非想非非想処
眼覚めは爽快。
映るは雲一つない夜空。
雲どころか星ひとつ無し。
いや、ありえないだろう。
静寂が満ちるなか、ゆっくりと体を起こす。
私は今、何もない地に座っていた。
…何だ此処は?
何かが遠方で動いている。
山だ。
肉の山脈がうごめいている。
それ以外、何もない。
あるのは遠方でうごめき脈動する山だけだ。
ひたすら輝きの無い白い台地がまっすぐな地平線の彼方まで広がっている。
私は服すら着ていない。
異常事態である。
さて。
記憶が途切れる前までは、この身は神域の中心にあり帝剣を禅譲された瞬間であった。
それはアメンデ大帝 最後の瞬間。
あのとき、私は儀式の仕上げとして前帝と二人だけで開かずの封印の間へと入った。
初めて入った封印の間には、ただ世界樹の種──実際には隕石──がぽつんと地面に置かれているだけの場所であった。
そして、神話をなぞるべく儀式が始まった。
儀式と言っても何一つ仰々しいことはなく、いっそ見せられないほどにシンプルだ。
即ち、前帝より帝剣を賜り、流れるままに受け取った帝剣で前帝の首を刎ねるのみ。
不滅を現す大帝の首はあっけなく宙を舞い、その骸は光の飛沫と化して帝剣に吸い込まれ私は一人になった。
こうして聞いていた通りに儀式の完了を隕石に刻むべく、歴代の傷が刻まれた隕石に刃を向けた。
ここまでは、明瞭だ。
ここからがおかしい。
花開くように隕石が爆発した。
反射で行った迎撃は寸分の狂いもなく増殖する隕石を迎え撃ち、しかし前帝を水の如く切り裂いた帝剣は隕石に触れた瞬間に豆腐のように砕け散った。
躊躇なく撤退しようと時間稼ぎの封印術式をかませようとして…記憶が終わる。
とすれば、ここは儀式に伴う特殊空間なのか?
仮に精神体であるとすれば、なるほど。
全裸でありながら無傷であることにも一応理由は通る。
しかしやはり、夢ではなくまぎれもなく現実なのだろう。
私に絶え間なく流れ込んでくる全人類の願い、この接続は未だ途切れておらず変化はない。
だから、ここは閉じられた空間ではありえない。
それでいながら、接続をたどろうにも此処以外のどこにも繋がっていない。
つまり、全人類が私と同じ次元、空間にいるということ。
…ここが、世界だ。
しかし、伝えられる全人類の願いはいつものように方向性をもった生々しい無秩序さが一切ない。
まるで走馬灯のように間延びしながら、しかし比類なき程太く異様な願いは間断なく届く。
もはや願いですらなく異様な祈りにも等しい。
果たしてこの大地に広がり生きる様々な人々が、その想いを同じにする瞬間など現実問題としてありえるだろうか?
その奇跡が数分にわたり続くことがあるだろうか?
もうそれは奇跡などではなく、思想統制による完全なる世界征服だ。
しかも、あたり一面あの山?を除いて人影どころか生きとし生けるものも土くれすらない。
これは幻ではない。
そして、いずれこの様な現象が世界の破滅として起こり得ることを私は知っている。
というのであれば…
全世界そのものがきれいさっぱり滅んで消え去ったと結論せざるをえない。
こうして変らずに流し込まれ続けるこの願いは、さしずめこの空間に焼き付いた全人類の遺言といったところか。
原因不明であるが、閉じられ拡大する世界はついに風船の様に破れ、すべての願いを無慈悲に平等に完全に叶える神代が訪れたのだろう。
そうなれば、人々のみならず生きとし生けるもの全ては─下らない願いから崇高な願いまで─等しく願いを叶えることができたのだろう。
殻から孵る最後の審判が来たのだ。
そしてあの残された蠢く山──おそらく全生命の生存本能の塊か、それに類するもの──こそ全生命の最終回答。
裏付けるように、普段は負荷が大きすぎてできない全世界への反応探査を試みても、あの山以外に反応が観測できない。
この空間はノモスで観測した神代の空間と同質であるくせに、だ。
私がまだ残っているのは、帝位を継承して生きていないことに加え、とうの昔にこの空間自体と同質の受信機関になり下がっており、さらに自身の制御の精密さが基準を超過していたからだろう。
神の公器たる神人ツァイネルすら消えているのだ。
…あれにも自発性はないから、おそらく超然とした佇まいに救いを求めて縋り付かれ、妬まれたかしたのであろうが。
現状認識はこんなところか。
さて。
この遺言、強いて翻訳すれば「助けてくれ」となるが、どうしたものか。
人類が絶滅している以上、この願が更新されることはない。
あの山脈、負の遺産にそれは望めない。
と、なれば。
人の望みが、間に合わなかった私への恨み妬みではなくただ救いを求めている以上、私は死なずに救済の技法を編み出さねばならない。
…死なないことは、問題ないな。
この原初に還った世界において、間違いなく私には餓死も衰弱死も存在しない。
ここは世界の境界すら曖昧な原初の空間。
全ての人の願いはかなう。
意識、無意識、高尚、下種、積年、刹那を問わず問答無用に相応に。
かつてノモスで、
被災した人々とナシテ・ターサイバルが互いを頼り支えることで文字通り一体感を得、一意多心多体で動けるレギオンと化したように。
タルーシャ・カタリナクヤが溢れ出る恐怖心と妄想をとめることが出来なくなった代わりに、強靭な表現力によって嘲笑と洒脱によって世界を規定し直し続けるヴォクシャス・ウェザイと見込まれて化したように。
そして、私が人々に、ノモスに囚われた人々だけではなく外界からも期待され、期待通り全ての破滅を救済する英雄と化したように。
では何が救済足りえるのだろうか?
全世界を元通りに戻すことか?
かつてと同じ世界を復元するだけならばシミュレーションの果てに到達可能だ。
が、たった一つの無謬なく人々の魂と人格を復元することは不可能だ。
そもそも正解が分からない。
至る道も辿る道も、共に一つではない。
あたり前だが、私は神ではない。
全人類に大英雄と期待される程に至っていようとも、大帝を継承して仮初の不滅を得ようとも。
だから、記憶の粋を紐解いたとしても世界が滅びる瞬間の一切を記憶なんてしていない。
万能の大英雄として、世界の流れたる天命と、各キーパーソン個別の流れたる運命までしか読めていない。
仮に時間を操作可能にして過去を再現させたとして、はたまた過去を覗き見たとして、その世界が私が新しく作りだしたものだと否定も肯定もできない。
今の私は工夫次第で全ての願を叶えうる故に、同一なのかどうなのか証明すること自体に意味がなくなってしまっている。
それでも、望まれて在る私は全人類の存在の粋。
例えたじろぐ程の虚空に等しい無限の可能性に溺れようとも、望む限りは千と現れる藁を掴むことができる。
ならば、最後にして望まれし大英雄として人科の粋をこの身より取り出そう。
これは滅亡に間に合わなかった大英雄に与えられた白熱の断罪図。
これこそ、私にのみ与えられた救済の手引き。
ただ私だけはある、まずそれだけを称えよう。
私があり続ける限り、あの山脈もこの異様な祈りも人類の最終回答ではない。
そして、私は有角の翼持つ悪魔を見出した。
「終末へようこそ」




