第102話 報告
辺境伯邸へ戻った頃には、空はすっかり暮れかけていた。
門をくぐると、負傷した騎士たちが先に中へ運ばれていく。使用人たちも慌ただしく動いていたが、声を荒げる者はいない。張りつめた空気だけが、そのまま邸の中へ続いていた。
カケルとリアナは、呼ばれるまま応接室へ向かった。部屋には辺境伯とグランツ、それにヴィクトールがいた。
二人が一礼すると、辺境伯はまっすぐグランツを見た。
「報告しろ」
「はっ。北側の村の手前でスノーグリズリーの群れを討伐しました。村への被害はありません。騎士たちに負傷は出ましたが、いずれも軽傷です。死者も出しておりません」
辺境伯の目がわずかに細くなる。
「……軽傷で済んだか」
「はい。今回はカケル殿のご助力とご指示があり、前を崩さずに抑えきれました」
辺境伯はカケルへ視線を移した。
「今回は礼を言わねばならぬな」
カケルは頭を下げる。
「いえ、俺にできることをしたまでです」
辺境伯は今度はリアナを見た。
「怪我はないか」
「ありません」
「そうか。無事ならそれでいい」
リアナが一瞬だけ目を見開き、それから小さく頷いた。
「はい」
そこでヴィクトールが口を開く。
「父上。我がサンダーウルフは、こやつらのように群れずとも、単騎で三頭討伐しました」
辺境伯はそちらを見た。
「そうか」
短い一言だったが、ヴィクトールは口元をわずかに上げた。
グランツが続ける。
「今回の形は、今後にも使えるかと」
「なら、ものにしてみせろ」
「はっ」
話が終わり、二人が部屋を退出すると、廊下の冷えた空気が少しだけやわらいだ。リアナが先に口を開く。
「父様、怪我はないかって聞いたわね、師匠にお礼まで言っていたし、びっくりしたわ!」
どこか嬉しそうなリアナを見て、カケルはふっと笑った。
客間へ戻ると、カケルは送還していた家族たちを呼び直した。ワサビ君はいつもの大きさで静かに止まり、茶渋は足元をひと回りしてから丸くなる。ほっぺは羽をふくらませた。
リアナはラプティの首筋を撫でた。
「今日はよくやったわ」
「ケー」
シルバーは黙ったまま目を細める。
カケルも順に視線を向けた。
「みんな、ありがとね」
茶渋の耳がぴくりと動き、ほっぺが小さく鳴いた。ワサビ君は相変わらずの顔で、ゆっくり片目を動かすだけだった。
戦闘の疲れからか、その夜は二人とも泥のように眠った。
翌朝。朝食を終えたところで、グランツが迎えに来た。
「これから村の手前を見て回ります。お時間をいただけますか」
「はい」
リアナも頷く。三人はそのまま北側の村の手前へ向かった。
昨日戦った場所には、まだ戦いの跡が濃く残っていた。踏み荒らされた土、折れた枝、削れた柵。見張り台の一つは確かに壊れていたが、村側の建物はどれも無事だった。
グランツは足を止め、壊れた柵へ目を向けた。
「例年なら、ここまで近づかれた時点で村に被害が出ます。前を押し返しても横から回られ、村側へ抜けられることが多い」
その声はいつも通り落ち着いていたが、視線は壊れた杭の先に止まっている。
「ですが今回は、そこで崩れませんでした」
カケルは折れた杭のそばを見た。
「皆さん、しっかりと連携できていましたもんね」
「補修はこちらで進めます。お二人には、ここまでで十分助けていただきました」
「いえ。俺たちも見ておきたかったので」
リアナも頷く。それ以上は長く話さず、三人はその場で別れた。
帰り道では、村の手前で騎士たちが折れた杭を運び、壊れた柵を立て直していた。見張り台の残骸も少しずつ片づけられていく。リアナはその様子を見つめたまま、小さく息を吐く。
「村に入られなくてよかったわ」
その声には、ようやくほどけた緊張が混じっていた。
カケルは補修に動く騎士たちへ目を向ける。
「うん。そこは本当によかったね」
リアナは少し黙ってから続けた。
「でも、冬はまだこれからなのよね」
返事の代わりに、カケルは前を向いた。冷えた風が頬を撫でる。空は薄く曇り、遠くで木の枝が鳴っていた。
借家へ着く頃には、日もだいぶ傾いていた。
扉を開けると、慣れた空気が二人を迎える。辺境伯邸にいる間は広く整った部屋だったが、やはりこちらのほうが落ち着いた。
リアナが先に肩の力を抜く。
「やっぱり、こっちのほうが気が楽だわ」
カケルも少し笑う。
「それは俺も同じかな」
中へ入ると、家族たちもそれぞれ落ち着いた動きに戻っていく。茶渋は足元をひと回りしてからいつもの場所へ収まり、ほっぺは軽く羽ばたいて止まり木へ移った。ワサビ君も静かにいつもの位置へ登る。
ラプティは部屋の中を見回してから、ようやく安心したように床へ腹をつけた。シルバーもそのそばへ静かに座る。
リアナがその様子を見て、口元を少し緩めた。
「みんな、ちゃんと帰ってきたって顔してるわね」
「そうだね。今日は、温かいものでも飲んで休もうか」
リアナはすぐに頷いた。
「賛成。さすがに疲れたもの」
扉を閉めた家の中には、いつもの静けさが戻っていた。
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