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朝食を食べ終え、ナディが部屋で身支度をしているとギルディから声が掛かった。
熱もすっかり下がり、朝からパンを三つもおかわりした程ナディは元気になった。
ギルディは朝から少し元気がなく、機嫌でも悪いのかと思ったが、わざわざナディの部屋まできて、ホールに呼ぶなんて…なにか企んでいるのだろう。
「ナディ。そこに座りなさい」
ホールに着くとギルディだけでなく、父と母にレイディまで揃っていた。この前廊下で素振りしていて花瓶を割ったのがバレたのだろうか。まずいことになった。
父に促され椅子に腰掛ける。少女趣味の母がえらんだ小花柄の椅子は家の中の至る所にある。
席につけばすかさずレーネがカップを置いていい香りの紅茶を注いでくれた。いつもの紅茶より良い葉っぱだ。確実に。香りが違う。
紅茶を飲み、正面に座る父を恐る恐る窺う。
いつも通りに見える、いや、ちょっと緊張してるようにも見える。
誰にも分からないように口の中でため息をつく。
割ってしまったのは仕方ない。ちゃんと謝ろう。ふと座るナディの頭に影がかかったので、顔を上げればレイディが隣にいた。
レイディはするりとナディの隣の椅子に腰をおろし、なんだか優雅に笑ってさえみえる。ギルディは父の後ろに控えていた。ギルディをちらりと窺えば、こちらは眉間に皺という皺を寄せて不機嫌丸出しであった。
絶対にギルディに怒られる。
ナディは恐怖に肩を竦め隣にいるレイディに縋りついた。
「レ、レイ兄!ご、ごめんなさいい」
すっかり怯えて涙声にすらなっているナディにレイディールは口角を上げて笑い、ナディの頭を数回叩いただけで、前に向き直ってしまう。
味方がいない。愕然としたナディは下を向いて嵐が過ぎるのを待つことに決めた。
「ナディ。トーリュシア・デルバルク様のことだが…」
「…え?トールのことですか?」
マクドールの一声に塞がっていた気持ちが晴れるように感じた。
「それ以外なにか?」
ギルディにじろりと睨まれた。
口を両手で塞ぎ余計なことを喋らないようにする。片手で話の続きを促せば、父はコホンと咳を一つだけして話を続けた。
古の乙女と王祖ルフェウスのこと、国を守る守護獣の力のこと。守護獣は王族と契約をして、国を富ませる代わりに力を与えること。
トールはその守護獣とやらで、
昨日ナディが体に感じた衝撃は契約が完了した証なのだと。
目をぱちくりと何度も瞬きをして、ナディはぽかんと口を開けている。
「いきなりの事で私たちも驚いた。契約を交わした者がどうなるのかとか、正直まったく分からない。」
悩み、揺れる瞳。母はそんな父の手をそっと握っている。ギルディはイライラと腕を組んでいた。
ナディは自身の額に触れる。いつもと同じだ。
何か力が漲るとかも無い。
両手を広げてもいつも通りの剣だこまみれの大きな手。
「トールはなんと?」
「彼も特になにも…まぁナディには話をしたいと言っていた。」
「そうですか」
考えるように腕を組み、宙を見上げる。
「それでは、トールの話を聞いてから考えます」
「ナディ…!」
ギルディが椅子から立ち上がる。
「いつも父さん達が言ってます。一方向ではなく、多方向から物事を考え、判断しろと」
実際ナディはそれが苦手なのだけれど。
「ナディの決めたことです。尊重しましょう。」
レイディールはナディの隣で和かに笑っている。
この次期当主はとても頼りになる。次兄のギルディもレイディには頭が上がらない。
「ナディ、君の答えが君の力になることを祈ってるよ。」
レイディールはナディに告げると、皆とホールを出て行った。
ホールに残され、軽く息を吐く。
なんだか大変なことになってしまった。ような気がする。
けれど、起こってしまったことなので、もう巻き戻せない。
分からないままに契約を結んでしまったけれど、まさかあれが契約だったとは。組んだ腕をほどき、紅茶を啜る。
トールは人間ではなかったのか。
ナディの胸に重くのしかかってきたのはその事実だけ。
契約とか守護獣とか、古の乙女だとか国の成り立ちとか。そんなものは今どうでもいい。
人ではない。聞いた瞬間からなんだか胸が痛い。さざめく波がナディを駆け抜けていったように。
自分は運がないな。運?なぜ運がないんだ?
浮かんだ疑問符に答えはでず、紅茶は冷めていくばかり。
部屋に戻ろうと椅子を引く。