カッパもどきと絹毛皮
「あたし、弱気なオトコはきらいなの」
カッパもどきのモーパスは、絹毛皮のカタリのその一言で30年来の恋に不成就という進展をみるにいたった。モーパスが30年の時をかけ、一心不乱に、でたらめに、とびきりに、たったひとり胸に秘め膨らませ、人生の収穫を一切合切台無しにしてきたほど激烈なる恋の嵐は、カタリからしてみれば対岸の火事にすぎなかった。ひたすらハタ迷惑であったといってもいいだろう。
その村の小さな小さな異変以降、モーパスはその想いを事前も事後も誰にも言ってなかったからモーパスの失恋はただの身分不相応の男のおかしな失恋話に過ぎなかった、モーパスはひどく残念になって、打ちひしがれ、亡者のようにフラフラと目的なく村をさまよっていたとおもえば何日も小屋から出てこないといった日々をすごしていた。仕事の炭かきにも支障をきたしている有様だったので、はじめ同情しては心配し、嘲笑しては酒の肴にしてたのしんでいた村人らも、一向に快復の兆しすらみえないモーパスの行状にしびれをきたしてイライラしてきた。
「わしゃ、上等な酒をめぐんでやったのに」
「めずらしくヌマガサマイダケが採れたから一番にまわしてやったのに」
「おらあ、ガマの粉をわけてやったのに」
男たちは善意を無碍にされて欺瞞を満たせぬことに、
「あたい踊りにさそってみたのよ?」
「あらあら、あたいは夕べの水呑みにさそってみたわよ?」
「あたいなんか小屋のまえで裸踊りをおどってやったのよ? 狂態をひけらかしにしたのよ?」
女たちはからかい甲斐もなく世話も焼かせぬことに、憤りを感じた。
もうひとりの当人カタリといえば、モーパスにとっての秘事が翌日には村中の話題にもなっていたことからわかるように、快活にして愚弄にそのことを愉しんでいた。
「ほら、あの人まともに喋りやしないし、墨みたく陰気で、かっこもよくないし、なんだかなよなよくよくよしているしで、好みじゃないわ。
それにモーパスとなんか惚れあったら、きっとあたしの毛皮のツヤが枯れてしまうにちがいやしないんだもの」
なんせ事件のない、人々はみなにぎやかではあるが日々静謐な村のこと、カタリはある種の義務感からか、この件の一大スポークスマンとなって夜毎酒場でなんどもひけらかした。
話はこれらのたぐいのならわし通り、夜にみる夢が現実に脳で見ている現実におこっている現実ではないまぼろしのごとく、ひとたび憶測と願望、偏に断定などがからみあい、あやふやな事実と相まって、現実とまぼろしの境があやしくなっていった。カタリがそれを話すたびに尾ひれがつき、モーパスが声もなく黙していることをいいことに尾ひれに尾ひれがつき、おそらくカタリ本人すら記憶と真実とのあいだの境をなくし、水と油が乳化するように撹拌されているだろう。しかし事実は語られ続ける。
「あの人、あたしを湖のほとりに呼び出すのになんて言ったとお思い?
今宵、満月の光が君をもっとも美しく照らしだす時刻にほとりに立つ松の下で。ケミダラの湖水に映る君と僕の姿を夢想しながら待っている。
なんて言ったのよ。あたし笑っちゃいそうだったけど、笑っちまったらモーパス、あの人があたしの笑顔を自分への好意と受け止めかねやしないかと瞬時におもってね、その気もないのにそれはイヤじゃない? でもじゃあどういう顔をしてりゃいいのかもわからなくて、なぜだかヒョットコみたいに口をよじってね。
あらイヤだわ。
なんてこたえたのよ。あはは」
もちろんモーパスはその時こんななんだかよくわからないキザなセリフなど吐いてはいない。すべて作り話という、しかし事実だ。
モーパスにとってそれは突発的な事故だった。墨かきの仕事を終えて裏山から下りていたとき、偶然、キノコ狩りにきていたカタリとふたりきりとなったとき、なんの拍子もなく不意に口から告白の言葉が形となって出て、はじめの言葉で返されただけだ。後悔すらしている。それはなんとはなしにポッと自殺未遂をはかってほんとうに死んでしまったようなマヌケで、その後悔は生きのこっているモーパスにとってカタリに颯爽とフられたことと同等のひきこもる要因となっていた。
いつまでたってもなよなよくよくよと人と顔を合わせないモーパスに殉じるよう、この話題も飽きられてきたころになると、上のヒョットコのように、カタリは自分をもおとしめることでなんとかこの村におこった数年来の珍事をフレッシュにしようとつとめた。モーパスという名を聞けばみながイライラしていくころになると、カタリの話はモーパスの名を出して、それを周囲の耳目を惹きつけるフックとし、その後自身の醜態をおもしろおかしく語るというスタイルになっていた。
「モーパス! あの人はなにを考えているのかしらね。顔をみせないのもイヤだけど、じゃあってんで出てこられてもそれはそれでこまっちまうけども。あたしなんかにソデにされたぐらいであんなようじゃ、どうせ出てきたってなにができるもんか。いいかい? このあたしだよ? あたしの太もものつけ根にどんな形のアザがあるか、みんな知ってるでしょう? あたしはみんなが知ってることを知ってるのさ。だってそこになぞられるのがいいんだからね。はじめにはちゃんと教えてやらなくちゃいけないじゃないか。みんなさ! 男も女も、なぞるのなんて誰にだってできるからねえ。そんな女さあたしは。みんな知ってる。あたしの毛皮に絹がつくのはそういう意味だってね! だのにあの人は、イヤだわ。
いくらあたしがさびしくなると人をすぐ好きになっちまう女だとしても…こないだもそんな気分になってある男といっしょの布団にはいったけど、カッパもどきに色目になることなんてあるかしら。気持ちの悪い話だわ」
そうしていると、いつしかモーパスに同情する者たちが現れてきた。主に男衆だが、不思議なことに女衆にも現れてきた。陰気でなよなよとして、醜男の部類で、なおかつカッパもどきで、それらが治ったわけじゃなく、ひどくなったばかりなのに、このとき確実にモーパスはモテていた。もちろんモーパスのカッパもどき生においてこれまで一度も女にモテるなんてことはなかった。そして、自身がモテているなんて朗報は、あわれなモーパスにとって考えの他だ。
その人々の感情の変化を、カタリは敏感に感じとった。カタリにとって理解不能な変化だったが、冷静に受け止めるだけの知能がカタリにはあった。
「でもね、あの人もいいところはあるのよ。あたしもあの人と付き合いだけは長いからねえ、よく知ってるわ。いまはちがうけど、仕事もびっちしやるし、あの人は以外と料理が上手でね、包丁なんて見事につかうんだから。罠を仕掛けるのも、きっとどこか穴場を知ってるんだわ、よくあたしにキツネの皮をくれたもの。それに包丁が上手でしょ? 真一文字にすっときれいに腹を裂いていてね。骨取りもきれいに仕上げてて、一等高く売れるんだから。それにほら、あの人は猫舌でしょ? カッパもどきだからかもしれないけど、あたしの経験上猫舌の男は床上手よ。気を許すと馴れ馴れしくなってくるやつが多いのが難点だけどもさ。一回ぐらい恋してあげてもよかったかもしれないわね。あはは」
苛立ちは同情を呼び、同情は嫉妬を呼ぶ。そして嫉妬は人々を苛立たせ、また同情を呼ぶ。
なんどかのサイクルをくりかえしていると、
「いい加減カタリはモーパスとくっつけばいいのに。そしたらカタリも黙るしモーパスも出てきて一石二鳥だ」
との声が大きくなった。さすがに飽きてきた聴衆は、それでも聴くことをやめないのも不思議なことだが、単純で極端で、客観という冷徹な立場から次なるステージへの答え合わせを強要しはじめたのだ。
これにカタリは、まこと不可思議なことに、乗り気になった。ハタ目からみればいまではなんだかカタリがモーパスに恋をしているような有様だ。だからこそ上の答え合わせになるのだが。
ある宵の口、カタリがモーパスのひきこもる小屋の前にやってきた。もちろんまわりには村のみながその動静に注目している。
カタリはポコポコと小屋の扉をノックして、自分の名を告げた。
しかし、モーパスからはなんの音沙汰もなかった。モーパスが生存していることは、供された夕餉が空になって小屋の外に出ていることから明白だ。
再度ポコポコとノックをし、名を告げると、小屋からなにやらズザリズザリと布切れを引きずったような音がした。
扉の前にいるカタリだけが、足音や息づかいから、モーパスが扉の前にまでやってきたことを知った。
カタリは言った。
「モーパス! ああモーパス! あたしが悪かった、あたしが悪かったのよモーパス! ああ、あなたのことを邪険にして、ああ、ああ、ゆるしてモーパス、ゆるして」
カタリの目からモリモリと涙が溢れ、こぼれ落ちた。
「ゆるしてモーパス。そして、どうかあたしと一緒になって。一緒になってください。ああ、モーパス。あたし、ダメなのよ。あんたじゃなけりゃあたしダメなんだって気づいたの。あたしは、あんたとは一度も寝てやしないけど、きっと一番だって、わかってるのよ。モーパス、好きなの。大好きなの。ずっと大好きだったのよ! なのに、それなのに、モーパス、とつぜんだったからあたし、ああ、ゆるして…」
カタリはひくひくとえずきはじめて、それからしばらく、握った拳をふるわせたり地団駄を踏んだりえぐえぐと泣いたり、駄々っ子のようなしぐさと言葉でモーパスに訴えた。
すると、小屋の扉がギョイと音を立て開いた。
扉が開くと、もちろんモーパスが立っていた。久しぶりに姿を現したモーパスの容姿たるや悲惨なもので、カッパもどきのことだから顔の片方だけヒゲがボウボウと伸び、落ち窪んだ目から感情を読み取ることはできず、髪は所々抜け落ちて小さな皿がたいまつの灯りに照らされている。体の方はといえば、これはもともと痩躯だったから遜色はないが、色は青白く、鳥肌が立ち、たわんだ肘の皮などは動物の死骸を思わせる。着ている服は衣擦れで薄くなり穴だらけだ。そしてなんといってもその異臭。部屋から体から、ネズミの糞の匂いを何倍も濃縮したような匂いがする。
それでもカタリは、モーパスに抱きついた。朝に父親が仕事に行ってしまうのを嫌がる幼子のように。
「ああ、モーパス! ありがとう、ありがとう。ゆるして、モーパス、好きなのよ…」
モーパスの胸のなかでえぐえぐと泣きながら、カタリは自分の背中に人の手が当たる感覚をおぼえた。
カタリはそれを、許可と受けとった。カタリは顔をモーパスの頬に寄せた。そのときちらりと小屋のなかをみて、
「ああ、そうね、小屋を掃除しましょうね。あたし、なんでもやるから。モーパスをこんなひどい目にあわちまったんだから、あたしなんでもよろこんでやるわ」
とすこしうれしそうに言いながらまた泣いた。
そのとき、カタリの腰にモーパスの手がまわり、ふわりとカタリの体が浮かんだ。
カタリが、イッ、と短く声をあげると、もうその体はドウと音を立てて地面に背中から叩きつけられていた。
カタリは頭を打ったのか、両手の肘から上を空に向けて立たせて、強張らせているが、動かない。その姿をみて、取り巻いているみなの衆のそのほとんどはあっけにとられたのち、声をあげるでもなくおおいに分析をはじめた。奇しくもカタリのそのポーズは、事の終わったあと、または忘我のなかにいる彼女の寝相とおんなじだったからだ。おそらくなにがなんだかわからない状況のなかで既知のポーズをとる彼女から発せられるシグナルを分析することにより状況を把握しようとする心理がはたらいたのだろう。
みながカタリの体を心配する前に、カタリは自我をとりもどした。
ちらりと辺りを見渡して、自分が倒れていることやモーパスが自分を見下ろしていることを確認するやいなや、カタリは叫んだ。
「なんで!? なんでよ!? 投げたのね!? あんたあたしを投げたのね!? 櫓投げ!? 櫓投げなのね!? 櫓投げたのね!?」
半失神状態から醒めたばかりの者に理性を求めるのは酷な話だし、カッパもどきだからといって別段モーパスは相撲が強いわけでもない。
わめくカタリの腹を、モーパスは蹴りつけた。
その蹴りがあまりに非情な勢いだったので、ようやくことの次第においついた野次馬たちが割ってはいった。
なんでなんで、と泣き叫び、
愛してくれていたじゃない、と吠える。
そんなカタリにモーパスは憤怒と憎悪のこもった声で、淡々と語る。
「なんでだと? それはこっちのセリフだ。ああ、愛していたとも。三十年、愛し続けていたとも。たとえ君が僕以外の村の人たちみんなと寝ていたとしても、僕は君を愛し続けていたじゃないか。それなのに君は僕を裏切るだけにとどまらず、村中に言いふらし、笑い者にして、そりゃ僕はもとから笑い者さ、カッパもどきの墨かきなんていい笑い者さ。それはいいんだ。村の人たちをうらんじゃいないさ。楽しくやってきたさ。それでも僕にだって笑われたくないことだってあるんだ」
野次馬の誰かが「そうだそうだ」とヤジをいれた。そいつは当然笑っていた口だ。
「いま、これから、もし君と一緒になったら、どのツラ下げて生きていけるんだ。一生の笑い者じゃないか。どうせ君の男漁りは、君が今日いまこうしてここにきて僕の都合も考えずにわめきちらしているように、僕には止められっこないんだろう。君の思い描くわがままなストーリーに、どうして裏切られ、殺された、そう、君に殺された僕がつとめてやらなきゃならないんだ。おかしいだろ。僕は君のその自分勝手な性格を愛することなんてしない。絶対にだ。顔も見たくない。声を聞きたくもない。触れたくもない。わかりたくもない。とにかく君は死ね。ちょうどいい。いまここで死ぬがいいさ。それほど僕のことが好きなら、死んで、消えてなくなれ。もう一生僕を悩ませないように消えてなくなるんだ。それが君が僕にできる唯一のなぐさめだ。死ぬんなら、手を貸してやろう。殺してやるよ。同じ目にあわせてやる。僕もすっきりしたいし」
何人かによる拘束を振りほどき、モーパスはへたり込むカタリに駆け寄り殺意をこめた追撃をかまそうとしたが、さすがに止められて、組み伏せられた。
夜が明け、日が昇り、没してまた夜が明け…。
それからというもの、モーパスとカタリの立場は逆転した。すなわち、カタリがひきこもり、モーパスは村人たちとともに日々をニコニコと過ごしている。
モーパスはよく、カタリのこもる部屋に火をつけたり、煙で燻したり、食事に石や虫を混ぜて、動転して小屋から出てくるカタリをみてはケラケラと笑った。ときに小屋から連れ出しては、馬糞に埋めたりして、またケラケラと笑った。そんなときモーパスはよく「おい、どんなことでもするんだろ?」といった。
カタリも、そんなことをされながら、なぜだかモーパスに会うと微笑んでいた。
村人たちは別にカタリにうらみはないが、ある程度モーパスの行動を許していないと、モーパスがカタリを殺してしまうことは火を見るよりも明らかだったので、好きにさせた。このままにしておけばいつかカタリは死ぬだろう。それはどんな死に様かはわからないが、モーパスの行為がカタリの寿命を削っているのは明白だ。しかし、それを殺人と受け取るものは、村にはいない。
ある日、珍しくカタリが口をきいた。
「モーパス、あなたの恋は、自分の内にあるのね」
「なんだと? そんなのあたりまえじゃないか」
「あたしの恋は、外から見るものだったのよ」
「なんだというんだ」
「あたしとあなた、こんなにも愛しあって、ああ、みんなに見られてるわ」
「笑わせるな。笑われてるのさ。君がね」
「あたしはもうすぐ死ぬわ。そうしたら、ねえ、地獄で一緒になりましょ? あたしいまは地獄の予行演習をしているのよ。地獄に落ちたらあなたにいろいろ教えたげるわ。ねえ、そうしましょうよ」
「悪魔を退治している僕がどうして地獄に落ちようか。僕は天国で悠々と暮らすのさ。君は地獄でなんの望みも欲求も叶うことなく永遠に笑われ続けてろ。自分勝手な奴にはそれがお似合いだ!」
「でもあなたはきっと地獄にきてくれるわ。こんなに優しくて、こんなにあたしのことが好きなんですもの」
モーパスは「クソ!」と叫びながら、カタリを殴りつけた。何度もなんども容赦なく、顔といわず腹といわず、やたらに殴りつけた。
これでは殺してしまうと、村人たちが止めると、ふらりと幽鬼のように起きあがったカタリは、目を腫らし、血塗れで、服はしどけ、汚物にまみれていたが、くしゃりと顔をほころばせると、あははと声を高らかに笑った。
モーパスは組み伏せられながらも、悔しげに地面を叩いた。
その後しばらくして、モーパスは墨かきの作業場の近くで縊死した。それを知らされたカタリは「まあ、いけずな人」といって、その場で舌を噛みきって死んだ。
この恋の話は、なんら脈絡もなく、なんらストーリーもなく、まとまりもなく、喜劇にも悲劇にもならなず、よくある話で、読んだところでなんら一切ムダなものだが、恋の話とはそういうものである。