悪役令嬢の取り巻き令嬢の子分令嬢と、その婚約者の黒歴史
私の婚約者は本当に格好良い。
きらきら輝く銀色の髪、中性的な凛々しい顔立ち、すらりとした八頭身の体型。
町中を歩けば世の女性たちの目をひきつけてやまず、私たちが通っている学園においても女子生徒たちからすごく人気がある。
我が国――ドレスターリア王国の王都から遠く離れた地を守る辺境伯家という家格と、実は養子で出自が平民であるという二点から、さすがに王太子殿下を中心とする生徒会役員たちには及ばないものの、それでいてなお彼らに続く人気を誇っているくらいだ。
また、私の婚約者は外見だけでなくて内面も本当に素敵だ。
その物静かで大人びた振る舞いに、私はいつも胸を高鳴らされている。
二人で出歩けば常に紳士的にエスコートしてくれ、いつも私を楽しませようと努めてくれる心遣い。
目が合うたび常に優しく微笑んでくれ、いつも私の気持ちに寄り添ってくれている優しさ。
きっと嘘偽りなく、まっすぐに向けてくれているであろう愛情。
彼と会うたび、私は彼にひかれ、彼の婚約者になれてよかったと実感させられてしまう。
でも私は、私の婚約者には相応しくない外見をしている。
枯れ木のような汚い色の髪、地味で垢抜けない顔立ち、いたって平凡な普通の体型。
二人で町中を歩けば、必ずと言っていいほど「なぜあんな子を隣に連れているのか」という好奇の目を人々から向けられるくらいだ。
家格も彼より数段劣っている男爵家であり、財力的な面でもまったく釣り合いが取れていない。
加えて私は、私の婚約者には相応しくない内面をしてもいる。
内気で、臆病で、卑屈で。
彼のように優しいわけでもなければ、彼のように心が広いわけでもない。
事あるごとに誰かを嫉妬せずにはいられず、寛大な心でもって許すことなどできはしない。
人より劣る己を棚に上げ、いつも己に言い訳をして日々を惰性的に過ごしている、愚かで醜い女だ。
そう、私――リオ・ペシャルは、私の婚約者に相応しくない女性だ。
私の婚約者――ロージュ・オルランドには、けっして相応しくない婚約者なのである。
私とロージュが婚約したのは十五歳のとき。
王都の学園に入学する直前の、日差しの暖かな春の日のこと。
同い年である私たちは、出会ってすぐ、たった一度のお見合いをもって婚約するに至った。
彼と初めて会った日のことはいまでも忘れない。
あれから三年が経ったいまでも鮮明に思い出すことができる。
先にオルランド辺境伯から当家に打診があって組まれた、私とロージュのお見合い。
辺境にあるオルランド辺境伯家から、王都にある我がペシャル家へと、彼は供も連れずに単身でやってきたのであった。
白銀に煌めく全身鎧をまとい、白馬に騎乗して現れたあの姿たるや、なんと美しかったことか。
まさしく勇者、絵本に出てくるような勇者そのものであった。
その神々しいまでの出で立ちに、私は一瞬にして心を奪われてしまった。
いわゆる一目惚れというやつだ。
彼は「薄汚れた旅姿で本当に申し訳ない」と平身低頭に謝ってくれていたが、それはさすがに謙遜が過ぎるだろうと、面食らわされてしまったものである。
両親への挨拶もさておき、「あとはお若い二人で」と過ごさせられたひと時。
猫の額ほどに狭い我が家の庭で、彼と私は二人並んで立ち、私が丹精込めて手入れをしていた花壇を眺めていた。
高貴な貴族のお屋敷のものと比べて格段に劣る、素人作りの不出来な花壇を。
訪れた沈黙に耐えられず、私は聞かれてもいないことをべらべらと話したものだ。
なんの花を植えているのか、その花はどんな見た目をしてるのか、咲かせた花からはどんな匂いがするのか。
そして花屋にいくらで買い取ってもらえるのか。
買い取り云々のくだりは思い出すだけでも恥ずかしいかぎりである。
しょうもない小銭稼ぎの手口を自慢げに語ってみせたのだ、貴族にあるまじき失態であったと悔やまれてならない。
それでも彼は、そんな私の話に笑顔で耳を傾けてくれていた。
私が緊張から言葉を噛んでも、顔を赤くして額に汗しても、絶えず笑顔を向けてくれていたのであった。
まるで、私と会話することそのものが嬉しくてたまらないかのように。
そうして、婚約はその場ですぐに成立に至り、私たちは二人揃って学園に入学。
私は実家から、彼は寮から、学園に通う日々が始まった。
ロージュが私との婚約を即決した理由も知らぬまま、彼の婚約者として過ごす毎日が始まったのだ。
一年が過ぎ、二年が過ぎ、やがて三年が過ぎ。
今現在、私たちは卒業のときを迎え、それを祝うパーティーに参加している。
華やかに飾られた会場で、綺麗なドレスで身を着飾り、学生として最後の一時を謳歌している最中だ。
男子も女子も、皆が過ぎ去りし青春の日々を振り返り、来たる別れを惜しむようにして各々に談笑をしていた。
「ゾセフィーヌ! 私は貴様との婚約を破棄する!」
――もっとも、そんな卒業を祝う場は、いまから断罪の場へと変わってしまうのだが。
「貴様がユウナにした、貴族の風上にも置けない非道な行為の数々はけっして許せるものではない! よって貴様を国外追放の刑に処す!」
パーティー会場のど真ん中で。
ミハエル王太子殿下はユウナ子爵令嬢を抱き寄せつつ、ゾセフィーヌ公爵令嬢に向かって声を張り上げた。
ミハエル王太子殿下とユウナ子爵令嬢の後ろには、宰相や騎士団長の息子といったそうそうたる面子も控えており、二人に付き従っている。
対するゾセフィーヌ公爵令嬢の後ろにもまた、彼女の取り巻きである令嬢方が控えており、彼女に付き従っている。
そして私は、ゾセフィーヌ公爵令嬢の取り巻きである令嬢の一人の後ろにいた。
取り巻きの一人――レオラ伯爵令嬢の後ろに、付かず離れずの距離で、この騒動に関わる当事者の一人として立っている。
そばに控えていることを誰かに強要されたわけではないが、私には逃れられない責任があるため、こうして自発的に佇んでいるのであった。
「あら? ミハエル様。このような真似をなさることを陛下は存じ上げていらして?」
「父は関係ない! 貴様のような輩に処分を下すには私の一存で十分だ!」
ゾセフィーヌ公爵令嬢が問い返し、ミハエル王太子殿下が声を荒げて返す。
そうして罪だ罰だの言い争いを続けているのを、私は近くで聞いていながら、どこか他人事のように感じていた。
どうしてこんなことになったのか。
この目の前の現実から逃避するように、視線を落とし、思考に埋没していく。
ユウナ子爵令嬢が学園に転入してきたのは、私たちが三年生に進級したときのことだ。
平民ながらに稀有な魔力量を誇る彼女は、その才能を買われて子爵家へと養子に迎え入れられ、貴族としての教育をろくに受けぬまま学園に通い始めた。
始めは皆がユウナ子爵令嬢を煙たがった。
なにせ、なにかにつけて「差別はよくありません」なり、「それはおかしいと思います」なり、「貴族がそんなに偉いんですか」なりと騒ぎ立てるのだ。
庇護欲をそそる可愛らしい見た目をしていながら、身分差別の撤廃を声高に掲げる彼女を、皆が「まるで聖女気取りだな」と小馬鹿にしていたのを覚えている。
ところが、さして時も経たぬうちに状況は大きく変わっていった。
男子生徒たちがユウナ子爵令嬢を庇いたてるようになったのだ。
まず宰相の息子がほだされ、次に騎士団長の息子がほだされ、続々と男子生徒たちがほだされていき、最後にはミハエル王太子殿下まで。
気づいたときには、生徒会の面々を含む多くの男子生徒が虜にされていたのである。
ユウナ子爵令嬢のなにが皆の気をひいたのかはいまだにわからない。
異性を魅了する魔法でも使ったのではないかと怪しむものもいたが、所詮は根拠のない話だ。
私を含む女子生徒の多くは、彼女の存在そのものを気に食わないでいる。
天真爛漫なふりをして男子生徒をたぶらかす娼婦のようだと。
すると間もなく、ユウナ子爵令嬢に対するイジメが始まった。
もはや必然であったのかもしれない。
教科書を隠し、机に落書きをし、彼女とすれ違うときにはわざと肩をぶつけ、聞こえよがしに陰口を叩いてみせる。
そんな、誰からともなく始めたイジメはどんどん酷くなり、やがてはゾセフィーヌ公爵令嬢が先頭に立って行うようになったのであった。
当時もいまも、ゾセフィーヌ公爵令嬢はミハエル王太子殿下の婚約者だ。
それゆえ、ミハエル王太子殿下に対して過剰に接するユウナ子爵令嬢には我慢がならなかったのだろう。
恋人さながらに仲睦まじげに寄り添う二人の姿は、傍から見ていても気持ちの良いものではなかった。
女子生徒のほぼ全員がゾセフィーヌ公爵令嬢に同情していたと思う。
でも。
まさか私がイジメの一員に加えられるとは、そんなこと夢にも思っていなかった。
ゾセフィーヌ公爵令嬢の取り巻きの一人であるレオラ伯爵令嬢。
彼女の家に対し、私の家は大きな借りがある。
具体的にいえば多額の借金だ。
父が連帯保証人となった友人が夜逃げしたせいで、我が家が背負う羽目に陥った借金。
それは私の家にとっては目も眩むような額であり、騎士団に勤める父の給金ではとてもではないが返済できる額ではなかった。
住む家を売り払ったところで半分にも足りない、途方もない額であったのだ。
そんなとき、話を聞きつけた肩代わりを申し出てくれたのが、レオラの父であるリヴァル伯爵だ。
いわゆる成り上がりの新興貴族ではあるが、商家として一財をなしていた裕福な伯爵家。
当時、王都での地位をたしかなものにするべく奔走していた伯爵家の目に、我が家の窮地が目にとまったのである。
貧乏男爵家に恩を売り、売った恩を周囲に見せびらかすことで、地位に見合った権力を有していることを誇示する。
我が家にとっては途方もない額も、伯爵家にとってははした額であったのだろう。
それこそ、利子も借用書も要らぬと投げ捨てるようにして寄越すほどに。
そういった経緯から、我が家はリヴァル伯爵家に頭が上がらない。
私もまた、リヴァル伯爵の娘であるレオラ伯爵令嬢に頭が上がらなかった。
ひいては、ゾセフィーヌ公爵令嬢のご機嫌取りだけでなく、レオラ伯爵令嬢自身の憂さ晴らしを兼ねたユウナ子爵令嬢へのイジメ命令を拒否することができなかったのだ。
先に述べた、教科書を隠すなどといった一連のイジメも、私はレオラ伯爵令嬢の子分として一通りこなしてきた。
誰かが私に向けて言った、「さしずめ子分令嬢ね」という悪口は的を射ていると思う。
ここにおける問題点は、なにより私自身にもユウナ子爵令嬢を妬む気持ちがあったこと。
レオラ伯爵令嬢に命令され、嫌々ながらにも従うしかなかったというだけには、けっしてとどまらないという点であろう。
要するに、私の心にはユウナ子爵令嬢を妬む――醜い嫉妬心が芽生えていたのである。
では、なぜ私はユウナ子爵令嬢に嫉妬したか。
それは、彼女とミハエル王太子殿下は美男美女同士で本当にお似合いだったからだ。
二人に重ねて見てしまったのは、どう見ても不釣合いな私とロージュの姿。
ゾセフィーヌ公爵令嬢に対する不義が彼らにはあろうとも、互いに釣り合いのとれている美しい容姿は、私に大いに嫉妬心を抱かせた。
私がロージュに抱いている劣等感を刺激し、それから生まれた拭いようのない苛立ちを、レオラ伯爵令嬢からの命令にかこつけてユウナ子爵令嬢へと八つ当たりにもぶつけさせた。
なんて愚かで醜い女なのだろう。
私はロージュの婚約者として相応しくない。
そう、私には彼の隣に並び立つ資格などありはしないのだ。
あのころ、ロージュは私をいたく心配してくれていた。
非道なイジメを繰り返す日々で荒んでいた私を心配し、そばで寄り添おうとしてくれ、まるで己のことのように心を痛めてくれていたのだ。
「俺になにかできることはないか」と、「どうか俺を頼ってくれ」と、「君の力になりたいんだ」と。
だが、どうしてその手をとることができようか。
卑劣なイジメに手を染めた、この汚らわしい手で、一体どうして彼の手をとることができようか。
心優しい彼の手をとることなど、絶対にできるはずがなかろう。
また、もしもロージュに頼ってしまえば、今度こそ私は彼の隣にいられなくなる。
加害者の分際で被害者ぶり、いざとなったらあらゆる面で己より優れた婚約者に頼り、己はなにもなさず、己一人では結局なにをなすこともできない。
外見で劣り、内面で劣り、家格で劣り、人間性で劣り、すべてで劣り。
もはや婚約者どころか、一人の人間としてですら接することはできなくなってしまうのではないかと、私は殻に閉じこもらずにはいられなかった。
だから、私はロージュの手を払いのけた。
彼が差し出してくれた、あの救いの手を払いのけてしまった。
辛そうな、いまにも泣き出しそうな彼の顔を見て見ぬふりしたのだ。
彼の気持ちも考えず、彼の想いに向き合おうとせず、彼に背を向けてしまったのだ。
私は――
「おい! 聞いているのか!? リオ・ペシャル!」
己の名を呼ぶ誰かの声。
その荒々しい声に意識を浮上させられてみれば、こちらを睨みつけているミハエル王太子殿下と目が合う。
数歩先の場所から、彼は私を軽蔑の眼差しでもって心底嫌そうに見下していた。
「も、申し訳ございません。なんでしょうか……?」
「だから、貴様もユウナへのイジメに加担していたのか否かを聞いているのだ!」
「それは――」
ミハエル王太子殿下からの問いに肯定しかけたとき、目の前に誰かが庇い立った。
視界は一瞬で誰かの背中で埋め尽くされてしまった。
少し見上げるほどの背丈。
目が映した、シャンデリアの光に照らされて輝く銀色の髪。
ふわりと鼻に漂ってきた、かつて私が贈った香水の匂い。
もちろん、それらがなくとも目の前に立った人物が誰なのかわかる。
ずっと見てきた背中だ。
ずっと恋焦がれてきた愛しい人の背中だ。
いまさら見間違えるわけがない。
「お話を遮る無礼をお許しください。そしてミハエル王太子殿下。私は貴方に決闘を申し込みます」
私の婚約者――ロージュはそう言い放った。
すると次の瞬間、ぱさりとなにかが落ちた音が聞こえた。
誰かが呟いた「白い手袋……」という声を耳が拾う。
「貴様、正気か?」
「ええ、正気ですとも」
短い問答ののち、場は水を打ったように静まり返った。
私もわかったのは、ロージュがミハエル王太子殿下に決闘を申し込んだという事実だけ。
ただし、わかったといっても現実味はない。
むしろ信じられない気持ちでいっぱいであり、少々頭が混乱してしまっている。
「なにが望みだ?」
「私が勝ったらユウナ子爵令嬢に対するイジメの数々を不問に処していただきたく」
「まさかゾセフィーヌを庇うつもりか?」
「とんでもない。婚約破棄云々についてはお二方の問題でしょう? 私が関わるところではありません」
「まぁいい。で、負けたらどうするつもりだ?」
「どうにでも。命でもなんでも、私が持つすべてを貴方に捧げましょう」
「面白い。ならば、この俺に楯突いたこと、死ぬほど後悔させてやるとしよう……さぁ、パーティーはこれにてお開きだ!」
ミハエル王太子殿下の号令を受け、一連の騒動は幕を下ろす形となった。
このような騒ぎがあったあとではパーティーを続けられるわけもなく、先頭をきって退出していくミハエル王太子殿下に続き、生徒たちも次々と会場を立ち去っていく。
いまだ理解が追いつかず、呆然と過ごすこと数分。
あとに残されたのは、私とロージュの二人のみであった。
いつからこちらを見ていたのか、ふいに彼と目が合った。
いつになく真剣な、その顔つき。
きっとユウナ子爵令嬢へのイジメに加担していたことを責められ、ゾセフィーヌ公爵令嬢同様、婚約破棄の沙汰を言い渡されてしまうのだろう。
それでも自業自得の話であり、私に言い訳の余地はない。
「リオ、勝手な真似をしてごめんね?」
「――えっ?」
「でも、君を守るためにこうするしか方法がなかったんだ。ああ、それと先に言っておくけど、俺は君との婚約を破棄しないから。たとえ君がこれから婚約破棄したいと言っても絶対に許さないからね? わかった?」
「わ、わかった……」
凄みのある剣幕に負け、つい頷き返してしまう。
ここまで必死な顔をした彼はいままで見たことがない。
正直、私との婚約破棄ごときに、なにをそんなに必死になる必要があるのか、まったくもって理解できないのだけれども。
「――じゃなくて! そうだよ、ロージュ君! どうしてミハエル様に決闘なんか申し込んじゃったの!? だ、だだ、大丈夫なの!? 死んじゃうよ!? ぜぜ、絶対死んじゃうよ!」
ロージュの切羽詰った様子を見て、逆に落ち着かされたところで。
ふと私は、彼がミハエル王太子殿下に決闘を申し込んだことを思い出してしまい、なんてことを仕出かしてしまったのかと慌てずにはいられない。
なにせ相手は、あのミハエル王太子殿下である。
才色兼備にして学園最強。
勇猛な騎士団長の息子をも凌ぐ実力は、ドレスターリア王国の当代剣聖のお墨付きだ。
剣を扱わせれば学園内で右に出るものはおらず、それは魔法においても同じこと。
王国一の魔法使いをして「天才」と言わしめるほどの実力を誇っているのである。
一方、私の婚約者はといえば。
彼の強さを褒め称えるような評判は一度たりとも耳にしたことがない。
聞くに普通、見て普通。
彼には申し訳ないと思うものの正直、ぱっと見た感じでは優男風であり、まともに剣を振ることすらできないのではと疑ってならないくらいだ。
すごく格好良いけど、絶対に強くはないと思われる。
ああ、どうしよう。
このままではロージュがミハエル王太子殿下に殺されてしまう。
一体どうすればいいのだろうか。
「それなら大丈夫。負けることはないと思うから。ただ……」
「ただ?」
「いや、なんでもない。それより俺たちも帰ろうか? 家まで送っていくよ」
「あっ。待ってよ、ロージュ君!」
一瞬なにかを思い悩む素振りを見せてから、ロージュは出口に向かって歩いていく。
少し様子が変だと思ったのも束の間、追いついたときにはすでにいつもどおりの彼に戻っていた。
また、彼が私を守るために決闘を申し込んだことはわかったものの、負けることはないと断言してみせた理由については知ることはできそうにない。
その顔をうかがってみたところで、いつもと同じように優しく微笑み返されてしまい、聞くに聞けずに黙らされてしまったのだから。
◆
結論から言うと、私の心配は杞憂に終わった。
パーティーでの婚約破棄騒動から一週間後。
学園内に建てられた闘技場にて、ロージュはミハエル王太子殿下を激しい接戦の末に打ち負かしてみせたのだ。
その瞬間は、学園の生徒たちだけでなく、国王陛下を始めとするドレスターリア王国の要人たちも目撃しており、ひいては国中を駆け巡る一大ニュースにもなった。
なお、一大ニュースにまで発展したのには、もう一つ大きな理由がある。
それは、ロージュが実は――『血塗られし白銀の煉獄帝』という二つ名を名乗っていた伝説の仮面冒険者であったことが発覚したからだ。
三年前、突如として表舞台から姿を消した『血塗られし白銀の煉獄帝』。
その功績はあまりにも多大だ。
もっとも有名な一例としては、王都をドラゴンの群れから単身で守りきったことが挙げられるだろうか。
ほかにも、未踏破であった迷宮を攻略してみせたり、魔王の復活を目論んでいた邪教徒の集団を捕縛してみせたり、彼の活躍を挙げればきりがない。
老いも若きも、その存在を知らぬものは王国内に一人としていないだろう。
今回、ロージュの正体が発覚した理由についてだが、それはミハエル王太子殿下が、彼が危惧していたどおりの実力者であったから。
もしかしたら買いかぶりにすぎず、いざ戦ってみたらすんなり勝つことができるのではないかと淡い期待を抱いていたものの、やはり本気を出す羽目になってしまったそうだ。
ゆえにロージュとしても出し惜しみできず、彼固有の特徴的な技の数々が露見することになってしまい、隠していた正体にも繋がってしまったという次第であった。
ミハエル王太子殿下もロージュと同じく、さらなる本当の力を周囲には隠していたというのだから驚きである。
かくして、なにはともあれ、一連の騒動は無事に終結を迎えた。
ミハエル王太子殿下は、ゾセフィーヌ公爵令嬢をないがしろにしたことを反省して彼女に謝罪し、己を一から鍛えなおすべく政務に鍛錬にと励んでいる。
婚約破棄されたゾセフィーヌ公爵令嬢はといえば、ミハエル王太子殿下の心変わりを真摯に受け止め、いまは前向きに新たな婚約者を探している最中だ。
またユウナ子爵令嬢は、ミハエル王太子殿下との身分差を越えた恋を成就させるため、いまは王妃教育に懸命に取り組んでいる。
私がこれまでにしてきたイジメに対する謝罪を、「いま思うとあのころの私は無知で身勝手で、人の気持ちも考えずにいたのだから、きっとイジメられて当然だったと思う」と寛容な心でもって許してくれた彼女は、きっと素晴らしい国母になることだろう。
では、私と彼の関係はどうなったのかというと――。
「今年の夏も綺麗な花が咲いてくれるかなぁ? ねぇ、『血塗られし白銀の煉獄帝』さん?」
「お願いだからその呼び方はやめて……本当に黒歴史なんだって……」
少しばかり対等になれた気がしている。
我が家の花壇の前で二人並んでしゃがみ込み、まだ青い苗を眺めている現在。
隣でいじけたように地面に「の」の字を書いている彼の姿は、これまで私に見せてくれなかったものだ。
完璧だと思っていた彼にも、振り返ると恥ずかしい過去があったのかと思うと微笑ましく、親近感を覚えてならない。
「ごめんごめん。でね、ロージュ君。一つ聞きたいことがあるんだけどいいかな?」
「いいよ。黒歴史に関すること以外ならね」
「もう、本当にごめんってば」
ふて腐れたような顔もこのごろではよく見せてくれる。
彼には悪いとは思うものの、からかえばからかうほど新たな一面を知れるものだから、当分はやめられそうにない。
ただ、それでもまだ気になっていることが一つだけ残っている。
ずっと疑問に感じていたことであり、聞くのが怖くて聞けなかったこと。
それは「なぜ彼はこんな私を婚約相手に選んでくれたのか」ということだ。
いままで感じていた壁のようなものを取り払えた気でいても、やはり根本的に疑問でならないのだ。
彼のような素晴らしい人が、どうして私のような平凡な女性を選んでくれたのか。
私より外見も内面も優れた女性は山ほどいるし、彼なら選り取り見取りだろうに、なぜ私を婚約者にと望んでくれたのか。
どうしても疑問でならなかった。
「ねぇ。ロージュ君はどうして私と婚約してくれたの?」
でも、いまなら聞くことができる。
なぜなら、彼は自らの黒歴史を公に晒してでも私を守ろうとしてくれたから。
その想いに嘘偽りないことを、いまは心から信じることができるから。
どう見ても不釣合いな私を、彼が心から愛してくれていることを実感しているのだから。
「あれ? まだ言ってなかったっけ?」
「うん。聞いてない」
「実は子供のころにさ、この花壇で土いじりをしているリオを見かけたんだよ」
「そうなの? えっ、ロージュ君って王都生まれだったの?」
「そうだよ」
初めて聞く話だ。
ずっと辺境生まれだと思ってた。
「話を戻すけど、そのときのリオが可愛くって可愛くって。目をきらきらさせて、鼻頭についた土にも気づかないくらい夢中でスコップを振るう姿に、なんだか胸がいっぱいになっちゃったんだよね。いわゆる一目惚れってやつ」
「ひ、一目惚れ……?」
「でもそのころの俺は薄汚い孤児だったから、貴族のリオに話しかけることなんてできなくってさ。じゃあどうしたら話しかけられるかって考えたら、やっぱり偉くなるしかないと思ったんだ。対等な貴族になることができたのなら、リオと話すことができると思ったんだ。だから頑張ってこれた。この初恋を実らせるため、がむしゃらに頑張ってくることができたんだ」
「は、初恋……?」
だめだ。
自分でも顔が熱くなっているのがわかる。
彼の顔を直視することができない。
「ま、まぁ、途中でちょっと脱線して黒歴史を作っちゃったんだけどね……あはは……」
ちらりと横目にのぞき見た彼の顔もまた、私同様に真っ赤に染まっていた。
「と、とにかく! そういうことだから、俺は絶対に婚約破棄なんてしないから! 婚約破棄だなんて絶対に許さないからね!? わかった!?」
「わ、わかった……」
婚約破棄なんて私から申し出るはずもないのに。
彼としては、私に黒歴史を知られてしまったことが恥ずかしく、私から婚約破棄を申し出られてしまうのではないかと不安でたまらないのだろう。
私からしてみれば黒歴史でもなんでもないのに難儀なことだ。
でも、嬉しくて胸がいっぱいになる。
お互い目を見て話すことができない私たちはなんて初心なのだろうか。
こんなに格好良くて素敵な婚約者がいるなんて、私はなんて幸せ者なのだろうか。
婚約破棄なんて私が少しも考えていないことを伝えたら、彼はどんな反応をしてくれるだろうか。
私が一言、「好きです」と、「愛しています」と伝えたら、彼はどんな顔をして喜んでくれるだろうか。
私たちの恋が始まった花壇の前。
いつかと同じように訪れた気まずい沈黙。
この一時がたまらなく愛おしい。
私には、私を愛してくれる格好良くて素敵な婚約者がいる。
お読みいただきありがとうございました!