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邪悪のバターチキンカレー

 百十五回目の人間界への遠征は、大勝利に終わった。


「ふははははは! 得たものが多すぎて笑いが止まらんわ!」


 魔界の中枢、瘴気の湖に浮かぶ王宮の最上階広間に、魔王の哄笑が響き渡る。


「砦を五つ陥落させ、三つの都市を悪魔教に帰依させ、神殿に封印されていた魔竜たちも残らず解放した! しかも! 聖王国の第一王女アミナまで捕虜にできたのだからな!」


 広間に居並ぶ魔将軍たちが追従の笑い声をあげる。


「あれだけ美しい娘だ、王も王妃もさぞかし心痛めておるだろう! 返還条件もすぐに呑むはずだ。メテオラ!」


 魔王は隣に控えた秘書を呼んだ。褐色の肌の、妖艶な淫魔族の女である。


「聖王国の王城の様子はどうだ?」


「はい。アミナ姫が攫われたことにだれも気づいていないようです」


「なぜだッ!」


 魔王は椅子の手すりを砕けそうなほどの強さで殴りつけた。

 メテオラが水晶球を取り出して空中に立体映像を映し出す。


 国王や王妃、王子、重臣たちが祝宴を開いていた。


『魔王軍撤退、めでたい! 大した被害もなかったな』


『城の塔をひとつ壊されただけで済みましたな』


『陛下! 魔界からの書状が届きました!』


 宴席に駆け込んでくる侍従の男が立体映像の端に見えた。手にしているのは、魔王がつい昨日、聖王国宛に送った通告だ。侍従が開いて読み上げる。


『一ヶ月以内に聖騎士団を解散し、所有する聖剣をすべて廃棄し、王都の目抜き通りに魔王の名前をつけろ。さもなくば王女を八つ裂きにして喰ってやる――と』


 国王は露骨に不審そうな顔をした。


『なんじゃそれは。なんでそんなことをせねばならん。王女とはなんのことじゃ』


 魔将軍たちがざわつく。魔王も立体映像の方に身を乗り出した。

 映像の中、王妃がぼそりと夫に耳打ちする。


『監獄塔に十年間閉じ込めてあった、あなたと前妻の娘アミナのことでしょう』


『お、おお! そういえばそんなこともあったな。忘れておった。さらわれたのか。はっはっは。これでもう養わなくて済むな』


「なっ……」


 魔王は絶句した。


『人権活動家がうるさいから生かしておいただけですものねえ』と王妃が笑う。


 魔王は激昂して立体映像に向かって吼えた。


「悪魔かッ」


「悪魔は我々です」とメテオラ。


 映像は消え、魔王は握りこぶしをわななかせる。


「……薄々おかしいとは思っておったのだ。便所のような部屋だったし、妙に痩せておったし、服も粗末だったし……」


       * * *


 捕らえたアミナ姫を、魔王は直々に尋問することにした。

 秘書メテオラを伴い、魔王宮最下層の牢獄に赴く。


「あっ、わたしを助けてくださった方ですね!」


 魔王に気づいてアミナは鉄格子まで駆け寄ってきた。


 その周囲だけ魔界ではなく天界かと見まがうような輝く美貌の少女だ。まばゆい銀色の髪に初春の花を思わせる色づいた頬。捕らえたときには貧相な服を着せられていたが、メテオラが淫魔族用のドレスを与えたため、今はたいへん色華にあふれている。


「こんな素敵な部屋に素敵な服、贅沢なお食事まで、ほんとうにありがとうございます」


 深々と頭を下げられるので魔王はのけぞる。捕虜が鉄格子の向こうから言うべきせりふではない。


「貴様、状況がわかっておるのか。魔軍に襲われ、魔界に連れてこられたのだぞ」


「はい。なんとお礼を言ったらいいか。お父様は再婚して以来、お継母様の言いなりで。ずっと塔のてっぺんに閉じ込められていたんです。きっといつか素敵な王子様が助けにきてくださるって祈っていました。神様にも感謝しなければ」


「魔王の目の前で神に感謝するな! あまりの神聖っぷりに皮膚が焦げたわ!」


 軽い火傷をした頬をこすりながら魔王は口角泡を飛ばす。


「だいたい、我は王子ではない! 父上はついこないだ痛風で死んで、我が正式に即位しておるわ!」


「魔族は人間の何倍も寿命が長いのです」

 メテオラが横から補足する。

「陛下はまだお若く、成人したばかりですが、御年四百歳です」


「そうだ四百年間も生きていて経験豊富なのだぞ、口を慎め、短命の人間めが!」


「四百年間童貞です」


「そうだ四百年間も生きていて経験皆無――ってメテオラっ?」


 魔王の声がひっくり返る。


「な、な、そ、そなた、なにを」


「童貞ゆえに妄想と性欲をたぎらせていやらしい拷問をいくらでも思いつくのだ――と教えておいた方が姫を震え上がらせるかと思いまして」


「あ、あの、大丈夫ですよ、わたしそういうの気にしませんし、わたしも未経験ですし」


「震え上がっていないぞ、むしろなんか気を遣われているぞッ?」


 魔王はいらだちを握り潰すようにして拳を鉄格子に叩きつけた。


「ともかく、貴様の親は返還条件を無視した! 生きて帰れると思うなよ!」


「はい。生涯添い遂げる覚悟です。ここに骨を埋めさせてください」


「骨まで残らず喰ってやるわ!」


「王子様と身も心もひとつになれるの、うれしいです」


「王子って言うな! あと表現がいちいちなんかべつの意味に聞こえて童貞の我はなんだかどきどきなんだがっ?」


「あ……いえ、その」


 アミナは目を伏せた。


「わたしがみなさまの敵だということは理解しております。どうされても文句は言えません。それでも、あの塔から連れ出していただき、こうして清潔なお部屋と、素晴らしい食事をくださったこと、感謝しております。どうぞ煮るなり焼くなりなさってください。喜んで王子様の胃袋の中に参ります」


「……ちょ、ちょっ、メテオラ、こっちへ」


 心理的負担がきつくなってきた魔王は、顔をしかめてメテオラを廊下の端まで引っぱっていった。


「なんだか我が悪いことをしているみたいなのだが」


「陛下は悪魔の王なのですから悪いことは誇るべきかと」


「それはそうだが」


「情が湧いてしまった、と?」


「ぐ……いや、悪魔の王が情などと……」


「なんだかやけに慕われているようで童貞卒業のチャンス到来なのに殺してしまうのはもったいないと」


「ななななななにを言うかッ?」


「しかし三百年前からこの私でさっさとご卒業くださいと申しておりますのに未だに手つかずなのですから人間の処女相手に陛下がなにかできるとも思えませんが」


「お、お、おまえはもう少しオブラートにくるめっ!」


「だいたいあんな細すぎる欠食児童……陛下はグラマラスはお好みではなかったと……」


「対抗意識を燃やすな、反応に困るから!」


 魔王は両手をばたばたさせて言い訳を探した。


「だいたいあの女はおかしいぞ、こんな待遇でなぜ感謝の言葉が出てくる! 継母にどれだけいじめられていたというのだ! 素晴らしい食事とか言っておったぞ、ここの囚人食はそんなにまともなのか?」


「ポッキーのチョコがついていない部分だけを折って集めたものを毎食150グラムほど」


「素直にプリッツを出せ! じゃなかった、ひどすぎる! そんなもので感激するなんてあの娘は城でどれだけひどい食生活だったのだっ?」


 牢に戻ってアミナに訊いてみた。


「あ、はい、麦粥を一日一杯でした」


「よく生きていられたな!」


「看守の方が同情してお食事を分けてくださるのですけれど、すぐにお継母様にばれて解雇されてしまうのです……」


「もういいやめろ、泣けてきたわ!」


 牢をあとにした魔王は、廊下を憤然と大股で歩きながらメテオラに言った。


「どうりであんなに痩せているわけだ、あれを喰っても腹の足しにならん! もっと豪華な食事を与えて丸々と肥えさせてから喰うことにするぞ!」


「……という名目で手厚くもてなして処刑を先延ばしするわけですね」


「ばばばばばばかなことを言うな! さっさと肥らせて食い殺してやりたいわ! そのためにもっと栄養のあるものをがんがん食わせるぞ」


「しかしうちの牢の料理人はポッキーを折ることしかできませんが」


「全員クビにしろッ!」


「というか魔族は料理などできないのが当然です。かく言う私も旦那様ができたら『お風呂にします? お風呂で私にします? それとも私?』の三択です」


「飢え死にするわ! ええい、我が作る!」


       * * *


 王宮の厨房に、魔王はメテオラを伴ってやってきた。二人ともコック服姿だが、魔族なので白ではなく黒。


「陛下が料理をなさるとは知りませんでしたが、なにを作るのですか」


 そう訊いてくるメテオラはコック服の胸がぱんぱんできつそうである。


「バターチキンカレーだ。甘味があって女子供にも大人気、脂肪分たっぷり、味が濃いので炭水化物もいくらでも欲しくなりあっという間にぶくぶくに肥る悪魔の料理よ!」


 材料は以下の通り。


 バター たっぷり

 ニンニク 2かけ

 ショウガ ニンニクと同じくらい

 ココナッツミルク 1缶

 トマトペースト 2スティック

 カレー粉 適量

 塩 適量

 胡椒 少々

 味醂 少々

 メイプルシロップ 少々

 鶏もも肉 食べたいだけ


「陛下、分量表記がざっくりしすぎていませんか。『たっぷり』『適量』『少々』って。大さじ小さじなんかを使って具体的に書くべきでは……」


「愚か者めが!」


 魔王は喝破した。


「いいかメテオラ、よく素人向けのレシピに出てくる調味料の大さじ小さじ云々はだな、レシピ作者だっててきとうに書いておるのだ! 実際に作るときに大さじ小さじを持ち出すやつなんかほとんどおらぬ、勘だ! どれくらいが適量なのかは何度も味付けに失敗して作り直す過程で自分の舌で憶えろ! それができんやつに料理する資格はない!」


「……だいぶ大勢を敵に回す発言ですが、魔王ですからそれくらいでないといけませんね。感服いたしました」


「うむ! わかればよい。ではまず、ニンニクとショウガをすりおろす。どうせご家庭にはおろし金が一つしかないだろうし、別皿にとっておくのも面倒だろうから、洗わずに連続してすりおろしていいぞ、どのみち一緒になるのだからな。ショウガを先にすると繊維がおろし金の刃に挟まって後続がおろしづらくなるのでニンニクを先にするのがコツだ」


「いきなりしょうもないコツを披露しますね。感服いたしました」


「もっとほめてよいぞ。次! フライパンでバターを溶かし、おろしたばかりのニンニクとショウガを投入する。バターは目を疑うほど大量にぶちこめ。炒めるのではない、バターで煮るのだ」


「いかにも肥りそうです」


「そこにココナッツミルクとトマトペーストを投入して弱火でさらに加熱する」


「ところで陛下、この『トマトペースト』というのはなんですか。単位がスティックというのも見慣れないのですが」


「カゴメのトマトペーストを知らんのか。六倍濃縮のミニパックだ、だいたいどこのスーパーでも売っているぞ。スティック梱包されていて保存が簡単、溶かしやすく水分が少なく酸味もまろやかで手軽にトマト料理を作りたいときに必須だ! 常備しておけ!」


「カゴメ社からいくらかもらっているんですか?」


「宣伝ではないわッ!」


「なじみのない食材なのでトマトケチャップで代用してもよろしいでしょうか」


 魔王の憤激は天を焦がし地平を薙ぎ払い魔界の山々がその日ほとんど砂漠に変わった。


「ケチャップをトマトの代わりに使うやつは死罪だッ! あれはトマト味などほとんどしない赤くて甘いだけの別物の調味料! ケチャップ味しかせんわ!」


「……今のでカゴメ社からのスポンサードの話はなくなりましたね」


「だから宣伝ではないと言っておろうがっ! そうこうしているうちにココナッツミルクが煮立ってきてしまったではないか。塩とカレー粉、味醂、メイプルシロップを加えて味見しながら調整だ」


「カレーに味醂とメイプルシロップなのですか。珍しいですね」


「甘くしたいから砂糖を入れるなどといった芸の無いことはしたくないからな。メイプルシロップは甘味だけではなく複雑な苦味も加えて料理に奥行きをもたらす。我がレシピの最大の特徴といってもいいだろう。味醂とのコンボは鉄板で、カレーのみならずビーフシチューなどにも合うぞ。たくさん入れては台無しだから、細く垂らしながら《の》の字を一回書くくらいが適量だ。あとは味見しながら好みで足せ」


「混ぜると色も香りもそれっぽくなってきましたね。ここに鶏肉を入れるんですか」


「なにを言っている。カレーソースはこれで完成だ」


 メテオラは目を丸くした。


「えっ。じゃあ鶏肉はどうするんですか? バター『チキン』カレーですよね」


「鶏肉は一口大に切って塩胡椒をふってグリルで焼くのだ」


「カレーに入れて煮込めばカレーに鶏の味も出て一石二鳥では……?」


「愚劣の極みッ」


 魔王は怒りのあまり鶏もも肉を指で引きちぎって一口大にした。非推奨のやり方なのでご家庭では包丁を使っていただきたい。


「世に出回っているバターチキンカレーのレシピはどれもカレーに鶏肉を入れて煮込めと書いてあるが、カレーは煮込むものだという固定観念から出てきた貧困な発想だ。そんなことをしたらカレーの香りもチキンの香ばしさも消える! 焼いたチキンにバターソースをかける、これが最強!」


 変なポーズをつけながら鶏肉をグリルに入れて火をつける魔王。


「ところで陛下、ご飯を炊いていませんが」


「バターチキンカレーは米にはあまり合わない。なにせ甘酸っぱいからな」


「というとナンですか」


「ナンが手に入ればそれでもよいし、小麦粉を塩と水で練って平たく伸ばしてフライパンで焼いただけのなんちゃってチャパティでもよい。なんならトーストでもバゲットでもよいぞ。パンならなんにでも合う。さあ実食だ!」


       * * *


 牢の鉄格子を挟んで、魔王&メテオラと、アミナ姫とはバターチキンカレーにありついた。薄暗い地下牢の廊下にスパイスとバターの香りが充満し、廊下の端に追い払われた看守は涎を垂らして腹を鳴らしている。


「美味しいです!」


 一口食べたアミナは目を輝かせる。


「王子様がわたしのためにこんな美味しいものをつくってくださるなんて……」


 目が潤んでいるので王子ではないとはもはや指摘しないことにした。自分もカレーに浸したパンを口に運ぶ。


「さすが我だな! まろやかな甘味と酸味を伴ったコクをスパイスの香りが何百倍にも引き立てて、そこにチキンのわずかに焦げた脂がとてつもない破壊力よ!」


「ナンがいくらでも食べられます」とメテオラ。「ちょっとつけるだけでいいので経済的ですね。でもナンの消費量が激増するので非経済的ですね」


「おかわりいただいてもよろしいですかっ?」


 皿を空っぽにしてしまったアミナが鉄格子の向こうからてかてかの顔で言う。


「好きなだけ食え! そして豚のように肥るのだ、じゅうぶんに肥えたら魔王クッキング最終章として『人間の丸焼き』を披露して小説投稿サイトから出禁を食らってやるわ!」


       * * *


 数日後。


「……どうだメテオラ。姫の食生活を劇的に改善して、だいぶたった。我の料理があまりにも美味すぎて食べ盛りのあの娘もがつがつと卑しく食いまくってぶくぶく醜く肥ったことだろう。そろそろ食べ頃ではないのか」


 地下牢に向かう廊下を意気揚々と歩きながら魔王はメテオラに訊ねる。


「いえ、それが」


 メテオラは独房を指さした。


「あっ、王子様! 来てくださったんですね!」


 鉄格子に駆け寄ってくるアミナは捕らえた当初と変わらずスレンダーなまま。


「もうずっと美味しいお食事ばかりで天国です」


「魔界だッ! 天国とか魔王の前で言うな、あまりの神聖っぷりに偏頭痛が起きたわ!」


 メテオラを廊下の端まで引っぱっていって質す。


「ここ数日間しこたま摂取させたカロリーは一体どこへ消えたのだッ」


「先ほど全身計測しましたところバストのトップが2センチ増えておりました。どうやら栄養がすべて胸に行くタイプのようです」


「どういう身体の構造をしておるのだッ?」


 魔王は壁を殴りつけた。


「おのれ、こうなればもっと食生活を向上させてさらに食わせ、見る影もないくらいのデブにしてやる! 見ておれ!」


 目的がよくわからなくなって迷走を始めた魔王だった。

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[良い点] みりんいいですね、真似してみます
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