第12話 滴3
タントタンは立ち去って行った。残されたフーガンは立ち上がれないでいた。
(ここで俺も終わりか。)
フーガンは微かに笑みを浮かべながらこんな事を思った。
農業都市ハークマウンのさらに郊外で生まれたフーガン。小さい時から父がおらず、母の手一本で育った。普段は厳しいフーガンもこのような時に頭をよぎるのはその母の顔だった。
(そういえば小さい頃、近所のガキと喧嘩して家に帰って舌打ちをした時、舌打ちは幸せが逃げて行くからやめなさいって言われたな。)
いつからだろう。舌打ちが癖になり、鋭い目でこの王国を眺めるようになったのは。
(こんな時になって、こんなどうでもいいことを思い出すなんざ俺もおかしいな。)
フーガンは仰向けになった。青い空が見える。その時、フーガンは自身の左手に何かが触れている事に気がついた。
それは、いつもフーガンが酒を入れていた竹筒だった。長年使い続けてボロボロになっていた竹筒は、今回のタントタンとの戦いでさらに痛んでいた。フーガンは震える手でその竹筒をつかみ、顔の上に持ってくる。
(…俺が王国軍に入るために故郷を出た時に母からもらった竹筒。)
フーガンは小さく笑った。目からは涙が出てくる。涙は頬をつたい、滴となりハークシーの地へ染み込んでいく。
その時、フーガンの鼻に一粒の滴が落ちてきた。涙では無い。雨でもない。それは竹筒の中に微かに残っていた酒だった。
フーガンの目がカッと開く。そして、少しの間があり、フーガンは小さく呟く。
「…まだだ。」
(まだだ。まだだ。まだだ。俺はまだやれる。)
(俺はまだやらなきゃいけない。)
(立ち上がらねばいけない。)
そして、重い足を動かす。痛みで顔が歪む。
(立て。)
そう自分に強く言い聞かす。普段は鋭く細いその目が限界まで開く。
フーガンは立ち上がった。頭の中が激しく揺れる。それでも、フーガンは前を向いた。近くに転がっていた剣を拾う。刃には乾いたどす黒い色の血がついている。
獣人族がつけた火がハークシーを包んでいく。その熱がフーガンの体を突き抜けていた。時間が無い。
フーガンは剣を杖のように使いながらゆっくり歩きだした。
(まだ負けるわけにはいかない。いける所まで進んでやる。)
先程、フーガンの頬を流れていた涙は完全にかわき、その目には鋭さが戻っていた。




