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夜半から降り始めた雨は、夜明けを告げる鐘が鳴ってもナディの部屋の窓を雨粒が叩いた。
王都アモーラに長雨が降るのは珍しい。
暖かく温暖な気候だが空気は乾いているので、雨は降ってもすぐに止んでしまうことが多かった。
「そう、それは困ったわね」
レーネが腕を組み、頬に手を当てながら厨房に出入りする商人と話をしていた。
ナディとも顔馴染みの気のいい商人はナディを認めると明るく声を掛けてきた。
「やぁ、ナディ!おはよう!」
陽気な声に思わず笑ってしまった。
「おはようございます、何かあったんですか?」
「いや、それが…」
商人は王都アモーラの南市場に小さな商会を構えている。
市場に入ってきた肉に魚と新鮮な野菜や、各国から集められた珍しい香草や薬なども取り扱っている。それを王都のタウンハウスを回り御用聞きをしていた。忙しなく動く男を見かける度にナディは声を掛けて立ち話もよくしていた。
「いやぁ…ナディは王宮に仕えてるから知ってると思うが…」
言いずらそうに眉を寄せて目を右へ左と動かしている男にナディは意外に思った。
「ほら、トトイの街に港を作るって話」
「ええ、ついこの前、父が視察に同行していましたから」
それがどうかしたのだろうか。続きを促すように視線を男に向ける。
「そっか、旦那様が視察に。こりゃあ本格的に話は進んでるってみた方がいいな。
…いや、こっちの話だ。悪い悪い。ナディ嬢。これは俺から聞いたってのは秘密にして欲しい話だ。まぁ簡単な話よ、ソル・アモーラ港の連中がストライキを起こすって話が上がっててな。」
「ストライキ?!」
ナディは驚き小太りの商人に目を見張った。
グリンバルク国は西から東へ海を割るとても大きな大陸の、西端に位置している。その中でも王都アモーラは南端に近い場所にある。ソル ・アモーラ港は王都アモーラに入ってくる物資のすべてが到着する最大の港湾として整備され、世界的に名高い港湾都市でもあった。
王都アモーラから馬で半日の距離にあるソル・アモーラ港。さらに船で南へ2日の位置にある大小様々に浮かぶ島々をトトイ諸島と呼ぶ。中でも一番大きな島の中心部にあるのがトトイの街だ。
島の産業は漁業だけなので長閑で、通年を通して夏の気候に大らかな性格の島々だった。
勿論島民も漁師ばかりなので島の港とは言っても、白い砂浜に板材で作られた足場が青い海に張り出している所に何艘かの漁船が停泊しているだけ。
だが、そこからさらに一週間程、春の季節風にのり南に帆を進めれば南の大陸へと繋がる新航路が発見されたばかり。そのことが切っ掛けで、トトイ諸島にきちんと整備した港を建造しようという声が出てきていた。
もちろん貴族の利権が絡み、賄賂なんかも横行しているのはナディも小耳に挟んでいた。
「なんだか物騒な話だこと」
やれやれ。とため息をついたレーネと思案に浸るナディの顔を見渡し、何か考えるように男は手で顎を何度か撫でた。
「ソル・アモーラ港がストライキを…」
「連中もさ、分かってはいるんだよ。新航路があればソル・アモーラ港にだって恩恵はあるんだ。だが、どうにも上の一部に煩い人達がいるみたいでね。」
腕を組み唸る声を喉の奥でならした男は、暫くレーネやナディと世間話をしてから次の貴族邸へと足を伸ばしていった。
夕方の南市場は威勢のいい市場ならではの怒声と、買い物客と観光客が入り混じっていてナディが思っていたよりも混雑している。
南市場は半屋内型の独特な市場だった。広い敷地の直ぐ近くに半円のドーム型をしたとても大きなテントが屋根の替わりに張られている。
等間隔にナディが両腕で抱えても届かない程大きな木の柱が建ち、見上げた天井が眩しくて目を細めると、格子模様のようにみえる木の梁が張り巡らされている。陽の光を取り込む為かぽっかりとテントの真ん中に夕暮れの赤い陽が、円形に空いた穴から市場に降り注ぐように入ってきているのが美しかった。
市場の東側と西側は壁が取り払われているので風も通り易い開放的な作りになっている。
テントの入り口付近ではソル・アモーラ港から渡ってきた新鮮な魚介や肉が、通りの両脇に所狭しと建ち並ぶ露店に広げられている。
脇道にはカラフルで花や動物がモチーフのテキスタイルの店やランタンや燭台といった照明専門の店まである。
ナディはなんだか楽しくなって建ち並ぶ露店を眺めていた。
テント屋根の下を通り抜けて、少し進むと煉瓦造りの二階建てが出てくる。古くからある建物でテントが張られる前は市場の中心部になっていた。そこにあるのは市場の出店などを取りまとめているバウム商会の建物だ。
バウム商会はグリンバルク王国の上流貴族とも深いつながりがあり、国中の物資だけでなく人や情報も取り纏めた大商会だった。
その建物を遠目に眺めてナディは逸る気持ちを抑えて踵を返した。
バウム商会がストライキの後ろ盾なんかになっていたらとんでもないことになってしまう。
国の根幹にまで関わることになる。
露店を眺めることに専念してレーネへのお土産をいくつか買って帰ろう。