第17話 想定の内と外1
ザジロ盆地には威勢のよい声があちらこちらで響いていた。その光景を見て馬上の男は自身の立派な髭をさすりながら頷く。
「“ザジロの長柵”は予定より早いペースで進んでいるようだな、アクオ。」
その男は同じく馬に乗り隣に立つ男に話かけた。
「ああ。獣人族がフセ山脈を越えてくる前に何とか形にはなったわ。」
「やはり人間、食べ物が絡んでくると仕事に精を出すもんだな。」
髭面の男の言葉にアクオは「そうだな、エムダ」とだけ返して、険しい目で忙しく動き回る民衆を眺めた。
王国No.2であるエムダ大公がザジロ盆地に数キロに渡る長柵を築くことを決めたのは、遠征軍がハークグランを発ってすぐのことである。フセ山脈より西に住む王国民をザジロ盆地に集めさせ、村ごとに作業にあたらせ、その進捗状況により村単位で配給する食料の量を変える政策をとった。
この政策は当たった。進捗状況を確認しにハークグランから出てきたエムダを満足させるのに十分な長柵が目の前に築かれている。
「ここがハーク王国の最終防衛線だ。獣人族にこの長柵を越えられてはならん。」
エムダの言葉にアクオは怪訝な顔を見せる。
「その言葉は西ハークを、孤高の山を、我々は放棄するということを言っているのか。」
エムダは首を横に振る。アクオはさらにまくしたてる。
「遠征軍が既に壊滅し、領土の半分は失っているんだ。王国民の不満も溜まっておる。長柵に反対するわけではない。あまりに守りばかりに意識がいったその姿勢はどうなんだ。危険はあっても攻めていかなければ望みは手に入らんぞ。」
「アクオ落ち着け。この状況は私の想定している内だ。」
エムダのこの言葉がアクオの眉間のしわをさらに増やす。
「遠征軍の壊滅が想定内だというのか。」
アクオは自身の一番弟子であったアイス・ミルトンが遠征軍の総大将としてハークシーで散ったことが大きなショックであった。遠征軍壊滅の一報が耳に入った当日は自室に籠ってしまった程であった。
それを想定内と言われれば、アクオの口調に怒りがこもるのも仕方がないことかもしれない。
「…アイス総大将をはじめ、多くの有望な将を失うことは勿論考えていなかったし、王国にとっても、個人的にも残念な出来事だった。」
「ただ、150年間以上も鋭い牙を潜ませていた獣人族がすぐに屈することは無いと考えていた。」
アクオは怒りの表情を緩めることなくエムダに再び詰め寄るように言う。
「エムダは遠征軍がハークグランを発ったあの日、ワシに王国軍は獣人族に必ず勝つと考えていると言ったよな。」
それでもエムダは顔色一つ変えることなく冷静な口調で返す。
「戦さは長い。その最後に我々が勝利する。その確信はあの時も今この時も変わらんよ。」
「このザジロの長柵はその確信を支える根拠の1つだ。」
そう言うとエムダは長柵の端から端に視線を走らせた。




