第116話 通れない橋
王城から戻って数日後の朝、借家に騎士隊からの使いが来た。エアリスから呼び出しだという。
カケルとリアナが騎士隊の詰所へ向かうと、エアリスは机の上の地図を指で押さえたまま二人を見た。
「来てくれて助かるよ。街道沿いの橋が使えなくなっていてね。現地確認に行くんだけど、今回は君たちにも来てほしい」
リアナが地図を覗き込む。
「この橋って、商人たちが必ず使うかなり大事な道じゃないの?」
「そう。大きく迂回しなくてはいけなくて、物流に影響が出る。放っておけないんだ」
エアリスは橋の位置に指を置いたまま、少しだけ表情を引き締めた。
「ただ、現地の様子がまだはっきりしない。騎士隊だけで踏み込むには危ういから、君たちの索敵を借りたい」
カケルは地図の上の細い線を見つめた。
渓流にかかる橋。両脇は岩場。潜む場所はいくらでもありそうだ。
「わかりました。すぐ行けます」
「助かる」
エアリスは短く頷いた。
「こちらもすぐ出る。門前で合流しよう」
借家へ戻った二人は、手早く支度を整えた。必要な召喚獣は現地で呼ぶことにして、茶渋とワサビ君だけを残す。
ほどなくして門前で騎士隊と合流し、そのまま街道を進んだ。
しばらく進むと、前方の空気が変わった。
橋へ続く道のかなり手前で、騎士たちが通行を止めている。普段なら荷馬車が絶えないはずの道だが、今は不自然なくらい静かだった。
少し離れた場所では、商人らしい男が騎士に詰め寄っている。
「迂回したら荷の到着が遅れるんだぞ!」
「承知しています。ですが、今あちらへ進ませるわけにはいきません」
騎士の声も硬い。エアリスは馬を下りながら言った。
「橋の近くまで行った荷馬車が襲われた。死人は出ていないけど、このままじゃ時間の問題だ」
そこから先は、騎士隊とカケルたちだけで進む。
渓流の音が近づくにつれて、空気がひやりと湿った。岩に砕ける水音は澄んでいるのに、妙に神経を逆なでする。
やがて木々が開け、橋が見えた。
幅のある渓流に、石造りの橋が一本かかっている。橋脚のまわりには大きな岩が多く、水の中にも岩がいくつも頭を出していた。
川縁には裂け目や窪みが点々と続き、向こう岸には岩棚が張り出している。少し上流へ目を向ければ、濡れた岩壁が黒く光っていた。
リアナが小さく息をつく。
「嫌な場所ね」
エアリスも橋の先を見たまま言う。
「隠れる場所が多すぎる」
カケルは頷き、意識を切り替えた。
「ピー太郎たちは橋の上流と下流、それから岩場の上を見て。ベタたちは水の中をお願い。ミカド、シルクは橋脚の陰と岩の隙間みたいな暗い場所を見てほしい」
足元に光が広がり、呼ばれた家族たちが次々と姿を現す。
ピー太郎たちが空へ上がる。ベタたちは水へ意識を向け、ミカドとシルクは岩陰へ視線を滑らせた。
カケルは息を潜めて反応を待つ。ほどなくして、頭の中にナビゲーターの声が響いた。
『対象:ロックバジリスクの反応を捕捉しました。橋脚付近、個体数は2、ランクはBです』
『対象:ロックバジリスクの反応を捕捉しました。川中の岩陰、個体数は2、ランクはBです』
『対象:ロックバジリスクの反応を捕捉しました。対岸の裂け目、個体数は3、ランクはBです』
『対象:ロックバジリスクの反応を捕捉しました。上流側の岩棚、個体数は2、ランクはBです』
カケルの表情が変わる。
「ロックバジリスクです。ランクはB!橋脚付近に二匹、川中の岩陰に二匹、対岸の裂け目に三匹、上流側の岩棚に二匹います」
リアナが橋の先を睨んだ。
「思ったより高ランクだし、ずっと多いわね」
エアリスの目も細くなる。
「……ロックバジリスクが九匹」
「いえ、今確認できた数なので、もっといるかもしれません」
橋と岩場、水の流れを見渡しながら、低く息をつく。
橋の近くだけをどうにかすれば済む話ではなかった。水の中にも、対岸にも、上流側にも潜んでいる。橋へ近づくだけで、どこから襲われてもおかしくない。
その時、水の中の岩陰が動いた。ぬらりと現れたのは、灰黒色の巨体だった。
濡れた岩肌みたいな鱗。低い姿勢。太い尾。黄色い目だけが、こちらをじっと見ている。
「来るよ!」
エアリスの声と同時に、一匹目が走った。
濡れた岩を滑るどころか、張りつくようにして一気に間合いを詰める。前に出た騎士が盾を構えた直後、鈍い音が響いた。
「ぐっ……!」
カケルは即座に茶渋を前へ出した。
「茶渋、【威圧】!」
低い圧が走る。ロックバジリスクの動きがわずかに鈍った隙に、エアリスの剣が横から入った。首筋を狙った一撃だったが、硬い鱗が衝撃を殺す。
その直後、橋脚の陰から二匹目が姿を現した。
「まだいる!」
リアナが短く叫び、シルバーが前へ出る。ロックバジリスクは低く唸り、今度は尾を大きく振った。
「尾の一撃に気を付けて!強烈です!」
カケルが声を飛ばす。
じったんが前へ出て、その一撃を受け止めた。鈍い衝撃が響き、足元の石が少し砕ける。
さらに水の中の別の影も動いた。カケルは頭の中で反応の位置をなぞる。
今出てきた二匹だけじゃない。水の中にも、向こう岸にも、上流側にもまだいる。
「エアリスさん、まだ来ます! ここで押しても、別の場所から回り込まれます!」
エアリスは一匹目を騎士たちと押し返しながら、橋と岩場を見た。水際にも裂け目にも、潜める場所がいくらでもある。
ロックバジリスクが再び低く身を沈め、飛びかかろうとしたところで、エアリスが鋭く命じた。
「深追いするな! 押し返して下がるよ!」
騎士たちは迷わず従った。
じったんが一歩引き、シルバーが前で唸る。その間に隊列が整う。足場の悪い場所へ引きずり込まれないよう、橋の手前まで下がって押し返す形に変えた。
ロックバジリスクたちは数歩だけ追ってきたが、橋へ近づくところで止まった。低く喉を鳴らしながら、また岩陰へ戻っていく。
水音だけが残った。
リアナがようやく息を吐く。
「これ、騎士隊だけでどうにかする相手じゃないわね」
カケルは橋と岩場を見たまま言う。
「橋の近くだけ押さえても終わりません。数が多すぎますし、地形も悪すぎる」
エアリスはしばらく橋を見つめ、それから短く頷いた。
「たしかに、これは騎士隊だけでは厳しい」
その声に迷いはなかった。
「閣下に奏上する」
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