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澄んだ空。雲は少なく夏の終わりらしい湿度の低い風が濃い緑の木々を撫でていく。
王城の後方の空ではパンっパンっと火薬の弾ける音が鳴り、城門前の広場にずらっと並んだ鼓笛隊が軽快なリズムを奏でてる。
王宮の大広間に招待客達が次々と集まってくる。
無数のクリスタルで作られた煌びやかなシャンデリアが円形の広間の真ん中に大きく浮かんでいる。双頭の大亀をモチーフにしたタペストリーが広間最奥の数段高くなったステージに掛けられ、タペストリーを挟むようにしてゆったりとした肘掛椅子が二脚。
テラスに繋がる窓は開け放たれ、中央のガラス窓はタペストリーと同じモチーフのステンドグラスが嵌め込まれている。
「まぁ、ナディエール様とギルディール様だわ」
「カシュイン家のご兄弟を見られるなんて」
黒地に金の刺繍で王家の家紋と大亀を象どられた近衛兵の制服に、普段はつけない勲章を胸につけ広間に到着する招待客を見つめるナディ。前髪をこの日は片側だけ垂らし、固めに結い上げて貰った金糸の髪を制帽の中にしっかりと収める。その姿は正に絵本や恋物語に出てくる騎士そのものである。
傍には同じく近衛兵の正装だがナディよりも階級の高さを表すマントと警備の指揮官の証である腕章をつけた次兄のギルディールがナディと王宮のホールにて並び立っていた。
ナディよりも頭半分以上背が高く、がっしりとした武人ならではの体格。制服のジャケット越しでも胸元の筋肉の厚みがわかるほど。短く刈り込まれた髪も怜悧な瞳の色もナディと同じではあるが与える印象は真逆な2人。
「ナディ」
顔は正面を向いたままギルディールが囁く。
「腹減ったな」
ぐぅっとお腹が鳴ったような気もするがそういえば朝から何も食べていない。王家主催のパーティーで近衛兵を務めるナディと次兄のギルディは陽が昇る前には登城していた。
「生クリーム食べたい」
「ないよ、そんな甘いの。俺は絶対ステーキ食べる」
「ないですよ、ステーキなんて。あるのはパンケーキです」
ない、ある、ない。なんて食い意地の張った会話を表情を1ミリも動かさないまま、至極真剣な瞳で繰り広げるあたりプロ意識が高い。
「なんて素敵なのかしら」
うっとりと頬を赤く染めて色とりどりのドレスを纏った令嬢達の声はお腹を空かせた2人にはまったく届いていなかった。
「今日は、皆楽しんでいってくれ」
乾杯!と王の挨拶が終わりステージ脇に控えた王宮の楽師達が楽しそうな音楽を奏でている。
ある者は踊り、ある者は食べ、またある者は錚々たる顔ぶれに自分の名前を売り込もうと外交に精を出すもの。
パーティーが始まるとナディはテオドール王子に挨拶に来る貴族達をすぐ後ろに控えて厳しく見つめていく。ナディ以外の近衛兵達も傍に控え左右と王子の後ろから不測の事態に備えている。
「ナディ」
(こちらはマウリヤ侯爵家の当主アルバート様とご子息ハミール様、ご息女ラルーカ様でございます)
「テオドール殿下、ご機嫌いかがですかな」
(辺境伯アールス家ご嫡男のショーン・クラウス様と奥方のフォリア様でございます。)
「この度はお招き頂きまことに…」
この日が王太子としてお披露目となったテオドールは、挨拶にくる貴族達の名前も顔も一致しないので側に控えたナディが小声で教えていく。この日のこの為に父と兄に必死に暗記させられたのだ。だが、さすが貴族社会。招待リストの上から順番に挨拶に来るので、胸元のハンカチーフに縫い付けたカンニングペーパーを見なくても平気そうだ。
それにしてもテオドールに覚えて貰い、あわよくば縁を繋ぎたい。と普段のドレスよりも十二分に気合の入った娘を連れてくる貴族の多いこと。
ナディはテオドールの後ろでひらひらふわふわとした可愛らしい令嬢達にニヤつく頬、上がる口角を必死に抑えポーカーフェイスを貫いていた。
ナディが何人目の貴族かもう数えることを諦めた時、そろそろテオドール王子にも疲れの色が見えてきていた。
齢12歳の小さな王子。王家の第一子として生まれ王位継承権ももちろん1位。小さな肩に乗るプレッシャーはきっとナディが思うよりも大きいはずだ。
それでもこの王子様は弱い所を見せまいと、キュッと寄せられた眉間のシワに気位の高さを認める。
「…ナディ、何をしている」
「いえね、殿下のつるっとした眉間に跡が残ったら大変ですから。」
テオドールの眉間を二本の指で伸ばすように揉んでみる。ナディの真剣な瞳に、ぷっと吹き出し、テオドールは笑う。
笑った顔を見て安堵する。
「殿下。お疲れでしたら少し休まれますか?」
「…うん、そうだな」
侍女の言葉に素直に従い広間の奥にある休憩室へと向かうテオドールと侍従、近衛兵と続く。ナディ以外の。