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デッドorはがき

 死ぬか送るか。

 デッドorはがき。


 小学生のときにはじめて書いたラブレター。クラスの誰にも、家族にもバレないよう、一度寝たフリをしたあと、家が寝静まった真夜中に起きだして書いた。寝たフリをしているあいだ、ドキドキドキドキと高鳴る鼓動が隣の部屋で寝ている親を起こしはしないかと不安になって、心臓はより強く、競走馬のように高まり続けた。

 ラブレターを投函。誕生日にもらったばかりの革のカバンにラブレターを入れて自転車に乗り、行ったことのない町のポストまで行った。「あなたも大きくなったんだから、立派なものを持ちなさい」母親からそう言われてもらった革のカバンに何度も推敲を重ねたラブレターを入れ、自転車に乗った。目的を持って知らない町を自転車で走ることは、なんだかとても大人になった気分だった。

 投函したあと。僕は満足気になって、ようやく吹けるようになった口笛をフィウピーと吹きながら帰った。飽きることなくフィウピーピーヒョロフィウピーピーヒョロと、立ち漕ぎしながら。とても高揚していた。このラブレターは僕と彼女だけの秘密だとおもうと、尻はピコピコと跳ね、まつ毛はわななき、毛穴のひとつひとつまでもがうごめいているようで、とにかく身体中じっとしていられるものはひとつもない有様ったらなかった。

 月曜日。休み時間。僕は彼女に呼び出された。屋上に続く階段の踊り場。僕と彼女の他には誰もいない。僕は夢見心地で彼女の返事を待った。

 僕の想像とは違い、彼女は怒った様子で短く言った。

「なにを考えてるの。迷惑なの。もうやめて」

 そう言うと彼女はプイっとどこかへ行ってしまった。その場に取り残された僕はわけがわからなかった。

 その日の夜、家に電話がかかってきた。電話口で、母親が何度か頭を下げていた。僕はイヤな予感がした。

「あんたはなにを考えてるの」

 電話を切ったあと、母親にもそう言われた。

 僕は頭が悪かった。

 僕はラブレターを封書ではなく、官製はがきに書いていた。


 誰にもバレないよう、僕と彼女だけ、誰にも触れられないようたてた計画だったのに、こころを尽くした内容だったのに、僕のラブレターは彼女の両親に玄関で一読され、あまつさえイタズラと勘繰られるに至ってしまった。

 僕と母親は急いで彼女の家に向かった。途中で買った甘納豆の詰合せと僕を、母親は憎々しく見ていた。この頃になると僕にもようやくことの次第と強烈な恥ずかしさにおそわれて、ラブレターはイタズラだったということにしてしまおうと決めた。

 こうして僕の初恋は終わった。僕が食べたわけじゃないけど、僕の初恋は甘納豆の味がした。


 僕は頭が悪かったけど、このときひとつ学んだ。はがきは誰かに読まれるものだと。


 切手を貼れば、僕の声はどこまでだって届く。深夜ラジオのDJにも、好きなミュージシャンにも、好きな作家にも、日本のどこにでも、ミシガン湖にも、サンクトペテルブルクにも、ボツワナにだって、世界中のどこにでも、うずくまったまま動かない子供にも、パンダの着ぐるみを着ている人にも、ハピネスデスで死んだ男にも女にも、口が肛門の奴にだって、誰にでも、未だ知らない場所にだって、汽船に揺られながら、僕の声は数多のポストマンの手により届けられる。

 ポストマンの手は一見すると未知の甲殻類のようで、尖りやハサミがいかにも硬そうだが、実はソフトシェルだ。殴られても、スムスムスム、と情けない音をたてるばかりで痛くはない。だけどポストマンは圧倒的なパフォーマンスと前代未聞のスタミナで、マウントポジションを取ってきて、一度殴り始めたら止まることはない。スムスムスムと甘いシフォンケーキをレインブーツで踏んづけたような音をたてながら、その柔らかな突起物で顔を殴り続けてくる。こちらが餓死するまで続ける。だから、気をつけなくちゃならない。



 腐った魚よりも腐臭のする暗黒の青春時代を過ごしていた僕には、はがきだけが世界と交信する唯一の手段になった。いやちがう。はがき投函が半径5センチの僕の世界を形成し、僕は郵便の王様だった。はがきを送らなければ自分が生きていることにならない。はがきだけが人生。僕の喋る声は誰にも相手にされないし。はがきを書いている時だけが。

 死ぬか送るか。

 デッドorはがき。

 はがき職人。送られてくるノベルティ。メキシコ人のペンパル。メヒコの香り。怪しい日本語。彼は野犬に噛まれて死んだ。

 読者はがきにニコチンにやられたミミズのようなくるくるとした字で、作者の間違いを指摘し、のちにそのことが作者本人から言及されるとハッピーだ。

 新聞に載った。雑誌に載った。またラジオだ。その数だけ僕の世界は充実してゆく。DJが僕のはがきを読んだあと言う。「こいつなに考えてるの」。

 年齢を偽り、性別すらも自在に。

 はがきを送ればそこに僕がいる。読まれればそこに僕が生まれる。そうして僕は生きていることを実感する。僕が考えているのはひとつだけ。死ぬか送るか。デッドorはがき。ボールペンには白いキャップ。薄汚れた海綿。


 僕の書くはがきが、ある日君にも届く。いまにも消えてなくなりそうな、朽ちてゆくばかりの部屋と自分。形と人。誰からも愛されず、誰からも肯定されず、やることなすこと誰にも理解されることなく、この世に産まれ落ちたことに強い怒りと悲しみを抱き、もはやこのままじっとして化石になって死ぬことしか残された道はないだろうと考えている君の部屋にも、届いてしまう。あらゆるものに僕は送りつけるから。ある日ポストマンがやってくる。見た目は怖い奴だけど、温厚な奴だから怒らせるマネさえしなければ気の良い好い奴さ。

 そうして、僕のはがきを読んでしまったなら、君はこう言う。「この人なにを考えてるの。さっぱり理解できやしない」。

 そこに僕が生まれる。君もやがてそのうち、死ぬか送るか。返信してくれ。

 僕から届いたはがきが、もし、あわい甘納豆の匂いがしたなら、それはラブレターだ。イタズラじゃない。

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