勇ましい者
頬に触れる雪の冷たさで俺は目を覚ました。
どうやら少しの間気を失っていたらしかった。
ぐるぐる回る視界、右肩を脱臼していたようで、体を起こそうとすると凄まじい激痛に俺は悶えた。
うつ伏せになって左手で体を起こし、辺りを見ると、どうやら野営地からほど近いところにある森林まで転がり落ちていたらしく、近くではまだ戦いの音が鳴り響いていた。
俺の部隊も精鋭部隊とはいえ所詮はただの突撃部隊、酒に酔って坂道を滑落して行った副隊長の事などだれも気にかけず、迷わず任務を遂行してくれているのだろう。
「こりゃあクビかなぁ。」
などとボヤきながら俺は取り敢えず体を引きずりながら山道を降りることにした。
全身打ち身と右手の脱臼ぐらいで済んでたらいいのだが、頭を打ったのか眩暈がひどく、途中何度も吐き気を催した。
酒に酔っていたことを思い出したのは、山を大分降りてからのことだった。
敵前逃亡、職務放棄、何と言われても構わない、俺はクビになるなら別にそれでも良かったが、あのイカれた反乱軍の馬鹿野郎どもに「粛清」されるのだけは真っ平御免だった。なのでできるだけ遠くに逃げることにした。
金はまた別のところで稼げばいい。そんな風に思っていた。
戦争孤児だった俺は、ロクに学問を修めることもなく、生まれつき体格は良かったので剣の腕を磨いて、故郷で自警団に入っていたのだが、あまりにも稼ぎが悪いのでさっさと辞めて都市に出たのだった。
街にでた俺は酒場で情報を集め、かなりの額で傭兵を雇ってくれる集団に出会った。
それが現在所属している反乱軍だった。
反体制派の連中は元々、先の大戦で奪われた白百合西方の領土にルーツを持つ北部出身者の集まりで、圧倒的不利な条約を締結し、自分たちの故郷を、家族を売った帝国に猛反発しているのだった。
西部人達が集結して力をつけ、軍事力をつけ始めたのはごく最近のことだった。
それまでは都市部でのゲリラ演説などが主な活動内容だったものが、ある日突然起こった西部出身の帝国軍幹部による前皇帝暗殺という大事件によって大きく変わった。
その帝国軍幹部が張っていたネットワークはかなり大規模なもので、その事件を機に帝国軍幹部の「同志」達は一斉に武装蜂起し、白百合帝国は4つの都市と、全体の3割の軍野営地、要塞を奪われたのだった。
そしてそんな内戦状態が始まってはや半年、帝国軍と反乱軍の戦いはゲリラ化が進み、奇襲作戦などで互いに領地の削りあいを繰り返していた。
傭兵としてまずまずの戦果をあげ、反乱軍幹部に気に入られた俺は分隊の副隊長に昇格し、さらに金を稼いだ。
金のためとはいえ、奴らの言う「粛清」のために何人の帝国領市民をこの手で殺したか、数えるのをやめて久しかった。
孤児だった俺は、先の大戦で両親は亡くしたが自分の命は落とさなかった。
あの戦争は規模こそ大きかったが、1つの町の市民を女子供構わずしらみつぶしに殺して回るほど残虐なものではなかった。
しかし内戦は違う、同じ国の仲間を、住んでいる場所の違いだけで敵と判断し、それが老婆であっても、妊婦であっても躊躇いなく惨殺していく。
正気を失った狂人達の迷惑極まりない内輪もめだ。そしてそんな戦いに金のために身を投じている俺も、もう正気ではないのだろう。
小さな町に奇襲作戦を仕掛け、粛清と称して住民を全員皆殺しにしていくなんてザラだった。
後に残るのは死骸だけで、死臭が町中を満たし、反乱軍兵士でさえもその場には数分といられないという。
「という」という言い方をしたのは訳がある。
俺は子供の頃味覚と嗅覚を喪った。
家の窓から街が燃え上がっているのを眺めていると裏口から侵入してきた敵国兵士に殴られて昏倒し、捕虜になった。
その時に頭に障害が残ったのだろう。詳しいことは覚えていなかった。
匂いが一つも気にならない俺は粛清済みの血塗られた街で、弱いくせによく酒を飲んでいた。
生きている人間は自分以外誰もいない、完全な静寂のなか(蝿の羽音が半端ではないが、建物の天井まで出れば静かだ)、俺は少年時代を夢想していた。
自分が戦争を体験した年頃よりさらに幼いぐらいの子供の首を刎ね、両親の前に転がした日のことだった。
屋根瓦の上で眠っていた俺は、これまでの人生で体験したこともないぐらいの凄まじい悪夢を見た。
凄まじく恐ろしい悪夢を見たことまでは覚えている、絶叫する自分の声で目覚めたぐらいだから凄まじかったのは間違いなかったのに、俺は何故か夢の内容を一つも覚えていなかった。
それが不気味で、恐ろしくてたまらなくなり、それから俺はずっと反乱軍を抜けようと思っていた。
しかし脱退しようとした者の末路は知っている、奴らは同志でさえ躊躇いもせずに惨殺するのだ。
思うに、奴ら(俺もだが)は殺しすぎで感覚が麻痺してしまっているのだ。もう何人殺したところで罪悪感も何も感じないようになってしまっている。
全身ボロボロで山を下りきった俺は、遠くの街の明かりを目指して歩いていた。
抜けるなら今しかない、自分は死んだことにして帝国領に逃げればいい。
そんなふうに考えていた。
しかしそううまくはいかなかった。
「こんなところで何をしている」
背後から声をかけてきたものがいた。
軽装の反乱軍の兵士が2人立っていた、恐らく連絡要員だろう。近くに馬が止めてある。足音に気がつかなったのは不覚だった。そして彼らは俺が同志であることにも気づいているようだった。
俺の顔ではなく、腕につけた腕章と胸のエンブレムで同志だと気付いたのだ。更に不覚だった。
「野営地奇襲作戦は完了したのか?」
「おい、どうしたんだ?貴様傷だらけではないか、何かあったのか」
黙っていると、背後の山で爆音が鳴り響いた。野営地のある方向は赤々と燃えているのが遠目にもわかる。
「まだ戦闘中なのではないのか?まさか貴様!」
「敵前逃亡か!」
2人はほぼ同時に剣を抜いた。
「へっ・・・息ぴったりじゃねえか」
強がってはみたものの、流石にこの足では逃げられそうもないし、脱臼を無理やり直した右肩はまだ感覚が戻りきっておらず、2対1で戦って勝てるとも思えない。
観念して土下座でもなんでもするかと思ったその時だった。
突然、俺の前に立っていた2人の兵士が、これまたほぼ同じタイミングで苦しみ始めた。
「ぐふぅっ!」
「なんだごればぁぁっ」
呻きながら2人は激しく嘔吐し、そのまま地面に倒れ伏した。
脈を取ってみると死んではいないみたいだった、気絶しているようだ。
辺りを見渡してみると、兵士達が乗ってきたと思われる馬の陰に何者かが隠れているのが見えた。
「誰だ!?」
ナイフを人影に向かって投げつけると、ひぃっという悲鳴とともに人影は倒れ伏した、馬もビックリしたのか、悲鳴の主は後ろ足で蹴り飛ばされて俺の前に姿を現した。
「い、いってぇな!」
「頑丈なんだな、馬に蹴られて死なねぇとは。」
しきりに頭をさすっている男を助け起こそうとするやいなや、男は俺の方を向いてさっと立ち上がった。
「お前よくもナイフなんか投げてくれやがったな!今度こそくらえ!」
今度こそ?
よくわからないが男は俺に右の掌を向けて、「ハァッー」と力の入った声を出している。
意味がわからない。
「なんだ?お前。魔力切れか?」
俺がそう言うと、男の顔からみるみるうちに血の気が引いて行った。
そして次の瞬間後ろを向いて男は逃げ出そうとした。
のだが、振り向いて走り出した数秒後に、先ほど倒した兵士の体につまづいて、男は思いっきりズッコケた。
「何やってんだ?おまえ?大丈夫か?」
「き!効かないのか!?僕のこの力が!?」
ますます男の言っていることの意味がわからない。どこの人間なんだろう。
男は、今まで見たこともない服装をしている。
なんだかモコモコした、腰までしか丈のない上着に、魔術師の被るフードを小さくしたようなものがくっついている。
腰から下はこれまた見たことがない生地のズボンで、全体を美しい紺色に染めてある。
そして一番変だと思ったのが靴だった。
底が厚いブーツのような形をしているのだがブーツと違ってくるぶしぐらいまでしか長さはない、見たことのない生地だ、白地に赤と黒で面妖な模様が描かれている。そして白いミミズのような柔らかそうな太い糸で前方を括り付けている。
男の顔も変わっていた。髪は真っ黒、なんだか脂ぎっていそうなもじゃもじゃの薄毛、広いおでこに毛虫のような汚たらしい眉毛が二匹蠢いており、目は寝起きのジジイより開かれてない、というか異常に目が細い、鼻は低く、全体的に顔が丸くて平べったい。
要するにこの男、今まで見たことがないくらいブサイクだった。人間に化けたゴブリンかと思ったくらいだ。
男は毛虫のような眉毛をひくつかせながら、腰を抜かして立てないのか、足をジタバタさせながら俺から離れようとしている。
股間の近くの地面に投げナイフを突き刺すと、汚ったらしいことに股の間から湯気がではじめた。
「おまえ、何者なんだ?さっきのあれ、おまえがやったのか?」
仕方なく手を差し出してやると、今度こそ男は俺の手を握り返し、フラフラと立ち上がった。美しい藍染めのズボンがかわいそうだ。
「・・・あんた、反乱軍じゃないのかよ。」
調子悪い時の大きい方が出る時みたいな声で、男はぼそぼそとしゃべった。滑舌も悪く、聞き取りづらいったらない。
「ああ、反乱軍だよ。まぁ雇われだし、丁度今辞表を提出しようとしてたんだが、お前さんに邪魔された。」
「そんな感じじゃなかったけど?」
「なんだ、やっぱりわかってて助けてくれたんじゃねぇのかよ?」
「いや、僕は」
男はおどおどしながら気絶している兵士2人の姿と、俺の方を交互に見ながら
「僕はただ、王様に、」
「お、王様?皇帝の事か?」
「皇帝に、反乱軍を鎮圧しろって言われて」
「皇帝の勅命を受けてって事か?マジかよ?お前さんが?」
俺は信じられず、目の前で失禁している男をもういちどジロジロと眺めた。
どこからどう見てもこんなブ男に戦士の風格などなかった。
「勇者なんだ。」
「は?」
「僕はこの世界に舞い降りた、勇者なんだ」