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雨は止まずに、勢いが強まっていく。
ふと視線を感じて、ナディが飛ばしていた思考を戻すと、ニコニコと笑う顔を見つける。
暑苦しいフードはいつのまにか外したようだ。
短く整えられた黒髪と思ったが雨に濡れているからだろうか、紺や、濃い灰色のような色に見える。
(不思議な色…)
切れ長の瞳は紫。紫は魔力を持つ者の証。
「ナディエール嬢」
「また、お会いしましょう」
名乗ってもいないのに名前を呼ばれたとか、近衛兵の服を見に纏っているのにも関わらずナディが女性だと見抜いたとか、色々腑に落ちない所はあるが、それよりも何よりも。
頬に柔らかな感触を感じナディは目を丸くする。
「それでは」
耳元に囁かれた声など頭に入らない。
唇が触れた。頬に。ナディの頬に。
ちゅっと音を立て、すぐに離れた。
白い旋光に包まれた謎の男はナディの目を見つめながら消えてしまった。
男が消えた後を見つめ、だんだんと頬が熱くなる。
頭にはてなマークが浮かんでは消え、ナディはその場にしゃがみこみ頭を抱えてしまう。
何何何何何何何何何何。
雨はまだ止みそうにもない。
それでも居ても立っても居られなくなりナディは自慢の健脚で走り出す。
頬が熱い。囁かれた耳も。
射抜かれた紫の瞳。
まるで、それではまるで!
まるで、王子様のようではないか!
赤い顔を見られないように顔を俯かせ、眉根を寄せ深く刻む眉間の皺。ショコラティエの箱を小脇に抱えて走る様はなにか事件でも起きたのかと、すれ違いざまに視線を送られるが構ってはいられない。
事件も、事件。大事件だ。
―――――――――――――――――
着替えの最中にも侍女のレーネに何があったのかとさり気無く聞かれても話をすることはできない。
よく分からない謎の男と雨宿りしていたら、頬にキ、…キスをされいなくなった。
冷静になって分かるのは、憧れの王子様ではない。
完全に不審者だ。何故あそこで追いかけて捕まえなかったのか。転移魔法を使うことのできる魔導師など数は少ないはずだ。ぎゅっと握る手に自然と力がはいる。
眉間に皺をよせ首を振ったナディに、察したレーネはミルクたっぷりの紅茶を淹れてくれた。
「王家主催のパーティーですか?」
「そうだ。改めて御布令と招待状が出されると思うが近衛兵にもなったんだ、警護にあたっていくつかナディに知らせないとと思ってな。」
夕食の後、小さなサロンで父と兄に囲まれて一枚の地図を囲む。
パーティー会場の警備。招待客の出入りを見張り、不審者や怪しい人物がいないか。また王家との距離が物理的に近くなるので害なす者なども現れる。
穏やかで威厳のある王でも見る角度が違えば弑してしまおうと思う者だって少なからず居る。
「テオドール様のお披露目もあるそうだ」
「王妃のご懐妊もありましたから王家が盤石であるとの意味もこめて、ですね」
兄の言葉に頷く父。
「ナディはテオドール様のお側にて警護にあたるとは思うが」
王宮に長く勤める父と、何度も王宮の茶会や夜会で警備にあたったことのある兄達。注意点と気を配るべき貴族の名を教わっていく。
「まぁこんなものだろう。状況はどんどん変わっていくから変更はまたその時。」
父の言葉を合図にふぅっと息を吐く。
「あ、そういえば今日気になることがありまして」
「何かあったのか?」
「いえ、特にこれといってあった訳ではないのですが…」
ナディは市街地であった気になる気配について話した。途中で剣術の稽古をサボったことを兄に肘で突かれたがポーカーフェイスは崩さなかった。
「ふむ。」
父は腕を組み目を閉じ、兄達も顎に手を当てたり腕を組んだりしてナディの話しを反芻していた。
「なにか怪しい奴はみたのか?」
長兄に聞かれ、フードを被ったあの男を思い浮かべる。ナディは男と男が使った転移魔法について報告しようと思ったが、そうすると頬へのキ、キスまで話をしないといけなくなるので辞めた。
三人は、いやもちろん母もレーネもだが。
とてもナディを可愛がり愛してくれている。そんな不審で不届き者をこの屈強な男達に伝えたら、きっと簀巻きにされてサンタバル運河にぽいっとされてしまう。眉間に皺を寄せ、軽く首を振る。
「いえ、あたりの気配を探り見渡しましたが特に…」
そうか。と父が言い、
「明日も早い。また今度にしよう。特にナディは今日の分の稽古をテオドール様に付けなくてはならないからな」
「ひっ」
そんなぁ。と青ざめ口元に手を当てるナディの肩を一発ずつ叩き、笑いながら
「明日はサボるなよ」と付け足し父と兄達は部屋に戻っていった。