *
姫の居室は、謁見の間のひとつ上の階に用意された。3LDKで、クイーンサイズのベッドや三人掛けのソファ、ダイニングテーブルに椅子六脚、100インチ液晶テレビにPS4とゲーミングPCまでもが運び込まれる。
「陛下、これはもう完全に新婚のご家庭では」
メテオラがあきれて言う。
「なっ、なにを言うか。ベッドが大きいのはだな、これから先ぶくぶくと肥ってもらうのだから相撲取りサイズになっても対応できるようにと将来を見据えてのことだ!」
牢獄から連れてこられたアミナ姫は新しい部屋を見て興奮気味にあちこち駆け回る。
「感激です! こんなに大きなテレビまで! あっ、ゲームもできるんですね! わたし一度ゲームをやってみたかったんです、これまでは看守の方がスマホで実況を見ているのを鉄格子の隙間からこっそり見るしかなくて」
「泣けてくるからやめろ! いくらでもプレイするがよいわ」
ゲーム機のラインナップを見てメテオラが感心してうなずく。
「このご時世なのにNintendo Switchがないのは徹底していますね」
「当然だ。リングフィットアドベンチャーなぞをやられたら痩せてしまうからな!」
「FF14がすでに入れてあるとは、おさすがです。ネトゲなら終わりがないからいつまでもだらだらできますし適度にストレスも溜まるのでストレス食いが期待できます」
「もっとほめてよいぞ! FF14は自キャラの見た目がみんなシュッとしておるからな、プレイヤーがいくら肥ろうとも現実から目を背け続けられる! デブになるためには最適のネトゲなのだ」
そんな二人の会話を聞いているのかいないのか、アミナ姫はうきうき顔でコントローラーを握ってキャラメイクを始め、さっそくエオルゼアに最初の一歩を記した。
後ろから画面をのぞきこんだメテオラは眉をひそめる。
「いきなり姫プレイしておりますけれど」
「姫だからしょうがないな!」
と、アミナは魔王の方を振り向いた。青ざめている。
「あ、あの、お逢いした方々から結婚の申し込みが次々に……」
「どれだけ姫なのだッ」
「わたしには心に決めた王子様がいるので申し訳ないですが――とお断りしたいのですけれど、チャットの打ち方がまだよくわからず……」
「な、な、なんだとっ」
あわてふためく魔王、焦るあまりに画面を直視できない。
そこでメテオラが代わりにアミナの隣に座って外付けキーボードを膝に乗せた。
「私が代わりに断りを入れてあげましょう」
「ありがとうございますメテオラさん」
メテオラの指がキーの上を踊る。
「……『ホ別で10万ならいいよ、貧乏人は失せな』、と」
「ネトゲで援交するなッBANされるわッ」
魔王は度を失ってわめいた。
無視して今度はPCの方に移動したメテオラ、STEAMのライブラリを見て感嘆する。
「こちらも素晴らしいですね。FactorioにRim WorldにOxygen Not Included、いくらでもモニタの前に座り続けていられて適度にストレスフルで食べ物片手にできる非アクションゲームばかり。実に肥りそうです」
「実際に我もそのあたりのゲームを千時間ずつくらいプレイしたときにはほとんど椅子から立たなかったからな! トイレに行く時間も惜しくてゲーミング便座の購入まで検討したものよ」
「あとは私のおすすめのゲームソフトも入れておいてよいですか」
「ほう、メテオラのゲーム選びのセンスも見ておこう。どのあたりが趣味なのか楽しみだ。って、なぜFANZAを開くのだッ」
「もちろんエロゲーを」
「姫はまだ十六歳だッ! あとこの小説も年齢制限無しの設定で公開しておるのだからFANZAはやめろ!」
「これでDMMからのスポンサードの話はなくなりましたね」
「元からないわ!」
「え、えっと……」
アミナ姫はPCのモニタに表示された年齢確認を見やり、魔王の顔に目を戻す。
「わたしが十八歳になるまで待っていただけますか……?」
「べ、べ、べつの意味に聞こえるからやめろ!」
「姫、残念ながら魔族の結婚可能年齢は四百歳からです」
メテオラが意地悪そうな口調で言った。
「そして適齢期は八百歳までと言われております。ちなみに私は今年で七百九十六歳」
「な、な、なんだ、妙なプレッシャーをかけるな!」
あわてふためく魔王だが、その傍らで姫は地獄の底まで落ち込んでいた。
「……寿命が四百年くらいまで延びる食べ物などはないのでしょうか……」
魔王はまた別方面からあわてることになった。
* * *
「今日は中華料理だ」
メテオラを伴って厨房にやってきた魔王は言った。二人とも前回と同じく漆黒のコック服姿である。
「なるほど、寿命を延ばす食事といえばやはり中華ですものね」
「そ、そういう意味ではない! 定命の人間が料理くらいで四百年も生きるわけがなかろう! あくまで、油たっぷりで肥りやすいから中華というチョイスだ!」
「豆腐が用意してあるということは麻婆豆腐?」
「正解だ。麻婆豆腐はなんといっても米がいくらでも食える。前回のバターチキンカレーの敗因はおそらく米との相性があまり良くなかったこと。肥るにはやはり米よ!」
材料は以下の通り。
ごま油 たっぷり
豆板醤 大さじ1
ニンニク 2かけ
豆豉 ニンニクの倍量ほど
日本酒 大さじ2
塩 適量
醤油 大さじ1
鶏ガラスープ 100ml
豆腐 300g
牛赤身肉 200g
長ネギ 1本
ニラ 1/2把
片栗粉 少量
花椒粉 たっぷり
「陛下、分量の単位に大さじを使っていますがどうされたんですか? 前回あれだけひどいことをおっしゃっていたのに」
「……読者からクレームが来たのだ……」
「六千人の聖騎士団も魔竜の群れも地獄の業火も恐れなかった魔王陛下がディスり感想は怖いんですか」
「怖いにきまっているだろうッ! まあ大さじというのは当然ながらてきとうに書いているだけで我はそもそも計量スプーンなぞ持っておらぬのだがな」
「クレームが増えるとしか思えない発言ですが、それはさておき、見慣れない食材がいくつか。この『豆豉』というのは? 読み方もよくわかりませんけれど。あと環境依存文字っぽいので場合によっては表示されていないのでは」
「トウチーだ。二文字目は太鼓の《鼓》ではないぞ。豆偏だからな。大豆に塩を加えて発酵・乾燥させた調味料で、中華料理ではよく使われる」
「この小瓶に入ったやつですか。ウサギの糞に似ていますね」
「料理前にそういうことを言うなッ」
「見たこともない調味料ですけれど、日本で売っているんですか?」
「デパ地下のちょっとお高めスーパーなどで売っているから気合いで入手しろ」
「ううん、なろうでエロコメを読んでいるような人たちにはハードルが高すぎるのでは。塩と大豆の発酵食品ということは要するに味噌とか醤油と同じですよね。味噌で代用してもいいでしょうか」
「愚劣の極みッ」
魔王は調理台を殴りつけた。
「よいか、麻婆豆腐という料理はだな、極めて堕落しやすいのだ。特に、これから挙げる三つのポイントをひとつでも外すとあっさり『ただの肉豆腐辛味噌炒め』に堕ちる! その必須ポイントの第一が、必ず豆豉を使うことだ」
「わかりました。見慣れない食材の二つ目、花椒粉というのは……? 山椒ですか」
「うむ、そこが必須ポイントの第二だ! 花椒というのは日本の山椒の近親種で、痺れる辛さはたしかに似ているが風味が大きく異なる。我は花椒が手に入らなかったときに山椒で代用して麻婆豆腐を作ってみたがもう全然だめだった。必ず花椒粉を用意せよ」
「必須ポイントの三つ目、予想がつきました」
「ほう、言ってみよ」
「この鶏ガラスープですね。粉末を使ったりせずちゃんと鶏ガラを煮込んで作れと」
「いや、それは顆粒でよい」
「陛下っ? いいんですか、粉末出汁なんて、山岡士郎が激怒しますよ!」
「山岡士郎が怖くて料理レシピなぞ紹介できるか! 麻婆豆腐の出汁なぞ少ししか使わん上に調味料の濃い味付けですっぽり隠れるのだ、そんなところに鶏ガラを煮込むなどという労力を割くのは無駄無駄無駄! 手を抜けるところは徹底して手を抜くのがデキる男よ」
「感服いたしました。料理ものとしてネタ切れになったらビジネス書に転向いたしましょう」
「なろうでビジネス書の需要があるわけないだろうッ! 読者は現実に疲れた若手サラリーマンばっかりなのだぞッ」
「それを言ったら料理ものだって――」
「この話は終わり! 必須ポイントの三つ目は牛肉を使うところだ」
「しかも挽肉じゃないんですね」
「スーパーで『カレー用』などと書かれているモモ肉角切りが値段もそれなりに安くておすすめだ。挽肉を使ったり、あまつさえ豚肉などにしたりすると辛味噌肉豆腐に堕するからケチらぬようにな。では調理を開始する」
魔王はまず中鍋に水を張って火にかけた。
「最初は湯を沸かし、塩を適当にぶちこむ。味付けのための塩ではないから濃さはさほど気にしなくてもよい。沸くまでの間に、まずタレを作るぞ。豆豉とニンニクをみじん切りにする。豆豉は豆粒なのでそのままだと包丁で切りにくい。まずは包丁の腹で圧し潰して平べったくしてから斬り刻め。ニンニクもスライスしたら豆豉と一緒にざくざく縦横に刃を入れまくるとよい。じゅうぶんに細かくなったら器に移し、醤油、日本酒を加える。これでタレ完成だ」
「陛下! 今ぐぐってみたら『豆豉醤』なる調味料がエスビー食品から出ていますよ、豆豉にニンニクを加えたものだそうです! これを使えばいいのでは」
魔王は渋い顔になった。
「そのくらいこの我が試していないとでも思ったか? エスビーの豆豉醤は砂糖とか醤油とか余計なものが入っていて全然だめ! 味の素の豆豉醤は豆豉と塩だけでペースト状にしてあるので刻む手間が省ける……のだが本物の豆豉を使ったときと風味がなにかちがう」
「山岡士郎をディスっておきながら陛下も細かいですね」
「味の違いが出るところにはとことんこだわるのだッ!」
「あっ、そうこうしている間にお湯がぐらぐら沸いています」
「いかんな。まだ下ごしらえが終わっていないというのに。余計なおしゃべりをしなければ湯が沸くまでの間に他の作業も完了できるはずだ。つまり、牛肉と長ネギとニラをそれぞれ細かく切り刻むのだ。大きさはてきとうでよい。牛肉は五ミリ角くらい、ニラも五ミリ、ネギはざくざくみじん切り」
「じゃあ豆腐も大きさはてきとうでいいんですね」
「愚か者めがッ」
魔王はメテオラの手から豆腐パックを引ったくった。
「豆腐の大きさだけは大事だから留意するのだ! 凡人どもが思い浮かべる麻婆豆腐というとソースの中に二センチ角くらいの豆腐が氷山のように浸っているというものだろうが、あんなのは見栄えを良くするための料理写真用嘘八百!」
「今回も同業に喧嘩売りまくりですね。さすが魔王陛下」
「豆腐も一センチ角以下の細かさに斬り刻むのが正解なのだ。そうしないと味がからまないからな。豆腐を細かく切るのはかなり難しいが何事も慣れだ」
「男女間のあれこれと同じですね」
「いきなり童貞を的確に攻撃するのはやめい! 刻んだ豆腐は、先ほどからぐらぐら沸き立っている湯の中に投入する。塩茹でにするのは豆腐を引き締めて崩れにくくするためと、加熱して味をしみ込みやすくし、投入後の工程を短縮するためだ」
続いて魔王は中華鍋を隣のコンロにかけた。
「さていよいよ下ごしらえも終わり、本調理に入る。中華鍋にごま油を大量に投入して強火、じりじりしてきたところで豆板醤を投入する」
「あっ、油が真っ赤になって一気に中華の雰囲気が出てきました」
「豆板醤を油全体に広げ、じゅくじゅく滾り始めたら、牛肉投入! タレ投入! 豆腐! そしてネギとニラとスープ! 各材料の投入タイミングは十五秒間隔くらいでよい。テンポよくぶち込め。どうせ最後にスープで少し煮るから火は通る。三十秒くらい煮たら、火を止め、少量の水で溶いた片栗粉を加えて急いで全体に行き渡るように混ぜる。とろみがついたら完成だ!」
「……あれっ? 陛下、花椒粉を使っておりませんが」
指摘された魔王は複雑そうな表情になる。
「それはだな、実食のときに説明する。運ぶぞ! メテオラはご飯を頼む」
* * *
新しくなったアミナ姫の部屋に、湯気をもうもうと立てる麻婆豆腐の大鉢と、一抱えほどもあるおひつが運ばれた。
「わあ! すっごくいいにおいです、ご飯がいくらでも食べられそうです!」
はしゃぐアミナ姫に、魔王は険しい口調で言った。
「ときに貴様は四川料理はいけるのか? 慣れぬと刺激が強すぎるおそれが」
「はじめてですけれど、わたし辛いもの好きですから大丈夫です!」
ついてきたメテオラもうなずいて言う。
「私も平気です。地獄の悪魔が辛いもの苦手では恥ずかしいですからね」
「笑止!」
魔王は鼻を鳴らした。
「よいか。日本では辛さの文化が発達しておらぬから辛みを言い表す言葉がひとつしかないが、中華圏では様々に分化しておる。唐辛子の灼ける辛さは《辣》、山椒の痺れる辛さは《麻》というのだ。そして四川料理というのはこの《麻》を重視する! 本物の《麻》婆豆腐というのは――こうするのだッ」
花椒粉の袋を開封した魔王は、中身を麻婆豆腐の器に向かって容赦なく雨霰と降らせた。絶句するアミナとメテオラが見守る前で、麻婆豆腐の表面は茶褐色の粉ですっかり覆われ、豆腐も肉もソースもまったく見えなくなってしまう。
「……陛下、これはさすがに……やりすぎでは……」
「やりすぎではない! これが四川料理なのだ! しかし苦手な者はとことん苦手なので、もしご家庭で作るときは、花椒だけは各自の器に個人の好みで振るのがよかろう」
「う、うう、わ、わたし、がんばります! 王子様と同じ味を楽しみたいですから!」
「殊勝! さあ山盛りの丼飯にたっぷりかけてざくざく食え!」
一口食べたアミナ姫、真っ赤になり、額に汗を浮かべる。目尻には涙までにじむ。
「強烈です! でも次の一口が止められません!」
メテオラも胸を大きくはだけて襟で扇いで風を送り込みながらスプーンを一口また一口と運び続ける。
「脳が直火焼きされるような美味ですね。刺激がごま油の香り高さで増幅されて、そこに豆腐の甘味と肉汁とが一気に流れ込んできて、これはもう旨さの火砕流です」
「《麻》を遠慮していてはこのパワーは出せぬのだ! エネルギーを直接食っているかのような熱量こそ四川料理の神髄よ! 米がいくらあっても足りぬ!」
「そう思ってあと三合炊いてあります」
「でかしたぞメテオラ! これほどのエネルギーを体内に取り込み、なおかつ運動せずゲームばかりしていればそれはもう醜くぶくぶくと肥るにちがいないわ!」
* * *
数日後。
「どうだメテオラ。あれからも中華中華の連続で、人を駄目にするソファにゲーム三昧、アミナ姫もさぞかし――」
そう話しながらメテオラを伴ってアミナ姫の部屋を訪れた魔王、姫の体型を見て絶句する。むしろ引き締まってきている気さえする。
「あっ、王子様、メテオラさんからいただいたこのVRヘッドセット、すごいですね! 部屋にいながらどんなスポーツもできます!」
メテオラは悪びれもせず無表情に頭を下げた。
「申し訳ございません。VRエロビデオで性教育を施そうとしたのですが思わぬ方向に活用されてしまいました」
「なにをしてくれているのだッ? というかまだ十六歳!」
「あ、でも、バストサイズはまた一センチ増えましたのでこれでDカップに」
「そ、そっ、それは報告せんでよい!」