3-2
秋の夜は早い。
テラスにティーセットを用意して、大きな花が描かれたチョコレートを頬張る。
「クリスティーネ、どうか今宵は私だけを見つめていて欲しい」
「ランギール様…」
王宮主催の夜会に招かれたクリスティーネ。
憧れていた王太子ランギール。美しく逞しく気高き王太子。男爵令嬢の自分がまさか。
いつも通り父がエスコートして大広間にやってきたクリスティーネ。
薄いピンク色のドレスは幾重にも生地が重ねられ、銀色の細い髪は緩く巻き、胸に留められた大きな花のコサージュ。
そんな彼女を一目見てランギールは恋に落ちてしまった。
クリスティーネが父と共に国王陛下への挨拶を終えると、側に控えていたランギールに手を取られる。
細い指、白く艶やかな手の甲。
優しく触れられ唇を落とされる!
「ら、ランギール王太子殿下!な、なにを」
「クリスティーネ、どうか一曲私と踊って頂けませんか?」
クリスティーネとて男爵の令嬢。夜会の一曲目のダンスがどんな意味を持つのかは小さな頃から教えられ、いつかは自分もと憧れていた。
ん?夜会?
パタンと手にしていた愛読書の「恋の王宮物語第1巻」を―しっかり栞を挟んでから―閉じる。
わなわなと上ってくる震えを抑えようと紅茶のカップを手に取るも、震えていてうまく口に運べない。
夜会って言った?言った。エスコートっていった?言ってた!
答えがわかっている自問自答を繰り返し頭を抱える。
ナディは少しずつ頰に熱を感じたが、ふぅっと息を吐き心を落ち着かせる。
トールがよくわからない。
最初出会った時に比べると印象は良くなったし、二度目の事故、あれは事故として記憶している。まぁ事故に関しては、何かに追われていたようにも見えたけど。
怪しさと、信用したい気持ち。
ナディの家でお茶をしてる様子や、レーネや母とも談笑している時。トールはいつもニコニコとしている。
一緒にいる時も沈黙が嫌な気持ちになったことは一度もなかった。
ナディといるときのトールと、何か秘密を隠しているトール。
二つの顔を思い出し、なんだか気恥ずかしくなってきたナディ。
今日はもう寝よう。
「レーネ、寝る準備を」
「はいはいもうお着替えなさるだけですよ。」
部屋に控えていたレーネに声を掛けるとにこやかに笑っていた。厳しいときもあるけど優しいレーネ。
「私は良いお方だと思いますよ。」
部屋着をレーネに渡すとくるくると丸めて洗濯カゴへと纏めていた。
驚き目を見開いたナディに
「こんなにご令嬢らしくないお嬢様に、毎週会いに来てくださるなんて」
と溜息まじりに続けた。
「いや、そんな関係ではないから!」
いやいやいやと手とぶんぶん音がしそうな程に首を横に振る。
「ただのお茶友達です!」
言い募る主人を背にレーネは口元を抑えた。
あら、お友達になられたのね。くすっと笑い、退出の挨拶をしてから主人の部屋を後にする。
「これは一体…」
「トーリュシア様からナディエール様へのお贈り物でございます。」
どうかご査収くださいませ。それでは失礼いたします。
次の週の非番の日、朝早くからレーネに起こされ、玄関ホールに向かった。小さいながらも清潔に保たれ、毎日庭に咲いた花が新しく飾られている。
そんなホールにいくつかの箱を馬車から運び、届け主を告げて、一切の無駄がないキビキビとした従者らしき男は帰っていった。
恐る恐る贈られた箱の中ではわりと小さめな物を手に取る。
少し重い。丁寧にワインレッド色の上質なシルクのリボンが掛かった白い箱。
掛けられたリボンには以前母にドレスを強請った仕立て屋の飾り刺繍が入っている。
嫌な予感がして、とりあえず箱を元の位置に戻した。
はぁっと溜息をつき、ホールに積まれた箱を見る。まさか本気だったのか?
「あら、素敵」
レーネが一番大きな箱を開け感嘆の声をあげる。横目でちらりと見れば手にしたドレスを、レーネのふっくらとした体に合わせていた。
胸元からのピンクを基調としたプリンセスドレス。
腰元には薄紫のチュールが幾重にも重なり、上から下へと変わっていく濃淡がピンク色の幼さを消し、チュールにあしらわれたパールが柔らかく煌めいている。
大きな襞が作られたドレスの裾には銀糸の飾り刺繍。
ドレスを嬉しそうに抱きしめてるレーネに近づいて、高級そうな生地に触れてみる。
柔らかく、光沢のある生地は国産の超高級アモーラ絹だ。チュールにもよく見ると細かい模様がはいってる。
ドレスを着ることはないがご令嬢達のドレスを嫌と言うほど沢山眺めてきたから良くわかる。
これほどのドレスは今まで見たこともない。
もちろん触れたことだって。
気持ちのいい肌触りにうっとりしそうになった。
違う。こんな素敵なドレスは。
眉を寄せて、触れていた指を離す。
手をぐっと握りしめ、ドレスから目逸らしてしまう。
自分では着ることなどできない。
目を閉じ俯き、
自分はお姫様にはなることは出来ないのだから。
人知れずナディはまた溜息を吐いた。