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「あら、お嬢さ、まあまあまあまあ!!!」
タウンハウスの玄関ホールを抜けた所で、カシュイン家の数少ないメイドであり、ナディ付きの侍女として勤めてるレーネが悲鳴に近い声で叫びながら走ってくる。
あの重くるしいスカートをたくし上げてはいるが素晴らしいスピードだ。
「どうしたんですか!まぁこんなに濡れて!」
濡れそぼった金糸の髪にタオルを乗せ、近衛兵の証である制服を脱がせていく。
「雨に降られてしまって」
「あら、王宮には迎えの馬車をやったはずですが」
レーネにじろりと上目遣いで睨まれ、タオルで髪を拭く力が僅かに込められるのを感じる。
「とりあえず着替えて下さいな」
部屋に戻るナディの背中を見送ると、レーネは首を傾げ
「何かあったのかしら」
手に行きつけのショコラティエの箱を持っているのできっとそのせいだろう、甘党の主人のためにミルクたっぷりの紅茶を手配し、主人の部屋へと向かう。
はぁ。
溜め息とともに胸元のリボンを外し濡れた服を脱いでいく。
ナディは代々続く騎士の家系に結婚して家をでた姉と兄が2人の下に末娘として生まれた。
古くは街の衛士に着くことが多い平民に毛が生えたような家だった。
曽祖父の代から王宮に仕え、上の2人の兄達も現王の覚えも悪くない。このままいけば部隊長にでもなる立派な武人達だ。
そんな祖父や父に兄達と共に剣の稽古を受け、小柄なナディは力では兄に敵わないものの素早さでは負けていなかった。
いかにして祖父が鍛える兄達に勝つことができるのかと、まるで戦術を競うかのように父にみっちり。それはもうみっちりと鍛えられた。
刺繍針を握るよりも、木の模擬刀を握り。
ドレスを着るよりも、革製の鎧を纏い。
お茶会のマナーを覚えるよりも、盾の使い方を覚えて育ってきた。
一度だけ、
年頃になったナディがドレスのひらひらと、花柄のレースに心惹かれて、父や兄には内緒で母にドレスを着てみたいとせがんだことがある。
普段からおねだりなどしないナディに母は喜び涙まで流していた。
カシュイン家が使わないような王宮御用達の仕立て屋にまでわざわざ出向き、とっておきのドレスを作ってもらった。
それなのに。
普段ドレスなど着ないナディに、デザイナーが気を使い華美にならず、それでいて地味すぎず。
ナディの深緑の瞳に合わせたエメラルドグリーンの生地に、細やかなゴールドとシルバーの糸で施された花柄の刺繍。アクセントにパールや、スパンコールが散りばめられ観る角度によって色味が異なっていた。
レースは大胆でいて細やかに、リボンは色も大きさも控えめに。
そんな素敵なドレスだったのに。
貴族令嬢にしては育ちすぎた身長。
長めの手足。
広い肩幅。割れた腹筋。
ヒールを履いたら動くことすらできない。
泣いた。
それはもう泣いた。
部屋に閉じこもり心配した父と兄達がドアを叩くのも無視した。
母とレーネは引きつった口元で
「素敵」「よく似合ってる」
なんて言ってくれたけど、違う。全然違う。
本物は。
本物のお姫様は。
長い髪を風に揺らし、頬と唇は薄紅色。
白い肌に纏うドレスの肩は狭く、腰もコルセットでキュッと締め上げられている。
軽やかにヒールを履きこなし、音楽に合わせてダンスを踊るのだ。
ダンスホールでヒールを履いたら動けないお姫様なんていないのだ。
ナディは可愛いお姫様に密かに憧れていた。
あまりにも自分とは違う本物のお姫様。
ドレスを着こなし、花や刺繍を愛し、いつかはかっこいい王子様がエスコートしてくれる。
そんな巷に溢れる恋愛小説も密かに定期購読してるぐらいには憧れている。
それでも似合わないのだ。
突き出た肩に、鍛えた腹筋に弾かれ締まらないコルセット。
ヒールを履いたらそこらの子息達よりも高い身長。
何度も何度も鏡を拭いても、
何度も何度も見直してもそこにはお姫様なんて居ない。
そこにいるのはナディエール・カシュイン。
いつものナディだけ。
なのでナディは諦めることにした。
自分に向いているのはお姫様ではなく、剣を極め兄達と共に武人になる方がいいのだと。
切り替えの早さは戦略家の父譲りでもあった。
武人になると決めてからはメキメキと腕をあげ、とうとう第1王子の近衛兵にまで上り詰めた。
こうしてお姫様への憧れを胸に秘めたまま、乙女の憧れナディエール・カシュインは完成したのだった。