愛の終焉
【本文】
休日。
緊張の生徒会選挙も終わり、マニア城のリビングのソファーで寝ながらテレビを見ている。
朝の天気予報のお姉さんは『今日は一日中雲一つない快晴になるでしょう』と言っているが、同じマニア城の住人が「今日は大雨になるから外には出ないほうがいい」と言っていた為、狩りを中止し束の間の休息を取ることにしていた。
(暇だなぁ……まぁ、たまにはこういう日も必要なのかな)
まったりとしていると、背後から薄っすらと闇に浮かぶ影が現れた。
「姫奏ちゃん……、ボクの作った旗どうだった?」
「…………」
影が薄く、姫奏が気付かないのでもう一度声を掛けるケンタ。
「姫奏ちゃん! ボクの作った旗どうだったの……?」
「あ、ケンタか……いたんだ。応援団の旗?」
少し間を置いて、辺を見渡しようやくケンタの存在に気がつく姫奏。
相変わらずケンタは暗く、存在感が薄いため、近寄られ声をかけられても気づくことが出来なかったりする。
ミニチュアダークフンドと呼ばれる特殊小型犬のケンタ。
犬といっても、一般的な犬の姿はしておらず、今は猫っぽいぬいぐるみの姿をしている。
ミニチュアダークフンドは変身能力のある犬なのだ。
「うん! あの旗ね、魔法少女のマントを少しイメージして作ったんだよ、可愛かったでしょ」
「ふーん、どうりで」
すっかり姫奏になついてしまい、今では完全にマニア城に住み着いているケンタ。
12歳少女に拘るロリコンだが、体はぬいぐるみなのでほぼ無害と思われ放置されている。
それでも姫奏のケンタに対する態度は素っ気なく、何を話しかけても生返事で。
「姫奏ちゃんならマント代わりに羽織ってもいいとおもうんだ~……」
「着ないよ」
「これから寒くなってくるし機能性も十分なんだよ」
「ふーん」
こんな調子でも、ケンタにとっては無視されず相手にしてもらえるという事がなにより幸せだった。
「そうだ、演説はうまく行ったの?」
「……ダメだったよ、ケンタの旗のせいかも」
「え……ほ、ほんとうに? ボク、余計なことしちゃったの……」
唯でさえ暗いケンタが、悲しみと絶望のオーラで漆黒に沈んでいく。
「嘘だよ、演説はうまく行ったよ、ケンタの旗で応援されたからね、ありがとう」
「え……ぇへへへへ……ゃったぁ……」
姫奏から感謝され、先ほどの暗黒から解き放たれ嬉しそうに微笑むケンタだった。
しばらくそのまま喜びの舞をしているケンタが、ふと思い出したように話しかけていく。
「姫奏ちゃんは、中学生になっちゃったけど、12歳だもんね♪」
「なに? そうだけど、どうせすぐ誕生日くるから13になるよ」
誕生日が来て歳を取る、当たり前の事実だが、それを聞いたケンタは少し寂しげにする。
表情の変化がわかりづらいぬいぐるみの姿でも、それを何となく感じる姫奏だった。
「……ケンタ?」
「……13歳になっちゃうのか……、じゃあそろそろお別れ、だね……」
「お別れ? なんで? ってあれ? いない?」
いつの間にか退出し、居なくなっていたケンタ。
見た目が暗いので、声をかけられず途中退席されたらいつ居なくなったのかさえわからない。
「なんなんだろ? まぁいいか」
ケンタはその頃早歩きである場所へと向かっていた。
「誕生日プレゼント? 姫奏ちゃんの?」
そこは、千雪の家。
親元から離れ、小さな一軒家を借りて一人暮らしをしていた千雪。
「うん……姫奏ちゃんが13歳になる前に用意しておこうと思って……」
「そうなんだ」
「何がいいかなぁ……ちゅきなら姫奏ちゃんの好み知ってるでしょ?」
「う~ん……」
大人しい二人組が揃ってじっくりと考えこむ。
思った以上に長い間考えていると、千雪が提案する。
「姫奏ちゃん、髪長いし活発だから髪留めみたいなのあると喜びそう」
「なるほど、参考になったよ……あそこならいい素材がありそうだ……」
「素材? 自作するの? って……いない……」
千雪から誕生日プレゼントのヒントをもらい、疾風のように去っていく。
ケンタは草木一つない、無味乾燥の荒野の中心に佇んでいた。
乾いた大地には、生物の気配は無く、それが視界の届く全てを覆っている汚染された死の土地。
かって闇憤怒犬と呼ばれる、体高は3メートル以上の大型犬がいた。
怒りとともに、姿を変える変身能力を持つ犬で、絶大な力を振るい神話にでるフェンリルの化身とされ世界を震撼させていたのだ。
しかし、長く続く戦争の結果、野生のダークフンド犬は人間によって駆逐される。
ダークフンドの変身能力に目をつけた人間は、捕らえたダークフンドを小型化し、ペットに出来ないかと研究を始めた。
やがて品種改良によって小型化は成功し、ミニチュアダークフンドは生まれた。
さらに研究は進められ、変身能力のからくりも解明される。
ダークフンドの変身能力はオスの特徴で、メスのダークフンドの姿は一般的なダックスフンドの姿から変わらないことがわかった。
オスがこのような変身能力を持つようになった経緯は、繁殖中に見つかった。
ダークフンドのオスの生殖器はとても小さく、メスと交尾する際に繁殖能力が足りず「うわ、小っさw」とメスに拒否されるケースがあった。
その際に発生したストレスでオスの個体は強大に変身する能力を発揮し、次世代の子孫を残すことができるのだが、そのとき半数の個体はストレス性ショック死で死亡するなど、精神面は脆弱な種族であると解明された。
この発見により、人間は悪魔の領域に踏み込んでいく。
ダークフンドの変身は生殖行為に深く関係していると解った人間は、ストレスによる変身を意図的に引き起こすことで、ダークフンドを好みの姿になるまで変身を繰り返えさせ、その後、目的の姿になったダークフンドは去勢手術をすることで繁殖意欲を減退させることで、その後変身行為は行わない事を突き止めた。
ダークフンドの小型化、変身能力の解明により、ミニチュアダークフンドは、生きたぬいぐるみに変身できるペットとして一大ブームを巻き起こすこととなる。
「ここで……ボクの仲間はみんな死んでいったんだ……」
この地は、かって人口16万人程の町があった。
ケンタもまた、去勢手術を受け感情を抑制された被害者だ。
今も人間の身勝手な欲望によって改造された同胞のダークフンドの無念を感じてはいるが、制御された感情によってその怒りを高めることは出来ない。
この土地が死の世界に変わった事件。
ここには、ミニチュアダークフンドの変身を委託し出荷する工場があった。
ダークフンドは完全に駆逐され野生種は絶滅したと思い浮かれた人類に牙を剥いたのは、改造されても残されていたダークフンドの野生としての本能。
ダークフンド達は、人間に小型に改造され命を弄ばれた怒りにより、あるものは巨大爆弾に、あるものは化学兵器に変身し、一斉に爆死を始めだした。
結果、大勢の命を犠牲にし、ダークフンドが有機物以外の無機物にも変身できるという事例を残し、政府は全てのミニチュアダークフンドを危険生物指定し、変身済みのミニチュアダークフンドを含め全て殺処分していく。
「よかった、まだここには同胞の亡骸が残ったままだね……よしっ」
無残に散った仲間の亡骸を拾い集め、ケンタは姫奏の誕生日プレゼントとしてヘアピンを作ろうと思った。
なぜ、そのようなもので好きな少女のプレゼントを作るのかというのには理由がある。
「ボクの……想い……ダークフンドとしての、想い……」
この世界の去勢手術は感情そのものを失わせる程強力な手術である。
手術部位は生殖器になるが、手術方法は荒く、性器を無理やりペンチで引き抜くというおよそ現代医学では考えられない手法をとっていた。
人間ならまだしも、所詮はペットの犬と軽く扱われ麻酔をかける費用も用意されず、それは酷い光景であった。
去勢手術は感情そのものも失わせ、肉体的にも沈められる為強姦などの犯罪者にも適応できる手術とし重宝された。
手術によって、感情すら失ったと言われるケンタだが、本当は表に表すことが出来ないだけでちゃんと感情は残っている。
無念のまま消えていった同胞と自分自身の沸き起こることのない激情をヘアピンに添えることで、姫奏に本当の気持ちが伝えられると、ケンタは張り切った。
「出来た! うんうん……いいぞ、いかにも魔法少女っぽい可愛いデザインだ。 これならきっと喜んでくれるよ……えへへ」
ダークフンドの亡骸は美しい珊瑚礁の色をしている、コーラルピンクの可愛いハートのヘアピンが出来上がり、ケンタは早速姫奏に渡そうと思いたった。
13歳になる前に――……。
「姫奏ちゅあぁぁん!!」
マニア城でまったりしている姫奏に飛びついてスリスリと体を寄せるケンタ。
「なぁに? また来たの?」
「うぇへへ……なんでもないよぉ~……」
いつも以上に馴れ馴れしく付きまとってくるケンタに、うんざりする姫奏。
「なんなのさ……なんでいつもわたしをつき回してくるの?」
「そりゃあ、姫奏ちゃんがボクを見つけてくれたからだよ……すごく嬉しかったんだ……」
ぬいぐるみ風とは言え、恒温動物のケンタに抱きつかれ暑苦しく感じる姫奏だった。
それでもケンタは幸せそうに頬ずりする。
夢中なケンタに溜息をついてしまう
「はぁ……なんか勘違いしているみたいだけど、あんたを見つけたの私じゃないからね」
「ん、え……どういうこと?」
姫奏の言葉に硬直してしまうケンタ、見つけたのは姫奏でないという言葉に異常に反応する。
「病院でちゅきが気づいて、帰りに私が注意して調べたらやっぱりあんたがいたってこと、だから最初に見つけたのはちゅきのほうだよ」
「え……じゃあ、ちゅきが居なかったら姫奏ちゃんはボクを見つけてくれなかったの?」
「ん? そうなるのかな? だからたまにはわたしでなくて、ちゅきのおっかけでもしてきなよ。どうせ付いて回るだけならちゅきも拒まないと思うよ」
厄介払いを千雪に押し付けてしまおうとする姫奏、軽い気持ちで言ったのだが、唯でさえ暗いケンタがより深い深淵に飲み込まれていく。
「うそ……だ……」
「ん? どうしたの?」
ケンタの様子は明らかにいつもと違っていた、ただ暗いだけで感情の起伏が少ない大人しい犬のケンタ。
激しい衝動が全身を激流のように巡り、心臓が破裂しそうなほど鼓動が強まり、獣だった頃の記憶が呼び出されるようだった。
「うそ……だ」
「…………どうしたの?」
ケンタの只ならぬ気配を感じ、警戒モードになる姫奏。
「だって……もう12歳……終わっちゃうじゃないか……もうちゅきも12歳の時間……終わっちゃうじゃないか……」
ケンタは、壊れたラジカセのようにただ『12歳の時間が終わる』と繰り返し呟いていた。
「なに……? 12歳じゃなきゃだめなの?」
虚ろな瞳で質問する姫奏に焦点を合わさず、ケンタは踵を返し生きた屍のようにふらふらとその場を立ち去ろうとする、そのとき小さな声で一言呟いた。
「ボクは……なんでキミなんかを追いかけてたんだ……」
それを耳にした姫奏はケンタの態度に腹を立て言い返す。
「今更何さ、さんざん付きまとっておいて逆に失礼じゃないの? それ」
しかしケンタは何の反応も見せず、黙って消えていった。
「なんなのさ……いったい……」
空は厚く真っ黒な雨雲に覆われ、今すぐ一雨来そうな空模様に変わっていた。
雨の匂いを微かに感じ、湿気で普段よりも癖の出始めた髪を弄りながら、いなくなったケンタの残影を見続ける姫奏であった。
ケンタは、再びダークフンドによる爆撃の被災地を訪れていた。
昼間にもかかわらず空に浮かぶ雨雲は暗く、暗く、閉ざされたケンタの心の中を狂気と哀愁で埋めていく様に広がっていき、やがて大粒の雫となり降り注いできた。
ケンタは無表情で用意していたプレゼントを踏み潰す。
グシャ……
グシャ……
グシャ……
グシャ……
雨粒は、より一層激しさを増していく。
グシャ……グシャ……グシャ……グシャ……グシャ……グシャ……グシャ……
雨音と、土砂に埋もれ崩れたヘアピンを潰す音は、痛切な哀歌のように被災地に響いた。
やがて、ケンタの瞳は暗く翳られ、同胞の亡骸で作られたヘアピンを蹂躙することで、ペットと野生の境界線で揺れる己の心に異質なもう一つの存在を見出す。
「13歳になる前に……殺せばいいのか……ひひ……簡単なことだった……そうだ……殺そう……」
己の愛した人間との時間を守る唯一の方法がそれだった。
無残に踏み潰した亡骸の欠片を背に、ケンタは姫奏の元へ向かって歩いて行った。
「ちゅきー」
「姫奏ちゃん、どうしたの?」
不吉を感じた姫奏は氷雨の中千雪の家を訪れた。
「はぁ……はぁ……、ケンタきてない?」
「来てないけど、なんかあったの?」
荒い呼吸の姫奏を迎い入れる千雪、びしょ濡れのレインコートを脱ぐため冷たくなった指先でボタンを外そうとした時、再び千雪の家に訪問者が現れ、インターホンを鳴らす。
「だれだろ」
覗き窓から確認するとケンタの姿が見えた。
「ボク、ケンタ……あけてよ」
普段ならなにも警戒せず開けるところだが、なにか様子がおかしいことは千雪も感じドアを開けることを躊躇する。
「何かよう……?」
「何かようって……別にいいじゃないか、あけてよ」
緩急のない声であけてよと訴えるケンタは不気味であった、姫奏がドア越しにケンタに呼びかける。
「ちゅきの家に行けって言ったけど、今日のあんたは何か変だよ。ちゃんと来た理由を言ってよ」
姫奏の声を聞いて、静まり返るケンタ。
雨音だけが強く聞こえてくる。
「やっぱり、姫奏ちゃんも来てたか……ちょうどいいや」
「ちょうどいい……? 何の話?」
その時、巨大な雷が家の近くに落ちたかに思えるほどの轟音が響いた。
その大きな音に重なったが、ケンタは確かにそういったのを二人は聞き逃さなかった。
「二人まとめて殺すのに丁度いいや……」
ふと気が付くと、玄関越しにあったケンタの気配は消えていた。そして。
「きゃ……、停電!」
「真っ暗だ……」
送配電線に落雷したのだろうか、家の電気が消え暗くなる。
ケンタが残した言葉が脳裏をよぎる、自分たちを殺しに来たという信じられない台詞。
「ホーリーライト……」
とりあえず、ホーリーライトで灯りを用意する。
「……自分から居場所を教えてくれるなんて優しいなぁ」
「え?」
強烈な殺意を込めた刃が姫奏を襲う。が……。
「あれ……失敗?」
間一髪回避し、避ける前に居た場所には地面深く突き刺さる包丁が鈍く輝いていた。
「おかしいな、なんで外しちゃったんだろ……バッチリだと思ったんだけど、な」
墓標のように突き刺さった包丁を再び引きぬくために力を込めるケンタの姿をみて、本当に殺しにやってきたのだと恐怖に身を竦める二人。
「な、なにするの……? っていうか、どこから入ってきたの!」
「え? 窓を割ってきたよ……、13歳になる前に、殺しに来たんだよ。今死ねば12歳のままだろう? あ、ぬけた……」
包丁を引き抜き、威嚇するように叫ぶ姫奏とは対照的に淡々と喋るケンタ。
ぬいぐるみのような手で器用に掴み、包丁をだらだらと引きずる形で立つケンタ、普通の出刃包丁でもぬいぐるみサイズのケンタが持つと大きく見える。
「さっきからなんなのさ! 12歳12歳って!」
「人間はさ、13歳になったらボクを捨てたんだよ、あれだけ好きって言って愛してくれてたのに……大事にされていると信じていたのに……」
「……人間って、誰の話してるのさ!?」
「人間はキミらだろ?」
轟く雷鳴に光る包丁、その刃の反射によって俯瞰気味に影が浮かびあがる。
闇に堕ちても、姫奏に望む期待と、尚、牙をむく殺意に揺れ、刃先は振れながら訴える。
「姫奏ちゃんはさ、それでも特別だったんだヨ……13歳になっても……それでもいいとおもってたんだ……けど、やっぱりダメだったらさ……姫奏ちゃんを傷付けちゃうかもしれないだろ……だから……そうなる前に……別れようとしてたんだよ……」
「……………………」
「でもさ……ひどいよ……こんな……ぎりぎりにちゅきが? 本当は気づいていたのがちゅきが最初だった?」
「……………………」
「ボクね……手術されて、いっぱい我慢して……でも人間のこと……恨まないように頑張っていたんだよ……」
「……………………」
「人間は……ボクたちの事……なんとも思ってないんだね……ッッ!!」
ケンタの悲痛な叫びを黙って受け入れていくしかない姫奏だった。
壮絶な運命を、悲しみも、怒りもないぬいぐるみに変えられて、それでも人間を恨まず、ただひたすら孤独に闇の中生きてきたケンタの初めての告白を聞いたことで、己に向けられてきた過去の訴えが全て救いを求める切ない祈りだったのだと知り、今までの態度に後悔する。
その代価に、ケンタは人類の死を渇望する。
ケンタにはそれを与えるだけの力が眠っていた。
「変身……だ」
「姫奏ちゃん……?」
「姿は……そのままだけど……変身したんだ、ケンタは……」
不気味で、重圧な闇のオーラは、深い心の闇を表していた。
深い憎悪を繰り返し重ね、生命を根こそぎ枯らしていく奈落の気配。
憤怒の化身、ダークフンドの真の姿がそこにはあった。
「君たちは変わらないね」
ケンタがそう一言呟いた瞬間、姫奏達は頭上から氷結の冷気を浴びた様に全身が震え上がった。
姫奏は千雪に、千雪は姫奏に危険を訴え逃げようと叫びたかったが、声が出せなかった。
(これが……ダークフンド犬……怖い……!)
「殺してやるよ……姫奏、ちゅき……その後は、全ての人間を……」
処刑者として生まれ変わったケンタが、見下した瞳で姫奏達を瞥し、握っていた包丁を掲げると、人の手によって作られた包丁はケンタの発する暗黒の魔力に耐えられずドロドロと溶けてしまった。
「なんだ……? 使えないな……まぁ、こんなものはもう必要ない」
包丁だった物体を放り投げ、ケンタは一歩足を踏み込み、体を前かがみに傾ける。
「死ね……!!」
地を蹴り上げ、密閉された室内はその衝撃波を受け爆発四散する。
粉塵が巻き起こる刹那、千雪は御徒雅穗を開いた。
「くっ…………!!」
猛突進してきたケンタをギリギリのタイミングで受けきる千雪。
「ちゅき……!?」
「まに……あったね……」
家は倒壊し、粉塵を包み込んだ雨粒が周囲に降り注ぐ、ケンタは真空の衝撃波を作る程強力な拳や蹴りを繰り出し、千雪の傘を殴り続ける。
水滴を吹き飛ばし、爆音が反響し周囲の建物すら巻き添えに破壊するダークフンド犬ケンタの凄まじい破壊拳を完全に防ぎきる何の変哲もない和傘に見える御徒雅穗。
「なんだ……これ……なんなんだよこれ!!」
怒りを蓄え、ケンタの力はますます膨れ上がっていく。
拳を何度も傘に打ち付ける、打ち付ける、打ち付ける。
ビクリともしない傘。
「ケンタ……いい加減に……」
12歳の平均身長に比べるとやや小さめの二人は、大人用の傘でちょうど収まるサイズだったため、千雪と姫奏は傘に包まれるように身を隠していた。
しびれをきらし、ホーリーライトを放とうと、蓄積杖に魔力を込め先端が輝かせる姫奏。
「姫奏ちゃんだめ……今はケンタを攻撃しないで」
「しないとこっちが殺されちゃうよ! 実戦訓練の時みたいに!」
「違うの……今傘から出ると……本当に殺されちゃうよ!」
ケンタの攻撃を全て傘で防ぐことで、まるでケンタの攻撃が単調で隙があるように錯覚するが、それは大きな間違いで現状は小型ミサイルを連続で打ち込まれているようなものであった、傘の外の景色はそれを証明するように地形を崩壊させていた。
「それより……なんでケンタ……あんなに怒っているの?」
「……なんか、ケンタを最初に気づいて見つけたのがわたしでなくてちゅきだって言ったら、急にキレだして……ケンタがそこまで思いつめていたなんて……しらなくて……」
「……そういうことね、わかったよ」
すると、千雪は傘を下ろした。
意外な行動に出られ、ケンタは警戒し攻撃をやめ、身を引いた。
「ちゅき……? 何する気?」
「ケンタと話がしたい……」
「ボクと……話……?」
無謀にも思える千雪の行動に、首を傾げて様子を伺うケンタ。
姫奏も千雪を説得するように声をかける。
「ケンタが話を聞いてくれるわけないよ、ちゅき殺されるよ」
「私は大丈夫、いざとなれば傘に隠れる……」
身を捧げるように無防備のままケンタに話しかけていく千雪。
「ケンタ……私が最初に、あなたの気配を感じたのは、本当だよ」
「そう……」
「だけど、あなたを見つけたのは姫奏ちゃんが一緒にいてくれたからだよ、あなたは私と姫奏ちゃん二人でみつけたの」
「……………………」
「だから……姫奏ちゃんは、あなたを裏切っても……嘘も言ってないよ……」
「……………………」
「それに……私達は、13歳になっても……あなたを捨てたりしないよ……」
「信じられるか……」
「ケンタ……」
「信じられるか…………!!」
「ケンタ……信じて…………!」
「ボク達は……ッ、ずっと……キミ達を信じてッ……生きてきたんだぞ!! でも皆死んでしまった……人間なんかみんな……!!」
元々精神力の低いと言われるダークフンドであるケンタは緊張と不安に唾を嚥下し、顔を上げ視線を交らせる。
千雪の優しい言葉に、憂いを帯びた瞳に騙されまいと、葛藤し震え上がる。
ケンタの瞳の奥底は、憎悪に満ち溢れ、温かな陽光のような千雪の言葉は、薄暗い闇へと誘われて掻き消された。
精神も、身体も、極寒の地に堕とし、凍てついていく、最早――復讐に狂ったまま永遠を彷徨うことに身を委ねていくのであった……。
「くっ……姫奏ちゃん! 傘に隠れて!!」
「――あぁ……あ゛ぁああ、あ゛ぁ……ッ!!」
絶望の闇に堕ちたダークフンドの魔力が暴走し、閃光と爆音が覆いかぶさる巨大爆発が起きた。
嵐の様な突風が吹き荒れ、瓦礫ごとふっ飛ばし、周囲の民家は完全に消滅する、全てが更地に変わる程の威力。
まるで、ここには初めから何もなかった……と思う光景が出来上がる。
「……町が……消えた……!?」
「姫奏ちゃん……大丈夫……?」
「う、うん……わたしは大丈夫だけど……ちゅきの傘……すごいね……」
見渡せば住み慣れた平和な地が、死の世界に転移したような、凄惨な光景が広がる。
その中で唯一千雪の傘に守られた地のみ、生活感を残した見慣れた床があった。
爆発の熱で、大地すら焦がす硝煙があちこちに起きている地獄。
姫奏は、そんな衝撃の出来事にもかかわらず、傷一つつかず、完全無欠のままであり続ける千雪の傘、御徒雅穂の力に戦慄する。
(この傘……いったい何でできてるの? 人間の手で作られる限界を超えている……)
「アァ……ア゛……ア゛ァアァァアア゛アッッ!!」
抑えきれぬ息は荒く、爪を立て頭を掻きむしるケンタ。
暴走した魔力ですら仕留められなかったことで、発狂し、身体を痙攣させ天を貫く絶叫を上げる。
「また……怒りが集まっている……あれはケンタ一人の力じゃない……過去に殺されたダークフンドの力が集まっているんだ……」
憎悪が渦巻き、およそ収拾の付かない雰囲気を醸し出す、それでも千雪は説得を試みる。
「ケンタ……あなたは……本当はまだ人が好きなはずだよ、だからこれだけ真剣に怒れるんだよ」
「う゛るさい……うるさいッ!! 黙れ!!」
「ちゅき……これ以上はもう……話を聞いてくれないよ……」
「そんな事ない……ここで諦めたら……それは今まで他の人がケンタにしてきた事と一緒……」
ケンタの発する闇のオーラは、触れるだけで精神を破壊され死を招くと暗示させる程で、傘の中からでも予感できる畏怖する力、全身に悪寒を伴って深く貫かれる。
それでも尚、千雪はケンタを救済したい理由があった。
「なんで、ちゅきは……ケンタの事そんなに……」
「私も……ケンタの気持ち……判るから……姫奏ちゃんが私を見つけてくれて……声をかけてくれた時と……きっとケンタも同じ気持ちだったと思う……」
「ちゅき……」
同じ始まりをし、同じ考えをもつ者とし、他方は闇に堕ち異形の姿に変わり果ててしまった事が、千雪には耐えられず、譲れない強い意思で取り戻したいと決意した――。
「私が、姫奏ちゃんを好きなように……ケンタも姫奏ちゃんが好きなんだよ……」
「うああ゛ぁぁぁあ゛あ゛ああぁぁッッあぁぁァあああ!!」
人間に奪われたダークフンドの同胞の命が収束し、憎悪と復讐を求めた無制限の力が決壊し再び大爆発する。
「ううぅっ……!!!」
無敵の盾と言える千雪の傘が揺さぶられ、ダークフンドの受けた悲しみと怒りと苦痛を力に変えた凶悪な爆発。
そのときの爆風により、分厚い雨雲は突き破られ、雲の切れ間から、太陽の日差しが差し込み始めた。
「だから……救ってあげたい……好きになった気持ちが無駄にならないように」
「けど……このままじゃ……どうすれば……ケンタを止められるの?」
「ケンタの怒りは止めるものではないよ、いうならばダム水のような……せき止めていけば、怒りの箍が外れて決壊してしまう」
「じゃあ……どうすれば」
「今はゆっくり……怒りの渦を収束させていく……話を聞いてケンタ!」
闇に一際映える朱色の傘を下げると、千雪を中心に光が差し込み始めた。
暗黒色に覆われていた雨雲が吹き飛ばされたことで、散りばめられた雨粒に光が差し込み煌めく少女の姿は、決別の運命に抗い、強く真っ直ぐケンタを見据えていた。
「ケンタは……何年……待ったの?」
「40年……」
「そんなに長い間……ずっと一人で待っていたんだね……」
愁いを帯びた瞳でケンタを見つめる、ケンタは千雪の“待っていた”という言葉を聞いて思い出す。
「待っていた……そうだ……、ボクは、マッテタンダ――」
遠い記憶が蘇る、初めての飼い主であった少女との出来事だった。
母親と少女が激しく言い争っている。
『お母さん、ケンタと一緒にどうして居れないの?』
『あの犬は、危険なのよ……、もうお別れしないといけないの……国の偉い人達がケンタを迎えに来るのよ……』
『ケンタと一緒にいたいよ! 離れたくないよ!』
ある日、ニュースを目撃し少女は真実を知る。
『――○日未明の爆発事件はダークフンド犬による変身が暴走したものと正式発表され、政府はペットとして飼われている全てのミニチュアダークフンドも危険と判断し、殺処分の検討を視野に――』
『これ……ケンタだ……ケンタも殺されちゃう!』
少女はケンタを家から連れ出し、隠した。
『ケンタ……ごめんね……こうしないと……ケンタが殺されちゃうの……』
(……ボク……ステラレチャッタノ?)
――――チ……ガ……ウ――――
『いつか……迎えに来るよ、ケンタ、だから待っててね……』
(……ウン……マッテル……ムカエニキテネ……)
しかし、少女は1周間たっても迎えに来ることはなかった。
『……あの家のお嬢さん、学校帰りに交通事故で……』
『あらまぁ……お気の毒に……』
(……コナイ……イツムカエニクルノ……)
更に一週間。
(……コナイ)
数ヶ月待つ。
(コナイ……ヤッパリ……ステラレチャッタンダ……)
数年がたった、元々暗い犬だったケンタは完全な孤独に取り残されていった。
…………………………………………
…………………………………………
…………………………………………
……………………
……………………
…………
…………
『あなただれ……いつからいたの?』
遠い過去の記憶が蘇り、殺された同胞の怒りと、己の感情が濁流のように渦巻き、全身の血液が脈動し鼓動が早まり、心臓の奥から感情が競り上がる感覚に飲み込まれた。
「ああ゛ぁぁ……あ゛あ……あ゛ぁぁッ!!」
葛藤する精神は個人の限界を超え、全てを遮断するよう閉ざした瞼はケンタに優しい幻覚を見せる。
「ケンタ……今まで見つけられなくてごめんね……けど……もうひとりでないんだよ……」
『迎えに来たよ……ケンタ』
飼い主だった少女の姿と千雪の姿が重なる。
「ムカエニキテクレタノ……?」
ケンタの記憶の中に眠る少女は昔のまま温かい笑みをし、手を差し伸べてくれた。
だが、今の異形に成り果てた己の姿のままでは彼女の手を取ることは出来ない。
葛藤の末導き出した答え、それは「変身」だった。
「変身……そんな……」
過去の記憶と共に封印されていた変身の能力は完全に開花し蘇った。
そんなケンタが選んだ姿、それは。
…………風…………
「どういうこと……ケンタ……あなたは……」
風に変身したケンタは、千の風となり空に溶けていった。
どこからか、声が聞こえる。
『同胞の怒りを……抑えることは出来ない……けど……ボクはキミ達人間が好きだよ……ボクを見つけてくれたのがキミ達で良かった……迎えに来てくれてありがとう……』
千雪と姫奏を優しく撫でるように、そよ風が吹いた。
風になったケンタは既に宇宙と一体化し別の存在になってしまったのかもしれない。
儚げな表情で空を見上げる二人に、再び語りかける。
『再び、一つの魂に戻るとき……まだ人間が同胞のような存在を身勝手に弄んでいるときは……その時は許さないからね……そうならない未来を……君たちに託すよ……』
警告とともに、自らが死んだわけではないと安心させるようにケンタの優しい忠告は千雪と姫奏の耳に残った。
「わかったよ……ケンタ、わたし頑張るからね」
透明な雫が頬を濡らし、伝い落ちる。
悲しい怒りのない世界、姫奏は儚げに笑ってそんな世界を築き上げる事を誓うのであった。
その後、わかったことがあった。
周辺家屋の被害は酷かったが犠牲者は居なかったらしい、どうやら豪雨の影響で地域市民は避難所に誘導されていたという。
これが偶然だったのか、ケンタの最後の人間達への譲歩なのかは、今は知るすべもない。




