2-3
王宮は広い。
広間を走り抜け、エントランスホールに向ったは良いがテオドール殿下の部屋にいくのには時間がかかる。
ナディはレイディールが怒った時の事を考えていた。あんなに怒らなくてもいいのに、でもあんなに怒ることをしてしまったのか?自分が?と歩きながら胸に手を当てても誰も答えてはくれない。
きっとしたんだ。いつもそう。目先の欲に駆られてあまり先のことを考えない。よく言えば素直。悪く言えば考えなし。
ポケットに忍ばせたチョコレートをポイっと行儀悪く口に投げ込み、落ち込んだ気持ちを奮い立たせる。
帰ったら謝ろう。怖いけど。
「ナディエール嬢。またお会いしましたね」
声を掛けられ振り向くと、あの謎フード男。
まさか王宮に忍び込んでいるなんて。招待リストに入ってない人物はエントランスホールで丁重にお断りしている筈。
なので、つまり、この男は招待客?いや、転移魔法を使う場合は想定されていない。しかもパーティーだというのに前回会った時よりも遥かに軽装だ。あの白いローブも着ていない。
やはり怪しい。
訝しげに眉を寄せて見つめるナディに、
「あぁそんなに怪しくはないですから安心して下さい。」
「余計に怪しい…」
困ったなぁ。と苦笑する顔はあまり困ったようには見えない。
「それで?何か御用ですか?」
「いいえ、特になにも」
お会いしたので声を掛けさせて頂きました。とニッコリと笑うその顔をみてなんだか拍子抜けしてしまう。なんだか不思議な男だ。
怪しい奴に関わると碌なことが起こらないので逃げよう。と末っ子の本能がまた告げている。
「では、向かう所がありますので失礼します」
キリッと騎士の礼をして男の横をすれ違い、通り過ぎる。
「いらっしゃったか?!!!」
「いや、いない!!」「どっちだ?!」
ドタドタと走り去るのは魔導部隊の数人。
エントランスホールには二階へと続く豪奢な大階段がある。先程謎男とすれ違い通り過ぎようとした時。
ぐいっと強い力で後ろ手を引かれ、大階段脇の壁に縫い付けられた。
片手はナディの口を塞ぎ、男の体全体でナディを壁に抑えている。端整な顔は辺りの様子を伺いながら、シッと指先を口に当て声を出さないように合図した。
なんだこの状況は。
ナディは目をぎゅっと閉じ体を硬ばらせた。
壁に抑えられてはいるが、押しつぶされない様に男の腕が支えになっていて、密着した体は吐く息も、心臓の音も聞こえる。
だんだんと耳が熱くなり頬と首に熱が伝わっていく。考えるな。感じるな。考えたら恥ずかしさに頭が爆発してしまう。
大きな男の手がナディの口から離れ、ナディの体を抑えていた男の体が離れていく。
「な、なにを…!」
シッ静かに。
指を唇に当てられ、ボンっと顔から音がした気がした。
上体を屈め辺りを伺う男は暫くしてからナディに振り返る。
真っ赤な顔で眉は限界まで下がり、目には微かに涙を溜めている。肩は震え、行き場のない手を握りしめている。
なんだか泣き出してしまいそうな、
頼りない大きな瞳は目が転がり落ちそうなほどで。
その弱々しい姿に胸の奥が少しだけ痛む。
へなへなと厚手の絨毯が敷かれた床に蹲み込んで男を見上げる格好をしていた。
膝を抱え頭はパニック状態。
そんなナディをまるごと抱え込むように抱きしめると、抗議のためか拳を握り胸の辺りを何度か叩かれる。
それすら抑え込むようにしてぎゅっと体を寄せて背中を叩く。
ぽんぽんとあやすように。
泣いてる子供を落ち着かせるように。
女性とはいえ鍛えているナディよりも広い肩幅に、しなやかな胸の筋肉。背中に回された腕と手は大きい。
ナディエールのポカーンとした顔を横目に見ると、すっかり涙は引っ込んでいるのでホッとする。……ホッとする?
胸に浮かんだ疑問に首を傾げるも直ぐに消えてなくなった。
「き、貴様!!…先日といい、き、今日といい!な、なんて無礼な!」
もう泣いていないと判断して、体を離せば赤い顔で目の前に指を突きつけてくる。
「先日?何のことでしょう」
首を傾げ眉を寄せ本当に分からないと独りごちている男に心底ムカついた。ナディはその日眠れずに、ずっとベッドをゴロゴロと転がっていたというのに。
逮捕だ。逮捕しよう。不敬罪か、婦女暴行?え、暴行?いや、もうなんでもいいから公務執行妨害とかで無理やり捕まえてやろう。
捕まえて牢屋に入れて禁錮刑にしてやる。
いつのまにか心の声が全部漏れていたようで、
「全部聞こえてますよ。」
と、くすくすと肩を震わせ笑う声が聞こえたのを横目で睨み、
「それでは話が早いですね。」
ニッコリと微笑む。絶対に牢屋にいれてやる。
「あいにく、今は捕まる訳にはいかないのです」
また、まただ。
男の体の周りに白や金の、大小様々な丸い光が集まり始める。
「待て!」
思わず腕を掴むと、驚いた瞳とぶつかる。
紫の瞳を細め、ふわりと笑う薄い唇の端を持ち上げたその顔に。
目を奪われた。一瞬だけ。
「トール。
トーリュシア・デルバルク。覚えておいて。ナディ。」
掴んでいない方の手を振りながら、白い閃光に包まれると。パシュンっと音だけ残して消えた。
空を掴んだ手を見つめてため息を吐く。